〜球友さんのお話〜




 長い間、中国野球に普及に向けてご尽力されている方であり、当ホームページの掲示板で中国野球事情についての貴重な情報を与えてくださる、球友さんのお話をまとめました。掲示板でお話されたものです。中国野球関係者の方々とも親しく、外からでは分からない情報を知ることができます。球友さん、いつもありがとうございます。



<球友さんと中国野球の関わり>

97年から小・中学生の野球交流を続けています。プロチームで交流があるのは広東省です。天津の呂投手はドラゴンス時代からの交流で、中国野球協会の申秘書長の依頼で、札幌では五星旗を掲げて応援したの私と私の通訳二人でした。

初めて中国へ野球交流で行ったのは、97年8月です。福岡市の中学生14名、野球部顧問6名、東筑高元監督、保護者2名、通訳、大連で野球指導にかかわった横浜在住の方でした。総勢26名、400kgの野球用具を携えての訪問でした。
この交流に先立ち、来福のサッカー好きの大連市長〔現通商副大臣)に野球交流の話をしたところ、サッカーならというへんじでした。交流期間中に政府機関の人たちとの会談でも福岡氏への交通費は出せないとのこと。
広州市とは交流負担金について話し合いました。内容は、交通費は互いに負担する。滞在費は招待側の負担たし、人数は18名とする。滞在期間の取り決めはありません。
この取り決めによって98年から小・中学生の交流が始まりました。
広州は亜熱帯で韓国、台湾、米国〔華僑)のチームと定期的な交流が始まり、日本からも広州を訪れるチームが増え、国際交流は活発化している。よって今年は野球指導者を福岡に招待しようと思っています。

99年8月、福岡市の小学生チームとともに広州へ。小学生は広州,深せん、香港とリーグ戦を行い各チーム6試合。広州が全勝で福岡は2位でした。
この間、松永選手は広東省プロチームの指導にあたりました。初日9時、練習開始時間にもかかわらず、選手は揃ってなく、だらだらと宿舎からでてきていた。わけのわからない「球友」が連れてきた人物だからと思っていたようです。午後、スコールでグランドが使えなくなり、小屋でティーをすることになった。しばらくして、松永選手が打ち出したら、鋭い振り、打球音の違いにびっくり。全員が集まってきた。
次の日、8時30分には全員グランドで私たちを待っていました。35度を超える熱射の中松永選手も一週間実演をまじえて精力的に指導しました。選手たちは松永選手が現役でないことに日本のレベルを感じとったようです。
この年の9月オリンピックアジヤ予選がソウルで開催された時、広州でのことが報告されていたもようで申秘書長は私のことをすでに知っており、面談に応じてくれました。申さんの部屋に呂選手と広東省の2選手も呼んでくれました。
松永選手はマスコミの取材で広東省のチームの印象について尋ねられたとき、将来に展望が見出せない旨のコメントを出し記者をがっかりさせました。広東省のチームは2001年の国体で、勝ったことのなかった北京を破り、天津に次いで二位になったことを考えれば成果が合あったのではと思っています。ちなみに優勝投手は呂投手でした。

中国の野球関係者の知人は増えましたが、個人の資格での交流であり、中国語も出来ないこともあって不自由しています。
中国へ行く時は、福岡に居る留学生を通訳として連れて行きます。交流に貢献したという理由で広州市野球協会の顧問になっています。
広州市はまもなく本格的なキャンプ施設を作るようで、日本の大学,アマ、プロに参加を呼びかけたいとのことです。


2002年、あるレセプション会場で王監督と高塚オーナー代行(当時)に福岡市の友好都市である広州市に本拠地を置く広東省プロチームと業務提携の話をしたところ、王監督は即座に賛意をしめしました。高塚氏は黙って聞いていましたが、この年の12月に広州へ本人が出向きましたので、てっきり業務提携されるものと思っていました。このような経緯もあり、国際派の孫オーナーに期待しての行動でした。小・中学生との交流は私の一存でどうにでもなりますが、プロは私の力の及ばないところです。

2001年に上海に里帰りしていた福岡の留学生を広東省プロチームの主教練馬さんから紹介されました。彼女はかつて上海で中国野球協会の仕事をしていたので現在の中国のプロチームの選手とはみな友達です。札幌では大変助かりました。彼女と帯同なら北京の申秘書長にもアポ無しでも会えます。大学院を修了し、今年2月福岡の旅行会社に就職しました。
彼女を紹介される前に申秘書長とはソウル、天津で会って話した事があります。大連外語学院日本語科卒業で、日本語は堪能です。
もうひとり私の通訳がいます。大連出身の女性で、英語と広東語が出来ます。1999年8月ダイエーホークスを退団した松永浩美氏に広東省プロチームを一週間指導してもらった時の通訳でしたが、野球を知らないため苦労しました。その後、野球ルールを教え、今は野球用語も覚えています。しかし日本人と結婚(私が保証人)したので、3泊か4泊が限度です。

根本氏はアジアリーグ結成に強い関心を持っていました。近いうちに中国野球事情を把握させるために球団職員を派遣したいと私に語ってくれました。この時中国に推薦する選手がいたらビデオを提供してほしいと要請されました。当時中国のエース(広東省出身)頼投手のビデオを提供しました。(オリックスにも渡しましたがオファーがありませんでした)根本氏はさらに、このままでは日本のプロ野球はサッカーに負けるという危機を説明されました。
根本氏が健在ならホークスに中国選手の入団があったかもしれません。


<中国野球の現状について>


(日本、メジャーの中国での公式戦)

中国での公式戦は施設、設備を含め今のところ無理です。中国プロリーグ発足を契機に普及を図っていますが、まだまだ人気のないスポーツです。試合中にルール解説して放送しています。政府機関を含め、野球というスポーツの存在すら知らない通訳ばかりで苦労します。例えば「盗塁」。盗塁の意味も分からないし、中国で使う野球用語は当然知る由もなしです。 


(広東レオパーズの躍進)

昨年の広東省チームの大躍進は業務提携した広島カープの支援が大きかった。ドミニカアカデミーの指導者古沢氏(元阪神投手)が広東省の要請に応えドミニカから投手と遊撃手をつれて参加したからです。
日本のプロ機構に今のところレンタル制度(スト騒動で検討中)がないので苦肉の策でした。今年もドミニカ選手の参加がなければ広東省のチーム力では好成績は期待できません。
古沢氏は会社から要請があれば参加するが、個人としてはかかわりたくない、と開幕戦のとき話していました。
それにしても松田オーナーの決断に敬服します。このようなオーナーが増えればアジアリーグの誕生がはやまるとおもいます。


(選手の手当て)

天津の呂選手によれば、基本給月1000元、報奨金など諸手当てを含め平均月2000元だそうです。どの球団もこの程度とのここと。結婚もできないと笑っていた。
引退後、野球に関係する仕事がないので年齢が高くなるにつれて心配がつのるようです。


(野球用具)

グローブ、ヘルメットなど野球用具は全てミズノが全球団に無料で提供している。
ナショナルチームに必要な用具はゼットと聞いています。


(中国の野球人口)

広島カープが広州市に投手養成アカデミーを開設するという計画はなくなったようです。今、中国で野球アカデミーは無理です。
中国の野球人口は5万人いるかいないかです。日本は高校生だけで16万人です。中国で高校生による野球チームは10チーム程度で、プロチームがある都市及び成人チームがある都市だけだと思います。


(小中高のチーム数)

名簿を依頼していた人が無錫に来ていなかったし、梁さんも体調不良で来ていないので概数すらわからない。ただし、成人野球チームが本拠地とする都市には、少なくとも小、中にチームがあることがわかった。プロリーグに参加している都市には高校のチームがあるようで、全国に12チームあることもわかった。


(野球アカデミー設立について)

中南米には荒削りでも素質があり、野球で生活したいといった人材が多数いるようですが、今、中国ではそのような状況にない。従って、小学生に野球を教えることができる指導者を育てることから始めるとともに、その指導者の生活を保障すること。野球アカデミーに選手を送り出したら、指導者に報奨金を支払うこと、など中,長期的な視点でアカデミーを設立すべきだと思う。
広州市ではスポーツ振興の手段として、報奨制度がある。国家的な選手を育てた小、中、高の指導者全てに金額が支払らわれている。

(CBLの外国人枠)

外国人枠3名の制度が中国にある。この制度を活用して結果を出しているチームは広東省だけである。今年も業務提携している広島カープの支援で、ドミニカの2名の投手がいるからです。いなかったら、北京,天津2強でリーグ戦は終わり。
日本のレベルを知っている天津の呂投手(元中日ドラゴンズ)は日本の1,5軍の投手2名とサード、ショートを守れ、打力のある選手1名が加われば、どこのチームでもリーグ制覇できると、いっていた。広東の馬監督も同意見

日本では選手のレンタル制度が改革の課題のひとつになっていたが、どうなったのでしょう。
2年前、ホークスの笹川選手が台湾のチームにレンタルされた時、制度上笹川選手は退団のてつずきを取らざるを得なかった。
笹川選手を欲しい球団があれば笹川選手は獲得せれていた。現制度でのレンタルにはリスクがある。特例を設け中国へ3か月だけレンタルすることが可能になれば、中国のレベルは向上する。
味方のエラーにもめげず、黙々と投げつずける日本の投手の姿は,友好親善に役立つと思う。

中国の野球関係者との交流の席で、中国野球のレベルアップについて、話し合ったことがある。その時、卓球は荻原選手、バレーボールは大松監督の指導が大きかったと中国側が話していた。
今年の5月宮崎で、頼投手は私に99年松永浩美選手〔元ダイエーホークス)の指導が広東チームの選手の意識をかえた、といっていた。業務提携球団に損得抜きで長期間〔2月から10月までの半年〕指導に当たる人物はいないのだろうか。指導力のあるOBがいるはずだ。



<CBLの状況>


(審判)


審判のコールは日本と同じです。ストライク、ボール、アウト、セーフとコールしています。ただし、場内放送は中国の野球用語です。例えば、ストライクは好球、ボールは壊球、ファールは界外球です。

ハーフスイングをめぐって塁審に聞けという抗議に塁審に聞くそぶりはなかった。バンドの時、イリガリーバッデットアウトという抗議もあった。
これらの抗議の中心は韓国のコーチで通訳を入れての行動です。(ルールの精通問題)


(試合内容)

エンドランの局面なのに送りバントのサインを出す監督がおかしいと、あるコーチが私に語りかけてきた。
送りバントはよく見かけたが、ヒットエンドランとかランエンドヒットとかという戦術はみられなかった。2ルイのランナーを3ルイへ進める意識が打者にない。
戦い方の研究が不足しているようだ。


ストレートで三振が取れる投手に出会えなかった。変化球に頼り、かわす軟投型の投手ばかりでした。
98年の1月、広州で小学生の大会があったとき、天津チームの投手は9人のバッターから8奪三振投ゴロ1人で制限投球回数3回を投げ終わった。現在は20歳か19歳。選手名鑑を見ると王志良かも知れないが1,2歳年齢が高い。今回の訪問で確認できなっかた。
サースポーで伸びのあるボールを投げていた。この子が我がチームにいたらリーグ優勝できるとおもった。このようなこどもがどこかにいる。

振り切るバッチングをする選手は各チームに1名いるかいないかです。三振を怖がっているように感じた。豪快な振りで三振する選手がいない。ホームランの数が少ない原因のひとつ。

4月30日の北京対天津の試合で負けた天津チームはベンチ前で、30分ほど反省会があった。
選手は直立不動の姿勢でした。試合の負け方が悪かったのは事実。ベンチの投手交代に問題ありと指摘するコーチ、選手がいたのも事実。反省の内容は聞かなかった。



<選手たちの素顔>


(広東の劉広標選手)

高校生のときから知っている広東の劉選手との会話。試合前、便所で「今日何本打つか」『二本」「三本打てよ」「むつかしいが努力する」結果はラッキーなヒット一本を含め4安打。試合終了後金一封を渡した。前半戦打率トップになったのではないか。


(広東の張洪波選手)

03年の札幌で彼は、台湾の張投手(西武)から大きいセンターへの犠飛で唯一の打点をあげた。
今年5月北京で馬監督と一緒に話す機会があった。その時、出身の四川省で評価されず広東に来たことや言葉の問題があっても日本のキャンプに是非参加してレベルを向上させたいと話していた。5月の宮崎で結果を出すことを約束して別れたが、前日の試合で足を痛めていたことが原因で宮崎には不参加。活躍を期待していただけに残念でした。
札幌で、日本の選手は毎日投球をイメージして千回ぐらい素振りをしていることを話しておいた。彼は毎日千回は無理だけど,劉選手と素振りを欠かさずやっているとのこと。
日本のキャンプでお荷物にはならない技能を持っており、キャンプに参加できれば、さらに、飛躍が期待される。


(ホープスターズのト涛選手)

放課後ゲームで遊んだり、ぶらぶらするより学校の野球チームに入りなさいと母に勧められたのが小学2年生の時でした。それ以来、野球の虜になり、中学まで西安で野球に取り組んだ。高校にはチームがなく、しかも成人野球チームも成績不振という理由で解散しており、西安で野球を続けることが出来なくなった。母に野球を続けたいので河南の成人野球チームに入ってもいいかと尋ねたら、母は「若い内は好きなことをしなさい、青春に悔いを残さないように」と言ったそうです。一人っ子の息子を15歳で送り出す母親の愛情の深さに感銘した。すばらしいお母さんに会ってみたいと彼に言うと、今日のことを母に電話しておきますと言っていた。
彼のように野球が大好きな子どもが各地にいることは今までの交流で知っている。しかし、地元に中、高のチームがなければ続けたくても続けられず、素質のある子が野球を諦めている。(大連がこの例に入る)
  ト涛  左投 181センチ  78キロ  1983、1、15生まれ
      MAX 138キロ  スライダーが良い

99年2月の中日ドラゴンズの沖縄キャンプに16歳で参加していたと云われ、にこにこしていた若い選手がいたなと思い出した。
沖縄で山本晶投手からスライダーの投げ方を教わった。彼は通訳をおねいさんと呼び慕っている。8月の日本遠征から代表入りした。無錫の解放軍戦で通訳と一緒に叫んだ「ト涛加油!」の声が励みになったと云い、どう応えてよいかわからなかったと云う。そういえば、中国で日本のように選手の名前を叫んでの応援は見かけなかった。
無錫のホテルを出るとき、彼は私たちの荷物を運んでくれ、東京ドームでまた会いたいと云っていた。
希望の星に在籍していた彼は来シーズンどこの球団で野球したらよいか悩んでいた。アジアシリーズでスカウトの目にとまれば、日本でということにもなりかねない。

大会前にホークスのスカウトに見て欲しいと伝えておいた。(左腕の投手はどの球団も欲しい)このことは事前にト涛には伝えなっかた。伝えれば意識しすぎて普段のピッチングが出来なくなるのではないかと思ったので。
韓国戦で2インニング投げ無失点だったが内容が悪かった。試合終了後彼にスカウトが見ていると伝えてもらった。ロッテ戦で結果を出すとの返事だったが登板の機会がなかった。
原宿で無錫の時から5キロ増えていることを指摘し、来年3月にはベストコンディションで臨むように。来年の3月がラストチャンスと思いなさいと話しておいた。帰国したト涛は通訳のところに、考えが甘かった、既に体力づくりに入ったことを私に伝えてほしいと連絡してきた。
ト涛に限らず若手は次のステップを考えて頑張ってほしい。間もなく広州で若手中心のキャンプが始まる。


(四川ドラゴンズの馮飛選手)

ロッテ戦でショートを守っていたフォン飛(四川)は10月28日挙式の新婚ホヤホヤです。祝いの品を渡したらびっくりしていた。晩婚を奨励する中国で22歳の結婚は早すぎるとからかったら、まわりからできちゃった婚とひやかされていた。
結婚のことは、彼と仲良しの趙投手(四川20歳)が知らせてくれた。今回、趙は来ていない。彼は苦労を知らないお坊ちゃまのようで、広島のカラオケ店で一番はしゃいでいた。私が成都に来たら二番目にいいホテルに泊めるという。(無錫での話)一番目といわないところが可愛い


(上海ゴールデンイーグルスの張玉峰選手)

今回、ゆっくり話を聞くことができた。上海体校を卒業し、20歳の97年から3年続けて中日ドラゴンズのキャンプに参加し、キャンプでは今活躍している荒木選手と競い合っていたこと。コーチが荒木選手に張に負けているぞといじめられていたこと。この時、中日に入団していたら、荒木選手のところに自分の姿を見ているようだった。日本のコーチの指導をほめていた。99年に彼に会った時、中国に指導者がいないと云っていたことを思い出した。
年々野球の難しさが増幅するとも云っていた。来シーズンからはコーチを兼任するとのこと。ロッテ戦で先発した張力投手(上海)はいとこだそうです。独身。無錫でかっての恋人が上海チームの応援にきていた。
犬、猫、子ぶたをペットとして飼っている。子ぶたが大きくなってきて困っていると笑っていた。上海では子ぶたのペットが人気者になっている。
上海の野球事情を調べたいならいつでも来て欲しい。大歓迎すると云ってくれた。


(北京タイガースの陳哲選手)

ロッテ戦終了後、買い物に行きたいと云うのでト涛と4人で原宿へ行った。妻の服を買いたかったらしいが、値段が折り合わず、薄給(月収2000元)では買えないと言う。額を聞いたら3万円。北京でも買えるのではと慰めた。食事しながら小林投手の152キロを打ち返し投手を強襲したヒットは自慢に値すると話し合った。穏やかな好青年。




<地域の野球事情>

1、大連には中、高校生の野球チームがないので小学校を卒業した後、広州市へ野球留学している。生活費等の費用負担割合は6対4となっている。練習は放課後と早朝と聞いている。
2、「人民中国」03年7月号の野球特集号の記事の中に、済南市に誕生した山東展望野球クラブの小学生20名(女子4名含む)が、北京鉄路十一小に野球留学している。展望野球クラブの創設者がクラブ運営に数10万元支出しているとのこと。


(天津の野球事情)

天津体育学院出身のプロ選手の話では小学校に8、9チーム、中、高にもかなりのチームがあるとのこと。天津体育学院は全国でも1,2位の実力とも言っていました。
天津市政府は野球に力を入れているようで、これまでに海外キャンプはアメリカ、台湾、日本に赴き、その費用はかなりのものになります。4年前の広州大会の決勝戦には天津のテレビ中継車が来ており、呂投手と話してた私も取材を受けました。(広東チームを応援すると言ったらすぐ立ち去りました)今回も30名程の熱心な応援団がドラ、笛、太鼓を持ってきての賑やかさでした。
現在、西安出身の野球少年を数名受け入れてます。天津には一度行きましたが北京からの日帰りで小、中、高の練習は見ていません。FUJIさんに期待してます。


(遼寧省の野球事情)

遼寧省(審陽、大連)は西安と同時期に成績不振という理由で成人(職業)野球を解散した。その結果、瀋陽、大連の野球は衰退していったと思われる。
大連で野球を続けていた選手は遼寧省の成人野球チームに入るか、瀋陽体育学院に入学して、野球を続けていた。大連の野球少年を持つ親は野球をしていても大学に入れると喜んでいたが、瀋陽体育学院も省政府の影響を受けてか野球熱もさめていき、野球経験者が入学できにくくなった。
ことスポーツに関しては、結果を早く求めすぎるように感じる。


(江蘇省錫山区体校)

10月20日に訪問しました。名刺代わりに野球用具(捕手3セット)を渡し、野球の取り組みを尋ねるつもりで伺ったところ、贈呈儀式が運動場に準備されていて、赤絨毯の上で挨拶させられた。整列している約100名(男80名、女20名)の中学生代表からお礼の言葉もあり、いつものことながら、中国の接待のあり方に戸惑った。
前日、球場でCLBの申秘書長が校長を私に引き合わせたのが影響したのかもしれません。贈呈式の後、練習(野球、ソフト)も用意されていた。小・中・高ともに野球(ソフト)チームがあり、練習は土、日を除き2時半から5時すぎまでするとのこと。運動場は福岡の中学校で見かける広さでした。さらに小学生が練習する場所があるとのことでしたが、見ていない。
校長は野球が大好きで4年前スポーツ種目再編の時、野球とソフトは残すと主張したそうです。昨年浦安であった江戸川世界少年軟式野球大会(理事長は古葉前広島カープ監督)中学生の部に参加するなど日本との交流も盛んに行っています。女子ソフトチームは鹿児島、福岡にも来ていました。校長夫人はソフトボールの指導者でした。
校長が率先して野球に取り組んでいる学校は初めてで、中都市にもこのような学校がほかにもあるのではないかと思った。
私が訪問した日に、江戸川世界少年軟式野球の関係者が来年無錫で中学生大会を開催したいと視察に訪れていた。その案内者が知人の上海野球学校の校長でした。

<野球環境>
1、校長が率先して野球に取り組んでいる。
2、小、中、高併設の学校で、小、中、高に野球部があり、中、高生の部員は70名。
3、女子ソフトボール部もあり、部員20名。
4、学校の運動場で練習ができる。
5、ティー小屋もある。
6、練習時間2時30分から5時30分まで確保されている。
7、国民運動会で使用された球場が二面ある。
8、日本に積極的に訪問している。
以上のような好条件のある所は初めてで、これから元高校監督など専任コーチになる人を探してみます。実現すれば私の念願が果たされる。適任者がいれば勧めてください。

(広州視察)

12月11日に福岡から出発し15日に帰ってきました。今回の広州訪問の目的は指導者派遣の可能性についてでした。そのため、中国で指導してもよいという県立高校を退職した前監督に選手の実態を見てもらうこと。食事のことも含め、生活体験をしてもらうことにあった。
結果は前監督から広州側の要請があれば引き受けてもよいと云う返事でした。ひとつの壁はクリアーできた。

広州野球協会の責任者と2名のコーチは是非来てもらいたいという。しかし、責任者は宿泊、謝礼、通訳など経費の問題があり、今ここで即答できない。しばらく時間を貸して欲しい、とのことでした。来てもらいたい時期は8月とも言っていた。
福岡市には、海外すスポーツ指導者派遣事業がある。この事業は95年福岡市で開催したユニバシアード大会の収益金を基金(10億円)にして運営している。現在もこの基金があれば、姉妹都市交流事業ともからめ適用させてもらいたいと考えています。

広州市野球協会は広州市の衛星都市のチームや香港、深せんのチームに呼びかけ、例年夏休みに野球を中心にしたキャンプを行っている。最近広州市から車で2時間かかる清遠市の別荘地に新しい野球キャンプ場ができた。来年1月15日から小学生の全国大会が開催される。5月には全国中学生大会も行う。更に、8月には恒例の野球キャンプを行うことにしており、この時、指導者に来て欲しいとのことであった。

青森山田高校関係者は4名で12月7日に広州入りし、15日に帰国した。4名は監督、投手コーチ、青森大の先生(中国人)と私の知人(元上海野球学校校長)がかけ橋を兼ね通訳として来ていた。彼らの目的は来年4月に野球留学する選手を直接見ることと、中国の野球事情を知ることにあったようだ。
4月からの野球留学生は広州から2名、北京から1名。5名から3名になったいきさつはわからない。広州の2名は内野手と外野手、北京の1名は投手。北京の子は両親と一緒に広州に来ていた。

青森山田高校関係者は4名で12月7日に広州入りし、15日に帰国した。4名は監督、投手コーチ、青森大の先生(中国人)と私の知人(元上海野球学校校長)がかけ橋を兼ね通訳として来ていた。彼らの目的は来年4月に野球留学する選手を直接見ることと、中国の野球事情を知ることにあったようだ。
4月からの野球留学生は広州から2名、北京から1名。5名から3名になったいきさつはわからない。広州の2名は内野手と外野手、北京の1名は投手。北京の子は両親と一緒に広州に来ていた。

青森山田高校は中国選手の能力を直接確かめず受け入れを決定した。
現在、青森大学には約70名の中国留学生が在籍しており、中国で学校の知名度を高める手段に野球留学生を受け入れたとは思いたくない。それだけに3名の中から脚光を浴びる選手が育って欲しい。私の危惧で終わることを念ずる。

広東チームは監督が交代し、新しい監督に頼国釣(32才)がなった。さらに、広島カープからコーチが派遣されるもよう。
頼国釣 1973、10、3生まれ。180センチ、75キロ。
90年代の代表チームのエース。MAX143キロの記録がある。
家族は少数民族の妻と1才未満の女の子がいる。妻が少数民族では複数の子どもを持てない。

12月12日(月)午後3時から、天河球場で練習を見学した。指導は山田高校の監督とコーチが行った。練習に参加した選手は高校生の年齢の者が16名、中学生が5名でした。この中に留学する中学生3名が参加していた。
12月14日(水)午前9時からの練習を見学した。16名が参加していた。授業をサボっての練習かと思った。事情を聞いてみると、いま練習している者16名は普通の高校生でなく全員広東プロチームの二軍の選手で、広東プロ選手が生活しているキャンプ地の宿舎でともに生活し、練習の合間に宿舎内で一般教養のみの授業を受けているということでした。
このような選手は全て中国野球協会(CBL)に選手登録しているとのこと。今年の8月申秘書長がいっていたプロ予備軍が400名いるつという意味がわかった。

無錫市の錫山区体校のように学校単独で高校生の野球チームが全国に12程あり、その中でも一定のレベルに達しているチームは限られているように感じた。したがって、現在は日本のような高校生の全国大会は開催できず、代わりにAAA大会(16才から18才)が開催されている。天河球場で練習した16名は国内AAA大会に出場すると思われる。疑問は今年9月仁川で開催されたAAA大会に中国代表として出場した選手は全員プロ二軍の選手だったのだろうか。
広州野球協会から、指導者がほしいという小学校があると聞いたので、適任者がおれば紹介しようとおもっている。しかし、指導者はいるが文化の違いを理解できる人材がいないのが現状です。

友人に羊城晩報のスポーツ記者がいう。彼の話によれば、愛ちゃんの取材に日本の報道関係者が20名ほど来ていたとのこと。彼は自分が取材した愛ちゃんの記事を持ってきてくれた。彼は山田高校より広州とかかわりの深い私たちを気づかい空港に迎えにきてくれたり、昼食にも招待してくれた。指導者が来れば大きい記事にするといっていた。
広州野球協会は外事弁公室の助言もあったもようで、宿泊費を負担してくれたので、答礼として帰国前夜に体育委員会主任を主客に協会員7名と記者を招待した。99年以来の友人頼新監督も招待した。この場にいた野球コーチの技術的な質問もあり、同行の前監督は身振り手振りで応え、いつものことながら通訳は十分に食事が出来なかった。
野球協会に異色の人物がいる。92年バルセロナオリンピックで日本の三宅選手と競い合った銅メダル保持者である。好きな酒が原因のようで今は体調をくずし、休養中で会えなかった。金と銅では報奨金に雲泥の差があるといっていたが、マンションはしっかり貰っていた。
山田高校のこともあって、従来のように責任者と十分に話し合うことができなかった

自国の野球事情を知らない大使館です。日本には野球文化がある。日本に駐在する大使館は野球に関心を持ってもらいたい。館内に野球経験者(2名いるとのこと)が赴任しているこの機に今の中国野球事情を知らせるとともに、青森山田高校に野球留学生が入学するなど、野球交流に変化が生まれつつあることも伝えておきました。
大使館内部で野球が話題になってきているようです。

広州滞在中、私たちの通訳をしてくれたのは、日本語の言語学を専攻する大学院生で来年はどこかの大学で教鞭をとっていることでしょう。野球は全く知らないため、健気に野球用語の勉強をしっかりしていました。防御率とか自責点といった難しい用語も覚えていました。しかし、意味までは理解していませんでした。今回の訪問の目的からして、このような用語は不要であったため残念がっていました。

広州野球協会が管理する清遠市の新しいキャンプ場で1月16日から小学生大会が開催されます。参加チームは20だそうです。広州野球協会の事務室に野球チームがある学校名(小学生14チーム、中学生7チーム)が掲示されていましたので、広州市周辺以外から6チームが参加するものと思われます。
5月の連休には中学生の大会が同じ場所で開催されますが、20チームに参加要請をしていると云っていました。10チーム以上の参加があってほしい。台湾から留学生を受け入れている福岡の高校に知らせるつもりです。


<普及のために>

(拠点づくり)

08年の北京オリンピック後の中国野球は根づくのだろうか。
CBLのテレビ放映は選手の意識を変えるとともに、国民が野球というスポーツを知ったことは大きい。中国全土で爆発的に野球が普及する環境は整っていないが、一部の地域で普及すればよい。現在、青少年の野球チームがある都市だけでも数千万人以上の人口である。
大連ではチーム数を増やす努力が実らなかった。しかし、少なくとも、北京、天津、上海、広州では泊を伴わない青少年の交流試合ができる。このような都市が増えれば、野球が中国に根づくと思う。問題は学歴信仰が強い中国社会で、指導者がいない、野球が出来るグランドがないという悪条件をどう克服するかである。10月18日から訪れる無錫が野球の拠点になれるか調べてみるつもりです。(つづく)


(海外青年協力隊)

JICAの青年海外協力隊が、野球指導でこれまでに24ヶ国に125人が派遣され、中国には指導回数8回との記事があった。報告書を読んでみたい。
大連野球連盟さんのように現地で働きながら、平日に指導している人はまれでしょう。感服しています。休日の練習は、中国では無理。特に都市部では、学歴信仰が強いので休日は勉強である。
青年海外協力隊の派遣先は、既に青少年のチームがある都市にし、そこにいる日本の留学生とも協力し合って、野球の面白さを教えてもらいたい。もっと青年海外協力隊を増員すべきだ。


(人材の自由化)

95年頃、京都のある高校が将来性のある選手を受け入れる準備をしたが、許可されなかった。選手層が浅いので流出を防いだと思われる。その当時より人材の自由化は進んでいると思われる節があるが、まだ完全ではなさそうだ。人材の自由化がなければ、中国野球の発展は望めない。
中国のある指導者の話によれば、01年に天津の王投手(当時16歳)がマリナーズとマイナー契約した。このことがきっかけとなり、プロ選手でない中、高生でも海外に出すときはCBLの許可がいると云う。その指導者に中国には「上に政策あれば、下に対策あり」という生活の知恵があるではないかと云うと、中国のことをよく知っていると笑っていたが、対策を考えているようだった。(この項つづく

上海の野球学校校長のご子息がアメリカで審判のライセンスを取得するという書き込みをしたことがある。校長は学校を辞め今東京で生活している。この元校長とドームで会った。来年5名(広州2名、北京2名、上海1名)が卓球の愛ちゃんが在籍する青森山田高校に野球留学すると教えてくれた。リストアップされたのが5名なのか、全員入学するのか確認できなかった。広州2名について広東(広州)チームの頼投手に確認したら「聞いたことがある」と云っていた。
私も無錫で天津チームの監督から夏休み中でも日本の選手と一緒に練習させてもらえないか。能力があれば日本で野球を続けさせたいと頼まれた。この件は横浜球団と協議中です。
青森山田高に野球留学生が入学すれば、全国的に波及する雰囲気がある。人材の自由化問題も含め、青森山田高に注目したい。


(野球交流)

日本には野球文化がある。野球は極めて話題性の高いスポーツで、青少年の野球交流は受け入れられやすい。
日中友好協会は、双方の友好都市の選手で混合卓球チームを編成して親善卓球大会を推進しているが、野球も視野に入れてもらいたい。開催地は日本。
また、日本の都市は、友好都市締結周年事業に青少年の野球交流を取り入れてもらいたい。中国の幹部で野球に関心を持っている者は皆無であるから、日方から提起しないと議題にならない。
福岡市では友好都市締結20周年記念事業として実現した。30周年にも実現すると思う。いま、中国にある青少年の野球チーム名とその都市の名簿がほしいと、関係者にお願いしているところです。


(故久下本誠吾先生)

洲本実業高校で長年野球部監督を勤められた久下本先生は定年退職後、生まれ育った大連で、子供たちに野球を教えたいと、その手段として語学留学しました。先生の熱意が日本の留学生をはじめ多くの人を動かし、野球のやの字もない小学校に野球チームを作った。青年海外協力隊員では無理だったと思う。先生とはテレビ番組で初めて会った。そのあとすぐに病魔に襲われ苦労話をお聞きする機会を失った。95年には、大連中学で野球をし、戦後東京大学で野球選手だった横浜在住の方が指導に携わっておられました。この方が大連では初めての日本人ではないでしょうか。今後、中国のどこかに第2、第3の久下本先生が出現することを祈ります。


(教育目標)

体育の指導目標は「体育を通じて社会主義の建設者を育成する」となっている。この目標を達成するには、野球がふさわしいスポーツである、という政府高官の講話があると普及する。(とう小平の南巡講話のように)
中国の永遠のテーマ「統一と団結」には野球が役立つと思うのだが。

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