女性を連れ去り、強引に結婚させる「誘拐婚」。中央アジアの国、キルギスで続く驚きの慣習を、4カ月かけて取材した。

キルギス 誘拐婚の現実

女性を連れ去り、強引に結婚させる「誘拐婚」。中央アジアの国、キルギスで続く驚きの慣習を、4カ月かけて取材した。

文・写真=林 典子

 「お願いだから車を止めて! ドライブに誘い出しておいて、私を誘拐するなんて。嘘をついたのね、最低な男!」

 女性が誘拐されたことに気づいたのは、キルギス中部の都市ナルインの外れにある大峡谷に差しかかったときだった。迎えに来た男の車に乗り込んでから、20分が経過していた。

 車の速度がどんどん上がる。日はすでに沈んでいた。北西へしばらく走り、見えてきたのは、標高2000メートルの果てしない放牧地。ときどきすれ違う羊飼いは、こちらの状況など知る由もないだろう。「元いたところに帰して!」と彼女が叫んだ。

警察も裁判官も助けてくれない

 約540万人が暮らすキルギスで、人口の7割を占めるクルグズ人。その村社会では、誘拐婚が「アラ・カチュー」と呼ばれ、慣習として受け入れられている。
 女性の合意のない誘拐婚は違法だが、警察や裁判官は単なる家族間の問題とし、犯罪として扱うことはほとんどない。

 女性はいったん男性の家に入ると、純潔が失われたとみなされ、そこから出るのは恥とされる。逃げたくても逃げられないのが現実だ。ある調査によると、キルギスでは誘拐された女性の8割が最終的に結婚を受け入れるという。

 15年以上前からキルギスの誘拐婚を研究する米国フィラデルフィア大学のラッセル・クラインバック名誉教授らは2005年の論文で、クルグズ人の既婚女性の35%から45%が合意なく誘拐されて結婚していると推定している。
 プロポーズをしたが断られた、親から結婚をせかされているといった事情を抱えた男性たちが、誘拐に踏み切るようだ。なかには、強引な手段をとらず、合意を得たうえで女性を連れ去る男性もいる。

「誘拐婚はキルギスの伝統ではない」

 違法な誘拐婚がなくならない背景には、国民の多くがこの慣習を古くからの伝統と信じている現実がある。
 しかし、クラインバック名誉教授は「誘拐婚はキルギスの伝統ではない」と言う。

 キルギスがソビエト連邦の共和国になる以前は、両親が決めた相手との見合い結婚が主流だった。誘拐婚はあるにはあったが、そのほとんどは、親の言いなりになるのが嫌で合意のうえで恋人を連れ去る「駆け落ち」だった。

 現在の暴力的な誘拐婚が増えたのは、ソ連時代に入ってからだと、教授は話す。それまでの遊牧生活から定住生活が主流になり、社会システムが急変したことで、男女平等の意識が国民の間に芽生え、自分の意思で結婚相手を選びたいと考える人が増えた。
 「昔の駆け落ちの誘拐婚がこの半世紀の間にねじ曲がって伝えられ、現在の違法な誘拐婚を伝統と思い込む人が増えたのではないか」と教授は言う。

 冒頭の女性は、誘拐されてから5時間余りたった2012年10月22日の午前1時頃、携帯電話を使って母親に結婚する意志を伝えた。
 1990年にナルインで生まれ、ロシア文学とトルコ語を学ぶ大学生だった。都会に住むのが夢で、1年後にトルコのアンカラでコンピューター関係の仕事に就く予定だった。

※ナショナル ジオグラフィック7月号から一部抜粋したものです。

編集者から

 2012年9月号の「写真は語る」で紹介した林典子さんが、4カ月かけて取材した特集です。女性たちが自分を誘拐した夫への態度をどう変えていくのか、毎日どんな思いで暮らしているのか――。外からは見えない誘拐婚の現実を伝えるため、何のつてもなく単身キルギスに入り、現地の人々の生活に入り込んで、それぞれの女性にそっと寄り添いながら、丁寧かつ多面的に取材を重ねる手腕は見事です。その取材スタイルは、同じ号の「永遠の瞬間」に掲載したインタビューで垣間見ることができますので、特集と併せてご覧ください。
 独自のスタイルを確立しつつある林さんが、今後どんなストーリーを届けてくれるのかも楽しみです。(編集T.F)

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