温厚、努力の人……重野元社民幹事長死去
中沢絢乃、中島健
2021年4月10日09時30分
【大分】社民党元幹事長の重野安正さんが9日、79歳で亡くなった。村山富市元首相を党県代表として支え、社会党からの党名変更や民主党との連立政権からの離脱など激動期の党務を担った。2012年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、その後療養生活を送っていた。往時を知る関係者からはねぎらいの声が上がった。
重野さんは県職員から県議を経て、2000年の総選挙で大分2区に立候補。比例復活で初当選した。
社民党県連合の元代表で、同じ時期に県議を務めた内田淳一さん(81)は「非常にまじめで温厚な人だから国政に担がれた」。重野さんは、政権交代につながった09年の総選挙では選挙区で当選した。「コツコツ積み重ねる人で努力家。彼が2区の支持の礎を築いた」
重野さんが倒れたのは、12年の総選挙目前だった。「体もしっかりしていたから、無理していても周りが気づかなかったのかも知れない」と残念がる。その後、何度か自宅に行ったというが、「話は聴くことができても言葉が話せずに意思表示に苦労していた」という。「変わりないと聞いていたので、こんなに早いとは思わなかった」と惜しんだ。
連合大分の佐藤寛人会長の記憶に残るのも、09年の総選挙。当時民主党の小沢一郎代表代行と重野さんが農家を回り、選挙区での勝利につなげたことを覚えている。「県内の労働運動を支えてくれた大きな人。とても残念だ」と話した。
20代の頃から県職労で運動をともにした佐藤晴男さん(78)によると、重野さんは社民党の衰退に対して「なんとか再起できないか」との思いを抱いていたという。9日も重野さんの姿を大分市の病院で見送り、「長いことご苦労様でしたな」と言葉をかけた。
重野さんの元秘書で、2012年に重野さんが倒れた後、地盤を引き継いで立候補した吉川元・衆院議員=立憲民主=は「大分の父親と慕ってきた。まだまだ元気に長生きして、色々なことを教えてもらいたかった。残念でならない」と話した。
大分2区で議席を争ってきた自民党の衛藤征士郎衆院議員は「重野さんは県職員出身、私は玖珠町長出身と、地方自治を原点として切磋琢磨(せっさたくま)してきた。見識と人望はよく存じ上げている。本当にいいライバルでした。ご冥福を心からお祈り申し上げます」と話した。
広瀬勝貞知事は「県の農業振興に取り組まれ、県議、衆院議員として県の発展に尽力いただいた。行政経験者として地方自治振興にも力をいただいた」とコメント。臼杵市の中野五郎市長は「議員時代は地域に密着した活動を続け、誠実な人柄から多くの市民に親しまれていた姿が思い浮かびます。安らかにお眠りください」とコメントした。(中沢絢乃、中島健)