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湯原昌幸・荒木由美子夫妻
手と手つなぎ 25年目も新婚 (03/30)
 ゆはら・まさゆき 1947(昭和22)年3月5日生まれ。茨城県出身。59歳。71年「雨のバラード」が120万枚の大ヒット。歌手、俳優、リポーターなどマルチに活躍する。83年、13歳年下のアイドル、荒木由美子と結婚。03年「冬桜」の歌詞が団塊世代に受け、ロングセラーに。
 あらき・ゆみこ 1960(昭和35)年1月25日生まれ。佐賀県出身。46歳。76年第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し、歌手デビュー、女優としても活躍。結婚と同時に芸能活動を引退していたが、04年、復帰。著書に『覚悟の介護』(ぶんか社)。


湯原昌幸・荒木由美子夫妻
湯原昌幸・荒木由美子夫妻
【新婚生活が一変…母、吉のさんが認知症に】

 グループサウンズ出身の湯原も、来年還暦を迎える。

 「50を過ぎてから、等身大のうたを歌ってるんだけど、最近は気持ちが入りすぎちゃってね。お客さんの顔を見て胸が詰まることがあるんです。だから、なるべくクールに歌わないと、困ったことになる」

 そんな姿が、同じ団塊世代の共感を呼ぶ。新曲「都忘れ」に描かれるのは、初夏に咲く、紫色の可憐な花だ。見るたび、苦労をかさねた連れ合いを思いだすという歌詞が、実生活にだぶってみえる。

 「よく乗り越えてきたよね。私たち」と寄り添う荒木。13歳の年の差は今でこそ珍しくなくなったが、結婚当時の荒木は、レギュラー8本を抱える売れっ子アイドル。すでにベテランだった湯原は、「奪い取った、なんて冷やかされました」と振り返る。

 両親が商売をしていてた荒木は、「小さいころからカギっ子だったから、家族がひとりでも多いほうが楽しいじゃない」と湯原の母、吉(よし)のさんとの同居を楽しみにしていたという。

 ところが、新婚2週間で事態は一変した。吉のさんが、糖尿病からきた足の血栓で入院。その5年後には認知症が分かり、夫婦にとっては、足かけ20年間にわたる「すさまじい介護生活」を送ることになった。


【介護に疲れた妻の「悲痛な叫び」受け止め】

 とくに荒木にとっては、長男が小学校から中学へと進む大事な時期に、認知症の進行が重なったことが大きなストレスとして襲いかかった。

 「初めのころは、ごはんを食べたことを忘れるぐらいだったのが、だんだん、親戚に『由美ちゃんが、食べさせてくれない』とこぼすようになり、やがて『留守に男をひっぱりこんでいる』『お金をつかいこんでいる』と…」

 仕事で家をあけざるをえない湯原が、どんな場面でも、実母より妻の味方をしてくれたことが、荒木にとって支えだったという。

 それでも、「疲れて帰ってくる湯原に、愚痴はこぼすまい」とガマンを重ね、関係ない夫婦の会話からケンカになることが、あったという。

 介護のつらさを察した湯原は、「腹芸はやめてくれないか。おふくろのことなんだろ」と質し、「言っていいんですか」と涙ながらに切り出す、荒木の悲痛な叫びを受け止めたことも一度や二度ではなかった。

 認知症の症状が最も進行したときには、体当たりでぶつかってくる母に、「突き飛ばすわけにいかないから、首に手をかけちゃった」という修羅場を経験した湯原もまたつらかった。

 「兄が、2歳にならないうちに死んでいて、次に授かったのがボク。“命”として溺愛された。ハタチまでおふくろと一緒に風呂入ってましたから」

 その話を荒木は、吉のさんから別の形で聞いていた。

 「一人っ子だから、女の人のハダカを初めてみたときドキドキしないようにって。今で言う性教育だったのよ」

 思い出し笑いをしながら荒木が明かすと、「えーっ、知らなかった」とつられて笑う湯原。

 2人に、明るい表情がもどった。


【熟年離婚はおかしい感謝しあってこそ夫婦】

 老人保健施設に移ってからは、毎日訪れる荒木を吉のさんは笑顔で迎えるようになったという。

 「今日、おばあちゃんとお別れになっても悔いはない、と思えるだけやってきた。もし、現実から逃げていたら、私たちとっくに離婚していたと思うんです」

 吉のさんが86歳で他界してから4年になる。

 長男も21歳になり、介護と子育てをやりとげ、芸能界に復帰した荒木が一層輝いてみえる。

 「私たち、銀婚式を迎えるんですが、まだやってない新婚旅行に、ぜひいきたい。熟年離婚がブームみたいになっているのは、おかしい。悪いところを言い合うんじゃなくて、感謝しあってこその夫婦でしょう」

 そう話す荒木に、湯原も大きくうなずいた。


ペン・中本裕己
カメラ・寺河内美奈

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