水銀鉱山で栄えた町・丹生までは和歌山別街道が通じている。次の訪問先は通称"丹生大師"として親しまれている丹生山神宮寺。平安時代の弘仁4年(813)、高野山を開いた弘法大師(空海)がここを訪れ、自分の師が創建した寺と知って七つの堂を建立したと伝えられている。
軒の深い屋根を持つ仁王門をくぐると、まずは夏の花・睡蓮が咲き誇る池で癒しのひと時を。その名に"睡る"と付いているように夕方には花が閉じてしまう(夜咲き種もある)のだが、そこがかえって魅力となる花である。
仁王門をはじめ客殿、護摩堂、本堂など境内には江戸時代建立の建物が多い。本堂のある境内広場から弘法大師がまつられている大師堂へは石段がのびており、その石段に平行して珍しい回廊が設けられている。回廊とは寺院などの建物を囲む屋根付きの廊下のことだが、ここでは壁や窓も造られており見応えがあるのだ。
丹生大師の近くには水銀鉱山があり、古代から掘り続けられた幾つもの坑道が存在しているという。最後の目的地・丹生水銀坑跡への山道入口には広い駐車場が整備されており、坑跡へはわずか100mほどでたどり着くことができる。
坑道入口は左右に古代と昭和時代のものが隣り合い、夏だというのに奥から寒さを感じるほどの冷気が流れ出てくる。穴は岩石をくり抜くように掘ってあり、手作業での採掘にはおそらく相当な苦労があったはずだ。
鎌倉時代に最盛期を迎え、江戸時代には資源減少により採掘が中断された丹生鉱山。ところが昭和になって約400年ぶりに採掘を成功させたのが、東京で書店を営なみながら郷土の地下資源について研究していた北村覚蔵氏。丹生に移り住んでから有望な鉱脈を選ぶまで、調査に10年を費やし、水銀の精錬までこぎつけたという。鉱山とともに栄え、多くの鉱夫や商人で溢れた町の歴史を坑跡は静かに伝えている。