【戦後70年 核物理学の陰影(下)】悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」(3/9ページ) - 産経ニュース

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戦後70年 核物理学の陰影(下)

悲運の加速器、海底に沈む 「米国の誤謬、もはや絶望」

 理研の大型サイクロトロンは仁科が心血を注いで作った。開戦で海外からの学術情報が途絶し、物資不足で製作が困難を極める中で、サイクロトロンの発明者で親交があった米物理学者のローレンス博士の元に弟子を派遣。博士は敵国側でありながら協力した。

 仁科は破壊の翌年、博士に宛てた手紙で、こう心情を吐露している。

 「あなたが助けてくれて建設したサイクロトロンは、不幸なことに太平洋の底深く永遠に消えてしまった。それは、ただ破壊されるために作られたといえるかもしれない。戦争のせいで、研究には全く使うことができなかったのだから」

 失意の仁科はその後、所長として理研の再建に追われ、研究生活に戻ることなく世を去った。

 □非難と謝罪

科学史に汚点、行方は謎

 科学史に汚点を残したサイクロトロンの破壊は、なぜ起きたのか。関係資料によると、米国の原爆開発計画に関わった陸軍のブリット少佐が原爆開発装置と思い込み、パターソン陸軍長官の承認を得ずに独走。GHQに対して破壊命令を出すよう働き掛けたことが原因だった。

 破壊が報じられると、米国の科学者は「人類に対する犯罪だ」「理不尽な愚行」などと強く非難。仁科芳雄博士は、米国の科学者も承知の上だとしたGHQの説明が嘘だったことを知る。

 暴挙に対する怒りの声は大きく広がり、米マサチューセッツ工科大の科学者らは陸軍長官に抗議文を送付。終戦直後、仁科にサイクロトロンの使用許可を出すよう勧告した米物理学者は少佐の罷免を求めた。