声優道

超ベテラン声優からあなたへ、声優になるための極意を伝授します。


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辻谷耕史の声優道

『ガンダムF91』シーブック・アノーなど、声優として活躍するだけでなく、音響監督として数々の作品を手がけ、キラ エンタテインメントカレッジで後進の育成にも努めている辻谷さん。まったくタイプの違うキャラクターを演じ分ける秘訣は一体どこにあるのか。辻谷さんがその境地に至るまでの道のりを、全3回のトークでお届けします。

プロフィール

辻谷耕史 つじたにこうじ……4月26日生まれ。2018年10月17日没。
おもな出演作は『犬夜叉』(弥勒)、『うちの3姉妹』(お父さん)、『BLOOD+』(ソロモン・ゴールドスミス)、『まぶらほ』(紅尉晴明)、『無責任艦長タイラー』(ジャスティ・ウエキ・タイラー)、OVA『3×3EYES』(藤井八雲)、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(バーナード・ワイズマン)、映画『機動戦士ガンダムF91』(シーブック・アノー)ほか。音響監督として『閃乱カグラ』『Fate/stay night』『ヤミと帽子と本の旅人』などの作品に携わる。

①大学受験を突然やめて、役者になるべく専門学校へ

人間の体だけで表現するストレートな感覚に惹かれた

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 最初に芸能の世界に興味をもったのは、たしか小学校4年のときです。音楽の授業でバッハの「G線上のアリア」を聴いたんですが、僕らの子供のころにはステレオどころかラジカセすらもあまり普及してなかったので、音楽室の大きなスピーカーから出る音にびっくりしたんです。背筋がぞくっとするような感覚があって、「これって何なんだろう」と思いました。感動というのとはまたちょっと違うのかな。でも全身がものすごく震えて、興味をひかれました。

 それからはバンドを組んだりしていたので、そのままいけば同じ芸能の世界でも音楽方面に進むことになったのかもしれません。でも僕は、小学生のころに野球で指を骨折したせいで、左手の中指がちょっと曲がっているんです。日常生活にはまったく問題ないんですが、ギターを弾きはじめてから指の動きが気になるようになりました。言い訳でしかないかもしれませんが、どんなに頑張っても仕事としてやっていくのは無理だろうと思っていたんです。

 高校3年になると、普通に大学受験をするつもりで予備校に通っていました。ところが、みんなが同じ方向を向いていることに、一瞬「なにか違うぞ」という違和感を感じてしまったんです。このままほかの人と同じ方向を向いて頑張っていったら、同じレールの上を走っていくことになってしまうというか、人生の行き着く先が見えてしまったような気がしたんです。その日のうちに「受験やめた!」と決めてしまいました。そうはいっても、大学に行かないのならほかにやることを探さなくちゃいけないし、両親を説得しなくちゃいけない。それで、今後のことを改めて考える時間がほしくて、自転車に乗って3日間くらい家出をしたんです。今でいう自分探しの旅みたいな感じですね。そして思いついたのが、役者という仕事でした。とはいっても、高校でクラス演劇をやったときに大変面白かったので、だったら役者になろうかなというような、かなりアバウトな感じだったんですけどね(笑)。ただ、それまで音楽をやっていたこともあって、楽器を通してではなく自分の体そのものを使ってなにかを伝えるということが、すごくストレートに感じられて面白かったというのはあると思います。

 意外なことに、両親は僕の決断に対して反対はしませんでした。僕の父は、じつは詩人になりたかったんだけど、食べていけないから公務員になって、趣味で文芸同人をしていたんです。母も美術関係の学校を出ていたものですから、理解があったんでしょうね。ふたりでよく演劇も見に行っていたりもしたので、僕が役者になるといったら「おまえは宇野重吉さんや滝沢修さんを知ってるか?」と聞かれ、「知らない」といったら笑われました。どちらも日本演劇界の重鎮といわれるような方ですから、それすら知らないで役者を目指すなんていっているのがおかしかったんでしょう。それでも、大学に行かせたつもりで4年間くらいは遊ばせておいてもいいだろうという感じで、僕の自由にさせてくれました。もちろん内心は、「やれるものならやってみろ」「役者になったところで、どうせ食っていけないだろう」とは思っていたでしょうね。

 

声優になるとは思っていなかったので、「ガンダム」すら知らなかった

 高校3年の夏に「受験をやめる」と決めてから、僕はアルバイトを始めました。僕の通っていた高校はバイト禁止だったんですが、「卒業後に東京で生活して演劇学校に通う資金を貯めなければいけない」と先生を説得して、むりやり認めてもらったんです。当時の担任の先生というのが、早稲田大学在学中は演劇サークルに所属していたそうで、演劇部の顧問もしているなどその方面に詳しい方でした。その先生から「演劇を学ぶなら舞台芸術学院がいい。日本で唯一の舞台専門の演劇養成所だ」と薦められたんです。パンフレットを見てみたら、卒業生として有名人がたくさん載っているじゃないですか。それで舞台芸術学院に進学を決めました。

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 役者になろうと決めてから、演劇史に関する本を読んだりはしましたが、演技についてはまっさらなほうがいいだろうと、特になにもせずに舞台芸術学院に入ったんです。おかげで「こんなことをするんだ」「こんなことをしなくちゃいけないんだ」と驚きの連続でした。でも、なにもかもが新鮮で楽しかったですね。そこで2年間学んで、卒業後すぐに講師の先生が主宰している劇団に入ったんです。

 今だからいえる裏話ですが、教務の先生は「劇団3○○に行ったほうがいい。豊川悦司の向こうを張れるような役者になれ」と薦めてくださったんです。当時、劇団3○○が注目されだしたころで、劇団員の豊川悦司さんは、僕と同じ歳。さらに、主宰の渡辺えりさんが卒業生だということもあって、薦めていたんでしょうね。それで僕も劇団3○○のお芝居を見に行ったんですが、なんとなく僕には合わないような気がしてやめたんです。教務の先生にいわれるままに3○○に入っていたら、きっと僕は声優をしていなかったでしょうね。

 僕が所属した劇団東演には、『サザエさん』の初代マスオさんの声を演っていた近石真介さんがいらっしゃったんです。近石さんの仕事にくっついていくうちに、男子生徒Aとか村人Bのような声を演らせてもらえるようになって声優を始めたっていう感じです。当時はまだ声優という存在があまり知られていなかったし、声優専門の養成所なんてほとんどありませんでした。ですから僕は、声優に特有のマイクワークのような技術はまったく学んでいないんです。全部、現場に出るようになっていから覚えていきました。それどころか、自分が声の仕事をするなんて考えてもいなかったので、そもそも声優という存在を認識してなかったんです。さすがにアニメを見て「絵がしゃべってる」と思うレベルではありませんが、役者の仕事と声の演技というのが僕のなかで結びついてなかったんですね。アニメを見ていたのも小学6年くらいまでで、『巨人の星』とか『タイガーマスク』止まりでした。おかげで『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のバーナード・ワイズマンを演じることになったときには、うっかり「ガンダムってなんですか?」と聞いてしまい、プロデューサーをものすごくがっかりさせてしまったことが忘れられません(笑)。

 

先輩から学ぼう!

声優相談室、柴田がカツ
最強声優データベース、声優名鑑

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