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大きかった小川監督との出会い |
夢の160キロへ 寺原ストーリー(4) |
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3年前の98年、この年が寺原の人生を大きく変えることになった。中学最後となる夏の県大会で優勝。九州大会でも2位となり、県勢でも15年ぶりの全国大会に出場した。結果こそ初戦敗退だったが、この時点で赤江東中学創立15年目の快挙。大会後には、優勝した学校の監督が「参加16チーム中、うちに初戦で敗れた九州の赤江東が1番強かった」と野球雑誌にコメント寄せている。
しかし、日南学園の小川茂仁監督(55)との出会いがなければ、寺原もそれまでだったかもしれない。実は中学卒業後は、メンバーと一緒に、中学から近い宮崎市内の私立校への進学を決意していた。日南学園の小川監督も「いいピッチャーだと聞いていたが、もう(進路は)決まっていると聞いていた」。9月に1度、中学の校門で会ったが「いいピッチャーになりなさい」とエールを送られただけだった。
その年の11月、日南学園が明治神宮大会で全国初制覇を果たした。92年から小川監督が就任し、一気に強豪校にのし上がった。寺原の心は揺れた。家に残って中学時代の仲間とやるか。親元を離れて野球に打ち込むか。中学時代に全国レベルを肌で痛感し「より高いレベルで自分を試したい」と心の中で芽生え始めていた向上心も思い出した。そして出した結論は「日南学園のユニホームを来てやりたい」。泣きながら訴えたのは年末の12月28日だった。新幹線で神奈川県の自宅に戻る小川監督の携帯を鳴らした。甲子園最速の98マイル(157.68キロ)はこの1本の電話がなければ、生まれなかった。
高校入学時にはすでに球速は135キロを超えていた。入学直後の春季九州大会。1年生投手としては野球部初のマウンドを経験した。瓊浦(長崎)戦に中継ぎで登板して2回を3失点。「まだまだ腕の振りがアーム型だったけど、脚力はあった。周りの選手もそろっていたし、最低2回、よければ2年夏から3回。甲子園にいけると思っていた」。小川監督はこの時すでに、甲子園を沸かす寺原を思い描いていた。【村田義治】
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