望まざる「飛び級」 …子どもの編入学年問題を巡る事例調査報告

安場 淳

0.はじめに

所沢の中国帰国者定着促進センター(以下、当センター)は毎期、全国の小中学校に子どもたちを送り出している。この16年間で千人近い子どもたちが小中学校に編入されていったことになる。子どもたちが学校で直面する問題は多種多様だが、ここ数年、いわゆる学習言語にまつわる問題が大きく取り上げられるようになってきた。本稿では、その中で学習言語の発達に深く関わる編入学年に問題を絞って取り上げたい。ただし、紙面の関係から学習言語とは何かという根元的な問題を追究することはここでは行わない。
 編入学年が問題になるのは、たとえば、中国では小学1年生だった子が9歳だったために日本の学制に倣って3年生に編入されてしまうというようなことが起こっているからである。小学校にまだ行っていなかった7歳の子が2年生に、3年生が5年生に、といった例も少なくない。
 これは中国と日本の教育事情の違いによる。中国は日本とは就学年齢が異なり、満6歳または7歳の9月から一年生になる(『現代中国事典』)。また、農村部では就学年齢は都市部よりさらに高い傾向にある。そのため、10歳で2年生、13歳で5年生というケースもままある(「資料1」参照)。これらの子どもたちに日本の学制が適用された結果、望まざる「飛び級」が生まれることになる。
 言葉も習慣も異なる日本の学校生活の中に放り込まれただけでもハンデがあるのに、学年を飛び越してしまった子たちにとっては、教科の学習は越えがたいハードルと映るだろう。たとえば1年生から3年生に飛び越してしまった子の場合、かけ算の九九も習っていないのにわり算をやらなくてはならなくなるわけである。算数は日本と中国でほぼ共通のカリキュラムを持ち、日本語の負担も比較的軽い科目である。しかし、習っていない事柄では歯が立たない。
 しかし、そんな場合でも、話し言葉は流暢になるし、日本の子たちともどんどんなじんでいくため、教師たちにもどこに問題があるかが見えにくく、「よくなじんでいるし、もう大丈夫ですよ。勉強はもともと好きじゃない子みたいだし」という印象で片づけられてしまいがちだ。そして、この子たちがいざ高校入試となったとき、学力1面のギャップが大きすぎてどこにも入れないという事態が起こるのである。
 学齢通りの学年に編入しておいて飛び越した学年分の教科の補習をするという策もあり得る。しかし、「まず学校生活になじむ」という目標に向かっている間は子どもたちには余裕はない。その間の教科学習であまり大きな負担をかけることは望ましくない。かといって、母国での在籍学年を優先させて年齢のかけ離れた幼い子たちと机を並べるのもまた望ましいことではない。年齢が上の子ほど、また年齢が上がっていくにつれ、身体的・精神的な発達上、同級生とギャップが大きくなって辛い思いをすることがあるからだ。
 もちろん、中には一学年ぐらい飛び越してもついていけるようになる子どももいる。そのような子どもにとっては下の年齢の学年への編入はプライドに傷がつくことでもあり、時間の無駄でもある。したがって、子ども本人のことを考えれば、一律に学齢通りの学年に編入すべきだということも、一律に母国での学年相当の学年に編入すべきだということもできないのである。
 いずれにしても、子どもたちにとって編入学年はその先の人生を決めてしまうほどの大きな問題である。しかし、このことの認識が編入学年決定に際して不足してはいないだろうか。これは長期的な視野で子どもたちの発達を見守る体制がなかったことも原因の一つではあるだろう。私たちも実際に何人ぐらいの子たちが望まざる「飛び級」のために長期的な影響を受けているのか、把握できていない。しかし、その実態を知ることは今後の子どもたちへの長期的な視野での支援を考える上で必要であると考えた。これが、今回の調査の契機である。2

1.問題

1-1. 問題の所在

編入学年を巡る問題について述べる前に、来日した子どもたちの長期的な発達について考えておきたい。これに関する長期間にわたる研究は知られていないが、経験的な知見を中心に考えてみる。
 前節でも述べたが、子どもが話し言葉と日本の学校の生活習慣の習得で精一杯の段階では、教科学習は過剰な負担である。そして、やっと話し言葉にも習慣にも慣れた頃には、その間の教科の学習項目が頭に入っていないまま、次の段階の学習に進まなければならなくなっている。特に小学校低学年から中学年にかけては、話し言葉から書き言葉への移行期とされており、この間の学習が抜け落ちてしまった子どもたちが、いわゆる「読み書き能力」3を身につけそこなったまま中学校に進学してしまうことが昨今危惧されている。その影響がはっきりと現れるのが高校入試という選別の機会である。支援者の間では、ここのところ「低い年齢で来日した子ほど(高校)進学率が低い」との印象(財団法人とよなか国際交流協会(1998)がもたれている。4
 また、日系ブラジル人生徒の例だが、梅本(1998)は次のように述べている。「3〜4年でも滞日経験があると、日常の用は一通り足せる程度に日本語が使えるようにはなっている。そのため日本語の学習に対して、特に読み書きに対してはむしろ消極的になるケースが多い。日常生活では一応「困らない」という低水準の満足がより高い水準の日本語学習、ひいては教科学習全般から生徒を遠ざけてしまうことがある。言語獲得の大事な時期(BICS5からCALPへの発展期)にポルトガル語教育が中断されたことで、そして多くの場合、それまで継続されてきたポルトガル語教育にしっかり「接ぎ木」できるような日本語教育が準備されていないために、言語的・思考的なダメージを被るケースも少なくない。」こうした子どもたちのその後の姿を鍛治(2000)はあえて「セミリンガル」と呼び、日本人生徒の中に埋もれてしまって見えなくなっている実態を記述している。岡山(1999)は東京外国語大学『外国人子女の日本語指導に関する調査研究《最終報告書》』(1997)で述べられている「生活言語力と学習言語力」について「年齢が高くなればなるほど、その差を埋めることが困難となる」という認識が学校現場ではまだ深められていないとする。
 問題は編入学年だけにないことは明らかで、「学年」を飛び越したかどうかではなく、発達上必要なプロセスを飛び越してしまったかどうかなのである。この問題の解決に向けては、長期間にわたってみた子どもたちの実態の把握と、それを踏まえたより大きな枠での制度的な支援が必要である。しかし、現状ではそうした抜本的な策がすぐに講じられるとは考えにくい。そこで、より問題を深刻にしないですむための対症療法的な策ではあるが、ここではやはり編入学年に問題を絞りたい。母国での学年より上の学年に編入された場合、学力面のギャップはより大きく、かつそのギャップを埋めるチャンスがより与えられにくくなると言えるからである。

1-2. 編入学年に関わる方針

編入学年の決定に関しては、都道府県単位や市町村単位で基準が設けられている場合や学校長が独自の基準を設けている場合などさまざまであり、一人一人の子どもの特性と長期的な発達促進に鑑みた上で何年生が適当か決定されるとは限らない状況にある。
 しかし、データ量としては不十分であるが、当センターが1997〜98年に行った追跡調査6を例にとると、訪問した11校のうち、編入学年方針について尋ねることができた10校中では「学齢相当の学年への編入」の学校が4件、「学齢相当学年が原則だが(「1学年ぐらいなら」という条件付きで)加齢も認める」が1件、「保護者や本人と相談の上決定」が4件であった。なお、残る1件は自立指導員が教育委員会関係者で、この指導員個人の判断が優先されている例外的なケースである。ということは、ある程度柔軟な決定方針をもっている学校が6校あることになる。

表1 97〜98年に実施した調査対象者の編入学年資料

 

来日年月

滞日月数※

編入時年齢

@中国での在籍学年

A編入学年→調査時学年

日本の相当学年

A−@の年差

編入学校または自治体の編入学年に関する方針

A女

96.2

19+4

16

中2

中2→中3

高1

0

学齢/1年加齢まで可

B男

19+4

10

小3

小3→小4

小5

0

学齢

C男

966

 9+4

10

小3

小5→小6

小5

+2

学齢

D男

 9+4

13

中1

中1→中2

中1

0

E女

 9+4

 9

小3

小3→小4

小4

0

保護者と相談。加齢もあり

F男

 9+4

 6

未就学

1→小2

小1

+1

 9+4

13

小6

小6→中2

中2

0

未確認

H男

11+4

15

中3

中2→中3

中3

-1

指導員裁量(本来は学齢)

I女

96. 10※※

 7+4

13

小5

小4→小5

小6

0

保護者と相談

J女

 7+4

11

小4

小3→小4

小5

0

K男

 7+4

 9

小2

小1→小2

小4

0

L男

 8+4

17*

中2

中1→中2

中2

0

保護者と相談

M男

 8+4

12*

小4

小3→小4

小6

0

N女

 8+4

 9*

小2

小1→小2

小4

0

O男

12+4

 9

小2

小2→小3

小4

+1

学齢

P男

12+4

 9

小4

小3→小4

小3

0

学齢

Q男

976

 9+4

15

中2

中2→中2

中3

0

本人希望+校長判断

※調査時点での滞日月数の「+4」は当センターでの4ケ月の研修期間を示す。
※※96年10月に来日した子どもたちは当センターを翌年2月に退所して学校に編入された。この場合、1ケ月余りですぐ進級してしまうため、中国での在籍学年と同学年への編入を+1として換算してある。
* 本人申告の年齢。この兄弟の場合、パスポート記載ミスの可能性があった

 なお、この10校の中では、母国での在籍学年を編入学年にすることを原則にしている学校はなかったが、文部省の方針が「中国帰国・外国籍の児童生徒については、実年齢相当に編入学し、一時的に下学年に通級することが原則であるが、実年齢よりの下学年に編入学することも可能である」7ことから、それも当然のことと考えられる。
 実際の結果をみると、17件中、中国での在籍学年よりも上の学年に編入されたケースが4件、加齢であるが中国での在籍学年と同じ学年に編入されたケースが12件、中国での在籍学年よりもさらに下げて編入されたケースが1件、であった。
 このように、編入学年の決定に際して個々の子どもの特性をそれなりに考慮に入れている自治体や学校もすでにあるのである。ということは、そうした配慮を行っていない学校に編入された子どもが不運だったという話で終わってしまう。逆に言えば、それらの学校が他府県のケースも参考にするなどして編入学年の決定方針を柔軟化するだけで軽減される問題なのである。そのような軽減策につながる資料を提供することができるのであれば、少ない件数の事例報告でも無意味ではないと考える。

1-3. 今回の調査対象について

 中国から来日した子どもたちの場合、年齢を基準にして編入すれば、同じ学年の日本の子どもたちとは学力の点において、一般に1年ないし2年分の遅れが生じることになる8。その結果、普通でもハンデがあるのにさらにその学年分の負担が増えるわけである。もちろん、中国と日本とではカリキュラムがもともと同一ではないから、ちょうど飛び越した学年分の負担増ということにはならない。しかし、平たくいえば鉛筆を持つようになって何年たつかといったレベルでの学校生活への適応度はある程度共通の基準と考えてよいだろう。
 中国でも教科の成績が非常によかったような子どもの場合、1学年程度なら飛び越して編入されても本人の努力で何とか追いつきさらには追い越すことも可能である。そこで、今回はこのような子どもは対象としないこととする。また、中国の学校ですでに教科学習に困難を覚えていた子どもたちの場合9、彼らの日本での困難は想像に難くない。これらの子どもたちの問題が深刻であるのは事実だが、これらの子どもたちへの支援が現行の制度下ではさらに容易でないことも想像に難くない。
 上記のことから、今回は「〈中国の学校では“そこそこ”勉強もできて、そのまま中国の学校に通っていれば一人前の大人としての“読み書き算盤”の力はついていたはずの子どもたち〉のその後」に対象を絞ることとした。その中で、学齢相当学年の原則を適用されて上の学年に編入されてしまった子どもたちにまず焦点を当てたい。それはこれらの子どもたちが、日本に来たがために基本的な“読み書き算盤”の力を身につけそこなったまま、社会人として生活していかざるを得なくなっているのではないかという危惧があるためである。

1-4. 編入に際しての条件

 ここで、現行の学校教育制度という条件下で外国から来た子どもたちの発達をできるだけ十全なものとするために、編入学年決定の際に考慮されるべき条件を考えておきたい。
 経験的には、その子どもの@発達の状況、A母国での在籍学年・在籍月数、B年齢(学齢)、C本人および保護者の希望、D編入後学習支援の得られる程度、E保護者の子どもの教育に対する関心などの家庭環境 が挙げられる。Eは重要な条件であるが、広い意味ではDの学習支援の下位項目と考えられる。ただし、帰国者家庭の場合、両親が来日後も子どもの教育に高い関心を持ち続けることは困難な場合が非常に多いことや、たとえ関心があっても、中国の学校観・教育観(子どもの学力は学校が厳しく指導してくれさえすれば身に付く)に基づいて保護者自身が支援の手をさしのべることは少ないことは踏まえておくべきだろう。
 そして、これらのどれかの基準をもとに(文部省の方針ではBが原則)編入された子どもの、何年か後の発達状況をみる必要がある。何をもってその子どもが十全な発達を遂げているかを測定するような道具は立てにくいものであるが、ここでは、a)教科学習で追いつくこと、あるいはb)日本の学校教育の基準では追いつけていなくても社会に出たときに困らない“読み書き算盤”力を身につけること(これが何を指すのかは未検討であるが、その一部はいわゆる学力とも無縁ではないだろうと考えられる)を指標として取り上げたい。学校生活は教科学習だけではなく、c)「級友たちと親しく交われる学校生活を送ること」ももちろん重要な目標であるが、今回は上で述べたa)とb)を主に取り上げるものとする。
 子どもの十全な発達を保障するための大きな制度的柱に進学進路の保障がある。義務教育が機能していると考えるなら、今の日本で具体的に言えば、それは高校進学機会の保障ということになるだろう。しかし、自治体によってその保障状況は大きく方針が異なっていて問題を複雑にしている。たとえば、来日後4年以内であれば、特定の高校に特別入学枠を設けている県があるとする。この県に定住した、中国で5年生、日本の学齢では6年生にあたる子どもの場合、在籍学年や日本語力を考慮して5年生に編入した場合、高校入試は5年後になる。その時には規定の滞日年数を超えてしまい、学齢通りに編入されていれば受けられた特別枠での入試が受けられないということになってしまう。
 また、仮に高校入学という進路が保障されたとしても、子どもたちの多くにとっては学力が伴った進学ではない。入学後、学習面で支援が得られなければ、結局その生徒は“読み書き算盤”力を身につけられずに高校生活を過ごすことになる。その結果が、高い中退率(鍛治(2000))につながっているおそれも否定できない。逆に、高校入学後もそのような支援が保障されているのであれば、年齢≒身体・精神的発達を優先した編入学年の決定が望ましいと言える。実態把握に際しては、このように地域によって大きく異なる支援策を踏まえることが必要になってくる。

2.調査の方法

2-1. 対象者

 対象者は当センター修了時に「子どもクラス」に在籍した者から選んだ。その中で、日本での編入学年が中国での在籍学年(低〜中学年)より上の子どもで、現在まだ学校教育を受けている可能性が高く、かつ日常会話に支障がなくなる程度の期間を経過した者という条件で、@来日後3年〜7年、A来日時(正確には当センター退所時)11歳以下だった子どもをリストアップした。その中から実際に訪問の可能な候補を絞り込み、結果として3件の調査を実施した。

2-2. 方法

 当センター在所時のクラス担任など、原則として本人をよく知っている者が2人1組で対象者の在籍する学校および/または自宅を訪問し、本人およびクラス担任ほかの教師、(可能ならば)保護者へのインタビュー(半構成的面接)と学校/家庭での観察を行う。保護者へのインタビューは原則として中国語で行う。
 調査項目は、1-4.で条件として挙げた諸項目のうち、D編入後学習支援の得られた程度、E保護者の子どもの教育に対する関心などの家庭環境と、指標となるa)教科の学習状況を担任教師へのインタビューによってみるものとし、その中でb)「社会に出たときに困らない“読み書き算盤”力」の習得状況については国語等の教科の学習状況などを参考にし、可能であれば、語彙の客観テスト10を実施することとした。c)「級友たちと親しく交われる学校生活を送ること」については担任教師および本人へのインタビューと調査者の観察によった(1日だけの観察であるため、大いに不十分ではあるが)。また、F学校の編入学年に関わる方針について学校側の関係者にインタビューを行う。なお、d)高校進学の保障は指標というよりは条件であるが、その子どもの置かれた現状の一端とみなし、ここで取り上げることとした。d)については必要であれば、高校入試の特別措置などについて県の担当者へも問い合わせるものとする。
 1-4.の条件のうち、@発達の状況、A母国での在籍学年・在籍月数、B年齢(学齢、すなわちその年度に何歳になるか)、C本人および保護者の希望については当センター入所時の資料にもとづいて記述する。

3.調査の結果

 A、B2人の対象者について報告するが、Aについてはかつて在籍していた小学校と現在籍校である中学校の2ヶ所を訪問することができたこと、Bについては編入1年後と3年後の2回訪問調査を行うことができたことで、ある程度系時的なデータが得られたと考える。また、Bは同じ市内にも外国人生徒が多く、そのための巡回指導のある学校、Aはそのような支援のない学校に在籍している。
 なお、プライバシーの保護上、一部のデータを不明瞭に記述してあることをお断りしておく。

3-1. A(男)  …調査時点で滞日4年10ケ月、中学1年生に在籍

・訪問先…小学校と中学校、自宅を訪問した。本人以外には、小学校では当時の担任および教頭、中学校では担任および教科担任、姉の担任にもインタビューすることができた。学校側は非常に積極的に調査者を迎え入れてくれた。自宅では姉、父母、祖母と面談した。
以下は編入当時の状況を示すデータである。
 @ 発達の状況…当センター時(1995)の資料:小学1年生の算数テストが6割程度できるようになっていた。修了時の担任の観察では、1年生の漢字はほぼ読み書きでき、平仮名はほぼ読み書き可、片仮名はいくつかの単語が読めるようになっていた。身体面の発達的には身長124.4cm、体重27.8kg。1997年の文部省データでみると身長は小2の平均値に近く、体重はほぼ小3の平均値である。
 A中国での在籍学年・在籍月数…小学1年生に半年在籍
 B年齢・学齢と編入時期…編入時は8歳数ケ月。学齢上は小3。小3に編入される
 C本人および保護者の希望編入学年…小1
 D学校内外での支援の程度…
  ・編入当初、担任教師が小学1年生の国語教科書コピーを毎日手渡しし、自宅学習を促す。同じ小学校に在籍する姉や級友、母親がこれを手助けした。
  ・保護者と中国語のコミュニケーションができないことを心配した同担任はA家に中国語を習いに通い始める。そのうち、A宅によく来ていた親戚の中国人数人に日本語を教えることになり、今も週に1回A家に通っている。
 E家庭環境…
  ・編入当初、母親は自宅学習を毎晩見てやっており、未習のまま飛び越してしまったかけ算の九九については日本語の九九の言い方を習ってきてAが憶えるまで指導するなど、大変熱心だった。父親は子どもの学習には関わっていない模様。祖母は日本語が母語で、母親が日本語の会話ができるようになってくるにつれ、家庭内でも媒介語としての日本語の比率が高くなる。調査時には父母間は中国語だが、Aと姉、母親間は日本語、父親に対しても日本語で話しかけている。小学校の時の担任によれば、保護者会などの時には母親が来て家庭学習について聞いてくるなど熱心だったという。
  ・Aの住む地域は静かな農村地帯。学校の中も落ち着いた雰囲気だった。
 F編入学年方針…
  ・小学校時代の教頭の談話によれば、5〜6年前に文相通達があり、学齢相当の学年に入れざるを得なくなったという。なお、当センターの修了書類(本人および保護者、担任の希望編入学年を添えたもの)は参考にされていない。

 続いて、その後の学校生活の状況についてだが、
a) 教科学習面…
  ・本人の談話では「算数と国語が嫌い。理科(実験があるから)と技家(実技があるから)が好き」とのことだった。各教科担当教師とのインタビュー結果は「理解力は劣るが、授業にはついてきているので特に心配していなかった」という答えが主だった。各教科内容の理解についても、説明してやれば理解できない訳ではないが、定着しないとのこと。2学期末テストの成績はクラスの最低ライン。
  ・3−4年時の担任は「4年の終わりには算数は普通にできるようになっていたが、文章題の読みとりはできなかった」、小学校5−6年時の担任によれば、「中国から来た子なのに漢字の読み書きができなくて最初は驚いた。国語の文章と算数の文章題の読み取りはできなかった」とのことだった。
b) 社会に出たときに困らない「読み書き算盤」力…
  ・客観テストについては、同席していた姉が調査者が持参していた語彙テストに関心を示し、姉と調査者がこのテストを一緒に見ていたところ、本人の方から意欲を示したため、やってもらったところ、結果は日本語語彙が小5レベル、日本語の漢字の読みは小3レベルとなった。
  ・読み書きのうち、「読み」を仮に新聞が読める程度の読みとり力としてみると、小3レベルの漢字力では音読することだけをとってみても困難ということになる。ただし、読み書き行動との近しさについての情報としては、国語の授業で本人が好んで読んでいると級友に紹介したのはマンガ『GTO』を小説化したものだったことが挙げられる。まったく読み物と無縁の生活を送っているわけではないことが窺える。本人談ではマンガも読んでいる。書く力については、国語科担当教師によれば、話し言葉をそのまま文字にした書き方で、漢字もほとんど使っていないが、言いたいことは伝えることができるとのこと。
c) 学校生活…
  ・中学校の学級担任は「素直で優しい子で、仲良くやっている。部活の練習もまじめに参加している。のんびりした性格の子だし、普通の日本人生徒としてクラスにとけ込んでいるので特に問題は感じていなかった」という。
  ・小学校時代の学級担任は「まず学校生活にとけ込むことを重点において指導した。楽しい学校生活が送れたと思う」とのことだった。修学旅行時の作文などを見せてもらうことができたが、旅行中に起こった本人にとって面白かったエピソードを伝えようとして書かれている。
d) 高校進学機会の保障…
 Aの住む県では、中国帰国生徒のための入試特別措置や特別入学枠は設けられていない。また、仮に措置があったとしても、滞日年数が入試時には6年を超えるため、適用範囲外となる可能性が高いだろう。数学担当教師によれば、数学の今の成績では県立は無理で、このような生徒の場合、この地域から長距離バスで1〜2時間ほどかかる都市にある企業内定時制高校や高等専修学校に行くか、就職するのが一般的とのことだった。

3-2. B(男) …調査時点で滞日3年8ケ月、中学2年生に在籍(小学校6年生時に行った訪問調査の結果と合わせて述べる)

  ・今回は中学校と自宅を訪問した。本人以外に中学校では担任、昨年同校を卒業した兄の元担任および校長、自宅では父親および祖母と面談を行った。
 @ 発達の状況…所沢センター時(1996)の資料:計算力テストは小2−3レベル。中国語の語彙テストは小2レベル。修了時の担任の観察では、平仮名片仮名および日本の小2の漢字はほぼ読み書きできるようになっていた。担任所見では、本人にとって「難しい課題は敬遠しようとする傾向があるが、励まして自信をつけてやれば取り組んだ」とのこと。身体面の発達的には、身長132cm、体重27.5kgで、これは1997年の文部省データでみると身長は小4の平均値にやや及ばず、体重はほぼ小3の平均値である。
 A 中国での在籍学年・在籍月数…小学3年生に10ケ月在籍
 B 年齢・学齢と編入時期…編入時は10歳7ケ月、学齢上は小5。小5に編入される
 C 本人および保護者の希望編入学年…小2。担任の所見では年齢等を考慮して小3。
 D 学校内外での支援の程度…
   ・小学校編入当時、学校からの要請を受けて、市教委より週1回1時間の巡回指導が行われた。児童の母語が使用できる指導者が取り出し授業を行う。Bの住む市には中国語が使用できる担当者が何名かいて、市内の小中学校に指導に行っている。初期指導をとりやめる時期は巡回指導担当者の判断による。
   ・編入当時の担任教師は小中の他の教師と一緒に市の中国語講座に通い、「なかなか覚えられないが、一言でも話せると子どもが喜ぶ」と積極的だった。また、学内に中国語クラブを作って活動していた。メンバーは中国から来た児童3人、日本人児童2人と担任教師。中国語と日本語を教え合ったり、中国語の歌を歌ったりしている。「(3年前に来日した)一人の子が中国語が読めないから」と、中国語の読み書きを専らBが担当していた。
   ・中学校にも、やはり生徒の母語ができる指導者が月に1回2時間巡回してくる。取り出しの形で教科の補習や通信文書の翻訳などを行う。学校側はカウンセリング的な効果も期待している様子。ただ、B本人に確認すると、補習時間内には教科の補習などはあまり行われていない。また、「(巡回の先生が)中国語で言ってくれても(もう)あんまりわからない。けど友だちが一緒だから行く」ということだった。

 E 家庭環境…
   ・Bの住む地域は比較的大きな団地の続く地域。
   ・小学校時:父親は体調が思わしくなく、入院・手術をしていた。保護者はBが「飛び級」したことで勉強についていけないのでは、と心配していた。Bの関心がスポーツや遊びばかりに向いて、あまり学習に熱心とは言えない状態については、「勉強したことがない事柄が多くて、できないからそうなったのではないか」と調査者が尋ねると「そうだと思う」と答えた。Bの勉強があまりにもできないので、小6をもう一度履修できないか、と調査者に尋ねてきた。しかし、調査者が出席さえしていれば卒業できることを言うと「うーん…」という感じであった。
   ・中学時:祖母、父親ともに体調がよくないが、母親は健康でパートに出ている。中2という年齢もあるだろうが、家庭では親とはあまり話さないとのこと。曰く、「(話すのは)一日10回くらい」、「通訳はできない」。定時制高校に行っている兄とは「(兄は)朝は9時か10時頃まで寝てるし、帰ってくるのは遅いし、あんまり話さない」、話すときは「中国語が混ざった日本語」とのこと。訪問時には、調査者の日本語を父親や祖母に対して翻訳して伝えることはしていたが、どのくらい複雑なことが伝えられるのかは未確認。こちらが「今、先生が話したこと、お父さんに伝えて」などと水を向けても「後で話すから、今はいいよ」とその場では言わなかった。家庭内では中国語で話している。祖母や父親の中国語での指示に日本語で答える(答えるというか日本語で独り言のように文句を言ったりコメントしたりする)。急須を洗ってこいなどの指示に対しては文句をいいつつ従っている。「お子さんの勉強はどうか」との調査者の問いかけには、保護者は「学校が終わったらテレビばっかり見ていてちっとも勉強しない」とのこと。諦めている感じだろうか。
 F 編入学年方針…小学校の教頭によれば、校長裁量で決定するとのこと。当センターの修了書類は編入時の担任のところにあったが、参考にはされなかった様子。

 以下、現在のBの状況などについて述べる。
a) 教科学習面…
  ・小学校の時も、勉強にはなかなかついていけなかったようだ。6年時の担任が「国語や社会が大変なのはわかるが、算数もそれほどできない」と述べたことに対して、調査者の方から学年を飛び越してしまったことを説明した。5年に編入し進級した後だったので、6年時の担任はそのことを知らなかった。
  ・中学校では、「ほぼ最低レベル」だという。学校側は学力の高低も生徒の個性のうちという考え方で対応しており、また校長は環境が変われば伸びることもあるからという考え方を示した。
b) 社会に出たときに困らない「読み書き算盤」力…
  ・中学校の担任によれば、読み書きにはやはり多少難があり、書くのも速くなく、清濁や促音などの表記を間違えることもあるという。国語の教科書の読解などもわからないことがある模様。
  ・客観テストは実施しなかった。また、調査者が学校用に持参していた中国語の対訳付きの教材を見せたが、「見ても中国の字は全然わからない」とのことで、中国語の語彙テストはたぶんできないだろうと判断した。また、こうした教材や資料に対してはあまり積極的な態度を示さなかった。
c) 学校生活…
  ・小学校時の担任によれば、編入当初は取り出し授業を待ちわびていたが、6年生になってからはそうでもなくなっていったという。調査者・担任の観察ともに同級生からよく助けられ、話しかけられている様子だった。友だちも家によく遊びに来ているようだった。
  ・中学校ではなじんではいる様子だった。部活には参加していない。放課後は家でごろごろしているという(本人談)。調査者とは校長室で20分ほど話したが、校長室に入ったのはこのときが初めてとのこと。「今、好きなことは何?」と聞いても「別にない」とのこと。会話した内容から、ゲームをやったりパソコンを使ったりはしている様子。もうじき修学旅行に行くということだが、「いいね、楽しみ?」と聞いても「別に。めんどくさい」との答え。13歳の男子としては普通の反応か。担任によれば、同じ帰国生である男子生徒と仲がよく、いつも一緒にいるとのこと。その子とも日本語で話している。担任は本人が何か悩んでいるのではないかと気にかけている。校長は「この年の男の子だからたくさん悩むのは当然、それを乗り越えてこそ」とのスタンスを示した。
d) 高校進学機会の保障…
  ・中学の校長は「その生徒に合った進路の保障をする必要がある」という姿勢を持っており、生徒の進路保障に非常に熱心であるとの印象を受けた。この地域では、毎年、受験時期の前に中学の校長と高校の校長同士の会議があり、そこで「中国引揚子女」の特別枠で受け入れるかどうかが決定される。各生徒の特性について中学側が説明し、ふさわしいと思われる高校に受け入れを求めるようだ。高校への教員の加配制度はないため、入学後のケアは学校によって異なるとのことだった。

4.考察

4-1. 学力とその原因帰属について

 今回の事例調査はわずかなケース数であるので一般化は危険であるが、この2ケースについて言えば、学力面で抜けた穴をその後の支援で埋めることは不可能だったと言える。2ケースとも当センターでの学習成績は悪くない。今となっては仮定にすぎないが、そのまま中国の学校に通っていればそれなりの学力は身についていたと想像し得る子どもたちだった。現在の成績は2人ともクラスの最底辺である。
 Bは支援の比較的手厚い地域に定住し、相当の支援を受けてもいるが、その目的が学力の手前の「楽しい学校生活」にあったためか、学力の補充にまではいきついていない。時期的にもはじめの1〜2年はそれで精一杯であるとも考えられる。また、Aは制度的な支援はなかったが、熱心な担任のボランタリーな補習を受けている。また、保護者が非常に教育熱心であるという家庭環境にあったため、九九などの最低限の学力の補充はなされたが、中学校の教科に有効なレベルには到底達していない。
 Aは、教師からみると「素直で優しい、のんびりした性格」と認識されていた。Aのような子どもの場合、日本語の会話力だけみれば同級生と何も異なるところがなくなった時期には、教科学習の困難も本人の性格や努力不足に帰されがちである。今回の訪問でも学級担任をはじめ、教科担当の教師たちからは「成績はひどいが本人は楽しくやっている。それなりの成長をするだろうから、何も心配することはないのでは」という反応が主だった11
 これには地域の外国人人口の多寡も関与していると思われる。Aの住む地域では、他に日系人生徒や国際結婚の帯同児など外国人生徒が少数いるが、教員の加配はない地域である。学力面では最底辺にあっても、飛び抜けた最低ではなく同じような成績の日本の子たちもいるレベルに“達している"場合、支援も同じ程度になるだろう。そして、高校入試時にはその成績なりの進路を選ぶことになる。
 翻って、Bの学校には母語の使える指導員が巡回してきており、同じく帰国生徒である友人とともにBは今もそのクラスに出席している。この事実だけからでも、教師たちは良くも悪くも「この子は中国から来た子だから」と認識し続けることが可能である。また、Bの兄が数年前に日本語がほとんどできない段階でこの中学に編入されて昨年卒業しているため、そのことを知っている教師はBのことを中国と結びつけて考えるだろう。高校入試に際しても特別措置がある。Bのような子どもは「外国人」生徒として扱われる地域であるといえる。逆にそのことがBにとって負担となっているおそれもまた否定はできない。
 しかし、Aが「日本人」生徒と見なされているとして、仮に日本で生まれ育った低学力の子であったとしても学力がつかないことには原因があり、それを取り除いてやることは必要である。また、それはある程度ならできないことではない。しかし、Aの在籍する中学の教師の弁を借りるなら、学内の横並び主義のため、能力別の補習などは教師が提案してもかえって生徒たちから敬遠されてしまうという。これは帰国生徒・外国人生徒だけの問題ではなく、日本の学校に在籍するすべての子どもの学力保障を考える上での大きな問題であると言える。

4-2. 社会に出たときに困らない「読み書き算盤力」とは

 二人とも読解力の評価は低いが、読むことへの親近感でいえば、Aはマンガは読むし、マンガの小説化された読み物などにも目は通している様子だった(Bの方は、そのような読むことへの親近感を示す情報は得られていない)。
作文力もともに低い評価を受けており、Aの場合、漢字はほとんど使えていないが、ABともに自分の思うことや起こったことを時系列的に記述することはできるという()。彼らのような子どもたちがこのような読み書き力のまま、将来社会に出てそのことで不利益を被ることはないのか、あったとしても、今後、別の方策によって力を伸ばせる可能性はあるのか、またそれは本人の努力だけで伸ばせる領域なのか、未だ探究できていない課題が多い。
 もし、何語であろうと書き言葉を習得する重要な時期の学習が抜けてしまったことに読み書き能力が身についていない原因があるのだとすれば、同じようにその力を身につけそこなっている、日本で生まれ育った子どもと共通の問題なのかもしれない。しかしまた、帰国者家庭という、日本社会からみれば異文化の家庭環境に育っていることが、そうでない日本の子どもとは異なる影響をもたらしている可能性も否定できない。すでに成人した、同じ境遇の二世三世への追跡調査を行う必要が示唆される。

4-3. 編入学年決定の方針と進路の保障の関係について

 Aの住む県では、文部省の通達によって編入方針が決まったとしているが、文部省自身は通達は絶対的なものではないと言明している12。もし、そうであるなら、そのことの周知徹底だけで学習面での困難の軽減される子どもが増えることになるのだが、クラス編成に関する会計監査との絡みなどがあって問題は単純ではないようである。
 ただし、1-4.でも述べたように、編入学年決定の方針は高校進学の保障および高校進学後の支援の有無と合わせて考える必要がある。高校入試の特別措置のある自治体では、措置を受けられる範囲が滞日年数で制限されるところがほとんどである。そのような場合、なるべく上の学年に入れて措置を受けるのに間に合うようにした方が高校に入学しやすいという事態が起きる。かといって、入学後の支援がなければ学力には穴が空いたまま放置されることになり、ついていけなくなってせっかく入った高校を中退する結果にもなりかねない。
 Bの住む県では高校入試に際して海外帰国生徒のための特別措置がとられているが、来日後3年以内という条件がつく。Aの住む県はもともと他府県に比べれば中国帰国者の少ない県である。そのためか、海外帰国生徒のための特別枠は設けられているが、その条件に中国帰国生徒が該当するかどうか、今までに該当したケースがあったかどうかについても県担当者は把握していない(電話でのインタビューによる)。

4-4. 思春期の子どもたちの内面的世界について

 ABともに朗らかな性格で学級になじむのは早かったという。Bは1回目の訪問時には調査者に対してもよく話しかけてきたが、現在中2であるBはあまりおしゃべりをしなくなっている。Bの担任をはじめとする学校側もBの本心を推し量ろうとして推し量れない思いがあるようだった。しかし、これが深刻な内面的な問題の現れなのかどうかは、調査者の久しぶりの、かつ一度だけの訪問では判断が不可能だった。
 中1のAは調査者に対しても積極的に話しかけてきたが、それがAがまだBのような時期に入っていないからなのかどうかも同様に一度の訪問では判断がつかない。
 しかし、中学〜高校生時代はどこの国の子であろうといわゆる難しい年頃である。本人の中ではいろいろな不満や不安が渦巻いていても表出しないことも多くなり、特に自我や実存に関わるような領域のありようを把握することは小学生のときよりも困難になる。このことは今後の調査に際してふまえておくべき点だろう。

5.今後の課題

 今回の調査結果は少ない事例であるため、結論を導き出すことは避けるが、調査結果からは以下のことの必要性が示唆される。

5-1. 小中高〜成人年齢までの期間を通しての子どもたちの実態把握

 小学校低〜中学年で来日した子どもたちの、その後の読み書き能力の習得状況などについて述べるには、やはり多くの縦断的なデータが必要である。
 その前提としてクリアしなければならない問題を以下に挙げておきたい。
 @「読み書き能力」「学習言語」「学力」などの概念規定
本稿では不問に付したが、信頼性のあるデータのためには概念規定は避けられないだろう。なおかつその規定は、一人の子どものある分野の能力を別人が測定・評価する行為そのものの当否の問題、なかんずく今まさに成長しつつある子どもに対する評価行為の影響という問題がクリアされていなければならない。しかし、これは簡単なことではない上に、そのための検討を続ける間にも“待ったなし"で子どもたちは来日し、日本で成長を遂げ、社会に入っていってしまうのである。子どもが支援を受けながら自ら到達度把握のために行う自己評価や、支援者と共同で行う形成的評価など、可能な方途を案出しなければならないだろう。
 A調査の方法(継続した接触が必要)
思春期の子どもたちの実態把握が困難であることは前節でも述べた。その把握のためには、継続した個人的な接触(およびそこから生まれる信頼関係)が不可欠になる。しかし、そのような調査は当センターの現体制では実施が困難である。そこで、継続して接触している支援者を通しての調査など、信頼性のある代替策を考えなければならないだろう。
 B調査者が訪問するということ自体の及ぼす影響
難しい時期にある子どもたちのもとを調査者が訪問すること自体が及ぼす影響の大きさは無視できない。特に所沢センターの講師が修了生を訪問した場合、子どもたちは所沢センター時代を思い出し、否、美化し、それまで意識していなかった自分の今置かれている立場と比べて辛く感じるようになる可能性がある13。そのようなことが起こった場合、その子どもの在籍する学校で懸命に支援に当たってくれている教師たちの気持ちを結果として裏切るような方向に子どもが動くこともあり得るし、何よりもせっかく定着地でそれまで持ちこたえていた子ども自身がその気力を失ってしまうことさえあり得る。所沢センターに限らず、現状に言葉にならない不満を抱いている子どもに対して外部の調査者の訪問が無用の混乱を与えてしまうおそれは大きい。
 もちろん、調査者はそのようなことがないように配慮して訪問に臨むべきである。しかし、調査をすること自体が今まさに生きて成長しつつある、感受性の敏感な年代の子どもたちに影響を与えてしまうということに私たちは充分に慎重であらねばならないだろう。
 Cすでに成人している二世三世に対する調査
 すでに成人し、社会人となっている二世三世の場合、仮に今読み書きで不自由を感じていたとしても、時間的物理的に学習資源へのアクセスは容易ではない。そうした状況にある人たちに対して調査を行う以上、本人たちが望めば今からでもその力をつけるための支援が得られる手だてを講じた上で臨むのが筋だろう。
 なお、彼らが小中学校に在籍していた当時と現在とでは学校現場の支援状況は全体として大幅に改善されているので、調査結果の解釈にあたってはそのことを考慮する必要がある。

5-2. 各自治体における編入学年の決定方針および高校進学の保障内容の把握

 現状では自治体によって子どもたちへの支援状況がかなり異なる。できるだけ定住地の違いによる不公平を軽減するため、情報の公開や事例を通しての自治体への働きかけが必要になってくる。現時点で、当センターではホームページ上の「ネットワーキングしましょう」欄内「こどもml」内にコーナーを設け、各都道府県の中国帰国生および外国人生徒のための高校入試特別措置について、不十分であるし、実態を完全に反映しているとはいいがたい面もあるが、すでに公開されている情報を掲載している。http://www.kikokusha-center.or.jp/

5-3. 定時制高校、単位制高校など高校教育改革との連動の可能性

 日本の学校教育が今、相当の困難に直面していることは周知の事実であるが、文部省は「教育改革プログラム」を掲げ、各自治体の取り組みを推進している。その中で高等学校教育については、「生徒の多様な能力・適性、興味・関心、進路希望などに対応し、その個性の伸長を最大限に図るため、特色ある学校・学科づくりや、選択中心のカリキュラム編成の推進など、高等学校教育の個性化・多様化が進められている」(文部省(2000))。改革の内容として、総合学科や単位制高校その他新しいタイプの高校の設置など様々な試みが各地で進められつつある。
 その結果、小中と何年も学習面で困難を覚えてきた帰国者・外国籍の子どもたちがそれでも高校進学の意志を持ち続けることができれば、中学校で得られなかった学習支援の機会が補償教育として高校で得られる可能性が生まれている。もちろん、本来は小中在学中にそうした支援の機会が得られるべきなのであるが、現実にその可能性は高くない。そうであれば、今実際にそうした支援が得られるチャンスとして定時制・単位制高校等の改革から目を離さず、可能ならば働きかけをしていくべきだろう。今後の課題である。


【引用・参考文献】

天児慧他編(1999)『現代中国事典』、岩波書店。
梅本霊邦(1998)「全朝教セミナー『鶴見からの発信』−内なる国際化に学校教育はどう対応し、どう変わるのか?」配布資料。
岡山輝明(1999)「外国人生徒の受け入れと共生社会の創造」、『軍縮問題資料』1999年3月号。
小野博、五十島優。林部英雄、池上摩希子(1998)「中国から来日した児童・生徒の日本語・中国語力及び計算力についての調査とその応用」、『中国帰国者定着促進センター紀要』第6号。
外国人子女の日本語指導に関する調査研究協力者会議 (1997)『外国人子女の日本語指導に関する調査研究《中間報告書》』、東京外国語大学。
外国人子女の日本語指導に関する調査研究協力者会議 (1998)『外国人子女の日本語指導に関する調査研究《最終報告書》』、東京外国語大学。
鍛治致(2000)「中国帰国生徒と高校進学 −言語・文化・民族・階級−」、蘭信三編『中国帰国者の生活世界』、行路社。
財団法人とよなか国際交流協会(1998)『国際理解セミナー講演集−中国帰国者の子どもの声なき声から学ぶ−』、財団法人とよなか国際交流協会。
文部省(2000)『高等学校教育の改革に関する推進状況』。


 1 ここでいう「学力」は教科学習の成績で代表させるものとし、それが真の学力であるかどうかという根元的な問題はここでは問わない。
 2 この節は中国帰国者の支援者ネットワーク紙『同声・同気』18号巻頭言を修正したもの。
 3 ここでも学習言語同様、「読み書き能力」の厳密な定義は追究しない。一般的な用語として解釈していただきたい。
 4 鍛治(2000)によれば、「低年齢来日=低進学率」説は支援者からよく聞くが、統計的な裏付けは未だ得られていない。
 5 BICSとCALPはともにCumminsの用語、それぞれbasic interpersonal communication skills、cognitive academic language proficiencyの略語で、いわゆる“生活言語”“学習言語”に対応させられることが多い。
 6 編入された子どもたちのおかれている状況を把握し、当センターでの支援に反映することを目的に行った調査。池上「資料2」参照
 7 2000年2月の当センターより文部省への問い合わせの回答による。
 8 中国では教科の成績が高ければ「飛び級」することも可能であるし、都市の一部の学校では早期英才教育を施しているところもあるが、これらはごく少数の例外と考えてここでは取り上げない。
 9 中国の学校教育は日本に比べると遙かに適格者主義で、落ちこぼれる子どもへのケアがなされていないことが知られている。
 10 小野・五十島・林部・池上(1998)を参照。すでに学校教育の中で取りこぼされている子どもに対して、さらに客観テストを実施することの本人にとってのマイナス効果は大きい。したがって、その後の支援へのベースライン把握といった位置づけがなされ得る場合や本人たちの意欲が確認された場合以外は、実施しないことを原則とする。
 11 同じように小学校から上がってきた姉(小3から小4に「飛び級」した)が学習適性がもともと非常に高く、中学では日本人生徒に学力面でも劣らない成績をとっていたことから、ますますA本人の努力不足に原因を帰せられやすい環境だったと言える。
 12 当センターから文部省への問い合わせへの回答による。
 13 今回の調査でもそれに類することが起こっている。