★偉人編(上)
アウトローの不良性感度が得意の東映映画。その中で“らしからぬ”作品群が、1990年代に製作が始まった偉人伝だ。宣伝プロデューサーだった福永邦昭は一部始終を見てきた。
「真面目な偉人伝は客は入らない」と豪語していた岡田茂会長(当時)が一転、91年公開「福沢諭吉」の企画を通した。その舞台裏はこうだ。
財界にも顔の広い岡田は、月刊誌『経済界』の佐藤正忠主幹と懇意の間柄だったが、佐藤が福沢諭吉を崇拝。伝記映画の企画を岡田に提案したのがきっかけだった。
“経済界のフィクサー”と呼ばれる佐藤は、映画化決定前から「今度、東映と共同で福沢の映画を作る」と吹聴し、企業から賛助金を集め出した。最近でこそ不祥事が相次いだが、福沢が創設した慶應義塾出身者は縦横のつながりが強い。企業トップも多いことから、少々強引ながら前売り券200万枚のタイアップも考えついた。
「慶應OBは観客動員と企業への販売促進の両面で活用できるというのが佐藤主幹の発想だった。これで岡田会長もGOサインを出した」
東映と「経済界」の共同製作。両社の主要5都市の支社を拠点にプロジェクトチームが組まれ、福永は宣伝だけでなく前売り券販売の行動隊長に任命された。
「慶應OBの経営者に会うため、全国を飛び回った。諭吉役の柴田恭兵と妻役の若村麻由美に、諭吉の出身地、大分県中津市での撮影の合間に県庁を表敬訪問してもらい、〈一村一品運動〉を提唱する平松守彦県知事(当時)から県を上げての応援を取り付けた」