.
HONO NO GEININ RETSUDEN VOL.2

暁照夫が語る宮川左近ショーと共に歩んだ半生、
そして…現在から未来

後編
「宮川左近の死」
 上方漫才界に確固たる地位を気付いた宮川左近ショーであるが、昭和54年に再び活動停止の危機に陥った。リーターの左近が吐血したのだ。以前の結核は克服していた。
しかし、元より好きだった酒を毎晩浴びるように飲んでいたため、ついに体を壊してしまったのである。リーダーの浪曲無くしては宮川左近ショーは継続出来ない。劇場だけなら何とかなるにはなったが、寄席番組への出演となると三人揃わないことにはどうしようも無かったのだ。照夫と一夫は入退院を繰り返す左近に酒を慎むよう働きかけてみたが、どぶろくを一升瓶でラッパ飲みしながら「俺の体は俺が一番わかっとる!」と聴こうとしなかった。だが、左近の体が酒によって蝕まれていってるのは明らかであった。しかも、闘病生活の最中に妻が亡くなったのも酒量が増える事に拍車をかけた。ネタの事で殴り合いの大喧嘩をしていた昔が懐かしいくらい、左近の気力が失われて行くのを照夫は見ているしか無かった。そして、初めての吐血から7年後の昭和61年9月21日、宮川左近は息を引き取った。享年61才であった…。 トリオを組んで27年。ネタ以外の事では揉めないと心では誓いながらも感情的なぶつかり合いで幾度も解散の手前までいったが、左近が吐血してからは出来るだけ波風立てないように気を遣った照夫は、左近が亡くなってから約1年間は毎日のように左近の夢を見た。夢の中の左近は無口でただジッとこちらを見ているだけだった。左近の死に対して、悲しいという感情よりも、どこかホッとしたような気持ちを抱いた自分に対して左近が無言で訴えているのかとも思った照夫であったが、立身出世のための同志として同じ時代を生きた左近に、悲しいとか寂しいとか印で押したような感情では表現仕切れないものが有ったのだ。

「新しい道へ」
 左近の死によって、トリオとして残っている仕事を松島一夫と二人で片付けた照夫であったが、松島とも別れることになった。これに関して周囲の芸人たちは口を揃えて「結局はリーダーが死んだら、後は喧嘩別れやで。」と噂しあったが、実際は松島も照夫も今後は好きなように活動して行きたいという願いが一致しての円満解散であった。いわば、舞台上ではじゃんけんの如く“三すくみ”の関係であった宮川左近ショーは、二人で成立するものでは無いという事を二人は十分理解していたのだった。
 だからこそ、過去の財産で生きていくよりも新しい何かに向かいたいと考えた照夫だが、果たして何をすべきかも判らない状態であった。「取り合えずは半年くらい自由気ままに過ごしてから今後の進むべき道を考えよう…。」そう思っていた照夫の元に所属事務所から新花月という演芸場の正月公演への出演依頼が来た。悩んだ照夫であったが、「いずれは決める事だから早いに越したことは無い。」と快諾し、三味線漫談として舞台に上がった。しかし、その時に照夫には弟子が一人いた。“笑い”ではなく、三味線を教えていたが、一度客前で弾かせてやろうと考えた照夫は高座の最中に舞台袖に控えている弟子をステージ上に呼び込み、二人で合わせ弾きをしてみた。すると、どうだろう。客席の反応が良いではないか。確かに三味線テクニックはまだまだ発展途上の弟子ではあるが、息が合うと確信した照夫であった。しかも、その様子を観ていた音曲漫才トリオ“フラワーショウ”の華バラが「舞台に立つ二人のバランスが良いで。」と絶賛したことで照夫の気持ちは固まった。なんと、正月公演を終えた10日後の1月21日から始まった浪花座・下席公演には弟子とコンビを組んだ照夫は舞台に上がっていた。弟子には“暁光夫”という芸名を与え、宮川左近が亡くなった翌年の昭和62年に三味線漫才コンビ“暁照夫・光夫”は誕生した。上方芸能史を紐解くと男同志の三味線コンビは約40年振りであった。

「語り尽くして」
 これまでの芸人半生を語った照夫師匠は、グラスに注がれたウーロン茶をグイッと飲み干した。そして、「“暁照夫・光夫”でもコンビ組んで15年経つんやから、“宮川左近ショー”なんて、そら昔になるわけやわ。」とはにかんだ。亡くなった左近師匠はどんな方だったのですかと訊ねる筆者に「一言で言うと“へんこ”。とにかく頑固で、自分が決めたら曲げようとせえへん。まぁ、真面目やったんやろなぁ。そやから、喧嘩ばっかりしたよ。でも、ウチは三人やから、誰かと誰かが喧嘩してても残りの誰かが間に入ってた。三人が一斉に喧嘩することなんて無かったし。三人やから続けて来れたんと違うかなぁ…。」と語った照夫師匠。現在は、三味線コンビとしての活動と共に、憂歌団やギターリストのチャーといった異音楽の一流ミュージシャンとのセッションなどにも挑戦している。キャリアを積んでも尚、新しい事にチャレンジする気力の素晴らしさに感服する筆者に「昔から好奇心は旺盛やってんけど、最近はだんだん邪魔くさくなって来たわ。やっぱり、年取ったんかなぁ…。」と自嘲気味に返した照夫師匠。ふと、時計を見ると午後8時前。この取材のためにイッキに4時間以上も、細かい描写を交え、時には嬉々として語ったところをみると、好奇心はますます旺盛な照夫師匠である。
おわり

BACK