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産経新聞の優れた辛亥革命論

  • Posted by: 中の人
  • 2011年10月21日 22:52
  • 時評
111021.jpg 今年の10月10日が、辛亥革命の100周年と言うことで、新聞各紙も色々と報道しているが、私が目にした範囲で最も熱心であったのは、産経新聞の報道振りであった。同紙は毎週月曜日に大型の連載記事を掲載しているが、七月十八日から十月十日まで十一回に渡って、「孫文の志 未だ成らず 辛亥革命100年」と題して、辛亥革命を取り上げている。その中でも私が注目したいのは、矢板明夫記者による、第五回(八月二十二日)「少数民族政策 『漢族中心』遠のく共和」と、川越一記者による、第九回(九月二十六日)「消えゆく満州 宿願果たすための〝道具〟」の二つであり、すなわち両者とも中共のいわゆる「少数民族問題」に関するものである。

 まず第五回では、私がこのブログで何度か取り上げた、辛亥革命が成功した途端における、孫文の巨大な変節に言及されている。前回も述べたことであるが、中共の民族問題の本質を理解するために、極めて重要なポイントであるので、矢板記者の記述の核心部分を、次に引用してみることにしよう。

 「それまで孫文たちは『滅清興漢』『駆除韃慮、恢復中華』というスローガンを強調してきた。『韃慮』は、清朝の支配者である満州族の蔑称。満州族を満州(現中国東北部)に追い出し、漢族の国家建設を目指そうというのが彼らの当初の目標だった。
 孫文たちがイメージしていた中国とは、漢族の明が支配していた黄河と長江(揚子江)流域とその周辺部に限られ、現在の国土の半分強の広さしかなかったとされる。
 しかし現実は、清朝滅亡とともに、その広い国土が新共和国にそのまま引き継がれた。
 辛亥革命後に独立の動きを一時見せたチベット、モンゴルなど辺境地帯の少数民族を中華民国に引きとめようとして、孫文ら指導部は『五族共和』の理念を唱え始めたわけだ。
 が、それは建前にすぎず、少数民族を漢族の支配下に置こうとするのが本音だった。」

 孫文が漢・満・蒙・回・蔵の五族共和を、突然言い出したのは、辛亥革命の翌年、1912年元旦の中華民国建国式典での、臨時大総統就任宣言においてである。「人々をアッと驚かせた」「これには、孫文の同志たちからも多くの反対の声が上がったという」と、矢板記者は述べている。要するに、この五族共和の考え方が、現在の中共において、シナ人が他民族に対する侵略支配を正当化するイデオロギーの、根源になっているわけである。辛亥革命の欺瞞性を、日本の新聞がこれだけキチンと説明した事例は、私が知る限り殆どなかったと言える。
 ただし孫文の民族に関する思想、すなわち民族主義の理論は、その後更に凶悪に発展する。それが「中華民族主義」、私が「シナ侵略主義」と呼ぶものである。辛亥革命から約十年後、孫文は満・蒙・回・蔵の四民族は、漢族すなわちシナ人に同化して、一つの中華民族になるべきだと言い出す。したがってシナ人以外の四民族の存在価値はなくなり、滅び行くもの、消えゆくべきものと定義される。その中華民族主義が、現在の中共で如何に有効に機能しているかを、満州人の具体例で見事に究明しているのが、川越一記者による第九回「消えゆく満州」である。
 川越記者は、満州人の現実の状況を知るために、東北地方遼寧省の岫巌(しゅうがん)満族自治県を訪問した。同自治県は、人口約51万人のうち満州人が95パーセントを占めるというから、典型的な満州人の集住地であるようだ。以下、川越記者の報告の重要部分を、幾つか紹介しておこう。

 「県境を示す標識がなければ、いまなお多くの満州族が暮らす一帯に足を踏み入れたことに、気づくことはないだろう。空腹を満たそうと、満州料理の店を探したが見当たらない。60代とおぼしき男性に尋ねても、『さあて、昔は1,2軒あったが、今は知らんな』。『おじさんは漢族?満族?』と振ると、『どっちでもいいことだ』とそっけない返事が返ってきた。」
 「漢族との同化が進み、農村部を除けば、衣食住すべてにおいて満州族独自の様式は廃れている。アルタイ語族に属する満州語を話し、読み書きできるのは100人に満たず、しかも、みな古希を過ぎた高齢者ばかり、満州文化は今や、風前のともしびとなっている。」
 「岫巌満族自治県の中心部の一角に、満州族の歴史・文化を展示する博物館がひっそりと建つ。満州族にとって、清朝を倒した孫文は『仇敵』にも等しい。だが、同館の王新玉主任は『孫文は満族にとっても尊敬される人物だ。中国のすべての民族にとって同じことが言える』と、『建国の父』の偉業に一点の疑いも抱いていない。」
 「満州族古来の名字について、漢族風に改めたことを悔やむ満州族はほとんどいないというのが実状だ。一時代を築いた民族のアイデンティティーを消し去るきっかけを作った辛亥革命。これが孫文の宿願の一つであったとすれば、それは確かに果たされた。」

 満州人は、中共の55の「少数民族」の中でも、第二位の一千万人以上の人口を有する民族であるが、川越記者の調査によれば、既に一個の民族としての実態を喪失している。満州語を使える人も殆どなくなり、満州民族としての自覚、すなわち民族意識が完全に失われているからである。川越記者の報告も、マスコミで殆ど目にしたことがない貴重なものである。日本人はたった一年前の尖閣事件の屈辱をすっかり忘れ、ごく最近のことでは、サイバーテロの攻撃があっても、完璧に軍事利用を目的にした宇宙ステーションの打ち上げがあっても、中共に対する危機意識・警戒感がまったくない。満州人の実状が、未来の、それもそれほど遠くない近未来の日本人の姿だと、私には思えてならない。

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