中世のヨーロッパで「髙山右近」を主人公にした劇上演! | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

Q. 中世のヨーロッパで「髙山右近」を主人公にした劇が演じられていたそうですが、どのようなものだったのですか。

A. 上演の舞台となったのは、イエズス会の学院(神学校)ですが、17~18世紀にかけて上演されていたイエズス会劇の中で、日本ものは約1%です。それでも、確認できるものが、160件にのぼります。
 日本に派遣されたイエズス会の宣教師から送られてくる、年次報告や書簡をもとにして、演者・観衆が共に励ましを受け、信仰を高められるような内容のものが、くり返し、ほとんど全ヨーロッパの各都市(ウィーン・リンツ・ミュンヘンなど)で演じられていきました。

 定期的には、年一回、学院の秋の卒業式の際に、卒業生が主役となり、全学生達100~200人が、4~5時間もかけて演じていきましたよ。

 「髙山右近」を主人公にした劇では、「ティトス右近殿」(Titus Ukondonus)が一番よく知られています。
 アレレ? 髙山右近の霊名は、Justus(ラテン語)ではなかったのかな?? 
 
 そうなんです。この劇は、主人公は髙山右近なのですが、ティトス(大友宗麟の家臣)とない混ぜにして、一人の主人公に仕立てて、いくつかの史実を自由な想像力によって構成していっています。というわけで、史実どおりというわけではありません。

 台本は、ベネディクト会の神父で、修道院の学校劇作家として豊富な経験のあるライヒシーゲルが、1721年初演の「ティトス・ブンゴドヌス」(豊後のティトス)を、新しい主人公「ティトス・ウコンドヌス」(ティトス右近殿)に改めて書き直し、1770年(ラテン語版)・1774年(ドイツ語版)として、ベネディクト派のザルツブルグ大学の学生によって初演されていきました。

 実は、この「ティトス右近殿」が、2002年(平成14)12月1日(日)、「府民の森ひよし」(京都府船井郡日吉町)で、日本で初演されたんですよ。[企画:シャウベッカー・デトレフ]

● 劇の構成(日本初演による)
 ・ 序曲
 ・(第1幕)城中の庭、右近邸
  ティトス右近に対する将軍の寵愛、近衛モロドン(毛利元就)のねたみ
 ・(第2幕)右近邸、将軍の間、殿中
法主シャルンガ(日乗朝山)との宗論、モロドンや侍医ヤクイン(施薬院全宗)たちの策謀、右近の殉教の決意、
無言劇(音楽付き)
・(第3幕)右近邸
 右近一家の結束、右近第二のいさおし
 合唱
・(第4幕)将軍の間、殿中
陰謀の頓挫、右近第二の戦勝
 間奏曲
・(最終幕)将軍の間、殿中
 右近の最終的な勝利
・ 終曲

「ティトス右近殿」の劇の音楽は、当時、ザルツブルグ大司教区の音楽担当をしていたミヒャエル・ハイドン(1734~1806、ヨーゼフ・ハイドンの弟)によって、作曲されました。

● 男性のみの修道院学校における劇でしたから、最初のうちは、女性役はありませんでした。1600年頃から、信仰深い女性が登場して来ますが、それも、男性が女性の役を演じています。
観劇も、女性たちがうるさくしたのでしょうか、「女子は喧しきものなり」という理由で、やはり1600年頃から、男女別々に観劇するということもあったようですよ。

※ 劇公演の案内 「JVSTVS UCONDONVS」

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