伝言 長浦毒ガス貯蔵庫周辺
写真53 北部海岸

今見えている砂浜では、女学生が塩をつくっていたことがあります。塩は専売品ですから、だれかれつくられません。陸軍だからつくれます。それに、ここで働く人がなめるんじゃのうて、ルイサイトの原料の食塩です。大量には原料としては竹原に塩専売局から入荷してました。当時、わたしらは「食塩よおけ作ってどうするんかいの、あれ使うんじゃそうな。」と言ってましたが、どういうふうに使うのかわかりませんでした。最後は釜で焚くんですが、海岸へコンクリートでずーと床をうってね。一番、目の細い砂をバーとまいて、それに塩を振りかけて、そして、それを繰り返します。天日にほして、また塩をかける、また繰り返して繰り返してためますと、濃度の濃い海水ができますよね。それを煮詰めるんですよ。そういうことでやりょうた。岡田先生らがそれをやった人です。小学校でもつくりょうた。忠海西小学校でも忠海東小学校でも。


「大久野島学徒動員の語り」(岡田黎子著)より

それに、松根、松の根っこを掘っていました。油のことでおもしろいのは、機械工場なんかで機械なんかふき取るときに油が布につくでしょ、この布をウエスいうんじゃけど、油ウエス、それを集めて釜で炊くんですよ。ほんなら油がじわじわ上に浮いてきます。それを集めて、取って、こして、油分を、その油をまた使われるでしょう、そういうふうに。

それともう一つ、不思議なのは海蛍です。大久野島では、今は名物のようにいっているけれども・・・。当時は、小学校の生徒が奨励を受けて、夜に海蛍を捕りにいったもんですよ。ビンの中へねえ、魚の臓物を入れて、竿にひもをつけてビンを沈めるんですよ。白い砂粒みたいなのが虫ですよ、それを集めて干すんですよ。それをつぶして、塗ります。夜光塗料です。それを、うちわに塗ります。これを、ここで「ちび」をつかう訓練のとき使うんです。「ちび」をつかうのは敵の戦車に八メートルまで接近して、近づいて、そして投げるときです。そのときの訓練、夜間訓練でね。伏せてじわりじわり敵に近づくわけです。そのとき指揮者がうちわに海蛍を塗って、夜光塗料ですから光ります。それで合図するんです。そんなことだから、これも一種の兵器じゃいうてね。岡田さんも海蛍をより分ける仕事をされています。はじめは、何につかわれるのか、何のために海蛍を捕るのかはわかりませんでした。じゃけど大久野島での訓練でわかりました。

歩腹戦闘教練は、第一から第四まであります。第四歩腹いうたら一番きついんです。尺取り虫があるでしょ。あんな調子ですよ。姿勢が高かったら発見されるでしょ。じゃから、つとめて姿勢を低くして敵に接近するんですよ。ここいう所をねらって「ちび」を投げるんです。 養成工は、明けの日も軍隊で使い物になるようなことで訓練をしていました。学習もありますが、戦闘教練に至るまで、軍事訓練がひどかったです。この島をずーと回りながら、催涙ガスをよく使って訓練していました。毒ガスの検知管の使い方も教わりましたね。それに装面訓練。登りにさしかかった頃に「装面」と号令をかけられたら、装面のマスクをつけます。歩きながら「早足」言うてね。防毒マスクをして、しかも登りになって早足でしょ、だから、倒れる人も多い。その倒れた人はすごく怒られます。命がけで、それをやるんですよ。うまくいった人は、下に降りて、今の長浦のテニスコートがある一番北の切れたところにあった緑一号の工室を通るんです。そのときもマスクをして通ります。じゃけど訓練中にマスクの吸収弁の所へ、小枝を取って、はせるんです。そしたら、すーすー呼吸をするのが楽になるんです。そういうのを知ってかどうかしらんですが、もろに催涙ガスをたいているところを通らすんです。もろに吸い込むでしょ。すっごい怒られるんです。軍隊の訓練いうものは、徹底しとりますよ