インターネット歴史館は、本誌、全国誌・月刊『歴史研究』の別版として創設いたしました。
本誌の愛読者ばかりでなく、広く家庭や学校や職場や団体、近隣の皆様に「歴史を学ぶこと」を「元気の基」にしていただきたいと、発信いたします。
皆様からのご感想を期待しております。ご支援よろしくお願い申し上げます。
開館=平成17年(2005)10月25日
総合出版社 合資会社歴研
歴史研究会
(全国歴史研究会)
〒141-0031
東京都品川区西五反田2-14-10-504
TEL. 03-3779-3127
FAX. 03-3779-5063
更新日=令和2年(2020)03月10日
あなたは
人目の来館者です。
◆[特集テーマ]原稿募集
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。(R2・03・01)
第684号◆特集「安房里見一族の謎」 令和2年5月20日締切
▽『南総里見八犬伝』に代表される里見氏は、上野国里見郷を領有していた新田源氏の一流が、里見姓を名乗り、各地へ移住し繁栄。その中で安房に移ったのが安房里見氏の初代とされる里見義実です。最期の当主忠義は失意のうちに倉吉で没し、安房里見氏は幕を降ろします。名門里見氏の謎に挑んでください。
第683号◆特集「ふるさとの古道研究」 令和2年3月20日締切
▽東海道・中山道等の五街道は、江戸時代の基幹街道ですが、道の歴史は、移動と生活の歴史でもあります。大きな街道だけでなく、消えたふるさとの古い道、裏街道、脇街道などへの郷土愛、道と共に営んだ先祖の歴史、道の端で見つけた、石碑等、道と生活、旅の歴史を臨場感あふれる感性で研究発表を期待します。
第681号◆特集「大江一族の謎」 令和2年3月20日締切
▽大江姓は790年、桓武天皇の外祖母氏である土師氏に大枝姓を賜った事が、始まりとされ、その後、大江とあらためる。和泉式部、赤染衛門、大江千里等、優れた歌人や学者も輩出された。鎌倉時代は、大江広元に代表され、毛利氏等、その血脈は、連綿と続いた、そんな名族の歴史に挑戦してみてください。
【原稿募集要項】
*原稿枚数は、本文四百字詰原稿用紙四枚半~五枚(千八百字~二千字)。なお、系図・図表・写真など図版は掲載できません。手書き原稿は、原稿用紙にお書きください。パソコンの場合は、タテ打ち、一行四十字詰めで四十五行から五十行で紙にプリントして、お送りください。メールの場合は、紙へプリントしたものも、別送してください。
*内容は[特集テーマ]の謎や、かねてから疑問に思っていることなどを、気楽に、わかりやすく、随想風に、お書きください。
*原稿は返却いたしませんので、コピーをおとりください。
*原稿第一枚目に題名(十字以内)と筆名(ふりがな)、そして六十字程度の内容紹介(自分が特にいいたいこと)を、そして、二枚目から本文をお書きください。最後の一枚には、会員番号・氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号・FAX番号、そして出来れば、八十字以内の自己紹介文を添えてください。投稿のご紹介は、翌々月の本誌『歴史研究』の[応募作品紹介]で行います。
*掲載の方には、掲載号を二冊贈呈。三冊以上ご希望の方には一冊300円(発送手数料・何冊でも380円)で頒布いたします。
*封書の表には、必ず、特集名を赤でお書きください。
◆あて先=〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504 歴史研究会[特集]係
名言塾 第1講義録
『名言が語る日本の歴史』(第4回)
著者:山名 年浩先生
「凡そ政(まつりごと)の要は軍事(いくさ)にあり」
唐の朝鮮侵略や壬申の乱(皇位継承をめぐって、天智天皇の長男の大友皇子と中大兄皇子の内乱で後者が勝った)を乗り切っての言葉。結局は武力が政治の根本で働いているとする。この壬申の乱で大友皇子の部下だった田辺小隅(こすみ)が夜襲をかけた時に「金」と答えないものにはことごとく斬る指示を出している。
この天武天皇は日本の国史編纂事業を行った(681年)。それまでも『帝記』『旧辞』は天皇家代々に渡って、節にあわせて語り部によって暗誦されてきた。天武天皇の時代、 稗田阿礼は暗記した語り部として、太安万侶はそれを代筆者としてそれぞれの役割を果たした。
ここから、31年後の和銅5年に太安万侶と稗田阿礼が『古事記』を著した。神代から推古天皇までが書かれている。神話的記述が多い。日本人に日本の国の曙の状態を述べる目的で作成されたとみられる。天武天皇は強いリーダーシップを発揮したカリスマ的君主だった。
39年後の養老4年には、舎人親王が『日本書紀』を著した。『古事記』と同じく漢文で書かれてはいるが、神話の部分は少なく、誇るべき日本の成り立ちを海外に知らしめるように編年体で書かれている。つまり、『古事記』とは編纂の目的が異なっている。
『古事記』では天武天皇のことを「英(すぐ)れたる風を敷きて、国に弘(ひろ)しめたまふ」とある。つまり、優れた教えを国中に広げられたと記されている。
『古事記』にはアマノワカヒコ(天若日子)の葬儀の様子が書かれている。
「遺体を置く小屋を作って、旗を持ち、帚(ほうき)を持ち、食事を作り、泣き女らが霊を慰める歌舞の者を配して八昼八夜 霊を慰めた」とある。
この天武天皇の時代、養老律令によって、都に大学、地方に国学の二種がおかれた。
そして、天武天皇は675年に「(牛、馬、猿、犬、鶏の)肉食禁止令」を出している。特に、牛と馬は農耕に欠かすことが出来ないことが根本的な理由とされる。この禁止令は幕末から明治初まで続いた。
(第6信をお楽しみに)
2020年3月号◎目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
生まれ育った「家の履歴書」……………………所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】 将門の乱落人伝説…………………漆原孝則・8
【会員随想】 東洲斎写楽歿後二百年……………高井 忍・10
【会員随想】 比叡山と雲母坂……………………唐川雅爾・12
【会員随想】 業平道―聖地巡礼か……………鳴高真ー部・14
【会員随想】 コッペパンの話から………………後閑正尚・16
【会員随想】 戊辰戦争で戦死したマタギの墓と
西南戦争で戦死したアイヌの墓…………………河内貞芳・18
◎特 集 明智光秀と戦国
明智光秀と刀剣……………………………高橋正一・22
戦国武士・明智光秀の真意………………………川村一彦・24
明智光秀の伝承二題……………………………梶原大義・26
〝インテリ武将〟 明智光秀……………………橋本晋吉・28
本能寺攻めの謎……………………………乾 浩・30
丹波の赤鬼・黒井城の戦い………………………大澤俊彦・32
浪人から名将となった明智光秀………………藤波大三郎・34
無責任な定説と中傷誹謗の途中で………………夢酔藤山・36
光秀と堅田衆……………………………毛矢一裕・38
公卿に踊らされた光秀………………………中名生正己・40
◎特別研究
有翼日輪とハロ……………………………………樋田竜男・44
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業
『わが人生の誇り』
岡山歴史研究会設立からの思い…………………山崎泰二・54
国指定「吉武高木遺跡」発掘調査前後と現在…倉光政彦・55
和歌から見つけた[いにしえ]の地名…………梅村伸雄・57
『宣長残照・第四の高弟』………………………藤井滋生・60
◎古文書講座
御蔵場帳簿の提出 ……………………………庄司恵一・67
◎歴史学講座〈中級編〉第八十回
日本史の謎徹底検証(その二十七)……………加来耕三・74
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟 …中津攸子・84
日本の根本の『記紀集』…………………………斎藤周吾・88
明智光秀公は素晴らしい文化財と
伝統的歴史の町を残した………………柳別府武志・94
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十六回)
カツレツからとんかつへ…………………………渡邊洋一・78
◎歴研俳壇…………………………・82
有本考賜 八木輝夫 染谷佳子 土田和美 斎藤周吾
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
[追悼の辞] 荒濵 茂さんと歴史研究会と白河
…………………………安司弘子・98
特集テーマ原稿募集・100
[特別研究]原稿募集・101
[史談往来]原稿募集・101
応募作品紹介……………………………・102
【会報・会誌紹介】『近時新聞 第38号』『歴研ひろば 第275号』『会報 第422号』ほか・108
【寄贈図書紹介】『史料集 追憶 下野国安蘇郡の水車』『国家と道徳』ほか・112
連携団体レポート………………………・114
★大阪歴史懇談会
★徳島歴史研究会
★静岡歴史研究会
★常総歴史研究会
★神奈川歴史研究会
★小山田信茂公顕彰会
★横浜歴史研究会
歴研本案内………………………・120
誌上古書市………………………・128
誌上推奨展………………………・132
本部歴研だより………………………・138
事務局日誌………………………・140
*表紙写真/ききょうの里 ―敵は本能寺にあり―
明智光秀像(京都府亀岡市)/会員提供
◆[特集テーマ]原稿募集
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。(R2・01・07)
第683号◆特集「ふるさとの古道研究」 令和2年3月20日締切
▽東海道・中山道等の五街道は、江戸時代の基幹街道ですが、道の歴史は、移動と生活の歴史でもあります。大きな街道だけでなく、消えたふるさとの古い道、裏街道、脇街道などへの郷土愛、道と共に営んだ先祖の歴史、道の端で見つけた、石碑等、道と生活、旅の歴史を臨場感あふれる感性で研究発表を期待します。
第682号◆特集「歴史の出会いと別れ」 令和2年2月20日締切
▽♪あの日、あの時、あの場所で、君に出会えなかったら♪歌の歌詞ではありませんが、歴史は、不思議な出会いと別れによって動く時があります。頼朝だけでも、政子だけでも、鎌倉幕府は出来ませんでした。袂を分かった西郷と大久保等、歴史が動く人間ドラマを書いてみてください。
第681号◆特集「大江一族の謎」 令和2年1月20日締切
▽大江姓は790年、桓武天皇の外祖母氏である土師氏に大枝姓を賜った事が、始まりとされ、その後、大江とあらためる。和泉式部、赤染衛門、大江千里等、優れた歌人や学者も輩出された。鎌倉時代は、大江広元に代表され、毛利氏等、その血脈は、連綿と続いた、そんな名族の歴史に挑戦してみてください。
【原稿募集要項】
*原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙4枚半~5枚(1,800字~2,000字)。なお、系図・図表・写真など図版は掲載できません。手書き原稿は、原稿用紙にお書きください。パソコンの場合は、タテ打ち、1行40字詰めで45行から50行で紙にプリントして、お送りください。メールの場合は、紙へプリントしたものも、別送してください。
*内容は[特集テーマ]の謎や、かねてから疑問に思っていることなどを、気楽に、わかりやすく、随想風に、お書きください。
*原稿は返却いたしませんので、コピーをおとりください。
*原稿第1枚目に題名(10字以内)と筆名(ふりがな)、そして60字程度の内容紹介(自分が特にいいたいこと)を、そして、2枚目から本文をお書きください。最後の1枚には、会員番号・氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号・FAX番号、そして出来れば、80字以内の自己紹介文を添えてください。投稿のご紹介は、翌々月の本誌『歴史研究』の[応募作品紹介]で行います。
*掲載の方には、掲載号を2冊贈呈。3冊以上ご希望の方には1冊300円(発送手数料・何冊でも380円)で頒布いたします。
*封書の表には、必ず、特集名を赤でお書きください。
◆あて先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[特集]係
名言塾 第1講義録
『名言が語る日本の歴史』(第3回)
著者:山名 年浩先生
■聖徳太子
「和をもって貴(とおと)しとなす」
聖徳太子(574年 敏達天皇3年 - 622年 推古天皇30年)は幼少名を厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)。現行の教科書では「聖徳太子」という呼称は生前にはなかったとする。
第33代推古天皇11年(603年)、聖徳太子と蘇我馬子の共同執政のもと、律令制の柱となる冠位十二階が制定された。それまでの官僚体制は氏族ごとに定められた姓かばねが8段階に分けられ、大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)が世襲制で朝廷の政治を担っていた。個人の才能や功績、忠誠に応じて位階が与えられ、世襲されず、昇進も可能となった。つまり、上層部での改革である。
また、四天王寺を建てるにあたって、「四箇院の制」をとった。四箇院とは、敬田院(寺のこと)、施薬院、療病院、悲田院(身寄りのない人たちのための施設)の4 つのこと。
ただ、『日本書紀』には「一(度)に十人の訴えを聞きたまひて、少しの過ちもなくさばかれた。」など、奈良時代にすでに、聖徳太子を菩薩とみる伝記が出ている。また、太子を救世観音とみる信仰も定着していた。
第29代欽明天皇の頃、百済から暦の本が朝廷に届いた。その根本原理は一年の計算の仕方が今とは異なり、それまでの日本では春と秋の年2回で年齢を決めていたようで、それが古代の天皇の内の神皇の寿命が異常に長く、不自然だと指摘されてきた原因でもあろう。秦の始皇帝は10月1日を正月とするような暦を制定していた。いずれも農業の区切りからきている。現在の年や暦の感覚を機械的に適用するのでは無理がある。
この四天王寺は593年(推古天皇元年)に建てられた。蘇我氏に打ち勝った後、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済すると誓願されて完成したものである。平城京への遷都の710年(和銅3年)より117年も早い。
太子ゆかりの地は大坂の四天王寺(最初の都である飛鳥板蓋宮)のほか、奈良県の太子町・兵庫県の太子町など多い。太子は南の上殿に住まれたので、上宮太子ともいわれた。
593年9月15日に聖徳太子は身寄りのない老人のための施設「悲田院」を設立した。この日が、戦後の日本で敬老の日となった。今は9月の第3日曜日になっている。
聖徳太子が大坂の長良川の改修(現在の長柄橋のあたり)を命じた時、難航する工事の対策に人柱をささげるように命じた。その犠牲者の娘はショックで口がきけなくなった。その娘と結婚した若者が、自分の里に連れ帰った時に、雉(きじ)が鳴いた。若者は弓を使って射落とした。その時娘は口が利けるようになった。その時の娘の歌「もの言わじ父はながらの人柱、鳴かずば雉も射られざらまし」(『神道集』―各地の神社の説話集)と。つまり、物を言わずにこの世を去った父は人柱になったが、声をあげて鳴いた雉の方は射られたと。この雉は太子が娘のために遣わしたという説がある。
偶然だが、馬小屋で生まれた点はキリストと似ている。
聖徳太子の言葉 「以和貴 (和―やわらかなる―を以て貴しとなす。)」日本は元来、和の国だという。
「人はそれぞれに自分なりの考えと立場を持っている。・・・自分は決して聖人ではないし、彼が必ず愚者であるとも限らない。だから、誰でも正邪善悪を絶対的に決めることはできない。人はお互いに賢くもあれば愚かでもある。この点をよくわきまえて、他人が怒ってもわが身を振り返って過ちを犯していないかどうかを考えるようにしなければならない。」(『十七条の憲法』より)。聖徳太子の「十七条の憲法」は法律と言うより、訓戒と言える。この一文は太子の謙虚な人柄を表している。
さて、聖徳太子死後の時期は蘇我氏の横暴という、豪族の連合政権の弱点を露呈した。この状態を打開し、天皇による一元的な体制に切り替えたのが大化の改新である。『日本書紀』も『古事記』も、天皇は神が生み出したもの、各豪族の神を従えたとしている。この二つの書が紙幅を割いているのは、神皇の時代なのである。
『古事記』には、のどかな記述もある。第15代の応神天皇は旅先の京の木幡で見染めた女性(矢河枝比売 やかわえひめ)一族との縁戚で越前ガニを食べている。「この蟹や 何処の蟹 百伝う(ももつたう) 角鹿(つるが 敦賀のこと)の蟹」と。遠く運ばれてきた、越前蟹(松葉蟹)は宴席を盛り上げたことだろう。
第27代の安閑天皇(466-536年 継体天皇の第一皇子)は「桓々として寛大、人君の量あり。」と『日本書紀』に特筆された。66歳にして即位したが、わずか4年で崩御された。関東から九州まで41の屯倉の設置や国造の不正を正した。
飛鳥時代は600年代に当てはまる。この頃から、日本独自の本わさびが料理に用いられている。わさびには抗菌効果と脳の学習能力強化の作用がある。
日本の元号は645年の「大化」が最初である。元号が制度化されたのは701年の「大宝」から。中国の元号は紀元前2世紀に前漢から始まっている。日本という国名はこの頃からはっきりしている。あまりにも左翼イデオロギーの強い人たちの中には、日本という国名そのものまで否定される。朝鮮半島の李氏朝鮮では中国と同じ年号を500年間使っていた。天皇家は世界で最長の歴史をもつ(近代においてエチオピアの王室が天皇家と並ぶ長さだったが、1974年9月11日に社会主義革命によって絶えた)。中国では王朝の交代は何度もあり、漢民族以外の皇帝の時代(五胡十六国の多く、北朝、五代十国の一部、遼、金、元、清)もあり、家臣が帝位に着いたりと、いわゆる万世一系ではなかった。
なお 改元とは、「平成を改元して令和となった」のように、年号(元号)を改めること。改暦とは太陰暦から太陽暦へ変えた「明治改暦」のように、暦法を変えることである。
607年に第2回遣隋使が送られた。小野妹子が持参した、国書の冒頭部分で「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きーつつがなきーや」と書かれていた。隋の皇帝煬帝はこの一文に怒ったが、この「日出ずる処」「日没する処」とは仏典の『大智度論』にある言葉で、それぞれ東方と西方を示している。
第33代推古天皇は中国の隋とはあくまで対等の関係を貫いた。隋は周辺国に従属を示させる「冊封(さくほう)」関係を与えていた。天の命を受けて天下を支配するという中国の思想とは微妙に異なる、「天皇」の名で、608年には、第3回遣隋使で小野妹子が持参した「東の天皇、敬(つつ)しみて西の皇帝に白(もう)す」(『日本書紀』)の国書が出され、この立場は以後貫かれてきた。
この推古天皇の時代に、聖徳太子は摂政として政務を支えていた。
古代において、地震は「なゐ」または「なゐ(地震)ふる(振る)」と言った。『日本書紀』には、599年の推古地震のことが載っている。 「推古天皇七年夏四月乙未朔辛酉 地動 舎屋悉破 則令四方 俾祭地震神」 推古7年の夏4月の乙未の朔辛酉に、地動(な)りて、舎屋悉に破たれぬ。則ち四方に令してなゐ(地震)の神を祭らしむと。『理科年表』(国立天文台編纂)では、この地震をマグニチュード7と推計している。
大阪の谷町4丁目には、地方公務員共済の以和貴荘という旅館があった。 なお、この頃庶民は藁(藁)や蒲(がま)でできた「むしろ」で寝ていた。 仏教の伝来とともに蹴鞠(けまり)も日本へ入ってきた。 奈良時代には、倭とも日本とも表記して「やまと」と呼ばれていた。
(第5信をお楽しみに)
◆2020年1・2月新春合併号◆目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
皇室永続に必要な改革試案…………………所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】 女性の権利と政治参加 フランスの場合
…………………………菊地昌実・8
【会員随想】 叱られた御留守居役
……………………………奥田 豊・10
【会員随想】 勝幡織田家の勃興と城
……………………………竹本義昭・12
【会員随想】 歴史を歩く~都心の富士塚を巡る
……………………………沼田広慶・14
【会員随想】 平成の銅鐸製造技術
……………………………阿部洋史・16
【会員随想】 皇室の藩屏―阿部伯爵家―
……………………………黒坂拓哉・18
◎特 集 母の日本史
斎王酒人内親王母娘
……………………………有元松名・22
秀次・秀勝・秀保の母 瑞龍院の悲運の生涯
……………………………竹村紘一・24
オランダおいねの母
……………………………中根一仁・26
溺愛で大津謀反をでっち上げた持統天皇
……………………………萱嶋完彦・28
北条政子は冷徹な母か
……………………藤波大三郎・30
元祖・母の教え 松下禅尼の愛情教育
……………………………橋本晋吉・32
女帝時代と大化の改新
……………………………唐川雅爾・34
◎特別研究
啓蒙書である太平記
…………………………………………………勝又陽一・38
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業
『わが人生の誇り』
我の歩みし人生行路
……………………………渡邊華璋・46
隼人の血筋と郷土愛
……………………………江口さくら・47
わが人生の誇り
……………………………中村正義・48
嬉野太田家の誇り
……………………………太田資信・50
◎古文書講座
書籍の返却依頼 ……………………………庄司恵一・61
◎歴史学講座〈中級編〉第七十九回
日本史の謎徹底検証(その二十六)………加来耕三・68
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟
……………………………中津攸子・78
アメリカ合衆国に実在した皇帝
……………………………………………信原克哉・82
天才軍略家・太田道灌
……………………………橋本晋吉・90
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十五回)
初売りと福袋…………………………………渡邊洋一・72
◎歴研俳壇
有本考賜 八木輝夫 染谷佳子
土田和美 斎藤周吾 萱嶋定火虎………………・76
◎全国ネットワーク歴研
〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集・100
[特別研究]原稿募集・101
[史談往来]原稿募集・101
応募作品紹介……………………………・102
会員紹介……………………………・107
【会報・会誌紹介】『城だより 第611号』『北区史を考える会 第135号』『歴研 おかやま 第26号』ほか・108
【寄贈図書紹介】『然』『応神天皇時代の史実の研究』『皇室事典 令和版』ほか・110
連携団体レポート………………………・112
★大阪歴史懇談会
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★小山田信茂公顕彰会
★神奈川歴史研究会
★横浜歴史研究会
★常総歴史研究会
全国誌『歴史研究』令和 元 年(2019)総目録
全国誌『歴史研究』特集バックナンバーご案内
新春賀詞名刺広告
令和元年度 全国篤志家芳名録
歴研本案内・126 誌上古書市・128 誌上推奨展・132
本部歴研だより・154 事務局日誌・156
*表紙写真/歴史の母に感謝して/会員提供
【先人の言葉】
本多正信「禍福は天にあらず、人の招く所による」
菅原道真「未だかつて邪は正に勝たず」
黒田如水「天下最も多きは人なり、最も少なきも人なり」
吉田兼好「心なしと見ゆる者も、よき一言はいうものなり」
坂本龍馬「世に生を得るは事を為すにあり」
柳生宗矩「われ人に勝つ道を知らず、われ勝つ道を知る」
◆2019年12月号◆目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
即位礼に花を添えた海外王家の方々…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】街中に消えた幻の廃駅を訪ねて
………………………川本斉一・8
【会員随想】倭面土地王帥升は何処から? ………………………森野修範・10
【会員随想】魅惑の偽文書……………平田好子・12
【会員随想】政宗はなぜ仙台城に
天守を築かなかったのか?…斎藤秀夫・14
【会員随想】トルコの古代遺跡を訪ねて…中根一仁・16
◎特 集 江戸の名医物語
玄冶店で知られる将軍侍医岡本玄冶の墓…金子千滋・20
佐倉順天堂と佐藤泰然……………………乾 浩・22
江戸の名医物語……………………………前川浩一・24
三重の名医河合魯斎………………………勝山 英・26
福沢諭吉も傾倒した名医緒方洪庵………藤波大三郎・28
赤穂藩医・寺井玄渓………………………萱嶋完彦・30
ドクター千人同心…………………………夢酔藤山・32
『解体新書』の共訳者、中川淳庵………内藤徹雄・34
ポンペ・ファン・メーデルフォールト…服部 瑛・36
◎特別研究
[戦国の好漢]前田慶次郎………………橋本晋吉・40
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業
『わが人生の誇り』
「史料批判」の精神………………………岩下哲典・48
日本人の誇り………………………………堀江洋之・50
中学時代の恩師の思い出…………………宗像善樹・54
◎古文書講座
借金の更新 …………………………………庄司恵一・65
◎歴史学講座〈中級編〉第七十八回
日本史の謎徹底検証(その二十五)…加来耕三・70
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟
……………中津攸子・80
流水剣談…………………………竹ノ内流水・84
北海道名の一考察 …………………………土井重男・88
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十四回)
クリスマスケーキの始まり…………………渡邊洋一・74
◎歴研俳壇
八木輝夫 染谷佳子 土田和美 斎藤周吾
萱嶋定火虎……………・78
◎全国ネットワーク歴研
〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集……・92
[特別研究]原稿募集……・93
[史談往来]原稿募集……・93
応募作品紹介…………………………………・94
連携団体レポート………………………・106
★常総歴史研究会
歴研本案内……………………・112
誌上古書市……………………・114
誌上推奨展……………………・118
本部歴研だより……………………・122
事務局日誌……………………・124
渡邊華璋・画
*表紙写真/華岡青洲画像と曼陀羅華・トリカブト/会員提供
【先人の言葉】
沢庵宗彭「種を蒔かずして果はなるべからず」
世阿弥「初心忘るべからず」
宮本武蔵「われ、事において後悔せず」
最 澄「道心あるの人を名づけて国宝となす」
徳川光圀「苦は楽しみの種、楽は苦の種と知るべし」
黒田如水「天下最も多きは人なり、最も少なきも人なり」
◆2019年11月号◆目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
天武天皇朝の「新嘗斎忌」ゆかりの神社…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【名士随想】鎌倉の万葉学者・仙覚とは誰か……織田百合子・8
【会員随想】日中歴史物語「宋書」が生んだヤマトタケル……丘 英夫・10
【会員随想】白鯨・邦訳の明暗……………柿園聖三・12
【会員随想】ワニの漂着に関する一私見…戸倉谷一活・14
【掃苔行脚】姫路城・名古屋城を残した土佐宿毛の陸軍大佐中村重遠の墓 ………………加藤健太郎・16
◎特 集 万葉集と新時代
敷島の大和心と万葉集………………鳴高真ー部・20
白鳳と朱雀のこと……………………唐川雅爾・22
大伴家持の晩年………………………夢酔藤山・24
和漢の融合「令和」と万葉学者契沖の業績…橋本晋吉・26
万葉集の怪………………………高橋浩子・28
万葉集と新時代令和……………………三浦延之・30
万葉集に学ぶ………………………寺脇純一・32
万葉集に隠された歴史……………………十帖 田・34
万葉集が語る古代史……………………野呂 崇・36
◎特別研究
宇佐八幡神託事件………………………有元松名・40
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
歴史趣味40年の私の誇り……………………西村克朗・48
船大工魂を貫いた父………………………乾 浩・49
競書大会……………………松坂定德・51
会は伝統の継承と若手の起用がポイントか…加藤導男・53
◎古文書講座
禁酒の起請文 ……………………………庄司恵一・61
◎歴史学講座〈中級編〉第七十七回
日本史の謎徹底検証(その二十四)…加来耕三・68
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟 …中津攸子・78
パラダイム転換による・歴史観の変遷…小滝晴子・82
二十一ヵ条交渉中の北京政府と国民外交 …楊 茜・86
大和心を取り戻すホツマツタヱ……………熊谷達雄・94
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十三回)
菊人形と遊園地…………………………渡邊洋一・72
◎歴研俳壇
八木輝夫 染谷佳子 土田和美
斎藤周吾 萱嶋定火虎…・76
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集……・98
[特別研究]原稿募集……・99
[史談往来]原稿募集……・99
応募作品紹介……………………………・100
連携団体レポート………………………・108
★神奈川歴史研究会 大阪歴史懇談会ほか
歴研本案内……………………・112
誌上古書市……………………・114
誌上推奨展……………………・118
本部歴研だより……………………・122
事務局日誌……………………・124
*表紙写真/仙覚律師遺跡 埼玉県小川町 本文8頁~9頁参照/会員提供
【先人の言葉】
聖徳太子「和をもって貴しとなす」
松尾芭蕉「不易流行」
貝原益軒「身を慎み、生命を大事にするのは、
人間最大の義務である」
二宮尊徳「積小為大」
西郷隆盛「敬天愛人」
吉川英治「我れ以外みな我が師也」
名言塾 第1講義録
『名言が語る日本の歴史』(第2回)
著者:山名 年浩先生
「八紘一宇」
神話は歴史の事実と異なる点があるが、その時代の文学作品としても参考となる。『古事記』『日本書紀』は何より、日本の最古の歴史資料であり、奥が深い。考古学者の森浩一氏は神話と歴史的事実の関係を研究し、神話を頭から否定する態度を戒めている。最高神の女神天照大神を中心にした『古事記』(太安万侶編 712年 和銅5年)と『日本書紀』(舎人親王撰 720年 養老4年)には読むべき価値がある。いずれも、神話・伝説・歴史的事実を3分して、順に述べている。記紀に共通するのは混沌の状態から、日本の国がどのように形成されてきたか、その成り立ちを述べていることにある。
『日本書紀』に記載されている神武天皇の詔勅には「八紘(四方八方のあめのした)をおおいて宇〈いえ〉となす」との記述がある。当初は「八紘為宇」だったが、わかりやすさのために「一宇」となった。元来、世界平和主義を一語にした言葉。
「白鳥となりたまひて、陵よりいで、倭国を指して飛びたまう」
日本武尊が東征からの帰途、伊勢の能煩野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって大和国から河内国の旧市邑(ふるいちむら 今の古市)へ飛んで行かれたという伝説が『日本書紀』にある。河内には、羽曳野(羽を引いたことからくる地名)市があり、白鳥神社や白鳥小学校がある。
大和朝廷による日本の統一(それまでは小国の分立だった)は4世紀の半ばごろに成し遂げていた。それを主導したのは日本武尊であった。この頃に神功皇后(日本武尊の息子である第14代仲哀天皇の皇后)による三韓征伐がなされた。百済への軍事援助の見返りとして中国からの先進文化が入ってきた。朝鮮半島との交流は盛んだった。古墳時代の富の基盤は米作(水田耕作による土地の肥沃化)と和鉄の普及にあった。
「高き屋(や)に登りて見れば煙り立つ民のかまどはにぎはひにけり」
第16代の仁徳天皇陵は最大の広さの陵だが、『日本書紀』に記載されている仁徳天皇の事項は以下の通り。
「1.難波の堀江の開削と茨田堤の築造(日本最初の大規模土木事業)。2.山背(やましろ)の栗隈県(くるくまのあがた)に灌漑用水。3.茨田屯倉(まむたのみやけ)を設立。4.和珥池(わにのいけ)、横野堤(よこののつつみ、大阪生野)を築造。5.灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町あたり)を掘削し、広大な田地を開拓。国郡の境を分け、郷土の産物を記録。7.呉(宋)と高麗(高句麗)が朝貢してきた。」(この項はWikipedia「仁徳天皇」より)
仁徳天皇には「民のかまど」の伝説(民家から煮炊きする煙の少ないことを見て、人々の窮状を思い、徴税を止めて、自らもつつましく暮らしたというもの)があるが、民衆の支持もあったからこその大古墳になったと思われる。
縄文時代は石を抱かせた屈葬が一般的で、悪霊が取り憑くことを恐れた。
弥生時代には木棺や石棺を使うようになり、有力者が埋葬された墳丘墓が作られた。
古墳時代(3世紀中頃 ~ 7世紀頃)には、権力者の巨大古墳が作られたとされている。現在確認されている、古墳の数は159636である、『平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)』(文化庁調べ)
『宋書』中の「夷蛮伝」(いばんでん)の記述に、倭の国の王から11回使者が送られてきたことが書かれている。そこには讃・珍・済・興・武の王。この中の「武」とは時代的にも内容からも大和朝廷の第21代の雄略天皇とされている。武は上奏文で「父や祖先が武装して、山川を超え休みなく戦い、東は55国、西は66国を征服した。」としている。これらの5王の年齢が百歳を超えることで、否定的な意見があるがこれは間違っている。なぜなら、『魏志倭人伝』では「其俗不知 正歳四時 但記春耕秋収以為年紀」つまり、日本人は春に耕して、秋に収穫することをもって年数を数えていたとしている。これについては、岩井宏實著『日本人 祝いと祀りのしきたり』でも述べられている。
なお、古墳時代を終えてからは、歴史に文献がよく出てくるようになる。
(次号をお楽しみに)
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。
◎第680号 特集「日本書紀編纂千三百年」
令和元年12月20日締切
▽『日本書紀』は養老四年(720)、舎人親王らの撰といわれる日本古代史の基本文献です。その編纂から千三百年。本誌、初めての『日本書紀』特集です。遺跡や神話、伝説、謎等、ありとあらゆる『日本書紀』への思いや疑問、推理と謎解き、などなど 様々な角度から、挑戦して、記念特集としてください。
◎第679号 特集「明智光秀と戦国」
令和元年11月20日締切
▽来年の大河ドラマは「明智光秀」主人公の「麒麟が来る」です。信長からのイジメや「三日天下」といわれたりしますが、下剋上の時代、裏切りも、野望も、当たり前でした。後世の徳川史観ではなく、新しい研究成果や史料による。戦国時代という視点から光秀の生涯を描いてみてください。
◎第678号 特集「母の日本史」
令和元年10月20日締切
▽生母、乳母、養母、義母、継母等、母にも色々ありますが、歴史を変えた母、自分を変えた母(自分史)、母ゆえの葛藤、子ゆえの苦悩、溺愛、盲愛、無償の愛、母が与えた影響力は、計り知れないものがあります。そんな母子が彩った歴史をお書きください。
【原稿募集要項】
*原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙4枚半~5枚(1,800字~2,000字)。なお、系図・図表・写真など図版は掲載できません。手書き原稿は、原稿用紙にお書きください。パソコンの場合は、タテ打ち、一行四十字詰めで四十五行から五十行で紙にプリントして、お送りください。メールの場合は、紙へプリントしたものも、別送してください。
*内容は[特集テーマ]の謎や、かねてから疑問に思っていることなどを、気楽に、わかりやすく、随想風に、お書きください。
*原稿は返却いたしませんので、コピーをおとりください。
*原稿第1枚目に題名(10字以内)と筆名(ふりがな)、そして60字程度の内容紹介(自分が特にいいたいこと)を、そして、2枚目から本文をお書きください。最後の1枚には、会員番号・氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号・FAX番号、そして出来れば、80字以内の自己紹介文を添えてください。投稿のご紹介は、翌々月の本誌『歴史研究』の[応募作品紹介]で行います。
*掲載の方には、掲載号を2冊贈呈。3冊以上ご希望の方には1冊300円(発送手数料・何冊でも380円)で頒布いたします。
*封書の表には、必ず、特集名を赤でお書きください。
*あて先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[特集]係
*[特別研究]のページは、プロの学者では、なかなか手を付けにくいテーマや未解決のテーマの発表の場です。特に、通説・定説・異説を超えた新説を期待しております。
*テーマは、考古学をも含め、先史から古代・中世・近世・近現代、さらに東洋史・西洋史まで、自由に選び、ご寄稿下さい。共同研究、共同執筆も歓迎いたします。
*原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙で15枚~20枚(6,000字~8,000八千字)。パソコンの場合は、タテ打ちで1行40字詰め、1枚30行で約5枚から約7枚分、紙にプリントしてください。
メールの場合は、紙にプリントしたものも、別送してください。
*写真・図・表などがあれば、別紙にお付け下さい。ただし、掲載は三枚以内といたします。
*原稿の第1枚目に、題名(10字以内)と筆名(ふりがな)、そして必ず60字程度の内容紹介(自分が特にいいたいこと)をお書きください。第2枚目から本文をお書きいただき、末尾に氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号、出来れば100字以内の自己紹介文を添えてください。
*原稿は返却しませんので、コピーをおとりください。
*締切りは、毎月20日とします。投稿のご紹介は、翌々月に発送の本誌『歴史研究』の[応募作品紹介]でおこないます。
*掲載の方には、掲載号を2冊贈呈。3冊以上ご希望の方には、一冊300円(発送手数料・何冊でも380円)で頒布いたします。
*封書の表には赤で[特別研究在中]とお書きください。
*あて先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[特別研究]係
*[史談往来]のページには、ふるさとの話題をはじめ、歴史トピックス・歴史の旅・有名人や団体のインタビュー・歴史図書の読後感、歴史講演会聴講・歴史展見学・歴史イベント参加などなどを随想として、気軽に自由に文章にしていただく場として設けております。
*原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙で4枚半~5枚(1,800字~2,000字)。パソコンの場合は、タテ打ちで、1行40字詰めで45行から50行で、紙にプリントしてください。メールの場合は、紙にプリントしたものも、別送してください。
*写真・図・表などがあれば、別紙にて添付してください。ただし、その分、文字数を減らしてください。
*原稿の第1枚目に題名(10字以内)と筆名、そして、60字程度の内容紹介文(自分が特にいいたいこと)をお書きください。第2枚目から本文をお書きいただき、末尾に、氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号、出来れば100字以内の自己紹介文を添えてください。
*原稿は誌面の都合上、一部削除・リライトすることがあります。原稿は返却しませんので、コピーをおとりください。
*締切りは、毎月20日とします。投稿のご紹介は、翌々月に発送の本誌『歴史研究』の[応募作品紹介]でおこないます。
*掲載の方には、掲載号を2冊贈呈。3冊以上ご希望の方には、1冊300円(発送手数料・何冊でも380円)で頒布いたします。
*封書の表には赤で[史談往来在中]とお書きください。
*あて先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[史談往来]係
【お知らせ】応募作品の内、[電子版『歴史研究』]にも選抜し、ご紹介させていただくことがあります。ご了承ください。
*ご寄稿はひとつの封筒に、ひとつの内容を封入してください。メールの場合、ひとつのメールに、ひとつのテーマのファイルを添付してください。ご意見、ご本などいろいろと詰め込まないようお願いします。
◆2019年10月号◆目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
ふるさと揖斐川町の可能性…………所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】忠義・小宮山内膳の遺書……武田和春・8
【会員随想】北条早雲公、没・五百年にして
幼名見つかる!…………清水勝也・10
【会員随想】円盤が来た…………後閑正尚・12
【掃苔行脚】耳鼻咽喉科黎明期の功労者…金子千滋・14
◎特 集 龍造寺一族の謎
龍造寺一族の基礎知識……………………井手窪 剛・18
龍造寺氏興亡の歴史………………………竹村紘一・28
龍造寺家、その血脈は残った……………榎本秀和・30
佐賀藩で重きをなした龍造寺一門………内藤徹雄・32
龍造寺氏の下剋上………………………川村一彦・34
龍造寺氏一族について……………………岩﨑淳子・36
龍造寺隆信、二人の弟……………………祐川 太・38
忠謀の理非……………………倉本文幸・40
◎特別研究
東洲斎写楽「伝説」考……………………高井 忍・42
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業
『わが人生の誇り』
己の「三つ子の魂 百まで」の誇り………佐藤二朗・50
台湾との絆………………………別所直紀・52
義理のある養母との親子関係を
自分の要領で成功させる…………吉良 実・53
城・歴史一途と人脈の誇り………………田村紘一・55
◎古文書講座
切迫した入用金 ……………………………庄司恵一・65
◎歴史学講座〈中級編〉第七十六回
日本史の謎徹底検証(その二十三)…加来耕三・72
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた
兄と弟 ………………………中津攸子・82
大和国宇陀松山藩主織田信雄……………橋本晋吉・86
本邦古代の四倍年暦に関する検討 ………小原正哉・100
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十二回)
運動会事始め~………渡邊洋一・76
◎わが著書を語る
『太閤検地をめぐる淡路二郡の天正期の指出検地』
……………………北山 學・80
◎全国ネットワーク歴研
〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
会員紹介…………………………………・113
特集テーマ原稿募集……・114
[特別研究]原稿募集……・115
[史談往来]原稿募集……・115
応募作品紹介…………………………………・116
【会報・会誌紹介】
『歴研おかやま 第25号』
『江南郷土史研究会会報 第486号』ほか・120
【寄贈図書紹介】
『神代から神武天皇 建国の物語』ほか・124
連携団体レポート………………………・128
★神奈川歴史研究会
★常総歴史研究会
★大阪歴史懇談会ほか
歴研本案内……………………・132
誌上古書市……………………・134
誌上推奨展……………………・136
本部歴研だより……………………・138
事務局日誌……………………・140
スケッチ/渡邊華璋・画
*表紙写真/龍造寺隆信像(宗龍寺蔵)
『佐賀市史』より/会員提供
名言塾 第一講義録
『名言が語る日本の歴史』(第1回)
著者:山名 年浩先生
“学校の歴史教科書ではカバーしきれていない事柄を記載。人物史で日本の歩みを明瞭に理解しよう”
“時代背景の中で、多士済済の日本人が残した心の蓄積を知る”
“役に立つ名言300 の中に、何が役立つヒントがいっぱい”
“歴史の雑学的知識も満載”
◆はじめに
時代を舞台に、先人は様々に行動し、発言してきた。時代の変化の中で、日本人はどのような言葉を残してきたのだろうか。
太古の時代よりこの方、明治・大正・昭和・平成・令和と時空を超えて、日本の歴史上の名言は現代日本人に生きる意欲や元気を与えてくれるものが多い。なぜなら、大きな課題を背負って、いろいろな分野の最前線に立った人達の言葉には各種の魅力があふれているからだ。
歴史学には人物史を好まない学者もいる。歴史教科書は戦前(大正9 年) の改訂で、人物中心に改めるようになったたこともあり皇国史観への道が明瞭になったからであろう。経済を基礎にして、政治や文化が動く構造に固執される(唯物史観の影響) からだろう。
しかし、時のながれに乗って、人が歴史を動かす面も歴史から影響を受ける面もある。各時代を導いてきた人たちの生き方やその表れである言葉をたどることには格別の感動を呼び熱いドラマ、悲しいドラマを知ることが出来る。
そこで、今は忘れられそうになっている、先人の言葉や出来事をまとめておくことにした。つまり各時代背景の中での先人の生き方を見る点に焦点を当てることが必要と思われる。
つまり、単なる名言だけを並べたものではない。
皇国史観と唯物史観という二つの立場は正反対でありながら、日本国民がまとまる(統合する)上で、教え込むべき内容を画一化するという点では、不思議な共通点があった。むしろ、歴史的な事実そのものから出発する戦後の歴史研究の方向は大切と思われる。静かに見つめると、国の場合も企業や団体の場合も、中央集権が強い状態がその草創期には強く求められる。
社会や組織の状態が皆の努力によって、安定してくると、人々は強制力を嫌ってくる。ここで、指導的な地位に着く人は現状を敏感に判断して、果断に対応することが出来れば社会も組織も安定性を保つ。いつの世でも、頑迷なだけで時代の変化について行けない人たちは、苦しんで生きた。さらに、さまざまな決戦で勝利した武人たちの勝因、敗者の敗因に触れている。
そういう点で、日本の歴史を学ぼうとする人たちにわかりやすい本を世に出したいと思った。現代の眼から日本人がどのような努力をしたのかを各時代の背景の中で学ぶことは親しみやすいし、無理のない特長を持っている。それは現代の我々にとっては生き方の大いなる参考になってくる。日本人はイデオロギーの動揺は極端ではなかった。絶妙のバランス感覚が自然なものとして日本にある。日本以外の国では王朝は永く続いていないし、激変的革命が多かった。これは理解されることと思う。
日本人の発想はヨーロッパやアメリカとも中国とも異なる独自性を持ってきた。静かに,生と死を見つめる考え方は日本に土着的な自然信仰(特に、森や木に対して)と生命の有限性という仏教の教えが融合したものとなって、継続してきている。
このことを骨格として歴史を見ていこう。
名言は各時代の様子の影響をうけざるを得ない。人がその力量を発揮するには、時代の状況や能力そして運も左右してくる。歴史の奥で動くのは個人の力ではどうにもならない経済の質と量の変化がある。
特に、農業がほとんどの時代においては、農業の生産力の発展が特に農民層分解に与えた影響は無視できない。これが豪農を生み、商人をやがては近代工業社会の経営者層を生んできた。この日本の歴史に貫徹するのは、欧米社会の理念とは異なって、全体の利益を根本的に重視する、共同体の商工業分野での構築であった。これが今日生きているのである。他国との相対的な軍事力水準は国内の政治にも影響した。今は情報化の進展の中で人間が自己をしっかり持つべき時代に入ってきた。
時代によって主役は大きく変化していった。日本人の社会的デリカシーや治安の良さはこうした中で培われてきた。この重層構造の中で歴史を見、名言を味わうことによって歴史を立体的に学ぶことができる。
日本人の発想はヨーロッパやアメリカとも中国とも異なる独自性を持ってきた。静かに,生と死を見つめる考え方は日本に土着的な自然信仰(特に、森や木に対して)と生の有限性という仏教の教えが融合したものとなって、継続してきている。このことを骨格として歴史を見ていこう。 名言は各時代の様子の影響をうけざるを得ない。人がその力量を発揮するには、時代の状況や能力そして運も左右してくる。歴史の奥で動くのは個人の力ではどうにもならない経済の質と量の変化がある。
特に、農業がほとんどの時代においては、農業の生産力の発展が特に農民層分解に与えた影響は無視できない。これが豪農を生み、商人をやがては近代工業社会の経営者層を生んできた。この日本の歴史に貫徹するのは、欧米社会の理念とは異なって、全体の利益を根本的に重視する、共同体の商工業分野での構築であった。これが今日生きているのである。他国との相対的な軍事力水準は国内の政治にも影響した。
今は情報化の進展の中で人間が自己をしっかり持つべき時代に入ってきた。
時代によって主役は大きく変化していった。日本人の社会的デリカシーや治安の良さはこうした中で培われてきた。 この重層構造の中で歴史を見、名言を味わうことによって歴史を立体的に学ぶことができる。
名言は様々な形で日本人の発想の特徴を示している。
歴史上の人物は多様である。努力家歴史は人物と傲慢な人、礼節のある人とない人、頭脳的に優れた面と実行力のすごい人(このいずれかに偏った人)、周囲から信頼を得られる人と得られない人、まさに、歴史は人生とは何かを学べる事実の宝庫である。
人物史を通じて、名言とその背景を中心に、何が大切かを知り、その底で流れるものの変化を明らかにしたい。それを自分なりに活用されるのが有益と思う。また、多くの指導的立場の人たちのリーダーシップをワンマンや独裁と混同してはならない。どのようにして、人とうまく対応し、人を動かしてきたか、いろいろな立場の人はいろいろな苦労の中で磨かれてきたものだから。
本書では、歴史を中心に、経済状況は経済学の視点を、さらに歴史学・地理学・民俗学・文学・言語学・法制・外交などの情報を取り入れて話を展開している。また、珍しいものも含め豊富な資料を取り入れている。教養がひろがる一助になる。いろいろなことへの関心が広がる。
この本の内容を生かすには、読者自身がやり遂げたい目標を試行錯誤しながら、はっきりした形にし、自分が成長するイメージをいつも粘り強く描き作戦化することである。そのために必要な心掛けと必要な情報収集と自分の人脈形成に踏み出すことである(自分の人脈図を作ってみる)。学びは発展性が必要だ。短発短命の一時的な「学習」では身にはつかないし成長しない。失敗したら、いつも次の一手を打って希望をつないでほしい。どうしてでも、伸びていこうとする、不断の意欲が結局は運を呼び込むから。
◎はじめに
*この電子版『歴史研究』第38号で発信させていただきましたように、「令和[歴研]宣言」で、第6期歴史研究会は、世のため、人のため、役に立つ「歴史学」をめざすと、アピールしました。
*さて、それでは、役に立つ「歴史学」とは、と思案している時に、突然、まえぶれもなく、経済学博士・山名年浩先生から、『名言が語る日本の歴史』の原稿をお送りいただきました。それは、17万6736字に及ぶもので、「時代背景の中で、多士済々の日本人が残した心の蓄積を知る」や「役に立つ名言300の中に、ヒントが一杯」と内容紹介文にあります。
*本文も拝読させていただき、ぜひとも、書籍出版したいと決意しました。
*しかし、その前に、電子版『歴史研究』で、より多くの方々に、ご賛同を得たいと、念じました。
*そこで、まずは、[名言塾]を設立、その第一講義録とし、電子版『歴史研究』で発信していくことにしました。
*これによって、「令和[歴研]宣言」の世のため、人のため、役に立つ「歴史学」をめざします。
*なによりも、全国120万人と称される「引きこもり」とよばれる方々に、日本の名言を広めることで、[誇り]となり、「生きる力」になればと存じます。
*みなさまのご支援をよろしくお願いいたします。
令和元年9月23日
名言塾 事務局
◆2019年9月号◆目次
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
大礼記念に光格天皇関係絵図集成……………所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】倭国の城………………………野呂 崇・8
【会員随想】くじらのたれ…………………中根一仁・10
【会員随想】山の辺の道~石上神宮から大神神社へ
………………………沼田広慶・12
【会員随想】ちちんぷいぷい………………斎藤秀夫・14
【会員随想】人形のおはなし………………夢酔藤山・16
【掃苔行脚】幕末明治人の慰霊行事について
………………………河内貞芳・18
◎特 集 上皇の時代
上皇の時代の基礎知識……………………松尾 光・22
女性天皇から探る隠された天皇と王朝……萱嶋完彦・32
上皇(太上天皇)の歴史的意義……………橋本晋吉・34
後鳥羽上皇と菊の御紋………………………大澤俊彦・36
二所朝廷(平城上皇と嵯峨天皇の対立)…竹村紘一・38
崇徳院と保元の乱………………………唐川雅爾・40
後白河上皇の権謀術数……………………藤波大三郎・42
◎特別研究
朝鮮国への「御返簡(回答書)」を揮毫した佐々木玄龍
…齋藤健司・46
◎特別企画/
歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
私の人生を豊かにした歴史…………………高橋浩子・54
僕と歴史と福祉の出会い……………………西村健二・55
生涯学習のテーマ、歴史の始まり・終焉について
…………阿部洋史・57
人生を振り返って………………………片桐哲郎・59
◎古文書講座
寺院への宛名の書き方 ………………庄司恵一・69
◎歴史学講座〈中級編〉第七十五回
日本史の謎徹底検証(その二十二)…加来耕三・74
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟
……………………中津攸子・86
〝上皇の時代 史跡と史話〟 …………川本斉一・90
五百八拾歳につ……………………………鈴木泰全・94
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十一回)
アルファ米~防災備蓄食糧の始まり………渡邊洋一・78
◎わが著書を語る
『宇賀島水軍伝』………………………………乾 浩・82
『天皇史年表』………………………………井筒清次・84
◎全国ネットワーク歴研
〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集……・98
[特別研究]原稿募集……・99
[史談往来]原稿募集……・99
応募作品紹介…………………………………・100
【◎全国歴史研究会/特別行事】
祝[令和]記念 本部会員懇談会………井手窪 剛・104
【会報・会誌紹介】
『歴研ひろば 第272号』
『江南郷土史研究会会報 第485号』ほか・106
【寄贈図書紹介】
『江戸幕府最後の大老』
『加藤清正と忠廣肥後加藤家改易の研究』ほか・108
連携団体レポート………………………・110
★小山田信茂公顕彰会
★神奈川歴史研究会
★大阪歴史懇談会ほか
歴研本案内……………………・116
誌上古書市……………………・118
誌上推奨展……………………・120
本部歴研だより……………………・122
事務局日誌……………………・124
スケッチ/渡邊華璋・画
*表紙写真/後白河法皇/会員提供
歴史研究会は、歴史愛好家の研究発表と親睦交流の広場を目的に昭和33年(1958)7月10日、一般公募により、東京で発足いたします。
このとき、わずか40名で誕生した集いでしたが、第1期、第2期、第3期、第4期と、みなさまのご支援により、着実に発展、会員登録数も1万7千名余となり、在野史学唯一の殿堂として、平成30年(2018)秋、創立60周年記念全国大祭を開催し、新たな歴史ブームの火つけ役にと「歴史大賞」を創設、第5期の集大成といたしました。
そして、第6期を新元号の令和と共に歩みはじめることになります。
ところが、新元号発足の当年当月、小学生の児童ら20人が殺傷されるという、悲惨な川崎事件が起こりました。
容疑者は、51歳になる、いわゆる「引きこもり」です。こうした人々は、推定で120万人もいると報道されました。
驚愕すると同時に、「なんとか、ならないか」――。
まずは、「家族で共に語り合う[誇り]を持ってもらいたい」と念ずるようになりました。[誇り]こそ、「生きる力」である、と信じています。
第5期までの歴史研究会は、「熱烈なロマンチスト」に奉仕してまいりましたが、第6期は、多くの方々の、さまざまな[誇り]を知り、伝え、広め、「世のため、人のため」、役に立つ「歴史学」をめざしたい、と願うものであります。
ここに、心から新時代を祝賀し、また、歴史研究会第6期の開始にあたり、令和[歴研]宣言(案)といたします。
令和元年(2019) 吉月 吉日
歴史研究会(全国歴史研究会)
【ご賛助申込先】
〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
TEL03・3779・3127 FAX03・3779・5063
歴研 主幹 吉成 勇
メール zrkk@rekishikan.com
*本誌『歴史研究』では、毎号、会員の皆さんに、歴史の謎にチャレンジしていただき、これまでにない新説が生まれることを期待して、[特集テーマ]を企画し、原稿募集をしております。
*特に、新会員の皆さんのご寄稿を歓迎いたします。
(令和元年7月3日)
◎特集「母の日本史」令和元年10月20日締切
▽生母、乳母、養母、義母、継母等、母にも色々ありますが、歴史を変えた母、自分を変えた母(自分史)、母ゆえの葛藤、子ゆえの苦悩、溺愛、盲愛、無償の愛、母が与えた影響力は、計り知れないものがあります。そんな母子が彩った歴史をお書きください。
◎特集「江戸の名医物語」令和元年9月20日締切
▽貝原益軒、曲直瀬道三、華岡青洲、杉田玄白、シーボルト等、江戸時代は、鎖国の中でも、多くの名医を輩出しました。また、村医者や、町医者といわれる無名の医者達、いわゆるあかひげ先生の足跡あるいは三百諸侯の御典医など、現在まで語りつがれる感動の実話を発掘してください。
◎特集「万葉集と新時代」令和元年8月20日締切
▽新元号「令和」の典拠は『万葉集』からになりました。これを機会に、現在に通じる万葉歌人の心、鎌倉時代『万葉集』に注釈をつけて、現在の私達が読めるようにしてくれた「仙覚」等、万葉集と共に生きてきた人々、受け継がれてきた日本人の心の文化をぜひお書きください。
★原稿募集要項は、本誌『歴史研究』をご覧下さい。
★ご希望の方には、本誌『歴史研究』の最新号を無料でさし上げます。メールでお申込下さい。
*お礼のことば
歴史研究会創立60周年記念全国大祭をこのように盛大に催すことができましたことを、ここに、みなさまと共に祝福したいと存じます。
さて、私たち歴史研究会(全国歴史研究会)は、歴史を愛好される方々の研究発表と親睦交流のために、昭和33年(1958)7月に、東京で一般公募し、当初40名の会員をもって発足いたしました。その翌年、会報を創刊、これが土台となり、全国誌『歴史研究』が誕生、通巻665号を超え、会員数も、登録会員1万7千名を突破いたしました。
そこで、この60年間の歩みを振りかえってみたいと存じます。
それは、まさしく歴史出版界栄光の60年でした。まさしく華やかな歴史出版業界から誕生したのが歴史研究会です。当時、『歴史読本』をはじめ、『歴史公論』『歴史と旅』『歴史と人物』などなど、いわゆる歴史読物雑誌の全盛時代でした。歴史図書の出版も、『日本城郭全集』や『戦国史料叢書』、さらに『歴史文学全集』等々が次々と刊行されました。
歴史研究会も、そうした流れの中にあって、今では想像もできないような飛躍をしてまいりました。毎月40名以上の新会員を迎え、一年に1000人以上のみなさまをお迎えする年もありました。
さて、仮に、歴史研究会の歩みを次のように5期に分けてみました。
第1期 昭和33年から昭和42年。東京丸の内、旧人物往来社で誕生、創設期。
第2期 昭和43年から昭和56年。同丸の内で、新人物往来社が新規発足、そのPR誌「月報」として『歴史研究』を発行。
第3期 昭和57年から昭和63年。月刊『歴史研究』は、月刊『歴史読本』の姉妹雑誌として兼務スタッフで編集。全国大会もこの時期に、はじまりました。
第4期 昭和64年、平成元年から平成10年。神田神保町分室時代。全国大会に一段と力が入りました。また月刊『歴史読本』の別冊として「歴史百科シリーズ」をはじめ、様々な企画が思いつくままに刊行できた時期です。
第5期 平成11年から平成30年。歴史の火を消さないために日本一の歴史団体をめざして、東京五反田に新しく総合出版社、合資会社[歴研]を設立、歴史研究会として全国誌、月刊『歴史研究』を柱に、雑誌・書籍を編集、加えて、全国歴史研究会として引き続き全国大会をはじめ、多様な歴史イベントを運営して、現在となります。
そして、これら第1期から第5期におよぶ諸活動の集大成として、このたびの〈全国大祭〉開催がございました。
では、集大成として、何をなすべきか。
それは、歴史研究会が誕生した昭和30年代の「歴史ブーム」を再来させることではないでしょうか。
謎が謎を生み、有名無名を問わず、自由に、真実が語られた、活気ある「歴史ブーム」。
すっかり忘れ去られた「歴史ブーム」を、再び、ということが歴史研究会の集大成と考えました。
そのために、どうするか。
「賞」こそ、「歴史大賞」こそ、「新たな歴史ブーム」に火をつける導火線になると信じるようになりました。まずは、「歴史大賞」の受賞者です。受賞者は、この60年間に歴史研究会を支えて下さった、お一人おひとりです。会員の方の業績を顕彰すること、これこそ、「新たな歴史ブーム」を燃やす火種と信じています。
この〈全国大祭〉で、参加者全員に受賞していただきたいのは、歴史研究会60年の集大成――「新たな歴史ブーム」を世に広めるためでした。
ご受賞に感謝するのは、まさしく、この気持ちからです。
幸いなことに、京都産業大学名誉教授の所 功先生、さらに、坂本孝志先生・野々村守春先生にご賛同いただき、本日の「歴史大賞」の受賞者発表となりました。
先生方に厚くお礼を申し上げる次第です。
ところで、この60年間を回顧して、自負することがございます。
歴史研究会の全国会員よって、教科書などでは知ることの出来ない、さまざまな歴史の話題を全国誌『歴史研究』で提供してきたということです。神武天皇や、邪馬台国や、先代旧事本紀や、聖徳太子や、義経や、真田幸村や、信長や、家康や、赤穂義士や、二宮尊徳や、新選組や、坂本龍馬や、福沢諭吉や、もし、全国誌『歴史研究』がなければ、という自負です。
なお、さらに、しみじみと思うことは、旧人物往来社ならびに新人物往来社のみなさまです。歴代の社長である八谷政行様、菅貞人様、菅英志様、そして、これらの社長と共に、「歴史ブーム」のために尽力された歴代の役員、歴代の編集長、歴代の社員、歴代のプロダクション、歴代の主婦パート・歴代の学生アルバイトのみなさまに、永年の思いを重ね合わせ、謝意を表したいと存じます。そのために、みなさまをお招きし、この〈全国大祭〉では、特別招待席を設けさせていただきました。
みなさまと共に、この第5期から、次の第6期をめざして、「歴史への思いの丈――道楽歴史学」のため、一層、精進したいと念じております。
歴史研究会は、全国ネットによる日本唯一最大の在野史学の殿堂です。みなさまの力で、さらに、守り立って参りたいと存じます。どうか、末永くご支援をよろしくお願い申し上げます。
最後になりましたが、このたびも、全国大祭実行委員長の高橋倭子様はじめ、歴史研究会第5期を全面的に支えていただきました多くの役員のみなさまに衷心より感謝申し上げます。
改めまして、本日、ここに、ご参集のみなさま、そして全国の会員のみなさまのご健勝とご発展をお祈りし、衷心から、厚くお礼を申し上げます。
誠にありがとうございました。
歴史研究会創立60周年記念全国大祭の日に
平成30年10月27日
歴史研究会主幹 吉成 勇
*令和元年7月10日(水)、歴史研究会創立61周年記念日を迎えました。
本日をもって、歴史研究会第6期を開始いたします。ご賛助、さらに、お願い申し上げます。
*2019年7・8月合併号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
近現代のユキ・スキゆかりサミット…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】新元号〝令和〟を見て…鳴高真ー部・8
【会員随想】北里柴三郎と夏目漱石と野口英世の千円札…八木輝夫・10
【会員随想】勝願寺参拝記…後閑正尚・12
【会員随想】安政六年宿駅の留書…山神明日香・14
【会員随想】桶狭間山はどこか…太田輝夫・16
【掃苔行脚】皇室の藩屏―特別編―…黒坂拓哉・18
◎特 集 女たちの明治百五十年
荻野吟子と塙保己一…服部 瑛・22
足尾鉱毒を世に知らせた女性記者…中根一仁・24
薄命の『明星』歌人 山川登美子…内藤徹雄・26
広岡浅子の活躍を振り返って…藤波大三郎・28
山下りんとイコン…乾 浩・30
横川楳子の明治…夢酔藤山・32
尊皇の烈女松尾多勢…竹村紘一・34
諭吉の家の女たち…唐川雅爾・36
◎特別研究
邪馬台国へのルート 文字言語からの検証…寺脇純一・38
◎特別寄稿
阿倍内親王の立太子構想…松尾 光・46
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業
『わが人生の誇り』
わが少年読書遍歴…山岸良二・56
歴史との出会い 歴史探究の誇り…土井和子・57
(私が歌う)Voy a Cantarわが家の誇り…富士 寿・58
我が人生と家族に誇り…後藤建一・60
◎古文書講座
不安定な世情 …庄司恵一・70
◎歴史学講座〈中級編〉第七十四回
日本史の謎徹底検証(その二十一)…加来耕三・78
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟 …中津攸子・88
『日夲書紀』と御暦四考 …國田郁雄・92
世界遺産「沖ノ島」、国宝「中平刀」が語る
邪馬台国の興亡 …小林良自・100
大和国宇陀地方の中世城郭…橋本晋吉・112
越前藩の横井小楠招聘と梅田雲浜…村上利夫・126
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第二十回)
冷やし中華の始まり…渡邊洋一・82
◎わが著書を語る
『松代・真田十万石の歴史』…小林啓二・86
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集・130
[特別研究]原稿募集・131
[史談往来]原稿募集・131
応募作品紹介・132
【会報・会誌紹介】
『東京産業考古学会ニューズレター第0136号』
『城だより 第605号』ほか・136
【寄贈図書紹介】
『北海の勇者 高田屋嘉兵衛』『阿波 小松島』
『松代・真田十万石の歴史』ほか・140
連携団体レポート・144
★神奈川歴史研究会
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★横浜歴史研究会
★常総歴史研究会
★大阪歴史懇談会
★先古代史の会
★日本の歴史と文化を楽しむ会
★渡来氏族と古代東アジアを考える会
【祝[令和]暑中御見舞賛助公告】・151
歴研本案内・162
誌上古書市・164
誌上推奨展・166
本部歴研だより・170
事務局日誌・172
渡邊華璋・画
*表紙写真/津田梅子/会員提供
◎バックナンバーをご希望の方は、本誌挿入の会員応答用葉書に希望号と特集題名と冊数をご記入の上ご投函ください。いずれも残部僅少ですので、品切れの場合にはご連絡いたします。品切れ号については、コピーサービス(有料)もおこなっております。また、定価は年度・号によってまちまちですので、お電話などでおたずね下さい。
○=残部僅少 ×=品切れ(平成27年12月現在)
(続刊をお楽しみに)
◎歴史研究会の事業のひとつに「全国歴史愛好家の研究発表の場作り」があります。
しかし、会員数の増加により、月刊『歴史研究』の限られたページ数の中では、誰もの原稿を掲載出来なくなりました。そこで「より自由な研究発表の場づくり」を目的に、歴史論文集『在野史論』を創刊いたしました。――在野史論編集委員会編
●[第1集] 平成元年10月刊
【特別巻頭寄稿】
「歴史研究の心がけ」所 功
【古代史研究】
「人口で斬る日本古代史像」島貫基久
「元正天皇論」池上みゆき
「古代東アジア渡来氏族の足跡」統韓鮮
「磐之媛尊に見る古代皇后像」澤田紅子
「何故聖徳と推古は崇峻を見殺しにしたか」宮田和男
「狗奴国=毛野国説について」宮本直樹
「命族の上陸と出雲族」小林 淑
「びっくり仰天邪馬台国〈謎無し 倭国倭人伝〉」子成場家三
「古代日本最大の謎」柳沢賢次
「[稲荷山鉄剣銘文解読]〈獲加多支鹵〉は雄略天皇ではない」三原木葆
【中世史研究】
「新田義兼と足利義兼は同一人物か」加藤克己
「解脱上人貞慶」印南東来
「白河法皇」藤原春雄
「西海の平家」竹内美和
「『吾妻鏡』に秘められた謎」末松昌雄
「武田信玄の死因を探る」原井慈鳳
「武田家滅亡の原因」小岩広宣
「武田勝頼公」藤沢千鶴
「織田軍団の展開・消滅」井口友治
「火薬は本能寺」三宅正乗
「秀吉と毛利の講和─その知られざる一面─」牛田義文
「京のあだし野」浦田安彦
【近世史研究】
「『海録』襪線抄」中村祐三
「兵法二天一流の理論」宮田和宏
「新・忠直卿行状記」日吉憲城
「水戸藩の人口対策としての違産の報告」菊池健晴
「私設天誅組の興亡」加藤芳彦
「天誅組事件の史的評価について」加藤 昇
「勤王画師田崎草雲と誠心隊」菊池牧人
「悲愁長命寺」中康弘通
「武蔵武士岡部六弥太忠澄─平忠度を討った一ノ谷の英雄─」間仁田如月
【特別研究】
「江戸明珍家の研究・補遺─明珍家文書を読む─」石田謙司
「野本一族の研究」野本誠一
「我が出淵家と親族小史」出淵二正
「岡山池田藩の藩学」相模輝男
「佐竹藩陪臣田中氏の周辺」木植 隆
「大洞金山と大洞」菊池一麿
「国権の系譜と思想の断絶─日本に対するレーニンとスターリン─」金子一男
「西欧史上最大の視霊者の歴史学的意義」岡田正彦
「合戦シミュレーションの誘い」柏田 悟
「『平和の発見』を読んで」高橋昭義
【歴史の視点】
「吉野ヶ里と権現山」荒井登志夫
「元禄時代の研究─私のライフワーク─」遠藤誠一
「逆日本史はたのし」多賀高朗
「〈魏の一族〉と馮氏─中国姓氏の中から─」三原邦夫
「地べたからのアプローチ」八巻 実
●[第2集] 平成3年10月刊
【巻頭言】歴史研究会〔在野史論〕編集委員会
「治承・寿永の乱と壬申の乱―東国国家・西国国家理論の新境地として」泉 浩一
「崇神王朝の崩壊の表裏」望月 始
「遠祖<小倉實澄>の実績」小倉直方
「水戸天狗党残照」菊池健晴
「『清良記』論考序説」矢野和泉
「思い出」梅本みつ子
「欣求寺 良厳」加藤芳彦
「永禄七年、織田信長、尾張を統一する」井口友治
「散らで残りし花―最晩年の不幸の世阿弥の死」浦田安彦
「大佐町の歴史と地名の由来」小山景庸
「解脱上人貞慶2―『興福寺奏上』の事」印南東来
「遊女の流れと高尾太夫」司馬里う志
「写楽という画号で役者絵を描いたのは蔦重であった」小林 淑
「室町幕府の外様衆」秋元大補
「八百屋於七緋染贐〔参考〕八百屋お七」中村祐三
「邪馬台国の位置再考証」進藤隆信
「歴史から何を得るか―高校生の視点から」小岩広宣
「藤の木古墳の被葬者」宮田和男
「高天原 玄想」松尾四郎
「角館蘆名氏の動向」籠島知宏
「前関白前久猶子異聞」斎藤 馨
「宝亀三年の太政官符について―出雲伊波比神に正倉放火」馬場 朗
「織田信長の愛妾〈阿能局〉の伝承」森 弘志
「草莽の明治維新〈神戸事件始末〉」内田誠也
「『武功夜話』と『信長公記』の資料上の問題点」山中武彦
「〈満州国〉交通史―郵政接収一考察」宮地哉恵子
「高杉晋作と京都進発論」一坂太郎
●[第3集] 平成5年12月刊
「仏頂国師一絲文守年譜並事跡」斎藤 馨
「関ヶ原の合戦と織田一族」三浦明彦
「義経東夷に落つ」高沢朝治郎
「〈小説『城郭百話』より〉大多喜城 守護神」菅井靖雄
「明治新政府の平将門弾圧考」小村孝治
「蘇我稲目と小姉君の出自に関する考察」宮田和男
「講釈師の嘘」中村祐三
「室町幕府の御供衆」秋元大補
「三歩太郎 菅原満佐―虚と実─」原 三正
「平重盛考」溝渕隆生
「異本 夷人雑類考」泉 浩一
「羽柴河内守従四位侍従豊臣秀頼について」森 秀郷
「歴史溯行」青村黄緑
「歪められた日本の古代史」大野三七
「好太王碑の訳文と考察」子成場家三
「藤原氏姓の一考察―藤原氏はサカ族である」藤原としえ
「水郷の歴史」鈴木徳松
【特別寄稿】
「近世農民の家と百姓株」長谷川善計
●[第4集] 平成7年2月刊
「越後騒動の裏舞台」岩田 篤
「邪馬台国は北四国 高天原は宇摩の高原だ」三島 明
「官報にみる虎の門事件」西村泰治
「『三国志』の烏丸鮮卑・東夷伝」子成場家三
「幕末・明治初年比の異聞三題」本田 曻
「埼玉における出雲系神社の創建」間仁田勝
「古い京(奈良)の神社史と変遷」森 秀郷
「歯科医療江戸から明治へ」水川秀海
「〈津守氏の系譜〉考察」山田禎子
「〈神社の伝承からみた〉歴代天皇の推定即位年次」望月古亶
「俳書『千宣理記』『桜川』『夜の綿』新考」萱嶋完彦
「乙巳のクーデタの真相に迫る」松永公太郎
「忌部族の衰退」小村孝治
「米の道」鈴木徳松
「室町幕府相伴衆」秋元大補
「北の名門 浪岡御所北畠氏の興亡」田島理人
「〈国譲り〉と〈継体〉と〈君・臣・連〉について」萱嶋完彦
「日本神話の解明」山口喜好
「古代日本国発見」保坂俊三
「歴史雑学」三井浩平
「禁裏と学区と戻橋」黒川藤三
「東三河に邪馬台国はあった!」前田 豊
「陰陽道と符呪文化」遠藤克己
●[第5集] 平成8年6月刊
「四世紀古代日本の統一」南原次男
「日光山と戊辰戦争」田所春夫
「調庸雑物の交易について」泉 浩一
「中世豪族岩城氏系譜の考察」稲葉一男
「神皇正統記の記載ミス」望月古亶
「新選組佩刀考証」中島利光
「真間の継橋考」中津攸子
「水戸藩の郷士のついて」和田 幸
「エッセイ 振武軍」菊地牧人
「崩彦古事記論・序説」対岸重文
「『魏略』西域伝(訳文)」子成場家三
「続『三国志』烏丸鮮卑・東夷伝(訳文)」子成場家三
「室町幕府番帳の成立年代」秋元大補
「邪馬台国〈陳寿〉の筆法」近藤延雄
「明治政府、宗教利用のこと」大山健一
「古代暦への誘い」朔見むつお
「原爆之図」小林 茂
「心の旅」梅本みつ子
「埼玉における太政官布達公園」間仁田勝
「俳書『桜川』印影本の解説について」萱嶋完彦
「『歎異抄』とイギリス経験論思想史」黒川徳男
「丹波地方と織田軍団の戦跡」斎藤馨
「従来研究の漢文文法の無視」斎藤裕美
「藤堂藩督学斎藤拙堂と古里」臼井文一
「宝暦治水側面秘史」川本斉一
「土御門上皇の御所(行在所)並びに小笠原守護館」森 秀郷
【特別企画】第二十一回郷土史研究<優秀賞>受賞論文集
「〈柳屋〉活鯛御用五十年の足跡」川村たづ子
「長屋王の年齢二説考」長屋清臣
●[第6集] 平成9年10月刊
「崩彦古事記論筑紫の日向、高千穂の考察」対岸重文
「検証・大和言葉」河合信男
「懿徳本紀」望月古亶
「敵討」田所春夫
「『侍ニッポン』にまつわる秘話」中台 登
「宝暦の球磨川大洪水を探る」蓑田正義
「伝説の真相」菅野運四郎
「馬術大坪流の成立」秋元大補
「源姓・平姓・藤原姓について」小村孝治
「邪馬台国〈陳寿〉の筆法(二)」
「謎の縄文古代出雲族」片山和男
「最古の製鉄と氏族の興亡」永野憲正
「欠史八代の天皇について」黒井博幸
「新資料紹介入間縣発行の〈地券〉」尾崎 豊
「古代の麻織物」玉置博司
「白川院政寸感」村田次也
「中野犬屋敷時代と犬喰文化の結末」中島義明
「縄文時代の歴史を覗きみる」辻本政晴
「〔謎の古代史〕邪馬台国問題を推理する」進藤隆信
「『魏志』〔倭人伝〕の解明」山口喜好
「楠木正行にまつわる史疑」山本津郎
「海東夫余国日本」井伊 章
「『吾妻鏡』研究農業経営者 新田義重」稲葉一男
「金印と神武天皇」宮田和男
「古代東北経略史に及ぼした飢餓の影」馬場 朗
「ヤマトの地名発生」村田治一
「歴史本に対する憂慮」御史中丞
「越後の一宮 居多神社」花ヶ前盛明
【特別企画】第二十二回郷土史研究賞〈優秀賞〉受賞論文集
「久米直と久米部についての一考察」玉置博司
「奇縁冰人石の系譜」辻尾榮市
●[第7集] 平成元年10月刊
「末流兵法の研究」秋元大補
「ヤマトは邪馬台国ではない」村田浩一
「建布都神社 俗号 杉尾大明神について」森 秀郷
「出雲は狗奴国だった」稲垣 彰
「陸奥の悲境 閉伊郡の謎」高澤朝治郎
「〈蘇我〉の氏名は〈蘇伐〉から」寺脇純一
「『万葉集』の歌人、額田王は男性であり、『日本書紀』に記載されている額田姫王とは別人である」江口京子
「ああ、活動大写真 朝がつらい嵐寛寿郞とドテラ着の山中貞雄」中台 登
「歴史狂詩曲 東方瑠璃光の日之本将軍譚」泉 浩一
「卑弥呼と古墳社会」黒井龍一
「桜井の訣別」田所春夫
「水と平和はタダではない」大山健一
「検証・大和言葉〈二〉」河合信男
「邪馬台国と大和朝廷」丹生軍三
「東高野街道について」川村一彦
「円珍と覚鑁」川村一彦
「北嶺の双峰〈円仁と円珍〉」川村一彦
「楼蘭とロブ・ノールの終焉」萱野運四郎
「日本のストーンヘンジと『古事記』」近藤 崇
「幻の帰雲城考―二兆円埋蔵金物語」兵藤俊郎
「邪馬台国〈陳寿〉の筆法(三)」近藤延雄
「土佐一条家の紹介」三輪篤史
「後三条帝略記―人から見た史話」村田次也
「藤原純友の虚像と実像―純友は根からの極悪人か」黒瀬川成穂
「日本古代史幻想録(1)―ヤマト王権成立の背景」紙谷純司
「アイヌ語は縄文語か〈第一部・第一章〉―伊賀・伊加利・五十里・碇地名の謎」清水清次郎
「幕末工人のネットワーク―甲冑師明珍家を中心として」石田謙司
「佐々成政辞世歌」浅野 清
「神武の東征考」山口喜好
「明治天皇と乃木希典」田所春夫
「履中本紀」望月古亶
●[第8集] 平成12年3月刊
「〈検証前野氏系図〉前野長康と坪内・前野氏系図」早瀬晴夫
「上代文献史学〈試論〉」岩谷隆行
「邪馬壱国は春日にあった」稲垣 彰
「日本語の始め考」栗山佳也
「徳川秀忠夫妻の旧御霊屋領地」栗山佳也
「邪馬台国『陳寿』の筆法(四)」近藤延雄
「21世紀、その時日本は」大山健一
「アイヌ語は縄文語か〈第一部・第一章〉山口県の伊賀地峠と伊陸地名」清水清次郎
「加賀〈本願寺王国〉の興亡史考」黒瀬川成穂
「楼蘭とロブ・ノールの終焉(二)」菅野運四郎
「発掘から見た三原庄」黒岩重臣
「検証・大和言葉〈三〉」河合信男
「ヤマトは邪馬台国ではない」村田治一
「根来攻めと〈専誉と玄宥〉」川村一彦
「アイヌ人の実態」山口喜好
「失明傷痍軍人の社会事業─柴内魁三─」宮城好司
「日本古代史幻想録(2)─ヤマト王権の西日本統一─」紙谷純司
「万葉歌に対する私論─額田王の歌について」三井浩平
「加賀藩穴生方後藤彦八基和について」後藤建一
「〈京都五山〉と禅の興亡」川村一彦
「数表で解く日本古代史」望月古亶
「皇権雑考Ⅰ」村田次也
「古い京(奈良)における寺院庚申堂地蔵庵等の分布状況について(調査洩れ神社追記)」森秀郷
【特別寄稿】「全国の小野姓について」清水 昇
●[第9集] 平成13年8月刊
「数表で解く日本古代史(二)」望月古亶
「修験道の謎」川村一彦
「検証・大和言柴〈四〉」河合信男
「公と私」大山健一
「其の余の旁国への旅(前編)」稲垣 彰
「魏志倭人伝幻想─海幸・山幸伝承から解く奴国の成立と魏志倭人伝の世界」寺田明美
「ヤマトは邪馬台国ではない─樟勾宮クスノマガリノミヤ」村田治一
「肥後細川家に仕えた我が先祖」跡部 眞
「天地の歌謎解き熟視考」久保寺寿男
「後藤忠兵衛知幸の『由緒一類附帳』を考察する」後藤建一
「大宮公園物語」間仁田 勝
「我が昭和二十年 航空技術史─陸軍跳飛爆弾─」近藤延雄
「桃太郎伝説発祥の地を探る」菅野運四郎
「源平盛衰記外伝 新宮十郎行家源平合戦を仕掛けた男」上野宗哲
「古城址物語(その一)」黒瀬川成穂
「仙台藩主伊達家の甲冑師について─観潤閣宝物目録と仙台明珍系図を読む」石田謙司
「アムステルダム・オリンピックのレスリング競技に日本人が出場するまでの経緯について」有沢久嗣
「鼓山、吉野川に枕めり」森 秀郷
「西南の役異聞」松本 茂
●[第10集] 平成14年10月刊
「甲冑師明珍宗恭翁と鑑る・日田市草野本家蔵 金小札紫糸威二枚胴具足─勝軍治要法御守秀長加護─」石田謙司
「歪められた阿波史の一端を糺し正しい史実を次代に伝う」森 秀郷
「古代隼人と隼人舞」井田敏子
「起倒流柔術の誕生に関する一考察」有沢久嗣
「検証・大和言葉〈五〉」河合信男
「申叔舟『海東諸国記』の語音翻訳について」内山三郎
「ゾルゲ事件とノモンハン事件の考察〈一〉」菅野運四郎
「中世九州国人の一考察─中原系三池・鹿子木両氏の軌跡を見る」吉井功兒
「古城小田野城址について─安田義定の要害か跡部景家の居城か」跡部 眞
「チンギスの血脈〈黄金家族〉」町井 譲
「古城址物語(その二)」黒瀬川成穂
「数表で解く日本古代史(三)─歴代天皇の神社の伝承数等」望月古亶
「日本古代史異聞」小林 淑
「銅鐸解明」小林 淑
●[第11集] 平成15年5月刊
「古城址物語(その三)」黒瀬川成穂
「日本の國の始まりは阿波である」森 秀郷
「 額田王の生涯合わせ鏡に写してみれば」中谷 裕子
「ゾルゲ事件とノモンハン事件の考察〈二〉」菅野運四郎
「検証・大和言葉(総集編)〈六〉」河合 信男
「道鏡は天皇位を狙ったか」井田 敏子
「数表で解く日本古代史(四)」望月 古亶
「称国日本までの倭国倭人伝 訳文」子成場 家三
「 数理考古学における量子論的考察」石井 好
● [第12集]平成18年7月刊
古城址物語〈その四〉………………黒瀬川 成穂
日本人はシュメール王朝の末裔か………………森 秀郷
ふるさと阿波市の史蹟の一部と森家の由緒の一端を記載します………………森 秀郷
吉野ヶ里遺跡出土貝紫染布起源考………………長谷部 剛
国分寺・国分尼寺考──聖武天皇の目指した世界──………………井田 敏子
山名氏の光芒………………井田敏子
「試論」上代文献史(学)──中大兄の三山歌について──………………岩谷 隆行
真珠湾「騙し討ち」の考察──海軍善玉説史観からの脱却を──………………下司 和男
ゾルゲ事件とノモンハン事件の考察〈三〉………………菅野 運四郎
ワニ王朝論序説〈2〉………………小池 昌弘
茶壺道中記………………加藤 睦
系図年代推定法と景初三年………………望月 古亶
干拓新田の新田村の住人構成──海西郡政成新田を事例に──………………永井 秀
忠臣蔵と大戦………………竹島 平兵衛
俳人 大淀三千風と射和(伊勢)商人………………清水 勝也
◎文芸雑誌『歴史浪漫』創刊の言葉
*歴史研究会では、歴史小説を書くことに〈夢〉を持たれる方々のために、『歴史浪漫』〈歴史小説自信作シリーズ〉を創刊いたしました。
第1集には、全国から沢山のご応募があり、大好評をいただきました。
第2集・第3集も予定を超える多数の作品が寄せられ、充実した内容となりました。
今後も引き続き、第4集の募集を開始しております。御自身が自信を持って世に問いかけたい力作をお寄せ下さい。
◎文芸雑誌『 歴史浪漫』[第1集]の内容
(平成10年1月20日発行)
「華と麦」清水澄子
「井伊保物語」谷 光洋
「幕末深川戦記」両神音矢
「阿修羅像異聞」三浦太圭志
「凱旋風景」赤島一郎
「愛と復讐の海」後藤隆葉
「瑠璃碧の海」辻村安希子
「封印の丞相廳」宮本典英
「看板を拭く女」桂田路子
「桑樹譚」銀凰 恵
「砂の熱風」銀凰 恵
「眞田大石」銀凰 恵
「降中の少女」御史中丞
「武田信玄公お慕いの記」美保真央里
「戦国時代のJ・F・K」芦越 健
「草葬じゃとて」山野悠子
◎文芸雑誌『歴史浪漫』[第2集]の内容
(平成12年2月21日発行)
「関白失墜」村田利也
「まほろばの使者」丹波道彦
「雨後の簑」冨倉康堅
「武田信玄公お慕いの記〈第二回〉」美保真央里
「平安京の群像」浜田祐次
「南無六字の剣」両神音矢
「天平の郎女」宮川卓夫
「彿坂」谷 光洋
「義絶」三浦太圭志
「いちしの道」福本恵女
◎文芸雑誌『歴史浪漫』[第3集]の内容
(平成14年9月30日発行)
「愛と憎しみと」村田利也
「武田信玄公お慕いの記(第三回)」美保真央里
「法華騒動始末記」藤本好浩
「明治の陸軍大将・大山巌元帥」武井真琴
「敵を憎まず──明智光秀と天海僧正は同一人物──」
武井真琴
「関八州隠密隊」古賀宣子
「カラス武士の最期」二階堂玲太
「怨嵯の龍」町井 譲
[特別付録]2000字で書く歴史小説
「瓢箪割り」二階堂玲太
「下野の師走」長山ゆき子
「白眼心流道場」古賀宣子
「太平記の作者」摩訶侍郎
「野宿の代償」市川香舟
「ピザンツの流れ皇子」境 淳伍
「海を渡った公主」町井 譲
(次の集に、さらに、ご期待下さい)
◎書名『越後村上氏二代 村上周防守(義明と忠勝)』
著者=志村 平治
新潟県の北部の村上市に石垣造りの立派な村上城跡がある。かつて「村上のようがい」と呼ばれた山城であったが、これを近世の平山城に大修築したのが村上周防守義明(頼勝)である。義明の養子忠勝の代に村上家は改易される。私はこの義明・忠勝の二代を越後村上氏と呼んでいる。
私は北信濃の戦国武将村上義清をはじめとする信濃村上氏を永年調査研究してきた。その過程で、義明が義清の子孫であると記す史料(『藩鑑』『断家譜』など)を目にして以来、興味を持ち越後村上氏二代に関連の史料・資料の収集、取材などをしてきた。
そして、「越後村上氏二代記」(『創立三十周年記念誌信濃郷土』平成十九年九月刊)を発表した。その中では、義明の没年を元和二年九月頃とした。その後、平成二十年になって、義明が帰依した大徳寺大慈院に義明の過去帳などの存在を知った。この過去帳には義明の没年は慶長九年五月二十八日とあって、「越後村上氏二代記」の内容を改訂する必要があった。また、義明・忠勝の二代共に同じ「周防守」を称したため、忠勝の事績を義明の事績と混同し、越後村上氏はあたかも義明一代であったかの如く誤解した書籍が多い。そこで「越後村上氏二代記」の内容を見直すと共に、義明と忠勝二代の周防守の事績を再整理し、資料集的にまとめたのが本書である。
村上義清が武田信玄に追われ越後に走った。当時幼年だった義明は、義清の縁戚の尾張守護斯波氏を頼って尾張に赴く。ここで、もともと斯波氏の家臣であった丹羽氏と接触、客分として丹羽長秀に仕えるようになる。織田信長の徳政令施行の折には、代官となった長秀の下代として活躍。山崎の合戦で功あり近江知内浜城主となる。さらに賎ケ岳の合戦の功で長秀が120万石の大々名となると、羽柴秀吉の指示もあって、義明は加賀小松城主に抜擢される。そして慶長三年には越後村上城主となって、慶長九年に義明は没した。義明の跡を甥で養子の忠勝が継ぐが、元和四年に村上家は改易となった。詳細は本書を一読願いたい。
本書が村上一族・越後村上氏に関心のある方、近江、加賀、越後などの戦国史に関心のある方などの一助になれば幸いと考える。
◆著者自己紹介=しむら へいじ
昭和26年 長野県中野市生まれ、長野県郷土史研究会、信濃名族研究会。日本古城友の会、全国歴史研究会などの会員。主な著書『北信濃の武将村上義清伝』『信濃高梨一族』『信濃須田一族 須田相模守満親』『信濃村上一族』など。
★本書『越後村上氏二代』はA5判192頁・平成24年2月・歴研刊・定価=本体2,000円+税
*本書の購入ご希望の方は、メールで。
◎全国歴史研究会〈東京・品川支部〉
特別イベント講演会2013のお知らせ
演題「鎌倉時代に品川宿があった!」
――品川の歴史を再考する――
講師 柘植信行先生(品川区立品川歴史館 副館長)
★全国歴史研究会では、「多様な歴史を知り、知らせる喜びを共有すること」を目的に歴史愛好家で研究発表会を催しておりますが、このたびは、専門歴史家の先生をお招きし、特別イベント講演会を開きます。
★今回は会員だけでなく、品川区民の皆様にも、ぜひとも、ご参加いただきたく、ご案内いたします。
★ご希望の方は、下記の申込書を、FAXや郵送あるいは手渡しで下記の事務局までお願いします。
●日 時 2013年9月29日(日)午後2時~午後5時
(当日受付開始=午後1時30分より)
●会 場 五反田文化会館 電話03・3491・4010
東京都品川区西五反田1の32の2
(下記の案内図をご覧下さい)
●参加費 1,000円(定員40名/定員になり次第、締め切らせていただきます)
【申込先】〒141ー0031 東京都品川区西五反田2-14-10-504
全国歴史研究会〈東京・品川支部〉事務局
電 話03・3779・3127
FAX03・3779・5063
【会場へのご案内】
*会場の五反田文化会館へはJR山手線「五反田駅」の西口から右手の桜田通りに出て左に直進、目黒川にかかる五反田大橋を渡り、三つ目のビルにあるNTTドコモと喫茶店の間の路地を左に入り、右側3軒目、徒歩で約5分です。都営地下鉄浅草線五反田駅、東急池上線五反田駅もご利用できます。
◎全国歴史研究会本部冬季研究発表大会2015のお知らせ
★全国歴史研究会では、春に引き続き冬の研究発表大会を催します。各会代表による三つの時代の研究発表をお楽しみください。
★会員外の方も、大歓迎です。多くの方々をおさそい下さい。
一、日 時 12月20日(土)午後1時30分より
午後5時まで(当日受付開始=午後1時より)
一、会 場 東京都品川区西五反田1の32の2
五反田文化会館(下記の案内図をご覧下さい)
℡03・3491・4010
一、研究発表大会のテーマと講師
①鎌倉「太平記の〝婆娑羅〟佐々木道誉」
常総歴史研究会世話人 立川誠一先生
②江戸「黒田騒動」
古代史懇話会会長 竹村紘一先生
③幕末「水戸黄門の虚と実を探る」
水戸の会会長 堀江洋之先生
一、研究発表大会の参加費 2,000円
一、年末意見交換会について
*この研究発表大会終了後、約1時間30分の予定で同じ会場において、お三方の講師を囲み、年末意見交換会を催したいと存じます。今回の意見交換会は、いわゆる忘年会にかわるものです。なお、追加会場費や飲み物・お菓子代として別に2,000円をお納め願います。
一、申し込み方法 葉書か電話かFAXで事務局までお申し込み下さい。定員40名ですので、お早めにお申し込み下さい。
【問合せ先】
〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会〈研究発表大会〉係
tel03・3779・3127 fax03・3779・5063
【会場案内】
*会場の五反田文化会館へはJR山手線「五反田駅」の西口から右手の桜田通りに出て左に直進、目黒川にかかる五反田大橋を渡り、三つ目のビルにあるNTTドコモと薬屋の間の路地を左に入り、右側3軒目、徒歩で約5分です。都営地下鉄浅草線五反田駅、東急池上線五反田駅もご利用できます。
◎第196回 本部会員懇談会2016のお知らせ
★歴史研究会では、会員相互の研究発表と親睦交流を目的として、本部会員懇談会を催しております。
★今回は、講師を仙台市からお招きしての特別講演会です。
★会員外の方も、大歓迎です。多くの方々をおさそい下さい。
一、日 時 4月23日(土)午後2時より午後5時まで(当日受付開始=午後1時30分より)
一、会 場 五反田文化会館
東京都品川区西五反田1の32の2
℡03・3491・4010
一、講 演 「仙台藩の参勤交代」
一、講 師 渡邊洋一先生(宮城県歴史研究会会長)
*「参勤交代の制」とは諸大名の妻子の江戸在府制(江戸藩邸の経営)と共に、江戸幕府の根幹をなす制度である。この制度については、従来、諸大名の経済的負担のみが強調されていたが、本当のところはどうなのか。読み解いていく。(講師より)
一、参 加 費 2,000円
一、申込み方法 葉書か電話かFAXで事務局までお申し込み下さい。定員40名ですので、お早めにお申し込み下さい。
【問合せ先】
〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会本部会員懇談会係
tel03・3779・3127 fax03・3779・5063
【会場案内】
*会場の五反田文化会館へはJR山手線「五反田駅」の西口から右手の桜田通りに出て左に直進、目黒川にかかる五反田大橋を渡り、三つ目のビルにあるNTTドコモと薬局の間の路地を左に入り、右側3軒目、徒歩で約5分です。都営地下鉄浅草線五反田駅、東急池上線五反田駅もご利用できます。
◎平成28年(2016)[新年会]の開催
★例年、歴研の新年会には、遠く北海道・東北・九州から、ご参加いただいております。
★ご同伴も大歓迎です。知人・友人・仲間・ご家族をお誘い下さい。
【参加要項】
★日 時 2月6日(土)
(当日受付開始=午後1時より)
午後1時30分より午後7時45分まで
★会 場 日本教育会館 9F「喜山倶楽部」(東京一ツ橋)
東京都千代田区一ツ橋2の6の2
℡03・3262・7661
地下鉄 新宿線・三田線の神保町駅より徒歩3分
★内 容 第1部 式 典(午後1時30分より)
第2部 新春特別講演(午後2時より)
講演①「絵で伝えたい日本のこころ」
講師=中村 麻美 先生
(日本画家・歴史挿絵家)
講演②「加来耕三先生の歴史学講座」
講師=加来 耕三 先生(歴史家・作家)
第3部 祝 宴(午後6時より)
名刺交換会/参加者有志 年頭のスピーチ
◆展示即売会=今回も、新刊本のほか、古書も扱いたいと存じます。
展示即売会に出品ご希望の方は、事務局まで。(自費出版もどうぞ)
★会費 第1部式典および第2部の新春特別講演のご参加は3,000円。第3部の祝宴参加費は6,000円です。会費は当日、受付で。(第1部、第2部、第3部で合計9,000円になります)
★定員 100名(定員になり次第で申込締切)
【申込方法】
葉書かTEL・FAXで下記までお申込みください。
〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504 歴史研究会〈新年会〉係
℡03・3779・3127
FAX03・3779・5063
◎歴史研究会創立58周年記念/ 第32回全国大会美し国三重・津大会 2016
【参加要項】
★と き 平成28年10月21日(金)・22日(土)・23日(日)=2泊3日
★第1日目 式典・記念講演・祝宴=[会場]ホテルグリーンパーク津
★第2日目 見学会①伊勢別街道を巡る=津城跡・関宿・高田本山専修寺・県総合博物館など
★第3日目 見学会②伊勢街道を巡る=宝塚古墳・松阪市文化財センター・松坂城・商人の町など
◆歓迎のことば
三重県は日本列島の真ん中に位置し、豊かな自然と歴史・文化が育まれてきました。県庁所在地は藤堂家の城下町であった津(安濃津)です。『古事記』には倭健命の足が戦いに疲れて三重に勾ったという事から「三重」と名付けられた地名伝説。そして崇神天皇の時に皇祖神の天照大御神が祀られた伊勢神宮があります。天照大御神が倭姫命に教えた「可怜し国なり、この国に居らんと欲う」、つまり、美しい国、よき国に居たいと云われています。斎王群行、伊勢平氏の出現があり、戦国期を経て江戸時代では津藩は徳川家康から厚く信頼された藤堂高虎が伊賀・伊勢国を守り、子孫に繋がれてきました。伊勢街道は神への精神的なよりどころのお伊勢参りの道として人々の往来で賑わい、三重の人ならではのおもてなしが一杯です。又、江戸への進出で伊勢商人の心意気を示し、文化人は俳聖松尾芭蕉や国学者本居宣長・国内初の国語辞典「和訓栞」を著した谷川士清・「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎などを輩出しています。
今回の大会では、この伊勢路・津藩藤堂家の領地をめぐり、そして江戸に出店した伊勢商人の地や松浦武四郎のふるさとをお訪ねください。心よりお待ちしております。
美し国三重・津大会実行委員長 椋本千江(三重歴史研究会会長)
◆行事内容
【1日目】式典・記念講演・祝宴=10月21日(金)
▼会 場 ホテルグリーンパーク津
(JR・近鉄「津駅」に隣接)
三重県津市羽所町700
℡fax059・213・2111
▼受付開始 午後12時30分より
式 典 午後1時30分~午後2時20分
記念講演 午後2時30分~午後5時
岡田 登先生(皇學館大学教授)
「倭姫命の伊勢巡幸」
門暉代司先生(三重県史編纂委員)
「伊勢路を往還した伊勢商人」
祝 宴 午後6時~午後8時
〈アトラクション〉
【2日目】見学会①=10月22日(土)ホテル前8時・出発→津城跡・関宿・関ドライブイン(昼食)・高田本山専修寺・三重県総合博物館→ホテルグリーンパーク津(午後6時着予定)
【3日目】見学会②=10月23日(日)ホテル前8時・出発→松阪市文化財センター・宝塚古墳・松坂城・御城番屋敷→八千代(昼食)・旧長谷川邸・斎宮歴史博物館・津駅(午後5時着予定)
*お帰りは津駅からJRか近鉄で名古屋・大阪方面へとなります。
★参加費
①コース(10/21)式 典+記念講演…2,000円
②コース(10/21)祝 宴…12,000円
③コース(10/22)見学会①(昼食付)…12,000円
④コース(10/23)見学会②(昼食付)…12,000円
*定員120名。申込み順で定員になり次第締め切ります。お早めに。
★お知らせ
宿泊は会場と同じ「ホテルグリーンパーク津」をご用意しておりますが、先着順にさせていただきますので、満室になった場合には各自でお願いいたします。宿泊料金はシングル1万円、ツイン1万8000円となります。なお、朝食付、税サービス込みですが、夕食は付きませんので各自おとりください。
★特別企画【オプショナルツアー】=10月24日(月)
*三重歴史研究会では、大会終了後の翌日(4日目)にオプショナルツアーとして、三名泉の一つ、榊原温泉に浸っていただき、この名湯を堪能し、神秘の杜・伊勢神宮への心のリフレッシュの旅を企画しています。参加ご希望の方には別紙でご案内します。
~伊勢の商人、文化人の地を旅する~
★申込方法=左記まで葉書・TEL・FAXで 「三重大会に参加」と、お申し込み下さい。折り返し、大会参加申込用紙をお送りします。
★申込締切=8月10日(水)まで。
★申込先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会 全国大会本部事務局
TEL03・3779・3127
FAX03・3779・5063
◎歴史研究会では、現在、【生涯一冊、本を書く運動】を推進しております。その一環として、手軽な〈歴研ブックレット〉での刊行をおさそいしております。
*〈歴研ブックレット〉は、現在、
の15点が刊行され、いずれも好評、品切れの本も出始めております。
*続いて、川村一彦さんの『平安僧兵奮戦記』、渡邊洋一さんの『仙台藩の参勤交代』、皆神山すささんの『渡来人の謎を解く』、荒井登志夫さんの『出雲と越の墳丘墓と神話─古代日本の政治経済文化の探究(Ⅲ)─』など続々と刊行を予定しております。
*〈歴研ブックレット〉に参加ご希望の方は電子版『歴史研究』のメールでおたずねください。
【募集要項】
■原稿送付先
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10
五反田ハイム504
歴史研究会〔在野史論〕係
■『在野史論』原稿申込受付、購入お申込、お問い合わせは
zrkk@rekishikan.comまでどうぞ。
◎ [史談往来]のページは論文形式のものではなく、歴史トピックス・歴史随想・歴史の旅・インタビュー・読書感想・提言・歴史講演会聴講・歴史展見学・歴史イベント参加など、身近な話題を気軽に自由に文章にしていただく場として設けております。
【募集要項】
原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙で4枚半~5枚(1,800字~2,000字)。パソコン可。パソコンでの投稿の場合には、ヨコ打ちで、1行40字詰めで45行から50行。紙にプリントされたものと入力データも同封してください。
写真・図・表などがあれば、別紙にて添付して下さい。
ただし、掲載は3枚以内といたします。
原稿の第1枚目に題名(17字以内)と筆名、そして、100字前後の内容紹介文(自分が特にいいたいこと)をお書き下さい。第2枚目から本文をお書きいただき、末尾に、氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号、出来れば200字前後の自己紹介文を添えて下さい。
原稿は誌面の都合上、一部削除・リライトすることがあります。原稿は返却しませんので、コピーをおとり下さい。
締切りは、毎月20日とします。投稿のご紹介は、翌々月に発送の本誌『歴史研究』の[投稿作品紹介]でおこないます。
全文掲載作品の会員には、掲載号を2冊贈呈いたします。
封書の表には赤で[史談往来在中]とお書き下さい。
あて先=〒141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[史談往来]係
◎[特別研究]のページは、プロの学者では、なかなか手を付けにくいテーマや未解決のテーマの発表の場です。研究発表ということですので、できるだけ論文形式でご執筆下さい。
【募集要項】
テーマは、考古学をも含め、先史から古代・中世・近世・近現代、さらに東洋史・西洋史まで、自由に選び、ご寄稿下さい。共同研究、共同執筆も歓迎いたします。
原稿枚数は、本文400字詰原稿用紙で15枚~20枚(6,000字~8,000字)。パソコン可。パソコンの場合は、ヨコ打ちで1行40字詰めで150行から200行。紙にプリントされたものと入力データも同封してください。
写真・図・表などがあれば、別紙にお付け下さい。
ただし、掲載は3枚以内といたします。
原稿の第1枚目に、題名(17字以内)と筆名(ふりがな)、そして必ず100字前後の内容紹介(自分が特にいいたいこと)をお書き下さい。第2枚目から本文をお書きいただき、末尾に氏名(ふりがな)・年齢・職業・肩書・郵便番号・住所・電話番号、出来れば200字前後の自己紹介文を添えて下さい。
原稿は返却しません。ご必要な方はコピーをおとり下さい。
締切りは、毎月20日とします。投稿のご紹介は、翌々月に発送の本誌『歴史研究』の[投稿作品紹介]でおこないます。
全文掲載作品の会員には、掲載号を2冊贈呈いたします。
封書の表には赤で[特別研究在中]とお書き下さい。
あて先=〒141-0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[特別研究]係
◎特集「物部一族の謎」平成30年5月20日締切
▽物部氏は、神武天皇東征以前にヤマトに入った「ニギハヤヒミコト(饒速日尊)」を祖とする古代の豪族ですが、蘇我氏との戦いに敗れ歴史の表舞台から消えていきました。 しかし全国には物部ゆかりの神社も沢山あり、参拝者も多いと聞きます。 そんな物部氏の物語に挑戦してみてください。
◆募集要項は、本誌『歴史研究』をご覧下さい。
◎歴史研究会の推奨図書
全国会員おすすめの良書です
*歴史研究会では会員からの推奨図書を順次ご紹介し、その普及のために努めております。ご注文方法は本誌挿入の会員応答係行葉書の通信欄にご購入希望の図書名・発行所名・注文冊数を記入の上ご投函願います。代金は後払い、現品到着後10日以内に現品に同封された振込用紙でご送金下さい。送料は無料ですが、受付手配料として一回につき何冊でも380円いただきます。このご案内は、平成28年12月20日現在です。いずれも新本限定品の会員特典販売ですので在庫切れの場合があります。その折りにはご連絡いたします。
『平家伝説と隠れ里』横山高治著 かんよう出版
*わずか半世紀に光芒を繰り返し、西海に没落する。それでも多くの平家武者は日本列島の山間僻地に落ちのび、ひそかに歴史の灯を守り続けた。そこに平家伝説が誕生、隠れ里が生き続けたのです。〈付録〉平家伝承・落人の里一覽。桓武平氏・伊勢平氏略年譜
1,620円のところ1,000円
『「近江源氏」物語』横山高治著 かんよう出版
*近江源氏佐々木一族は日本の歴史上、輝かしい豪族であり名族である。宇多天皇の皇子敦実親王の後胤から発祥、全国に広がり300万人の子々孫々。
故郷近江国はもとより全国各地にその栄光と遺産を残している。近江源氏佐々木一族の血流山河を偲ぶ。
1,620円のところ1,000円
『キリシタン雑記帖』横山高治著 かんよう出版
*キリシタンの黎明/キリシタン大名/キリシタン風説/北摂キリシタン異帖/隠れキリシタン関係略年譜。キリスト教への魅力、日本史を彩ったキリスト教の受難史には深い感銘を覚えた。この一冊はその感動的なキリスト教の歴史への熱い想いの一部である。
1,620円のところ1,000円
『卑弥呼の真実に迫る 京都府丹後に謎解きの鍵!』伴 とし子著 名窓出版
*『古事記』『日本書紀』が語らない真実の邪馬台国。丹後半島には海人族がいた海部郷があった。そこには古代の遺跡や豊かな伝説が残る。いま、大丹波が大きな力を持っていたことが明らかになる。
1,944円のところ1,300円
『日本書紀 書紀史官の遺託 我らの祖先の英知・機知・そして良心』老書紀人著 文芸社
*書紀史官とは日本書紀を編纂した人々を指し、遺託とは書紀史官が後世にし伝えたかった史実を指す。本書は史実の中から実年代に焦点を絞り、神武以下四十代の天皇と一人の皇后(神功)の実年代ついて、今日我々が理解し易い西暦に換算すると西暦○○○年であると解き明かそうとしている。
1,728円のところ1,200円
『「生きる力」は日本史に学べ』加来耕三著 青春出版社
*本書では、日本史上の人物たちの生き様を追いながら、現代を生きる我々が汲み取りたい生の真髄を明らかにする。彼らの行動や発言はどんな意味を持ち、歴史をどう変えることになったのか。人生の指針を発見出来る一冊。
1,080円のところ750円
『島津忠久と鎌倉幕府』野村武士著 南方新社
*謎に満ちた初代忠久の来歴と島津・薩摩の誕生。島津忠久の出自については、源頼朝落胤説など諸説あった。本書は忠久の来歴をはじめ、源平合戦や奥州合戦、あるいは鎌倉幕府成立以降、有力武士がことごとく抹殺されていく中でいかにして生き延びていったか、残された史料によって明らかにする。
3,024円のところ2,100円
『芝村騒動と龍門騒動 大和の百姓一揆』上島秀友/上田龍司著 青垣出版
*江戸時代、大和(奈良県)で二つの百姓一揆が起きた。一方は、豊かなはずの大和盆地の天領(幕府領)で、一方は吉野山間地の私領で。吟味(取り調べ)は過酷を極め、多くの犠牲者(獄死者)を出した。悲劇を風化させることなく、後世の人々に語り継いでいくことの大切さを描く。
1,296円のところ900円
『日本書紀 古代ヤマトを旅する』洋泉社
*〈編纂1300年を迎える日本最古の正史を徹底ガイド〉王権の誕生から倭の五王、崇仏・廃仏論争、乙巳の変、壬申の乱まで、ロマンを掻き立てずにはおかない古代史の舞台をめぐり、神話から目覚めた日本、その息吹を体感する。〈オールカラー版〉
1,296円のところ900円
『歴史読本 特集 古事記 日本書紀 風土記の神々』KADOKAWA
*〈記紀の神々の正体〉イザナキ/イザナミ/アマテラス/スサノオ/オオクニヌシ/ニニギ/ホヲリ/イワレヒコ/[特集ガイド]神話にまつわる一年の神事/〈大塚初重〉鏡はどこで作られたか? /ほか。
1,190円のところ600円
『歴史読本 特集 大坂の陣と秀頼の実像』KADOKAWA
*四〇〇年目の事実「豊臣体制」解体と大坂の陣/徹底研究!豊臣秀頼の生涯/秀頼誕生以前の豊臣一族/秀吉の関白任官と豊臣家/秀次事件の真相と秀頼/大坂城落城と秀頼の死/「豊臣摂関家」の滅亡/ほか。
1,190円のところ600円
『歴史読本 特集 徳川15代 歴代将軍と幕閣』KADOKAWA
*〈将軍を支えた最強ブレーン〉金地院崇伝/土井利勝/松平信綱/保科正之/柳沢吉保/新井白石/間部詮房/加納久/大岡忠光/田沼意次/松平定 信/水野忠邦/阿部正弘/井伊直弼/勝海舟〈総論〉江戸城とは何か/ほか。
1,190円のところ600円
『歴史読本 特集 争乱の古代史 古代日本国家成立への戦い』KADOKAWA
*倭国大乱/神武東征/ヤマト統一戦線/古代朝鮮戦争/継体天皇の戦い/有力豪族の戦争/乙巳の変/白村江の戦い/壬申の乱/ほか。
1,190円のところ600円
『歴史読本 特集織田信長 天下布武の衝撃』KADOKAWA
*〈同盟か徹底抗戦か 天下布武との戦い〉今川家・義元と氏真/斎藤家・道三と義龍/三好家・長慶と義継/朝倉家・孝景と義景/足利家・義輝と義昭 /本願寺・顕如と教如/武田家・信玄と勝頼/上杉家・謙信と景勝/ほか。
1,190円のところ600円
◎歴史研究会特別販売・誌上古書市=少部数本・貴重本・絶版本
*みなさんが死蔵している、あるいは処分したい歴史書を蘇らせるために[誌上古書市]を開きました。
また、東京の古書店や古書市で、会員の皆さんにお役に立ちそうな歴史書を見つけ、購入、掲載しております。
*テーマ・内容の紹介となっております。購入ご希望の方は本誌挿入の会員応答係行葉書に、掲載号と書名をご記入の上、ご投函ください。代金のお支払いは後払い、現品到着後10日以内に現品に同封された振込用紙でご送金下さい。希望売価は消費税込み、送料は無料ですが、受付手配料は一回につき何冊でも380円です。このご案内は平成28年12月16日現在です。品切れの場合には折り返しご連絡します。
『西都原市史 通史編 上巻・下巻・資料編・年表編』西都原市
(2016年・定価無し)希望価格4,800円・良
*古代から史跡の多い西都原市の歴史。歴史好きなら発掘調査の歴史を探る。
『一乗谷の基礎的研究―中世山城の構造と変遷』南洋一著
(2016年・定価無し)希望価格3,000円・良
*越前一乗谷の城としての詳細研究。
『古文書用字用語大事典』池田正一郎著/新人物往来社
(1995年・28,000円)希望価格2,000円・良
*頻繁に使われる文字は? 覚えておくべき文言は? 古文書の基礎。
『四條畷市史 第五巻 古代編』四條畷市史編纂室
(平成28年・定価無し)希望価格2,800円・良
*四條畷一帯の古代を詳細に伝える市史。
『古地図の知識100』岩田豊樹著/新人物往来社
(昭和52年・1,300円)希望価格600円・良
*古地図を読み解くポイントをわかりやすく解説。
『写真寄稿 心に残る「三国史」の言葉』小松健一著/新潮社
(2015年・1,500円)希望価格700円・良
*英雄達の生き様を追って踏破した中国大陸67,000キロ。
『織田信長 天下統一の謎 ムー歴史別冊シリーズ』学研
(昭和25年・850円)希望価格400円・良
*信長の天下統一を端的にまとめたムック。
『風雲 信長記 激情と烈日の四十九年 ムー歴史別冊シリーズ』学研
(1992年・1,300円)希望価格600円・良
*信長の49年の激烈な日々を記録と論考でまとめたムック。
『別冊太陽 徳川十五代』平凡社
(昭和51年・1,500円)希望価格700円・良
*徳川十五代の歴史と十五人の将軍達を各方面から探る。
『季刊「考古学」特集 天皇陵古墳のいま』雄山閣
(2013年・2,400円)希望価格1,200円・良
*天皇陵は今どのような状況か、何が問題になっているのか。
『熱田と信長秀吉』著/学研
(昭和48年・値段不明)希望価格300円・良
*第四回 熱田神宮文化史典も展示品解説。
『武田信玄 ビッグマンスペシャル 歴史クローズアップ 人物』世界文化社
(1995年・1,300円)希望価格600円・良
*武田信玄の生涯を軸に、戦国時代最強武田軍団の全貌。
『豊臣秀吉 その絢爛たる一生』別冊歴史読本/新人物往来社
(1995年・1,800円)希望価格600円・良
*戦国時代の巨人・豊臣秀吉の立体的な詳細伝記。
『イラストでみる戊辰戦争 別冊歴史読本ビジュアル版』新人物往来社
(昭和63年・1,000円)希望価格400円・良
*激動の幕末史の名場面をイラスト化。再現された歴史を体感。
『古式に見る 皇位継承「儀式」法典』別冊歴史読本/新人物往来社
(1990年・1,600円)希望価格800円・良
*即位礼と大嘗祭の絵図と解説、皇位の継承に伴う儀式の意味。
『改訂版 古式に見る 皇位継承「儀式」法典』別冊歴史読本/新人物往来社
(1990年・1,600円)希望価格800円・良
*即位礼と大嘗祭の絵図と解説、皇位の継承に伴う儀式の意味。
『不思議世界百科79』「UFOと宇宙」5月臨時増刊号/ユニバース出版社
(昭和54年・580円)希望価格300円・良
*妖精・10番惑星・宇宙エネルギー・バミューダトライアングルなど。
『日本百景と土産品 江戸明治Ⅰ 三都めぐり』平凡社
(昭和55年・2,000円)希望価格900円・良
*江戸から明治にかけての江戸・京都・大阪をめぐる。
『日本の名城 上 戦国武将と出会う旅』濱口和久著/聖林堂
(平成25年・1,600円)希望価格800円・良
*城に眠る歴史と物語を写真で表現する。
『坂本龍馬歴史大事典』別冊歴史読本/新人物往来社
(1995年・1,800円)希望価格600円・良
*龍馬に関する最新の研究成果をすべて網羅する決定版。
『山内一豊 日本の武将70』山本大著/人物往来社
(昭和41年・480円)希望売価2,000円・良
*秀吉のもとで大名となった山内一豊の生涯。
『日本城郭百科 城郭』西ヶ谷恭弘著/近藤出版社
(昭和63年・2,300円)希望価格600円・良
*全国各地の特徴ある城郭を解説。
『改訂増補 日本武道流祖傳』川内鐵三郎著/日本古式武道振興会
(昭和23年・150円)希望価格100円・良
*日本の武道の歴史と流派を総括。
『昭文 家紋家系事典』吉田大洋著/昭文社
(昭和54年・500円)希望価格200円・良
*家紋とその氏の詳細をコンパクトにまとめた本。
『和宮様の御生涯』樹下快淳著/人文書院
(昭和11年・不明)希望価格600円・良
*戊辰戦争終焉の立役者となった皇女・和宮の将棋。
『秘伝 大樹相法』石本有孚著/新人物往来社
(2008年・2,200円)希望価格600円・良
*樹木を人に見たてて運命を占う。初めての「大樹相法」の入門書。
『明治天皇』木村毅著/新人物往来社
(昭和49年・1,000円)希望価格500円・良
*大帝と呼ばれ、日本の近代化を牽引した明治の天皇の生涯を追う。
『図会 キリシタン風土記』岡田章雄著/毎日新聞社
(昭和50年・1,500円)希望価格600円・良
*キリシタン関連の史跡をめぐり写真で紹介しつつキリシタンの歴史を紹介。
『東洋美術選書 聖徳太子』上原 和著/三彩社
(昭和44年・580円)希望価格800円・良
*斑鳩法隆寺を主軸に、仏教美術から聖徳太子の謎に迫る。
『世界の姓名』講談社
(昭和52年・1,400円)希望価格500円・良
*世界の国々の人名を語源から由来に至るまで豊富な事例を交えて解き明かす。
『聖徳太子』白石 重著/動向社
(昭和52年・5,000円)希望価格2,500円・良
*聖徳太子を謎の人物にする伝承と記録を見直し、古代最大の人物像を描く。
『三国志「軍師」総登場』別冊歴史読本/新人物往来社
(1998年・2,200円)希望価格1,000円・良
*三国志に登場する軍師を紙上に再登場させ、立体分析。
『家系と家紋』能坂俊雄著/新人物往来社
(昭和46年・960円)希望価格600円・良
*氏素性を表す家系とそのシンボルたる家紋の基礎を解説。
『日本歴史新書 増補版 氏姓』阿部武彦著/至文堂
(昭和41年・490円)希望価格200円・良
*日本史を学ぶ上で基礎になる氏姓の基本を学ぶ一冊。
『軍師 竹中半兵衛』八尋舜右著/PHP研究所
(1994年・1,800円)希望価格600円・良
*秀吉の影に軍師有りといわれた半兵衛の活躍と思いを綴る一遍。
『新日本名所案内』週刊朝日編集部/朝日新聞社
(昭和41年・450円)希望価格300円・良
*作家75人による全国の新名所を訪れた新しい紀行文。
『家系系図の入門』太田亮著/人物往来社
(昭和42年・800円)希望価格300円・良
*著名な人物だけでなく、一般人の系図・ルーツの調べ方も紹介。
『登用文庫808 国語のため』上田万年著/平凡社
(2011年・3,200円)希望価格1,200円・良
*明治期、国語と国語学の確立を唱えた著者の講義論文集。
『山県有朋の「騎兵隊戦記』一坂太郎著/学研
(2013年・890円)希望価格400円・良
*山県有朋が明治の元勲まで上り詰めるその原点。
『地名・姓氏・家紋は一体である』丹羽基二著/新人物往来社
(昭和54年・1,300円)希望価格700円・良
*地名から姓氏が誕生し、その姓氏のシンボルとして家紋が生まれる。
『家紋』溝口清之監修・丹羽基二著/秋田書店
(1995年・8,500円)希望価格300円・良
*家の出自や経歴、血統や身分を語る家紋の世界。
『世界の国旗・国歌・国章・国花・国鳥』藤澤優著/頌文社
(昭和45年・3,800円)希望価格1,200円・良
*国のシンボルである旗・歌・鳥などの理由などを考察する。
『消された一族―清和源氏新田氏支流・世良田氏』清水昇著/あさお社
(平成2年・1,000円)希望価格600円・良
*新田義貞ともに戦い続けた世良田氏の新田。
『江戸川柳と庶民紋章』著/文久堂
(1995年・1,800円)希望価格600円・良
*江戸川柳と庶民の紋章を組み合わせたユニークな論考。
『校注 萬葉集新選』武田〓吉・沢潟久孝・久松潜一著/武蔵野書院
(平成3年・720円)希望価格300円・良
*戦前に初版が刊行された、万葉集研究。
『日本の名門200』中嶋繁雄著/立風書房
(1994年・1,500円)希望価格600円・良
*歴史上よく知られる名門200家を掲載
『日本の紋章』渡辺三男著/毎日新聞社
(昭和47年・1,000円)希望価格500円・良
*日本の紋章の歴史と種類を概説する
『征西府秘帳』森本 繁著/学研
(1995年・1,800円)希望価格600円・良
*南北朝時代、後醍醐天皇が打ち出した日本全国への皇子の派遣。その歴史。
『埼玉武芸帳』山本邦夫著/さきたま出版
(昭和56年・1,800円)希望価格2,500円・良
*新時代を目前にした時代の埼玉を舞台にした武芸の道を究める。
『歴史と人物10月号 特集/戦国落城悲話』中央公論社
(昭和46年・1,000円)希望価格580円・良
*戦国時代、戦いの果てに終に落城した、全国各地の城の物語。
『歴史読本臨時増刊74―12日本紋章総覧』新人物往来社
(昭和49年・580円)希望価格1,000円・良
*紋章の基礎知識とその背景にある歴史を知る。
『歴史読本特別増刊 事典シリーズⅡ 日本姓氏家系総覧』新人物往来社
(平成3年・1,500円)希望価格2,000円・良
*名字と家系から歴史を読み解く総覧。
『小京都一〇〇選』宮田 輝編/秋田書店
(昭和50年・1,200円)希望価格2,000円・良
*歴史と伝承を伝える全国各地の「小京都」を100選び、その魅力を探る。
『人物叢書 平清盛』五味文彦著/吉川弘文館
(1999年・2,100円)希望価格1,000円・良
*新史料の発掘を試み、政治動向の分析と併せて清盛の実像に迫る。
『人物叢書 持統天皇』直木孝次朗著/吉川弘文館
(昭和35年・280円)希望価格1,000円・良
*古代日本の律令国家確立に最大の貢献をした女帝の人物と時代を描く。
『安芸 毛利一族』河合正治著/新人物往来社
(1984年・2,100円)希望価格1,000円・良
*鎌倉期から関ヶ原合戦までの歴史を辿る。元就の厳島合戦での作戦にも触れる。
『織田信長(上)新鷹の巻』山岡荘八著/講談社
(昭和40年・290円)希望価格300円・良
*若き日の信長を描いた、山岡荘八の傑作。
『日本の顔顔顔…99』疋田 桂一郎・森本哲郎著/朝日新聞社
(昭和46年・580円)希望価格560円・痛
*朝日新聞「七〇年代の百人」と題して連載されたインタビュー記事の総覧。
『桑田忠親著作集 第四巻 織田信長』桑田忠親著/秋田書店
(昭和54年・1,900円)希望価格900円・良
*破壊の英雄ではなく勝れたアイデアマンとして評価されるべき信長の史伝。
『家紋の話―上絵師が語る紋章の美』泡坂妻夫著/新潮選書
(1997年・1,300円)希望価格2,000円・良
*遊び心と驚きの意匠。職人ならではの視点と軽妙洒脱な文章で綴る、極上の紋章入門。
『飛鳥・天平の華―古寺とみ仏』児島建次郎著/同朋舎出版
(1994年・2,300円)希望価格1,000円・痛
*仏像や寺院を造り、政治の民の間で受け入れられている仏教。
『國文學名家肖像集』永井如曇著/博美社
(昭和14年・8円50銭)希望価格3,000円・痛
*柿本人麻呂、紫式部、藤原定家ら日本史人物の肖像画を集めた集大成。
『年表 日本博物学史』上野益三著/八坂書房
(1989年・8,030円)希望価格5,000円・痛
*1500年間の博物学に関することがらを年表形式にまとめた博物学通史。
『宮廷公家系図集覧』近藤敏喬著/東京堂出版
(平成6年・9,500円)希望価格12,000円・良
*平安の王朝貴族から近世の宮廷公家まで、地下家も含めた壮大な公家系図集。
『徳川一族』清水昇・川口素生著/新紀元社
(2009年・1,900円)希望価格1,000円・良
*徳川家として一時代を築いた華麗なる血族。そのルーツから華族となった人々まで。
『御旗本物語』谷 有二著/未来社
(1989年・1,800円)希望価格3,000円・良
*戦国の末期から江戸にかけて歴史のうら側で活躍した陰の主人公たち。
『侍たちの北海道開拓』榎本守恵著/北海道新聞社
(1993年・1,500円)希望価格3,000円・良
*苦難の北海道開拓に従事した九士族団に あらゆる角度から光を当てた労作。
『華族制の創出』大久保利謙著/吉川弘文館
(平成5年・12,600円)希望価格10,000円・やや痛
*華族制の成立を主として政治過程の面から追求し、明治立憲制確立の重要側面を明らかにした。
『日本系譜綜覧』日置昌一著/名著刊行会
(昭和48年・8,000円)希望価格10,000円・やや痛
*日本における古代から平安時代までの系図と系図集の一部を紹介。
『歴史読本 大江戸おもしろまじめ役人大全』新人物往来社
(昭和63年・750円)希望価格1,500円・やや痛
*江戸時代のユニークな役人達が起こすユニークな事件。
『歴史読本スペシャル28 大江戸おもしろ役人全集』新人物往来社
(1989年・980円)希望価格1,500円・やや痛
*昔も変わらぬ役人の世界。
『日本外史(上)』頼 山陽著/岩波書店
(1976年・400円)希望価格1,000円・痛
*武家時代の平氏から徳川氏に至る漢文体の通史。その上巻。
『日本外史(中)』頼 山陽著/岩波書店
(1977年・400円)希望価格1,000円・痛
*武家時代の平氏から徳川氏に至る漢文体の通史。その中巻。
『藩制成立史の綜合研究 米沢藩』藩政史研究会著/吉川弘文館
(昭和38年・2,300円)希望価格2,300円・痛
*米沢藩の成立からその事情の物語と逸話。
『上杉氏分限帳』矢田俊文ほか著/高志書院
(2008年・23,000円)希望価格15,000円・良
*16世紀末から近世前期の上杉家の分限帳である資料を翻刻した史料集である。
『薩摩秘史 島津家の名家老種子島久基伝』家坂洋子著/高城書房出版
(1991年・1,500円)希望価格2,000円・痛
*様々な資料を細かくチェックし、その裏に潜む秘事を明らかにした歴史小説。
『大名華族』蜂須賀年子著/三笠書房
(1957年・240円)希望価格2,000円・痛
*大名華族はいかにして誕生しどのような歴史を生んだか。
『國史肖像大成』國史肖像大成輯纂所/富文館書店
(昭和6年・15円)希望価格1,000円・痛
*日本史に登場する人物の肖像画を集めた集大成。
『家紋の話―上絵師が語る紋章の美』泡坂妻夫著/新潮選書
(1999年・1,300円)希望価格1,000円・痛
*職人の視点と軽妙洒脱な文章で綴る、極上の紋章入門。収録図版約2千点。
『人物叢書 天草時貞』岡田章雄著/吉川弘文館
(昭和35年・1,800円)希望価格1,000円・痛
*キリシタンのリーダー・天草四郎を中心に島原の乱の全貌を紐解く。
『人物日本の歴史②天平の明暗』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*天平時代の明暗を政治と文化史から見る。
『人物日本の歴史③王朝の文華』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*雅な王朝文化の背後でくり広げられる策謀。
『人物日本の歴史④武士の挑戦』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*武士階級の発生に於ける将門の役割を中心に考察。
『人物日本の歴史⑤源平の確執』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*源氏と平家の争いだけで語りつくせない政治の事情。
『人物日本の歴史⑥鎌倉の群英』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*鎌倉時代を作り幕府を守った武士たちの群像。
『人物日本の歴史⑧将軍の京都』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*都に置かれた幕府のもとで華開く文化と動乱の空気。
『人物日本の歴史⑨戦国の群雄』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*下克上の世を席巻した英傑たちと天下統一への動き。
『人物日本の歴史⑩桃山の栄光』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*戦乱の後に生み出された豪華絢爛たる文化。
『人物日本の歴史⑪江戸の開府』小学館
(昭和50年・1,250円)希望価格800円・良
*戦いの時代の後に開かれた幕府の仕組みと様相。
*会員による会員のための珠玉の労作集
ここに、ご案内する図書は、歴史研究会出版局で編集された本です。詳しい内容につきましては、一部、歴史研究会のホームページ「インターネット歴史館」でご覧頂くことが出来ます。ご注文方法は本誌挿入の会員応答係行の葉書の通信欄にご購入希望の図書名と冊数を記入の上ご投函ください。会員は、定価+税の3割引です。代金のお支払方法は、後払いとなります。現品到着後10日以内に現品に同封された振込用紙でご送金ください。送料無料ですが受付手配料として1回につき何冊でも380円となります。このご案内は平成28年12月16日現在です。品切れの場合は折り返しご連絡いたします。
『花綵列島一九八三真珠湾』藤井滋生著 藤井昭彦書
*真珠湾奇襲が点火した太平洋戦争は、昭和の悲劇――をもたらしました。その由来は遠く戦国末期へ遡ります。(「はしがき」より)
A5判/200頁/定価926円+税
『在野史論 第15集』在野史論編集委員会編
*平成24年より平成28年までの4年余の全国歴史研究家・在野史学家のご寄稿を集めた名論文集、これまでの第15集~はすべて品切れとなっている。お早くご注文を。
A5判/304頁/定価2,000円+税
『ゆづりは―感謝をこめて―』所 京子著
*京都女子大学から60年間の「研究余録」、「教育随想」、 「身辺雑感」を、これまでの「感謝をこめて」私家版文集に、ご主人の所功先生が編した珠玉愛となる1冊である。
A5判/154頁/本体価格800円+税
『横山忠弘著作集Ⅱ』日本著作集編集委員会編
*本書は、『横山忠弘著作集』に続く、第2集であるが、特に、「横浜歴史研究会」や「中国の歴史と文化を学ぶ会」の会誌に投稿した論文を19編に絞り込んだ労作集である。
A5判/194頁/本体価格2,000円+税
『小笠原右近大夫貞慶』志村平治著
*武田信玄に敗れ没落した小笠原長時、その小笠原家を再興した小笠原貞慶の一代記。系図・婚姻関係図・関係史跡・年譜・参考資料など、信濃の戦国を知る基本図書である。
A5判/224頁/本体価格2,500円+税
『「倭人伝」の行程』蛭田喬樹著
*邪馬台国論の混乱は、その入り交じった文章にあり、これを修復せずに論議を進めることは出来ないとし、[里数]の謎を「ピタゴラスの定理」で解く究明の書である。
A5判/128頁/本体価格1,200円+税
『仙台藩の参勤交代』渡邊洋一著
*学校の教科書に掲載されたり、一般にも知られている参勤交代の実態を仙台藩を事例に解き明かす。特に、これまでの経済面ばかりで無く、文化面からも読み解いてゆく労著。
A5判/88頁/本体価格800円+税
『木曽義仲遺児「万寿丸」と安曇豪族「仁科氏」』曽山友滋著
*皇室公領と検非違使の存在に大きくかかわった安曇野の中世史末を叙述した郷土愛の研究書である。
A5判/96頁/本体価格1,000円+税
『堀江一族物語―越前堀江氏の足跡』堀江洋之著
*「信長の野望に翻弄された越前の雄、朝倉・堀江両家の葛藤」と副題された本書は、著者、二十年越しの願望であり、先祖の供養と子孫の栄誉のための一族研究書である。
A5判/128頁/本体価格1,200円+税
『それからの平家物語』藤井滋生著
*諸行無常・盛者必衰のことわり、その果てに平家は滅びず ――その延長線上で安徳天皇を追悼し、永遠の生命を称える若者たちの物語である。
A5判/128頁/本体価格700円+税
『横山忠弘著作集』日本著作集編集委員会編
*本書は、本誌『歴史研究』に掲載された「テーマ特集」や所属される会誌に発表の作品を年代順におさめた永年にわたる執筆活動の結晶であり、わが歴研の誇りとなっている。
A5判/288頁/本体価格3,000円+税
『もうひとつの古代史─日本建国史試論─』村島秀次著
*神武天皇は伝承上だけの人物であっただろうか? 神武天皇は一体どこから来たのか? 神武天皇の生きた時代を特定することは可能か? 日本建国史の謎を解く注目の試論。
A5判/88頁/本体価格800円+税
『嗚呼、ノスタルジア柏ノ城―悲恋伝説の城』矢部勝久著
*柏ノ城は埼玉県志木市に位置し、後北条氏武蔵十三ヵ城のひとつとして知られるが、この城に思いをこめた労作である。
A5判/232頁/本体価格2,000円+税
『邪馬台国研究の最前線2015年版』別冊歴史研究編集部編
*全国の在野史家二十六人による珠玉の邪馬台国研究成果!
これからの邪馬台国研究の指針となる必読書として好評。
A5判/272頁/本体価格2,000円+税
『やさしい日本女性史入門―古代から現代まで実話による女性の生き方―』中津攸子著
*日本史の中で女性はさしみのツマのように時折、顔を出します。〝申しわけ程度の添えもの〟といった感じです。日本 の女性史は、それでよいのでしょうか。
A5判/224頁/本体価格2,000円+税
『幕末、残り火燃ゆ―桜田門外変後の水戸藩と天狗党の変―』入野 清著
*平成26年は天狗党の変から150年! 現在の我々に、そして、次世代に水戸浪士隊は何を伝えようとしたのか?
A5判/224頁/本体価格2,000円+税
『卑弥呼と邪馬台国』新邪馬台国G5サミットin吉備編
*邪馬台国論争は九州と畿内の間で繰り広げられてきたが、それ以外の可能性はないのか。
A5判/200頁/本体価格2,000円+税
『鬼道の経典古事記を読む―仏教以前の倭の世界―』配山 實著
*卑弥呼が事えた鬼道の正体『古事記』がわかれば『聖書』もわかる……。
四六判/288頁/本体価格2,000円+税
『藤田能登守信吉』志村平治著
*北条・武田・上杉と主を変え、最後に徳川大名となった藤田能登守信吉の生涯。
A5判/128頁/本体価格2,000円+税
『伊勢新九郎―真説による戦国大名の先駆け北条早雲―』小林保一著
*まだわからない箇所が沢山ある北条早雲、また名を伊勢新九郎ともいう。その生涯について、研究した労作。
A5判/96頁/本体価格800円+税
『南朝の雲烟遥かなり』山地悠一郎著
*富士噴火と浅間神社の変遷、護良親王とひなづる姫、南朝史観とは……。
A5判/188頁/本体価格1,800円+税
『人生の伝言』人生の伝言編集委員会編
*歴史研究会創立50周年出版事業で誕生、全国より101人が参加、寄稿の〝珠玉随想録〟
A5判/272頁/本体価格2,000円+税
『信濃屋代一族―屋代越中守秀正』志村平治著
*信濃に発祥した屋代一族――戦国時代は村上氏の重臣となり、武田氏の遺臣・屋代秀正は徳川家康に仕え、家門を守った。
A5判/192頁/本体価格2,000円+税
『人の世の姿』田中春二著
*正しく自分を見つめて―早く、自分の燈明を点火する為の手引き。
A5判/80頁/本体価格800円+税
『古希随想―歴史と共に七十年―』所 功著
[付]略歴・著者目録
*人生七十年の歩み、多彩な人々との出会い、研究、奉仕活動。
自分史をまとめたい方の為の指針としておすすめしたい。
A5判/112頁/本体価格700円+税
『越後村上氏二代─村上周防守 義明と忠勝─』志村平治著
*丹羽長秀に仕え、豊臣秀吉に見出され、越後村上城主となった村上義清の子孫。
A5判/192頁/本体価格2,000円+税
『古事記が語る神話の世界――民族最古の文化遺産――』片山和男著
*『古事記』献上1300年の記念出版! そこに、日本人の知らない世界が存在する! 驚天動地の民族の歴史。
A5判/208頁/本体価格3,000円+税
『徳川千姫読本』内海昭佳著
*俗説・妄説を糺し、その生涯・時代背景を究める。千姫の名誉回復のために、世に問う思い込みの一冊。
A5判/192頁/本体価格2,000円+税
『荻田一族』志村平治著
*上杉謙信・景勝、結城秀康などに仕え、徳川家康より辻が花染小袖を拝領した荻田長繁、そして荻田本繁と越後騒動。
A5判/128頁/本体価格1,500円+税
『加須と大桑─なぜ「かぞ」と「おおが」なのか─』野本誠一著
*埼玉県加須市の地名に疑問を持ち、約二千冊の文献から、その語源を探る研究書。
A5判/64頁/本体価格800円+税
『「日本甲冑の新研究」の研究』石田謙司編著
*山上八郎著の名著「日本甲冑の新研究」─その出典総索引。
A5判/194頁/本体価格3,000円+税
『吉備の邪馬台国と大和の狗奴国』若井正一著
*邪馬台国吉備説を提唱! わが国建国の謎を解く。
残部5冊 A5判/144頁/本体価格1,200円+税
『上野焼尊楷渡来の研究』毛利亮太郎著
*誰が上野焼を創った尊楷を連行してきたか? 毛利吉成説の確立。
A5判/上製/294頁/本体価格3,000円+税
『出雲の青銅器と神話』荒井登志夫著
*荒神谷遺跡は国引き神話のメッカであったと解明する。
A5判/64頁/定価800円+税
『古城址物語(中)』黒瀬川成穂著
*南朝再興の使命の下に足利幕府に抵抗した皇子たちの館城を訪ねて。
A5判/224頁/本体価格2,000円+税
『第一線労働基準監督官の回顧録』加藤卓雄著
*戦後労使の新時代、紛擾の間に立って──昭和史の貴重な記録。
B6判/192頁/本体価格2,000円+税
『大野寺ゆかりの空海建立十四か寺』大塚唯士著
*天智天皇の勅願寺といわれる徳島県最古級の名刹と空海の関連寺。
A5判/116頁/本体価格1,200円+税
『風林火山の女たち』中津攸子著
*戦国乱世に生きる! 信玄をとりまく二十四人の生涯。
B6判/192頁/本体価格1,500円+税
『海からみた卑弥呼女王の時代』道家康之助著
*洛陽への海、卑弥呼の水軍などから邪馬台国を探る
A5判/96頁/本体価格1,000円+税
『わが郷土は荘園の地』矢部勝久著
*埼玉県の志木市・旧、広沢ノ庄館ノ郷のルーツ研究
A5判/64頁/本体価格800円+税
『album 猫 鏡』松尾洋子 写真・文
*愛猫の自然な姿を写した、こころなごむ写真集。
返品2冊あり A4変型判/46頁/本体価格1,500円+税
(以下、続刊、準備中。ご期待下さい)
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★東日本大震災義援募金のお礼とご報告
このたびの大震災にあたり、全国歴史研究会では、東日本大震災義援有志の会(略称・義援の会)を設立し、募金活動を平成23年3月17日より同年11月30日までおこなって参りました。
その結果、義援の会には全国会員を中心として76名と5団体の方々から、計343,707円の義援金をいただきました。
この見舞金は、12月10日、仙台市太白区中央市民センター大会議室において[東日本復興支援研究発表大会]の開催にあたり、被災地を代表して、同大会実行委員長の渡邊洋一様にお届けいたしました。[東日本復興支援研究発表大会]には、石巻市図書館の庄司恵一先生、npo宮城歴史資料保全ネットワーク・蝦名裕一先生、東北芸術工科大学教授入間田宣夫先生、白河市の植村美洋先生と、各地からお集まりいただき、震災についてのご講演をいただきました。震災現場での現実的な救援が問われている時に、「歴史文化」なのかと思われがちではあっても、歴史資料を必死で守り、次世代へつないでいくことの意味を被災地からの声として訴えられ貴重な講演となりました。
これを機縁として、全国の会員のみなさんとのご縁をさらに大切にしてまいりたいと考えておりま全国のみなさのご協力・ご支援に衷心より厚く御礼申し上げ、ご報告といたします。ありがとうございました。
東日本大震災義援有志の会
世話人 吉成 勇
【ご寄付をいただいた方々と団体】
福田敦子/近藤太一/石田謙司/鷲﨑弘朋/坂本花子/高橋倭子/吉成 勇/山崎由美子/岩村令子/岩村静子/岩村律子/岩村秀一郎/岩村憲二/荒木佐江子/前田貞治/中野正一/長山ゆき子/兵庫歴史研究会/阪本信子/山崎長次/土田和美/富田俊彦/大路和子/西山芳子/志村平治/村本 博/菊池恒夫/泉 浩一/藤本一雄/鷲澤 博/世安順三/竹本弘子/堀江洋之/小泉結香/秋山邦一/鳥越由美子/三堀八郎/森下正義/池田勝宣/荒濵 茂/木庭實治/松尾 光/石川 章/奈佐 玲/中名生正己/徳永 修/松田 剛/清沢和子/細井龍夫/所 功/青木利治/松尾 光②/坂本花子②/高橋倭子②/中国の歴史と文化を学ぶ会/荒濵 茂②/小浜一男/小林啓介/髙井裕康/佐藤政世/世安順三②/杉原幸晴/浅見 実/匿名希望/中国の歴史と文化を学ぶ会②/梅村伸雄/九州の歴史と文化を楽しむ会/菊池秀夫/斉藤芳子/片山和男/山崎由美子②/古賀宣子/坂本花子③/竹村紘一/舟嶋 宏/五味清人/江戸の歴史研究会/細井龍夫②/坂本花子④/細井龍夫③/山内みな子/岩谷隆行
(敬称略・記帳簿順・丸囲み数字は募金回数)
★邪馬台国研究大会について
――邪馬台国問題を総合的に検討するために、専門家と在野の研究家が合同で研究の成果を発表する全国大会です。
日時 2011年7月16日(土) 10:00~18:00
場所 早稲田大学西早稲田キャンパス(理工学部)63号館2F会議室
主催 全国歴史研究会(事務局:「邪馬台国研究大会」実行委員会)
定員 300名
内容 基調講演
畿内説 石野博信氏(兵庫県立考古博物館館長)
九州説 安本美典氏(元産業能率大学教授)
特別講演「古代漢字研究における魏志倭人伝原文の解読~卑弥呼は遷都していた~」
畿内説 岩元正昭氏(北京大学医学部名誉顧問)
「年輪年代法と炭素14年代法の問題点」
九州説 鷲崎弘朋氏(歴史研究家)
各研究家の邪馬台国論発表 8名予定
特別ゲスト 大塚初重氏(明治大学名誉教授)
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10 五反田ハイム504
歴史研究会「邪馬台国研究大会」実行委員会
FAX 03・3779・5063 メール zrkk@rekishikan.com
ホームページ http://www.rekishikan.com/「全国歴史研究会」で検索
全国歴史研究会本部常任理事会を下記の次第で開催いたしたくお知らせいたします。 ご多用の中、恐れ入ります。
▼日時:2019年07月06日(土)午後12時30分~午後1時
▼会場:五反田文化会館 第1会議室
〒141-0031
東京都品川区西五反田1の32の2
電話03-3491-4010
▼議題:近況報告会
※会場準備の都合上、出欠をメール・FAX・お電話などで本部事務局あてにお知らせ下さい。
尚、この日、同じ会場で「祝[令和]記念 講演会」がおこなわれます。 引き続き、ご参加いただければ幸いです。
[松尾塾]のおさそい
塾長 松尾 光 先生
★私たちが教わった日本史の数々の知識や理解は、本当にそれでいいのでしょうか。
尊敬する先生が「間違いない」と仰ったから、「それが正解だ」と○をつけてくれたから、自分で確かめもせず、それが正しいと思い込んでいるだけではないですか。その知識や理解は、もしかして現代人特有の事情を投影して思い込んだものだったり、ときの政府やある人たちが特定の意図で流した筋書きを鵜呑みにしたものではありませんか。
★「松尾塾」は、塾長の50分~60分の話の後、30分~40分ていどの討議時間を設けます。これについて情報を持っている方には、「お教えください」とか、「その理由はなんですか」と討議して進めていきたいと思います。一方的な講義ではなく、問題点の発掘や意見の交通整理をも考えています。(塾長から)
[松尾塾]夏季講習会のご案内
■連続講座『思い込みの日本史』を究める
★テーマ〈事実・史実・そして真実〉
●日 時
平成28年8月27日(土)午後2時00分~午後5時00分
●会 場
東京都品川区西五反田1の32の2 五反田文化会館
電話03・3491・4010(希望者に案内図送ります)
●塾 費
2,000円
●申込方法
下記の申込先まで、郵送かFAXでお申込み下さい。
折り返し参加申込書をお送りいたします。
【申込先】
〒141ー0031
東京都品川区西五反田2-14-10-504
歴史研究会〈歴研大学〉[松尾塾]
TEL03・3779・3127 FAX03・3779・5063
★全国歴史研究会では、新年号「令和」と歴史研究会創立61周年を祝して、次の次第で、特別講演会を開催いたします。
★会員外の方も、大歓迎です。多くの方々をおさそい下さい。
一、日 時
令和元年7月6日(土)午後2時より午後5時まで
(当日受付開始=午後1時30分より)
一、会 場
五反田文化会館
(下記の案内図をご覧下さい)
東京都品川区西五反田1の32の2
℡03・3491・4010
一、テーマ
①演題=「神武天皇ゆかりの地を訪ねて」
講師=馬場範明先生(全国歴史研究会常任理事)
*新元号が発表され、新たな天皇が誕生された。
はるか昔、大和朝廷と呼ばれた古代から皇室は存続し、国民から尊崇されてきた。その初代が神武天皇であると伝わる。大和朝廷の九州に残された痕跡と伝承をゆかりの地に訪ねて、神武東征を再検証し、我が国の建国の真実を探ってみたい。
*歴研より『大和朝廷の源流 新・神武実在論』を出版。当日展示即売。
②演題=「〈皇后陛下・雅子様〉と越後村上藩士・小和田家」
講師=川口素生先生(本部会員・歴史研究家)
*皇后陛下・雅子様の御実家である小和田家は越後村上藩士の家柄で、祖先には柔術家、名代官、教育者、学者、海軍の提督、神道家、企業経営者といった著名人が多い。エピソードを交えつつ、雅子様の祖先の系譜を紹介する。
*KADOKAWAより『小和田家の歴史』を出版。当日展示即売。
一、参加費
無 料(定員50名、必ず事前の申込を)
2019年6月号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
新天皇陛下は歴史家の格別な御手本…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】いわゆる「万石陪臣」の家数について…榎本秀和・8
【会員随想】見たのは「ユーホー」? それとも〈陽気か妖気球〉…清水勝也・10
【会員随想】歴史の渦の中に消えた二人…川本斉一・12
【会員随想】出雲の理想郷と鎌倉神社…田中真生雄・14
【会員随想】能登内親王…有元松名・16
◎特 集 戦国落城秘話
祖父のかたき討ち…吉岡健二・20
築城で運を開いた男…奥田 豊・22
長久手城の戦い…前川浩一・24
おきく物語と大阪城今昔…唐川雅爾・26
常州谷田部城争奪戦…毛矢一裕・28
大寧寺の変…永野卓也・30
信濃志賀城の悲劇…志村平治・32
能登の龍この恨み晴らさでおくべきか…夢酔藤山・34
八王子城―落城月に咲く花…小澤真里・36
伊丹有岡城落城時に於ける研究について…加藤照也・38
新府城落城と武田氏滅亡…大澤俊彦・40
上杉武士の心意気を示した魚津城の落城秘話…竹村紘一・42
国府台城の夜泣き石…中根一仁・44
信長軍に攻め落とされた城主たち…藤波大三郎・46
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
活かされて生きる自分自身への誇り…北山 學・48
男のプライド…阪本信子・49
一子相伝の印章相学…源 真里・50
我が両親と妻の誇り…小俣公司・52
◎古文書講座
役人饗応等の禁止令 …庄司恵一・57
◎歴史学講座〈中級編〉第七十三回
日本史の謎徹底検証(その二十)…加来耕三・64
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟 …中津攸子・72
狗奴国の「琉球本国説」採用の必然性 …小原正哉・76
大陸文明の伝来と大和朝廷 …橋本晋吉・86
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第十九回)
電気釜の発明と(家電)三種の神器…渡邊洋一・68
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
[追悼の辞]針 靖人さんの死を悼む…加藤導男・97
特集テーマ原稿募集…・98
[特別研究]原稿募集…・99 [史談往来]原稿募集…・99
応募作品紹介…・100
会員紹介…・103
会員交流…・104
【会報・会誌紹介】『あいち歴研会誌 第159号』
『城だより 第604号』『龍馬速報 第143号』ほか・106
【寄贈図書紹介】『昭和天皇の大御歌』『前島 密の構想力』
『日本書紀を歩く③』ほか・109
連携団体レポート…・110
★神奈川歴史研究会
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★横浜歴史研究会
★静岡県歴史研究会
★先古代史の会
★小山田信茂公顕彰会
★家系研究協議会
歴研本案内…・114
誌上古書市…・116
誌上推奨展…・118
本部歴研だより…・122
事務局日誌…・124
渡邊華璋・画
表紙写真/八王子城跡の景観(東京都八王子市)/会員提供
募集テーマ/「刀剣女子の体験記」
募集団体/歴史研究会事務局*2017-07-29(土)
募集要項/
――月刊『歴史研究』では、エッセイ「刀剣女子の体験記」を募集します。
刀剣の歴史、刀剣と旅、刀剣の魅力、刀剣との出会い、刀剣乱舞への思い、様々な刀剣への思いを、エッセイとして投稿下さい。
*1000字以内、または2000字以内(1頁または2頁)
*原稿は、パソコン原稿の場合、紙にプリントされたものと入力データも同封して下さい。(添付ファイルも可、その場合でも紙にプリントされたものは必ず送付)
*締切はありません。随時募集。随時発表。
*会員、非会員どちらも可。
*掲載作品には、掲載号を五冊贈呈。紹介者がいる場合には、紹介者にも五冊贈呈。
*あて先=郵便番号141・0031 東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会[刀剣女子]係
住所・氏名(ペンネーム可)・年齢・職業・肩書等をお書きの上、応募下さい。
*お問い合わせ= 歴史研究会ホームページ
「インターネット歴史館」(http://www.rekishikan.com/)にメールを
または電話03-3779-3127まで
2019年5月号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
元号考案者目加田誠博士の郷里墓参…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】歴史を歩く…沼田広慶・8
【会員随想】九文字の史書・日本旧記…野呂 崇・10
【会員随想】瀬戸の染飯…斎藤秀夫・12
【会員随想】北条五代の娘たち…小澤真里・14
【会員随想】菩薩を見ました…椋本千江・16
【掃苔行脚】昭和天皇の師 ~服部宇之吉の墓~…金子千滋・18
◎特 集 行基の謎
行基をめぐる基礎知識…松尾 光・22
伊丹市に於ける行基と昆陽寺の研究について…加藤照也・32
奈良朝の仏聖・行基菩薩…橋本晋吉・34
葡萄と大善寺…大澤俊彦・36
時代に適合した行基の活動…藤波大三郎・38
行基集団と知識結…乾 浩・40
真間弘法寺の縁起より…染谷佳子・42
◎特別研究
北の屯田と勇威城…土井重男・46
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
若狭の勤王僧村上北洲…村上利夫・54
俺たちの誇り…松隈茂喜・56
「師」を選択…八木輝夫・57
出戻り息子が、自慢の両親を語る…豊城武久・58
◎古文書講座
二人の孝行者の表彰申請 …庄司恵一・66
◎歴史学講座〈中級編〉第七十二回
日本史の謎徹底検証(その十九)…加来耕三・76
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟 …中津攸子・86
古代天皇の個々の在位年数をどう決めるか …小原正哉・90
建国記念日を迎えて 日本の歴史を考える …三浦延之・98
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第十八回)
セーラー服のはじまりと学生服…渡邊洋一・80
◎わが著書を語る
増補改訂版『咸臨丸の絆』…宗像善樹・84
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集…・102
[特別研究]原稿募集…・103 [史談往来]原稿募集…・103
応募作品紹介…・104
【会報・会誌紹介】『城だより 第603号』
『新選組友の会ニュース162』『長野 第312号』ほか・106
【寄贈図書紹介】『西郷どんの西南戦争 田原坂の戦い』『戦国文書調査マニュアル』『上越の史跡と人物』ほか・108
連携団体レポート…・110
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★横浜歴史研究会
★大阪歴史懇談会
★神奈川歴史研究会
★常総歴史研究会
★江戸の歴史研究会
歴研本案内…・114
誌上古書市…・116
誌上推奨展…・118
本部歴研だより…・122
事務局日誌…・124
渡邊華璋・画
表紙写真/近鉄奈良駅の行基像/会員提供
題 名/「日本史の謎に迫る明智光秀子孫研究」
筆 者/渡辺 伝七郎*2017-07-29(土)
はじめに/谷本英子さんのご研究を拝読いたしました。
長年の努力に敬意を表します。
本 文/
歴史は後世の人々がとらえた過去ですから、いつまで経っても未知の部分があり、実は本当のところはわからないのが現実だと思います。それを自分なりに調べて見ることが歴史を勉強する面白さの一つだと思っています。
明智光秀の子孫についても、タレントのクリス・ペプラーさんや明智憲三郎さんと言う方が子孫ではないかという番組をBSテレビで放映していたことがありました。天海僧正が光秀ではないかとの話も有名です。
千葉県市原市にも「光秀側室の墓」と刻まれた石碑があり、代々子孫と名乗る方がいらっしゃるそうです。書き物ではなく口述による一子相伝で伝えていく手法も共通しているようです。
日本史のなかには未だに謎が解明されずに素人の探究心をくすぐる出来事が多々あります。
「邪馬台国」「平家落人伝説」「空海の足跡」「安徳天皇生存説」「元寇と神風」「山本勘助の素性」「豊臣秀頼の生存説」「絵島生島事件」「公明天皇の怪死」「徳川埋蔵金」「西郷隆盛の顔」などなど素人の私でも思いつく出来事がたくさんあります。
こんな興味深い出来事を面白く解説してくれる研究発表を楽しみにしております。
2019年4月号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
天皇陛下ご在位三十年記念式典の「おことば」…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】上総七里法華…中根一仁・8
【会員随想】後鳥羽神社と御陵…岩﨑淳子・10
【会員随想】京都見廻組 世良敏郎の墓…勝山 英・12
【会員随想】邪馬台国のロイヤルファミリィ…森野修範・14
【会員随想】皇女和宮と信州中山道…服部 瑛・16
【掃苔行脚】戦国武将堀尾吉晴のふるさと大口町と「裁断橋物語」…加藤健太郎・18
◎特 集 ふるさとの文化遺産
沖縄県令になった上杉茂憲と首里城…樋口慶伍・22
チャシと太陽カレンダー…樋田竜男・24
ふるさと〝若狭小浜〟の文化遺産…内藤徹雄・26
私のふるさと―古代の「宇陀・阿騎野」―…橋本晋吉・28
ハワイ移民と島の文化…乾 浩・30
和歌山県橋本市の国宝「隅田八幡神社人物画像鏡」…萱嶋定彦・32
◎特別研究
津田左右吉説の検証…太田輝夫・36
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
「道楽」と揶揄されながら五十年の学会活動…髙橋雅夫・44
健康の恩返し…宮田五男・47
いとしき妻よ、娘、孫…安居隆行・48
ある医師からいただいたわが命…片倉 穰・49
わが人生の誇り…小山田勢津子・50
わが人生の誇り…渡会やよい・52
◎古文書講座
枯れ木払い下げ願い…庄司恵一・59
◎歴史学講座〈中級編〉第七十一回
日本史の謎徹底検証(その十八)…加来耕三・68
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟…中津攸子・78
天皇曲線の解析を生物学的年代論と呼ぶ理由…小原正哉・82
景行天皇推定即位年…鈴木泰全・90
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第十七回)
ランドセルの起源…渡邊洋一・72
◎わが著書を語る
『「雪風」に乗った少年』…小川万海子・76
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
特集テーマ原稿募集…・96
[特別研究]原稿募集…・97 [史談往来]原稿募集…・97
応募作品紹介…・98
【会報・会誌紹介】『城 第228号』『城だより 第602号』
『会報「江戸」第159号』ほか…・104
【寄贈図書紹介】『幕末・維新人物伝 小松帯刀』
『天皇氏族 天孫族の来た道』ほか…・108
連携団体レポート…・110
★横浜歴史研究会
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★常総歴史研究会
★神奈川歴史研究会
★先古代史の会
★大阪歴史懇談会
★小山田信茂公顕彰会
★江戸の歴史研究会
歴研本案内…・116
誌上古書市…・118
誌上推奨展…・120
本部歴研だより…・122
事務局日誌…・124
渡邊華璋・画
表紙写真/埼玉県細川紙(全国重要無形文化財保持団体ホームページより)/会員提供
題 名/「漸く 北方領土よ帰って来い!」
筆 者/小滝 晴子(全国歴史研究会本部会員)*2018-04-13(金)
はじめに/
過日予告「松浦武四郎・最上徳内の活躍」の上テーマに入りつつある、会員小滝晴子です。その過程、嘆かわしいニュースを見聞、胸を痛め、歴研同志のご賢察を伺いたく、電子版に一筆投稿致します!
本 文/近々日のTV!! 娯楽と一笑に付すべきか? とも思いますが、「聖徳太子は存在しなかった」と、著名史学者が述べ、若い世代は異口同音に厩戸王と、答えているのです。確かに、教科書記載が既に、厩戸王ウマヤトオウ(=聖徳太子)になっております。不肖私としては、聖徳太子の呼称はご生前の呼称では無く、尊敬の呼称、後世、いわゆる、諱いみなであろうと、理解していました。尊敬の極致=神と祀られれば、菅原道真=天神様、徳川家康=権現様。新事実が発見されても、過去の歴史そのものも、歴史です。せめて、不確かな内容には、傳{云々然々}として、真偽を区別するに、吝かならず。そのように記述呼称した歴史自体も歴史的事実であったはずであり、単に消去、変更・削除すれば可とは思えません。
識者諸氏のご見解をお待ちしております。
付記
現代的戸籍は壬申戸籍1871年戸籍法公布からであり、お寺の過去帳などがその代わりになったようですが、幼名から成長するに従い、呼び名も変わり、元服などで身分にふさわしい呼称に落ち着く。それも、役職や、主君からの褒章・また、品格の上昇に伴い、名字=苗字・名前・呼び名を変えることは、常用の常套手段・一般習俗であった。
源義経 牛若丸 九郎判官 義経
那須余市=与一 (十一番目の子)宗高
歴研諸氏は例を上げずとも、お分かりかと思いますので、失礼申し上げます。(了)
筆者紹介=こたき はるこ
海外音楽研究会主宰。
早稲田大学東洋哲学会会員。
神奈川県川崎市在住。
2019年3月号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]
高齢化社会を共生する新元号「和成」…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】鎌倉宮の星…きし亀子・8
【会員随想】和気清麻呂と猪…大澤俊彦・10
【会員随想】アメリカザリガニの話…後閑正尚・12
【会員随想】古代史に記された故郷…有元松名・14
【会員随想】元号(年号)の歴史…橋本晋吉・16
【掃苔行脚】西南戦争警視隊ゆかりの味めぐり…河内貞芳・18
◎特 集 三浦一族の謎
相模三浦一族の基礎知識…鈴木かほる・22
近世大名としての三浦氏…髙井正行・34
三浦氏の流れをくむ周防仁保氏の興亡録…竹村紘一・36
老将のつないだ希望…夢酔藤山・38
三浦一族と房総…乾 浩・40
三浦義村が守ったもの…松田澄男・42
安房正木一族…中根一仁・44
◎特別研究
世界神話の起源…尾上深雪・46
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
先学(天文年代学者)を励ましたのがわが人生の誇り…大谷光男・54
御当会への慶賀の辞…岩谷隆行・55
人生の決断と再生…川村一彦・57
母親の格言…吉岡健二・58
◎古文書講座
重臣の帰国と人足の拝借願い…庄司恵一・67
◎歴史学講座〈中級編〉第七十回
日本史の謎徹底検証(その十七)…加来耕三・76
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟…中津攸子・86
論説【原田常治氏の業績は「トンデモナイ」ものか】…小原正哉・90
「承久の乱」京都朝廷側参戦 三浦一族の諸相について…川本斉一・100
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第十六回)
近江商人とその起源…渡邊洋一・80
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
会員紹介…・117
特集テーマ原稿募集…・118 [特別研究]原稿募集…・119
[史談往来]原稿募集…・119
応募作品紹介…・120
【会報・会誌紹介】『郷号№4』『城だより 第600号』
『近時新聞 第34号』ほか…・124
【図書資料紹介】『開成をつくった男 佐野鼎』『雑学の泉 13』
『越後史跡紀行~歴史と人物~』ほか…・127
連携団体レポート…・128
★横浜歴史研究会
★小山田信茂公顕彰会
★常総歴史研究会
★神奈川歴史研究会
★先古代史の会
★大阪歴史懇談会
★三重歴史研究会
歴研本案内…・132
誌上古書市…・134
誌上推奨展…・136
本部歴研だより…・138
事務局日誌…・140
渡邊華璋・画
*表紙写真/三浦義明座像(満昌寺 横須賀市ホームページより)/会員提供
題 名/「激動戦国を生き抜いた明智光秀の長子光慶」
~明智光秀の長子光慶は、鹿児島大崎に逃れた~
筆 者/谷本 英子(全国歴史研究会本部会員)*2016-08-06(土)
はじめに/
明智光秀研究の第一人者高柳光寿著『明智光秀』によると、――
《フロイス書状によれば、坂本落城の際、明智の二子はそこで死んだという。長子は十三歳で、欧州の王侯とも見えるような優美な人であった。彼らは今日までも現れないから、噂通り死んだのであろうと思われるが、逃げたというものもある、とある。(略)それにしてもフロイスが光秀の長子を欧州の王侯のように優美であったというのは、光秀その人の教養を語っているものともいえるであろう。》
とあります。宣教師ルイス・フロイス(1532~1597)は、キリスト教布教のため、日本にやってきて、名ある戦国武将と交流があり、日本での出来事等を情報収集して、本能寺の変以後に光秀の長子が逃げた旨を本国ポルトガルに書状を送っているように、明智光秀の長子光慶は、坂本城あるいは亀山城から逃げたと伝承されています。
本 文/
私こと谷本英子(旧姓:柳別府)は、明智光秀・光慶直系の末裔です。開門岳(別名:薩摩富士)の麗姿を西に見る大隅半島南東部に鹿児島県曽於郡大崎町下永吉柳別府村があり、この地で子ども時代、父母姉弟五人で過ごした。どんの下と呼ばれる場所に住み、どんの上には、祖母の家がありました。
大崎町は、古くから都(奈良・京都)と大陸(朝鮮半島・中国等)との交易要衝の地として栄え、縄文・弥生遺跡が確認されています。古墳時代には、全長132mの前方後円墳横瀬古墳が築造されています。平安末期には、平家の貴人が柳別府近くの宮園に逃れたと伝えられ、宮園氏系図によると安楽城主平氏の末裔となっており、宮園家の墓地には、宝塔が数多く並んでおり、中には鎌倉期中期以降と思われるものもあります。1470年、肝付兼光が大崎城を築き、この時代、大崎では、竜相城、野御城等の山城が築かれました。1577年、島津氏の支配下となり、新大崎城が築造されました。
子どもの頃、柳別府の山城のような小高い山頂に立つと、朝な夕なに潮の香りが届き、そこから南に目を向けると松林が見え、その向こうには黒潮洗う桜貝の海・志布志湾、そしてはるか向こうには太平洋の水平線が見えました。今、その一帯は、白砂青松の景勝を誇る日南海岸国定公園(横瀬海岸、大崎海岸〈くにの松原大崎〉など)に指定されています。7キロにも及ぶ松林を北に向かい、小さな部落中尾村を抜けると田園の中を一本道が走っています。かつて田園を遮る山坂の入口には氏神どんが村の守護神として祀られていました。月初めと十五日には、村人達がお供え物を持参して登ると一段高い小山の上に、亡き父(明治三十六年~昭和三十二年)の生家、柳別府家がありました。
一、まぼろしの山城「道智城」
砦のようにも見えた木々に囲まれた格式あるその屋敷は、村人達から通称〝どん〟(殿)と呼ばれ、その庭の奥には、古びた赤茶色の高さ2m半程の鳥居があり、鳥居をくぐると苔むした「菅原」、「明智」、「柳別府」の三つの石碑があり、その奥には柳別府庚申供養塔、そのまた奥には、墓石のような小石群がありました。『大崎町史』(1997年)には、柳別府庚申供養塔(1739年の銘、1976年に町指定文化財となる)だけが記載されています。
小山の上にあった柳別府家は、山城「道智城」跡に建っていたと代々伝えられてきました。その山城の名前の由来は、菅原道真の「道」と明智家の「智」から名付けられたと伝承されてきました。教育委員会発行の『大崎町地名集と墓の移り変り』には、堂地・道地の地名が紹介されていますが、城の存在を証するものは、地元に伝わる古文書や『大崎町史』にも道智城は全く出てこないので、その城は、光慶の隠れ居城であったのでありましょう。
江戸中期頃には、柳別府家の一部を寺子屋として村人達に開放して、村の中心的な場所を担っていたと伝え聞いています。本能寺の変以降、柳別府家はこの地にて、農業等で生計をたてながら、四百年余の歳月を刻んできました。
今から約四十余年前に、柳別府家があった小山は、ブルドーザーによって削り取られて、現在は、白砂の平地と化し、太平洋戦争の最中に見た、砦の面影、鳥居、「菅原」、「明智」、「柳別府」の石碑、柳別府庚申供養塔、小さな墓石群も泡沫と消えてしまいました(庚申供養塔だけは昭和五十三年に移設され、現在も見ることができる)。
平成十一年初夏、柳別府直系男子である大阪に住む私の弟、柳別府武志(昭和十一年生)に、突然に鹿児島在住の父の異父妹である叔母(当時、八十四歳)から電話がありました。武志の話によると、明智光秀・光慶直系子孫・柳別府家の顛末記で一子相伝ともいうべきものでありました。その当時、弟は、会社経営(平成十一年五月、大崎町と立地協定締結後に工場操業)で忙しく、電話による一子相伝の内容については、半信半疑のまま、十余年が経過しました。
平成二十六年五月、かねてより私と弟武志の姉弟二人の念願であった大阪府岸和田市にある臨済宗派本徳寺訪問が叶いました。ご多忙な中、古川住職に話を伺うことができました。住職の話によると、本徳寺の縁起は、本能寺の変後、明智光秀長子光慶が京都妙心寺に一時逃れて、その後出家して南国梵桂となり、現在の場所に移建したとのことであります。また、住職の話によると、光慶は、父光秀と自分の墓を寺敷地内に建立して、寺を立ち去ったとのことです。この寺には、日本で唯一の若き日の明智光秀肖像画が所蔵されています。間近に拝見して、住職に柳別府家の一子相伝の話をした上で、「この肖像画は、光慶本人ではないですか」と質問すると、住職は、その見解もあるかもしれないと答えてくださいました。本徳寺を立ち去る際、住職が私共の姿が見えなくなるまでお見送りいただいたのが印象的でした。
十七歳まで大崎に過ごした私と弟武志(二人の歳を足す百六十余歳)の姉弟が、かつて見た光景を脳裏に刻み、当時の記憶を繋げながら柳別府家の由縁を明らかにしていく歴史探訪の旅が、岸和田市本徳寺訪問から始まりました。
二、柳別府庚申供養塔
『広報おおさき』(2015・4)によれば、「六十日に一度の〈庚申〉の日に徹夜して眠らずに身を慎めば長生きできるという信仰があり、その信仰のもと建てられた石塔」とありますが、柳別府家にあった庚申供養塔に、村の人々が詣でるのは、月初めと十五日でありました。
柳別府家では、明智光秀の子女が1582年6月15日の坂本城落城で滅亡したといわれている日を命日として、庚申信仰にカムフラージュして、先祖である明智一族と学問の神様菅原道真を供養し、昭和の世まで村民と柳別府家が柳別府庚申供養塔を維持管理してきたのではないかと思います。
残念ながら、昭和五十年代に、父の異父弟によって、代々営んできた屋敷山が売却され、その際に小高い山は、削り取られて、柳別府庚申供養塔下に埋蔵されていた宝物は、処分されてしまいました。1582年6月、本能寺の変、坂本城落城に明智光秀一族滅亡の風評が流布され、明智光秀を、謀反人とのレッテル付け、秀吉の政策等により、歴史上から抹殺されてしまった土岐明智家とその家臣など多くの魂を鎮魂する碑である供養塔は、光秀長子光慶逃亡の日から百五十年余の歳月を経て、1739年に建立されました。その前には、「菅原」、「明智」、「柳別府」の三つの石碑があり、供養塔の下にある明智家再興のための埋蔵金を守護するかのように、並んでいました。
1602年、徳川家康により大隅日向諸県郡(鹿児島県大崎町)の本領は安堵され、大崎永吉の柳別府家においてもようやく潜伏生活が終止、安穏な日々が暮らせるようになりました。江戸幕府開府、大坂冬・夏の陣がありましたが、戦乱の世は終わり、徳川政権下においては、家康の知遇等によって、明智一党は、復活(明智光秀の重臣斎藤利三の娘、福が三代将軍家光の乳母となり、徳川家光を支えて、のちに天皇より春日局の号を賜る)し、明智家の再興という本懐は、成就することとなり、再興資金の埋蔵金は、使用されることはありませんでした。
三、一族の由来と柳別府毘沙門天像
『角川日本史事典』によると「別符」とは、《 中世に官物などの「別納」が認められた土地。本来、開発などで旧来のものと別個の支配体制ができたとき、それの別納を認める別納徴符などを意味したが、次第に別納が実施される土地そのものに変化した 》とあります。
平成十六年十一月、訪れた大宰府歴史博物館の担当者に、「別府」の由来を尋ねると、対応していただいた歴史の先生の話によれば、九州大宰府に左遷された菅原道真が、大宰府の長として、南九州開拓を担い、初めて荘園整理の命を下したとのことです。開拓を担い率いた組織のリーダーを〝 別府 〟というとのことです。恐らく、柳別府一族が南九州まで進出する際の中継拠点として球磨川上流の地を土地開発したのでありましょう。903年、道真は失意のうちに没するが、熊本県球磨川上流域の地で上北柳別府を拠点として、柳別府一族は南下して、現在の鹿児島県(旧日向大隅国)の一部を開拓したのでありましょう。
平成二十五年三月、熊本県あさぎり町を訪問し、最初に町役場に立ち寄りました。時代はさだかではないが、あさぎり町役場が保存する『くま川日記』には、上北柳別府が瑞祥寺(熊本県日吉市・臨済宗妙心寺派)の知行所であったことが記録されています。
また、『くま川日記』には、瑞祥寺の知行所被官の悉くが斎藤姓であると、書き留められているが、応対した担当者によれば、その理由については、明らかでないとのことでした。
あさぎり町には、天正九年六月(1581)に斎藤一族が寄進したという町指定有形文化財の毘沙門天があるというので、柳別府正伝寺(臨済宗妙心寺派)を訪問しました。正伝寺境内に茅葺の阿弥陀堂があり五体の仏像が安置されています。その一つ木造毘沙門天(北方守護の多聞天が単独で信仰され、戦国時代は、護法戦勝の神として戦国武将が保持していた)立像は、像高73・7㎝桧材一木造で彫眼、彩色されてはいるが時代を経てかなり色あせています。作者は賀吽。
台座裏の墨書銘には「敬白奉造立 多聞天一躰 旦那林長五良左衛門尉、九代三良丸、内方豊袈裟、息災延命、家内安全、子孫繁昌、牛馬眷屬等、無災自在 諸人愛敬 村中安全 故也仍如件」とあり、斎藤若狭守 同、三良左ェ門尉 同、源左ェ門尉 同、三良兵尉 同、因幡守 同孫 四良 乙女 龍満女 袈裟女 豊松女の十名がすべて斎藤姓で祈願して製作したとある。この当時、若狭を支配していた若狭守護武田元明は土岐一族の出なので、墨書銘にある斎藤若狭守は、土岐一族の出と思われます。
あさぎり町旧家にある代々続く庄屋の日記には、年号不詳だが、上北柳別府にいた武士達が一夜にして忽然と姿をくらましたという記述があったということをこの庄屋の末裔の方から話をうかがいました。
この町には起源がはっきりしないが江戸時代から踊られている柳別府太鼓踊りがあります。町HPによれば、水牛角兜を冠った頭、鹿角兜の脇、鍬形角兜のセキの役がありシャグマを冠った鉦打ちの少年がそれぞれに付く。太鼓の打ち方、兜の振り方、足さばき、目配りなど見事。氏神を中心に雨乞いに関わった農村の伝承芸能であるとあります。恐らく武芸をたしなむための行事が祭りへと転化したのでしょう。
天正十五年(1587)、豊臣秀吉が熊本を通り南下した九州征伐からの逃避、あるいは太閤検地、人払令で、身分が明らかになるのを嫌って柳別府一党は南下して、日向国諸方郡永吉(現鹿児島県曾於郡大崎町永吉)に移り住んだのだろうと思います。
『大崎町地名集と墓の移り変り』によれば、平安時代末ごろ、地方豪族が大宰府や国の特別の許可を得て開墾した所を「別府」といい、柳別府には、西柳、東柳、柳別府、柳原と柳のつく姓も多く、またその地名の由来ははっきりしないということですが、光慶に従った家臣団であろうか、柳別府地区の墓地には、桔梗家紋が際立って目立っています。
四、一子相伝
明智光秀・光慶直系の柳別府家は元来、家系図を残さず、また家系図を禁忌としていました。本能寺の変以降、謀反人との世評を慮んばかったことにより、子孫達には、一子相伝で代々、柳別府の由来を伝えてきました。私の父柳別府英次には、一子相伝はされず、父は明智光秀・光慶直系の事実を認識していなかったと思われ、父が亡くなる時(昭和三十二年)でも、私どもの姉弟には、そのことを一切語ることはありませんでした。
平成十一年初夏、大阪に住む私の弟武志に、突然に鹿児島在住の父の異父妹である叔母から電話がありました。武志の話によると、その電話は一方的で一時間にもおよび、明智光秀直系子孫・柳別府家の顛末記で一子相伝ともいうべきもので驚きを禁じえなかったとのことです。武志は、長時間の電話料金のことが気になり、武志のほうから、詳細については、鹿児島にいってから伺うといって電話を切ったとのことでした。
残念ながら、叔母は、武志と会うことなく、その年の九月に八十四歳で他界しました。なぜ、武志に一子相伝されたのか。恐らく一子相伝された叔母の弟 (父の異父弟)が八十一歳で平成十一年五月に逝去したので、歴史的に重要な一子相伝を柳別府直系男子である武志に託したのでありましょう。武志から聞いた一子相伝の骨子は、次の四つでありました。
その一、柳別府家は明智光秀直系の子孫であること
その二、柳別府家がある敷地が道智城跡であり、その由来について
その三、柳別府庚申供養塔下に眠る宝物とその処分について
その四、大宰府と柳別府家との由縁
武志から一子相伝の内容を聞いた時は青天の霹靂であったが、一子相伝にある山城・道智城のあった小山の痕跡を知る者としては、大いに納得のいくものでありました。
五、志布志大慈寺と明智光慶
柳別府一党が、日向国諸県郡大崎郷にいつ頃進出したのかはっきりしないが、本能寺の変以降であることは明らかであります。
天正三年(1575)五月、薩摩の島津家久(当主義久の弟。1547~1587)が、伊勢参拝の途中に、坂本城に立ち寄り、明智光秀の接待を受けています。同年七月、信長の奉請により、光秀は、朝廷より九州の途絶えた名族「惟任」の名字と「日向守」を与えられています。信長による九州平定の準備が整い、明智一党は、先行して球磨、日向に進出したと考えられます。大崎町では、土岐一族の出と思われる比志島美濃守が初代地頭となり新大崎城を構えています。天正八年(1580)、比志島美濃守が仮宿に多門院を創建し、毘沙門天を奉納しています。球磨では、翌年(1581)、現あさぎり町柳別府正伝寺に、土岐の出と思われる斎藤一族が毘沙門天を奉納しています。
一説によると本能寺の変以後、明智光秀長子の光慶は、妙心寺の塔頭瑞松院に住して出家して「玄琳」を名乗ったとのことです。なお、瑞松院は光秀の妻煕子の実家妻木氏が檀那であります。岸和田市本徳寺の住職によれば、光慶は妙心寺に逃れて、その後、貝塚の海雲寺(移設して寺号改め本徳寺となる)に入ったとのことです。
天正十五(1587)、明智光秀の叔父光宗和尚が、光秀弔いで妙心寺に「明智風呂」を建立しています。この頃には、光慶は、現在の鹿児島県大崎町柳別府に拠点を移したと思われます。大崎町柳別府より東に二里ほどの所にある日向国志布志・妙心寺派大慈寺にて、秘密裏に僧侶として研鑽を積みながら、明智家供養と明智家再興のため、堺・大坂・京との妙心寺派ネットワークを構築していったのではないかと考えています。
平成二十六年十二月、大慈寺石田住職より、大慈寺縁起書を頂戴しました。その縁起書によると大慈寺中興の祖といわれる龍雲和尚は、戦国動乱期、志布志新納家に生まれ、志布志城が落城した際、逃れて出家した。甲州恵林寺にて土岐一族の出といわれる快川国師に師事しました。信長による恵林寺焼打ちに遭遇するも、一説に明智光秀の計らいで難を逃れたとのことです。龍雲和尚は、光秀の恩義に報いるためにも、自分の経歴と類似する光慶を極秘に支援したのではないかと考えています。光慶は、大慈寺では、南国梵桂と名乗っのでしょう。恐らく、薩摩宋学の始祖、桂庵玄樹の一字をとったのであろうと思います。なお、薩南学派一門には、光秀と親交のあった島津家久、光秀旧臣ともいわれる伊勢貞昌が名を連ねています。
諸説ありますが、慶長年間の頃、光慶は、泉州・貝塚に海雲寺を開基したと思われます。恐らく、寺号は世話になった大慈寺にあった海雲庵に因んだのでしょう。その後、寺は焼失し、寺号を岸和田藩主岡部氏の命により本徳寺に改め、岸和田に移転しました。岡部氏は、家康の娘を妻とし、丹波国内に所領を有し、亀山城を守り、福知山城主、大垣城主、高槻城主を経て、岸和田城主となっています。一族の経歴から推測すると、岡部美濃守一族が、光秀の善政をよく知った上で、光秀ゆかりの寺を支援して、岸和田に移したのでありましょう。この寺には、烏帽子をかぶり素襖を纏い優美な武将の肖像画が光秀画像として伝わっています。
慶長十八年(1613)、この肖像画を蘭秀宗薫が賛を記しています。この肖像画は、光慶が家康の知遇を受けたその好機到来の喜びの時に、自分自身である若武者の晴れ姿を描かせたのでありましょう。
おわりに
尾崎秀樹は『歴史の中の地図・司馬遼太郎の世界』(1991年)の「国盗り物語」で、《 主殺しの汚名をきせられた人物は、いずれも出自がアイマイだ。これはひとつには、関係者たちが後難のおよぶのをおそれて家系を昏ましたこともあるが、なによりもやはり後世の史家たちによってオール否定された結果といえよう。私たちは彼らを歴史の忘却の淵から、救い出し、新しい時代の脚光に照らし出してやらなければならない。しかし隠滅された史料は容易に埋めることができない。作家の役割は、その空白の部分を想像力によって塗りこんでいくことだ。》と記述しています。
石橋忍月『惟任日向守』(1894年)は、謀反の光秀を評し、恵林寺の焼き討ちでは、信長に焼き討ち皆殺しをやめるようつぎのように説得したと描写しています。
《 …神社仏閣は人の心を清めて、人世の闇を照らし、人に優しき心を起さしめて、安心立命の地を得せしめ、天道を繋ぎ人心を繋ぐに一日もなくてはならぬもの。(略)一朝にして之を灰燼に委ね玉はんこと、天道を破り、宗旨を滅ぼし、人情習慣に戻り、歴史の美蹟を損ねて、兼て国家の典章に反くに似たり。》
私ども姉弟は、尾崎秀樹が語ったように、光慶の空白部分を比叡山延暦寺、甲州恵林寺焼き討ちを手がかりに、埋めていきました。
多くの歴史書等を読んでいますと、石田三成の一子が出家して生き延びた、秀頼の一子が出家して生き延びて、死ぬ間際に、秀頼の子であると遺言した事例があるのがわかってきました。
一子相伝にあるように光慶は出家して、球磨・日向大隅に逃れました。一説によると恵林寺の快川和尚(光秀の師)のもとに修行していた二人の僧侶(南化玄興、龍雲和尚)が、光秀のおかげで、焼き討ちの難を逃れて、南化玄興は妙心寺へ、龍雲和尚は志布志大慈寺(妙心寺派)に入ったとのことです。光慶は、この二人の高名な僧侶の庇護のもと成長し、大崎郷柳別府を拠点に、大慈寺と妙心寺のネットワークを使って、日向大隅と泉州・京を往還したのだと思います。本徳寺住職の話にもあるように泉州で光慶は、父光秀を弔うため、寺を開基して父光秀の墓、自分の墓を残して家康のもとへと向かったと思います。
天海と光秀が同一人物であるとの異説があります。その根拠として、
一、天海が造営に深く関与した日光東照宮の建物装飾、人物像衣装に、土岐明智家の家紋である桔梗紋が多い。
二、日光の景勝地を天海が明智平と名づけた伝承がある。
三、光秀家臣斉藤利三の娘福(後に春日局)が、三代将軍家光の乳母となった。
四、初めて天海が家康と会った際に、旧知の仲のように語りあったとの伝承がある。
五、初めて天海が福にあった際に、福がお久しぶりですと挨拶したとの伝承がある。
と、ありますが、私は、光秀の年齢からみて、天海が光秀長子光慶であると考えています。
本能寺の変前に、光秀・光慶親子は、京都愛宕山西坊にて、里村紹巴等と連歌の会を興行して、光慶は最後の百韻の句「国々は猶のどかなる時」を神前に奉納しています。光慶は天海となって、徳川家を助けて、父光秀が為し得なかった戦乱の無い平和な治世を築きあげるのに貢献したのだと思っています。天海は、信長が焼き討ちした比叡山延暦寺の再興、泉州でも信長に焼き討ちされた天台宗末寺の再興に尽力しています。
江戸の真北・北極星下の聖地にある日光東照宮と光秀の生誕地岐阜県可児市と岸和田本徳寺が一直線上にあり、また、日光東照宮と岸和田本徳寺と志布志大慈寺がほぼ一直線上にあります。
今回の調査では、南光坊天海が、明智光慶こと南国梵桂が過ごした現鹿児島県大崎町永吉柳別府にふたたび帰還した形跡を発見することができませんでした。
明智光秀・光慶親子の足跡を訪ねる私ども姉弟の歴史探索の旅は一旦終えることにします。岸和田本徳寺では、光慶が残した伝光秀肖像画を見ることができました。いつか機会あれば、坂本城落城の中、運びだされた明智一族の宝物が眠っている東京国立博物館や日光東照宮を訪れてみたいと思います。
戦後、大崎町を出て、大阪市東成区、岐阜市そして岐阜県可児市に移り住んだ。偶然にも、その場所は、土岐一族明智光秀ゆかりの地でありました。飄々となりわいのまま生きた八十余年を振り返ると、その歳月は一途に明智の痕跡をたどる道程であり、感慨深いものがあります。
私の歴史探索に常にエールを送り続けた先祖・明智の消えた歴史を貴重な紙面を借りて披露できることは、何よりのはなむけであり、供養でもあるばかりでなく、子孫への伝承でもあります。
お力添えいただいた各方面の皆様に深く感謝とお礼を申し上げます。
◆筆者紹介=たにもと ひでこ
岐阜県可児市在住。主婦。明智光秀直系子孫。
*2019年1・2月新春合併号
◎巻頭随想[いま、伝えたいこと]「平成」宮中歌会始カレンダーの試み…所 功・1
◎史談往来/北から南から
【会員随想】作家カミュの生まれた地アルジェリア…菊地昌実・8
【会員随想】ぽん太の幕末…夢酔藤山・10
【会員随想】古文書と暴瀉病について その三…服部 瑛・12
【会員随想】光秀軍本陣の場所…竹本義昭・14
【会員随想】江戸幕府の「高家」について…榎本秀和・16
【会員随想】信玄の六男…斎藤秀夫・18
【会員随想】政府の攘夷から開国への変心に怒った玉松操…竹村紘一・20
【掃苔行脚】皇室の藩屏―特別編―…黒坂拓哉・22
◎特 集 長寿の日本史
長生きした脱藩大名…中根一仁・26
長寿の日本人…大澤俊彦・28
四代を生きた田中光顕…唐川雅爾・30
継体天皇の年齢について…萱嶋完彦・32
◎特別研究
山崎秀仙と上杉外交…平田好子・36
◎特別企画/歴史研究会創立60周年記念出版事業『わが人生の誇り』
『天・地・人』の上山南洋先生…笠原愼治・44
「わが誇り」の原点…田中眞佐志・46
小学校時代までを振り返る…西村久美子・47
平家物語から怨親平等への願い…田口真由美・49
◎古文書講座
無事帰宅を見舞う書状…庄司恵一・57
◎歴史学講座〈中級編〉第六十九回
日本史の謎徹底検証(その十六)…加来耕三・64
◎特別招待席
源義経 八百余年間、誤解され続けた兄と弟…中津攸子・74
戊辰北越戦争にて戦死したる美濃大垣藩士の墓石をたずねて…川本斉一・78
論説【邪馬台国近畿説への安易な転換は慎みたい】…小原正哉・88
古代「相撲」考…橋本晋吉・92
◎文化教養講座「日本はじめて物語」(第十五回)
〝旧暦と新暦〟~日本における太陽暦(西暦)のはじまり~…渡邊洋一・68
◎わが著書を語る
『信濃芋川一族 芋川越前守親正』…志村平治・72
◎全国ネットワーク歴研〈知りたいこと 知らせたいこと〉
歴研掲示板
【会報・会誌紹介】『龍馬研究 第212号』『城郭だより 第103号』
『歴研会誌 第74号』ほか…・104
【図書資料紹介】『化粧ものがたり』
『戦国大名「里見氏」NHK大河ドラマ化のお願い』ほか…・108
特集テーマ原稿募集…・100
[特別研究]原稿募集…・101 [史談往来]原稿募集…・101
応募作品紹介…・102
連携団体レポート…・110
★横浜歴史研究会
★先古代史の会
★神奈川歴史研究会
★中国の歴史と文化を学ぶ会
★常総歴史研究会
★大阪歴史懇談会
◎特別行事
歴史研究会創立60周年記念全国大祭報告…松本 勝・116
全国誌『歴史研究』平成三十年(2018)総目録…・144
新春賀詞名刺広告…・161
歴研本案内…・150 誌上古書市…・154
本部歴研だより…・170 事務局日誌…・172
表紙写真/三つ峠(山梨県都留市)から見た富士山/会員提供
◆本誌『歴史研究』見本誌贈呈申込、寄稿申込 、購入申込、広告申込、お問い合わせは
zrkk@rekishikan.comこちらまでどうぞ。
みなさん! 私たちは、歴史の「火」を消さないため、おひとりお一人の歴史への「思い」を伝えることを使命としております。
そして、まず「歴史を〝 生きがい 〟のひとつに」と呼びかけています。
また、「誰もが誇りと自信と希望の精神を」と、歴史を学ぶ力、歴史力で広めたいと願っています。
そこで私たちは〝生涯、道楽として歴史を学ぶ、道楽歴史学〟を提唱しています。
道楽歴史学とは、趣味歴史学や団体歴史学や職業歴史学の〝道しるべ〟として、
第一に、書物を読み、旅に出て、出会いに感動し、「縁」を結ぶことであり、
第二に、先人の言葉を心に、「鏡」を見つけることであり、
第三に、古今東西の誤りに気づき、「根元」を探ることであり、
第四に、これまでの常識にとらわれず、「事実」を確かめることであり、
第五に、敗者の視座で何度も現場に立ち、「謎」を解くことであり、
第六に、名誉回復のため、「真実」を書き語ることであり、
第七に、いつでも優先順位を決め、「日本一」を志ざすことであり、――。
これらを〝 道楽歴史学の七大金字塔 〟と称したいと存じます。
道楽歴史学は、生涯うちこんで悔いのない誠に価値あるものです。
みなさん、この道楽歴史学で、宝石のように光り輝きませんか。
道楽 ―― それは、今を大切に、「探求心」を燃やし続け、自他共に楽しむことであり、人生の究極である、といえましょう。
これまで、私たちは、全国歴史愛好家の研究発表と親睦交流の広場を目的に、全国誌『歴史研究』を編集してまいりましたが、加えて全国歴史研究会と読みかえ、
一、全国ネットによる日本唯一最大の在野史学の学術団体として、総合出版を、
一、有志顕彰「歴史大賞」創設の公募団体として、多彩なイベント運営を、
一、知り知らせる連携団体として、各会との互助活動を、――。
さらに、万事に関心を持ち、「文化と文明」を社会の支えとし、全国篤志家からの歴研基金により、さまざまな要望を推進したいと考えています。
では、歴史研究会とは何でしょうか。答えは宝船です。過去・現在・未来の「面白いこと」、「ためになること」、「役に立つこと」を沢山積み込んだ〝 知恵の宝船 〟 に見立てています。この、すばらしい宝船にお乗りになり、宝の中の宝、「夢と愛と和」の至福の仲間づくりをはじめませんか。
歴史を学ぶこととは、歴史に感謝し、歴史に感謝されることによって、無限の世界をさずかり、「元気の基」にすることだと信じています。
これが、みなさんを〝ようこそ歴史研究会へ〟とおさそいし、歓迎する理由です。
おひとりが、お一人を、歴史研究会(全国歴史研究会)にお招き下さい。
昭和33年7月10日発足
創立61周年の令和元年吉月吉日に
歴史研究会(全国歴史研究会)
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