<評伝> 「オーダー!」のバーコウ英下院議長、貫いた独自路線
10月に退任すると発表したジョン・バーコウ英下院議長(56)は、時に独自路線を貫き、伝統ある議長職のあり方を大きく変える一方、時には与野党から共に批判され、政界の分裂に寄与してきた。
保守党の下院議員から2009年に下院議長に選ばれたバーコウ氏は、毎週の首相質問をはじめ、ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)で揺れる下院の審議を、「オーダー! オーダー!(静粛に!)」と繰り返しながら采配してきた。
バーコウ氏はこの間、自分は平議員のために闘い、議会の名誉を守るための存在だと自認し、政府の行動をかつてないほど点検し批判する機会を議会に与え、閣僚の責任を厳しく問いただしてきた。
しかし、議事進行において中立が要求される議長のこうした行動については、偏向や独善を批判されることもあった。特に、ブレグジット推進派からの攻撃は激しかった。さらには、伝統的な議会の慣例を無視したり、勝手に変えたりしているという指摘も相次いだ。
最近では、「このイギリスで本当に他の誰にも責任を負わない、最後の人間」だと元閣僚に呼ばれた。
議長としての10年間で、バーコウ氏は歴代の首相と衝突し、度重なる解任工作にも屈せず、ドナルド・トランプ米大統領を公然と批判し、最近では政府による合意なしブレグジットを阻止しようとする下院議員たちが議事進行の決定権を掌握するにあたり、重要な役割を演じた。
しかし、昨年には下院でいじめやパワーハラスメントが容認されてきたという批判的な報告書が公表され、バーコウ議長本人のパワハラ疑惑も、本人は否定しているものの、消えてはいない。
イングランド中部バッキンガム選挙区を1997年以来代表してきたバーコウ氏について、キーワードをいくつか説明する。
テニス好き
1963年にタクシー運転手の息子として生まれたバーコウ氏は、8歳で初めてテニス・ラケットを手にした。英南東ミドルセックス州のアンダー12歳大会で優勝したものの、気管支ぜんそくを患った後は、テニスは趣味にとどめるようになった。
下院議員になると、下院テニス・チームに参加し、後に首相となるデイヴィッド・キャメロン氏とダブルスのペアを組んだ。
2014年には、「Tennis Maestros」という、自分が最高だと思う男子テニス選手20人についての著作を発表。スイスのロジャー・フェデラーが自分にとって最高の選手だと書いている。
下院でもテニスを話題にすることがあり、ウインブルドンではロイヤルボックス(貴賓席)の常連となっている。
保守党のリベラル
マーガレット・サッチャー首相(当時)の選挙区フィンチリーで少年時代を過ごし、学校に通いながら政治に関わるようになった。右派団体「マンデー・クラブ」に参加したものの、後に一部のメンバーの考え方を「好ましくない」として退会した。
エセックス大学では行政学を学び、保守学生連盟の委員長になったが、この団体は1986年に当時の保守党委員長ノーマン・テビットによって、行動が過激で傍若無人すぎると解散させられている。
1997年に保守党から初当選するものの、2000年代初めになると政治意識が変化していく。同性愛者の権利を擁護するようになり、大麻喫煙の厳しい取り締まりは「ばかげている」と発言した。
保守党の野党時代、影の内閣に入閣すると、右派団体「マンデー・クラブ」への保守党議員の参加を禁止するよう呼びかけた。
この頃には保守党で最も声高な社会自由主義派としての地位を確立。そのため、いずれ労働党にくら替えするつもりだという噂に終始つきまとわれるようになった。
2009年に下院議長に選出された際には、保守党よりも労働党議員の支持を多く集めた。
2015年には、保守党が議長交代を目的に議会規則の改変を提案したが、労働党の支持を得て、総選挙後に議長として三選を果たした。
下院の伝統
バーコウ氏は議長として自分の大きな目標は、下院を「多少なりとも、もったいぶらない、よそよそしくない場所」にすることだと繰り返していた。
この方針にもとづき、男性議員は本会議場でネクタイをしなくても発言することが許され、議長の前に座る議会職員は伝統的な白いかつらをかぶらなくても良いことになった。
これには一部の下院議員が、下院の権威を損ない、伝統を無視することだと反発した。
バーコウ氏は自ら、就任と共に従来の議長の衣服をあらため、黒い長衣の下は普通のビジネススーツを着た。以前は下院議長というと、膝丈の半ズボンと白いタイツをはいていた。
オーダー
議長として、審議を采配し、議場の秩序(オーダー)を維持するのがバーコウ氏の役割だった。本会議場に野次や規則外の発言が飛び交えば、議員でも閣僚でも、時には首相でも直ちにいさめ、口角泡を飛ばす相手はためらうことなく発言をさえぎり「落ち着きなさい」と叱責した。
本会議場の後方席に座るため「バックベンチャー」と呼ばれる平議員たちにも、閣僚に質問する機会を十分に与えたことは、高く評価されてきた。一方で、バーコウ氏は自分の議長権限に酔いしれていると反発する議員たちとは、たびたび衝突してきた。
特に有名なのは、保守党のサー・サイモン・バーンズとの対立で、バーンズ議員は2010年には議長を「ばかで偉そうな小人」と罵倒した。
バーコウ議長は、キャメロン元首相の発言をしばしばさえぎることでも有名で、他の閣僚もその鋭い舌鋒の対象になった。特に本会議場の大臣席という目立つ場所で携帯電話を「いじる」閣僚たちは、しばしば叱責の対象になった。
2017年には、訪英を控えたトランプ大統領の下院演説に反対し、「人種差別と性差別に反対すること」は「極めて重要な事柄」だと理由を説明した。
これには一部の保守党議員が激しく反発し、議長としてあるべき政治的中立の立場を大きく逸脱したと批判した。
ブレグジットについては、2016年の国民投票で「EU残留」に投票したことを、2017年にあった学生との集まりで発言したため、EU離脱派から偏向を批判され続けた。
「ブレグジット反対」のシールを車に貼っていると批判された際には、車はサリー夫人のものだと説明。妻は「夫の所有物ではない」のだから「個人としての考えをもつ権利がある」と、批判をかわした。
パワハラ疑惑
2018年にはスタッフに対するパワハラ疑惑が浮上したが、本人はこれを否定している。
個人秘書だったアンガス・シンクレア氏はBBC番組「ニュースナイト」に対し、議長が自分を怒鳴り、悪態をつき、身体的に威圧しようとしたと話した。
別の元側近、デイヴィッド・リーキー氏は、バーコウ氏はスタッフを「怯えさせ威圧する」のが常だと批判した。
当時の議長報道官は、シンクレア氏の告発は「具体的内容」を欠いていると反論。リーキー氏については、確かに「根本的な意見の不一致」があったものの、議長とリーキー氏はその後、「まともにやりとりしている」と説明した。
パワハラ疑惑について下院で質問されたバーコウ議長は、「自分は素晴らしいスタッフに囲まれている。職務熱心で有能で、長いこと自分を支えてくれている。そのうち5人は通算40年以上も、私のために働いてくれている」と答えた。
さらに議長はこの時、「私のもとを離れた大半の人は、完全に友好的にそうしている」と述べた。
将来は
バーコウ議長は9日、10月中に前倒し総選挙が行われるならその時点で、行われないなら10月31日に退任すると述べた。その後の審議で、政府が求めた解散総選挙は否決されたため、10月31日まで留任する可能性が高い。
10月31日は、ブレグジットの期限。そこからさらに離脱が延期されることはあり得るものの、その可能性は日に日に薄まっている。
今から10月末の間には、ブレグジットや総選挙の時期をめぐる駆け引きや憶測が続くだけでなく、議会開会と女王による施政方針演説も予定される。その際にもバーコウ氏が、議長席に座ることになる。
テニスにたとえるなら、バーコウ氏にはまだ、ウインブルドンと全米オープンと全仏オープンの主審を務める機会があるようなものだ。
下院を離れた後、バーコウ氏がどうするのかは、はっきりしない。
伝統的には、下院議長経験者には爵位が与えられ、上院(貴族院)議員となることが慣例となっている。しかし、テリーザ・メイ前首相の頃から、保守党政権にはバーコウ氏への反発が強いため、これは実現しないのではないかと憶測されている。