『謎のギャラリー』シリーズ文庫版、アンソロジー編の第二巻。
この巻のテーマは「こわい話」。
またもや古今東西に渡る収集。
収録された短編を通じてこわい話にもいろいろあることがわかってくる。
南伸坊「チャイナ・ファンタジー」は中国の伝説にイラストをつけたもの。初っ端からかなりこわい。「巨きな蛤」など理由がつきそうでつかない不条理感がなんとも凄い。
ディーノ・ブッツァーティ「七階」は、とある最新式の病院に入院した男の話。その七階建ての病院は症状が一番軽い患者が最上階、容態が悪くなるほど下の階に移され、一階ともなると為すすべもなく死を待つばかりという運営形態だった。主人公は七階に入院したが、だんだんと下の階に移されていく。病室の都合で、管理上から、湿疹の治療を受けるには下の階の方が便利なので。
悪い方へのとんとん拍子。何だか読むだけで体調が悪くなってきそう。
同じ作者の「待っていたのは」は、見知らぬ町を訪れた男女を襲った狂乱。
誰もが不快な暑い日。あまりにも些細なことが群集の暴発を引き起こす。
この作者は初めて知ったが非常にダークなものを持っている。
小熊秀雄は童話作家らしく、本書ではちょっとした息抜き。
「お月さまと馬賊」は月がきれいな夜に酒によって暴れた馬賊の大将の末路。
「マナイタの化けた話」はアイヌの昔話で、村々を訪れては酋長を連れ去っていく怪かしのものの正体。前者はあっけらかんとしているし、後者も不気味ながらもユーモラス。
林房雄「四つの文字」で、筆者は戦争中に南京で会った一人の男について回想する。南京の日本の傀儡政権の大臣だったその男を筆者は沈みゆく豪華船に乗ってその運命を知りつつ最後まで豪奢の限りを尽くす覚悟を決めた乗客に例える。
その男と交友し磊落さの見かけの底にある虚無に言い知れぬものを感じる。
最後に見せられた大臣の座右の銘には筆者とともに戦慄せざるを得ない。
クレイグ・ライス「煙の環」はお馴染みJ・J・マローン弁護士も登場するショート・コント。夫を射殺した妻が申し立てた奇怪な動機とは。このネタも間羊太郎(式貴士)『ミステリ百科事典』(現代教養文庫)で読んでいたけど、まさか本当にこんな話だったとは。仰天。
ブライアン・オサリバン「お父ちゃん似」も短い話。中身よりもこれを書いたのが九歳の子供だというところが一番こわい。
ジーン・リース「懐かしき我が家」も短い。
以前暮らしていた家を訪ねた主人公の身に起こったこと。
考え落ち風。
樹下太郎「やさしいお願い」もまた短いが、だからこそ辛い。
子供を交通事故で轢き殺された母親が加害者の若者に要望したのはごくごく簡単な「やさしいお願い」のはずだった。若者は贖罪感から最初はそれを忠実に守っていた。だが、約束から二年も過ぎてやり切れなくてそれを破ろうとする。だが、……。
何もかもがすっかり見透かされるこわさ。そうかこの人はこんなものも書いているのか。これの初出の『プロムナード・タイム』(東方社:1963)という短編集が気になる。
ヘンリィ・スレッサー「どなたをお望み?」では、やり手のビジネスマンが訪ねてきた客から共同行為協会なるもの存在を聞く。それは人々の念を集めて
標的の人物に死をもたらすために組織されたものだった。
初めは半信半疑だった男もその説明に納得しかける。だが、その後で恐怖が襲ってくる。
スレッサーは最近亡くなったそうだが、短編の名手で本邦の星新一に影響を与えたことでも知られる。
アン・ウォルシュ「避暑地の出来事」はわりと古典的な怪談か。湖畔の山小屋に娘二人と暮らす母親を徐々に襲う狂気。何があったのかわからないところがこわい。
ヘンリィ・カットナー「ねずみ狩り」は、墓守りの老人と死体を荒らすねずみとの対決。
ねずみが死体を引きずり込んだ地下の穴に潜むもの。
救いのかけらもない嫌な話。
ジャック・フィニイ「死者のポケットの中には」の主人公は風に飛ばされた仕事のためのメモを窓の外に追って窮地に立つ。
今墜落したら他人にはわけがわからない書込みのメモがポケットから発見されるだけのまったく無意味な死にざまになってしまう。
僅かな時間でありながら命の危機にさらされて今までの人生を否応無しに振り返る。
これは既読だったが結末を忘れていたのでどきどきした。日常の中の恐怖を抉り出してうまい。
ドナルド・ホーニグ「二十六階の恐怖」は、デパートの屋上から飛び降りようとする男の話。野次馬は集まる。巡査や医者や牧師はわあわあ言う。その混乱の一瞬の隙を突いて思わぬ事態が。
落ちがスマートかつ辛辣。
ジョン・コリア「ナツメグの味」では、新しく職場に転勤してきた男に主人公とその友人は仲良く付き合おうと接してきたが、その新入りにはどこかしら陰があった。ところがある日その男が残虐な殺人の疑いをかけられて裁判では結局無罪になった人物であることを知らされる。主人公たちはそんなことは気にしないと男を励ますが、……。
コリアは一冊読んだことがあるがこれは多分初読。人間の奥底を描いてこわい。
フョードル・ソログープ「光と影」は影絵の魅力に取り憑かれていく母子の話。一冊の本をきっかけに勉強そっちのけで指を組み合わせていろいろな影をつくるのに熱中する少年。優等生の少年がなぜそんなことになったのか気持ちを知ろうと取り上げた本を見た母もまた。
ものの影はどこにでもあり遠ざけようと思えば思うほどその存在は大きくなる。
読む側の不安をとことん揺さぶる、それでも美しい短編。
ソログープの作品は選者の『夜の蝉』の「朧夜の底」で重要な小道具で出てくる。そしてこの「光と影」は中井英夫『とらんぷ譚』のジョーカーの片割れ「影の狩人」で印象的に言及されてもいる。
ガストン・ルルー「斧」は、斧を異常なまでに嫌う未亡人が語る身の上話。
彼女が知り合ってすぐ結婚した夫には何らかの秘密があるらしかった。
彼女が開かずの間から見つけたのは血まみれの斧。夫は人殺しなのか。
これは再読。作者は『黄色い部屋の謎』や『オペラ座の怪人』であまりにも著名。この作が含まれる短編集『ガストン・ルルーの恐怖夜話』にはグラン・ギニョール風のなかなかエグ味のある話が入っている。
乙一「夏と花火と私の死体」はこの巻で最長の中編。
九歳の夏休み、「私」は親友の弥生ちゃんにお兄さんの健くんが好きなことを打ち明けたところ、嫉妬のあまり木から突き落とされて死ぬ。疑われるのをおそれた弥生ちゃんは健くんをそそのかして「私」の死体を隠そうとするが。
死体の一人称による語り。花火大会や森の中など田舎の夏休みの描写が瑞々しい。語り手と主人公の兄妹ふたりが子供なのでそれと死体の取合せが奇妙な味となる。特にお兄ちゃんの健くんがあまりにも格好よく妹思いなのがとっても不気味。
作者はこの作品を十六歳で書きジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞してデビューしたという。
こわい話と一括りにされてもいろんなパターンがあることがわかる。全くの不意打ち、来るぞ来るぞと思わせといて本当に来るもの、底無しの虚無感、得も言われぬ不思議さ、説明されないための宙吊り感
等々。
無駄がない完成された短編が結構多い。一行も足せない、一行も削れない、もしそんなことをしたらすっかり調子を崩してしまうであろう磨き抜かれた短編の数々。
こわいという感情を引き起こすのには絶妙な段取りやテンポが必要なのだろう。