6月30日(水) >>
立浪、“祝”2000試合出場達成
竜・最多11度目の球宴出場も

6回裏1死この試合で2000試合出場達成の立浪は、二塁への内野安打を放つ=福井県営球場で(伊東朋子撮影)

◆家族に感謝 そして恩返し

 誰もが笑顔で右手を差し出してくれた。祝・2000試合。立浪和義三塁手(34)が、また1つ金字塔をうち立てた。

 「自分は大した活躍ができませんでしたが、こういう試合に勝てたことはすごくうれしいです」

 ポケットには、ウイニングボール。仲間からのプレゼントだ。プロ野球史上34人目の勲章。17年目での到達は、プロで生き抜くための“必要条件”を教えてくれる。

 「1試合1試合、体調を管理してここまで来ることができました。これから先、何試合出られるかなんて分かりません。でも今の気持ちを忘れずにやりたいです。野球をやめる時まで、自己管理したい…」

 野球のためなら己を厳しく律してきた。技術だけでは2000試合は出られない。体力だけなら2000本安打は不可能だ。心を含めた三位(さんみ)に、もう1つが加わって天才・立浪は完成した。

 「家族がどっしりと支えてくれたからこそ、僕は野球ができるんです。その感謝は、これからも忘れたらあかんと思います」

 PL学園高時代には甲子園で主将としてチームを引っ張り、春夏連覇を達成した人気者。攻守のセンスに優れ、中日では生え抜きの中軸選手として奮闘してきた。そのサラブレッドゆえの苦悩や重圧もあったはずだ。それを公の場ではもらせられない看板選手のつらさ。そんな時、いつもそっと手を差し伸べてくれたのが智子夫人であり、癒やしてくれたのが長女・未沙稀さんだった。

 6回1死から二塁内野安打で出塁し、福留の三塁打で9点目のホームを踏んで7連勝にも貢献。偶然、この日は監督推薦での球宴出場も決定。11度目は球団史上最多という“勲章”付きだった。「名古屋でやれるのはこれが最後かもしれない。ぜひスタメンで出て、賞に絡んでみたいですね」。きっとかなうであろう地元ナゴヤドームでの先発出場。愛する家族へ、立浪からの恩返しの場となるはずだ。 (渋谷真)



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