(8/26)ポストサンデーの日本競馬――名種牡馬の死は何をもたらすのか?
20世紀末から21世紀初頭までの日本競馬を、後の世の人はおそらく、「サンデーサイレンス以前、サンデーサイレンス以後」と区分けすることだろう。19日に馬齢16歳で生涯を閉じた種牡馬サンデーサイレンス(米国産)は、旺盛な生命力で、日本の競馬の風景を半ば暴力的に変えた。その不在は今後、何をもたらすだろうか。
サンデーサイレンスと、同馬を管理していた社台グループが、競走馬生産界に持ち込んだのは「数の論理」である。1991年に日本で種牡馬入りしてから昨年までの11年で、交配頭数は実に1688頭。今年も5月まで供用されていて、死ぬまでに1800頭をはるかに超える種付けをしたことになる。これがいかに飛び抜けた数字か。ハイセイコー、タケシバオーなどの父であるチャイナロックは、8歳から29歳までの22年間供用され、1385頭。当時、この馬の生命力は驚嘆に値するとされていた。サンデー以前の社台グループの旗艦だったノーザンテーストは、5歳から28歳までの24年間で1594頭と交配。同馬の産駒は79年から中央で毎年、勝ち星を上げ、24日の新潟の新馬戦では、唯一の2歳産駒ラストリゾートが勝ったばかりだ。
ノーザンテーストの種付け頭数が最も多かったのは、82年の98頭で、100頭の大台を突破したことは一度もない。だが、サンデーの方はと言えば、94年に初の3けたとなる118頭に増え、95年が142頭。以降は183→171→185→199→206→224という青天井ぶりである。出産率を向上させる技術の進歩なしには、こうした大量種付け時代は到来しなかっただろう。一昨年までのサンデーサイレンスの登録産駒数は1215頭で、実に種付け頭数の83.7%に上る。ノーザンテーストの登録産駒数は1008頭で出産率63.2%。繁殖牝馬の体調をきめ細かく管理し、受胎しやすいタイミングを測る。無駄打ちが減ることで種牡馬の負担は軽減され、大量種付けも可能になる。この20%の格差こそ、現在の社台王国の原動力かも知れない。
フジキセキ、ダンスインザダークと言ったG1勝ち馬から、未出走のエイシンサンディに至るまで、今年種牡馬として供用されている産駒は46頭。今年だけで新たに13頭がスタッド入りした。昨年、供用された33頭の総種付け頭数は2107頭。新規供用組でも、アグネスタキオン、アドマイヤベガ、ステイゴールド、ブラックタキシードなどは150頭を超える人気ぶりで、今年は3000頭に迫る勢いだ。昨年の日本の総種付け頭数は約12000頭で、その1/4を占めようとしている。すでにサンデー産駒の牝馬も600頭は生まれていて、それを考慮に入れれば、今年、日本で生まれたサラブレッドの約3割はサンデーの孫という途方もない事態が進行している。血統評論家の吉沢譲治氏がかねて指摘していた「血の飽和」が憂慮される。日本の軽種馬生産は全体に縮小傾向にあり、狭い生産基盤の中で血統の一極集中が進むと、いかなる弊害が生じるかは想像がつかない。
筆者は以前から、こうした事態を回避するには、サンデー産駒を種牡馬として海外に売る以外に道はないと述べてきた。だが、日本での飽和とは裏腹に、南半球でのシャトル供用はあっても、欧米に売却された種牡馬はいない。その理由は、(1)海外遠征したサンデー産駒が非常に少なかった(2)海外にも魅力のある種牡馬が少なく、サンデー産駒と入れ替えるメリットが薄かった――の二点だろう。
最初に海外に出たサンデー産駒は、95年のダンスパートナーで、以後は2000年のエアシャカールまでの約5年、ただ国内だけで走ることになった。JRAの高額賞金は、日本の競馬関係者から「海外で種牡馬になる馬を作る」という動機づけを奪っている。唯一の例外はエルコンドルパサーの渡辺隆氏で、実現こそしなかったが、米国での種牡馬入りを真剣に追求した。しかし、サンデー産駒が日本でG1を勝って種牡馬入りすれば、高額の投資でも十分に回収できる環境は、競走、生産の両面でサンデー産駒が日本に囲い込まれる状況をつくった。賞金も馬の価格も高い日本のインフレ競馬の弊害である。社台ファームの吉田照哉氏は早くから、「サンデーは世界一の種牡馬」と言い続けてきた。日本で示したポテンシャルから見て、その表現は誇張ではない。ただ、“世界一”にふさわしい国際的な業績を、産駒がまだ残していないことも否定できない。
以前、日本競馬は海外から、“名馬の墓場”と非難された。あたかもブラックホールのように、日本に輸出された馬の産駒は、二度と欧米に戻ってこないという意味だった。JRA馬事文化賞を受賞した佐藤正人氏(故人)は「売ったのは不必要と判断したからではないか」と、自著で反論したこともある。実はサンデーにも同様の経緯があった。当初、米国で25万ドル×40口(=1000万ドル)のシンジケート募集に対し、応募は3口しかなかった。日本への売却価格は1500万ドルだから、米国側からすれば「売り抜けた」形だった。
米国の生産界は今、その判断の誤りにホゾをかんでいるだろう。歴史に「IF」は禁物だが、サンデーが米国にいて、実力相応の評価を勝ち得ていたら、ノーザンダンサーやミスタープロスペクターのように、世界に血脈を広げていた可能性もある。当初の低評価から見て、繁殖牝馬に恵まれずに失敗した可能性も否定できないが、成功していれば、その産駒は日本にも入っていたはず。その意味では、日本の生産界はサンデーの恩恵を独り占めしてしまった。正直なところ、サンデー産駒からは確かに父のポテンシャルの高さは伝わってくる半面、どこか父の縮小再生産のような馬が多かった印象がある。例外はサイレンススズカ、アグネスタキオンの両馬で、生き残ったアグネスタキオンには種牡馬としての期待がかかる。いずれもしても、残されたサンデー二世の種牡馬と、今後も競走を続ける馬の中から、世界のレースと馬産に貢献する馬が出なければ、以前とは違ったニュアンスで、「墓場」論が語られかねない。
それにしても、一昨年のサンデーの登録産駒は実に180頭。1頭平均4000万円としても、72億円が生産界に落ちたことになる。同年の競走馬生産高は430億円台で、いかに比重が大きかったかがわかる。この資金の行く先としては(1)ブライアンズタイムなど、他の内国産馬(2)外国産馬(3)競馬からの撤退――の3つが考えられる。(1)(2)ともサンデー産駒の持つブランド力には遠く及ばない。結局、投資額がかなり落ちるのが、最も現実的なシナリオと言えるだろう。世界的に見ても、主軸となる種牡馬が見当たらない状況の中で、サンデー産駒が生まれなくなる2004年以降、何をするかは、生産界にとって大変な難問だ。歯止めのない縮小均衡に陥る危険性は高い。
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