消えゆくカクテル光線、奇策で残す 発祥の地・甲子園

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森田岳穂
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 野球場などのナイター照明で親しまれてきた「カクテル光線」が姿を消しつつある。2種類の照明を組み合わせて自然光に近くするものだが、技術の進歩で1種類でまかなえるようになったためだ。そんな中、カクテル光線の発祥の地、阪神甲子園球場兵庫県西宮市)は伝統を残そうと、ある奇策に出た。(森田岳穂)

元祖は白熱電球と水銀灯の組み合わせ、温かみがありボールが見やすかった

 7月末、プロ野球エキシビションマッチのナイターを開催中の甲子園。そびえたつ照明設備には白とオレンジの2色の投光器が列をなし、温かみのある独特な光が球場を包み込んでいた。これが伝統の「カクテル光線」だ。

 戦後に広がったナイターでは当初、照明は白熱電球を使っていた。オレンジがかった色で自然光に近いが、球場全体を照らすには明るさが足りなかった。

 そこで甲子園では1956年、より明るく青白い光を発する水銀灯を加えた。複数の種類を組み合わせた照明設備は、世界でも初めてだったという。

 発案したのは、当時多くの球場で照明を手がけていた小糸製作所東京都)。同社の社史によると、水銀灯だけでは高速で動く小さいボールが見えづらく、白熱電球と組み合わせることが必要だった。水銀灯は、電圧の変化によって明るくなったり暗くなったりを高速で繰り返すため、ボールの動きを連続的に見ることができないのだという。

 戦後の経済成長期の電力不足の中で、水銀灯は白熱電球より消費電力が少ないというメリットもあった。

 水銀灯は白熱電球に比べ、同じ明るさの光を放つときに出す熱も少ない。甲子園球場によると、「ナイターが明るく涼しく見られます」と当時宣伝した記録も残っているという。

 「カクテル光線」と名付けたのは、同社の加藤真一元会長(故人)だ。新たな照明設備の完成祝賀会で加藤氏が仕組みの説明をしていると、ある新聞記者がその場で出されたお酒のカクテルを見つめて、「(照明は)カクテルみたいだね」とつぶやいた。加藤氏が「そうです、その通りです。カクテル光線です」と即座に答えたところ、翌朝の新聞で大きく報道された。加藤氏の軌跡を描いた著作に、そんな逸話が残る。

 その後、同じ仕組みの照明設備は、各地の野球場をはじめ、スキー場や学校の体育館などに普及。64年の東京五輪国立競技場を照らしたのは、小糸製作所が3種類の照明を組み合わせた「トリプル・カクテル照明方式」だった。

 特にカクテル光線という言葉は、新聞やテレビで高校野球やプロ野球の熱戦を伝える際の文句として定着した。81年に出版されたスポーツライターの故・山際淳司さんの短編集「スローカーブを、もう一球」(角川書店)の冒頭の一編のタイトルは、「八月のカクテル光線」。79年の夏の甲子園、延長18回に及んだ石川・星稜和歌山・箕島戦を描いた作品だ。

 やがて白熱電球や水銀灯は新しい照明器具にとって代わられたが、2種類を組み合わせる手法は長い間使われ続けた。

色が自在のLEDに置き換え決定、1種類で再現できるが甲子園側は…

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