4.ヒュプシスタイ門

Thiva04

その家の呼び鈴を押せ

 この門は旧テーバイ城郭の最南端に位置し、時計で言えば6時の位置にあるはずである。現在のテーバイ市の中央部を南北に平行して走るピンダロス通りと、エパメイノンダス通りが、アクロポリスの南端で合流する地点があり、西から来るエテオクレス通りとも交わる六叉路交差点の北東の角あたりに位置しているはずである。しかしそこらしい街角には現在は鉄筋のビルが建っており、遺跡らしいものは全く見あたらない。
 
 ここでも、ちょうど交差点近くにいた老女に地図を見せて
「ヒュプシスタイ門はどこですか?」
と英語で尋ねてみた。すると黒い服を着た品の良いそのお年寄りは、表通り(ピンダロス通り)から少し入った所にある一軒の家を示して何か言った。私がその家のドアの前に立つと、表通りに立ったままの
そのお年寄りは「その家の呼び鈴を押せ」と身振りで教えてくれた。

 私は「ひょっとしてヒュプシスタイ門はこの家の庭にあるのか?」と思い、「でも、私はギリシャ語が喋れない」と老女に向き直って身振りで伝えると、彼女は「構わずにその家の呼び鈴を押せ」との身振り。
 そこで私も度胸を決めて呼び鈴を押した。暫くは何の反応もなかったが、やがて中年のご婦人が入口の扉を開けて顔をのぞかせた。
「私は日本人です。日本からきました。ヒュプシスタイ門がどこにあるか教えてくれませんか?」と地図を見せながら尋ねた。 
そのご婦人は、私の顔を見た瞬間こそ怪訝な表情をしていたが、私が差し出した地図を見ると急に表情を和らげ、何か言つつ私が今来た表通りの方へ腕を上げながら、その家の入口から道へ出て来た。彼女は更にピンダロス通りまで出てくると、すぐ先のエテオクレス通りとの六叉路交差点の北東の角の地面、四角い敷石が敷き詰められた歩道、その地面を手で示した。
 

最も見たかった場所、立ちたかった場所

 私が最も見たかった門、テーバイで最も立ちたかった場所、「テーバイに向う七将」で、主人公エテオクレスがポリュネイケスと相討ちとなって戦死したその場所が、そこにあった。東北の角には、今はごらんのように薄いオリーブ色のビルが建っている。
 ヒュプシスタイ門は、現在のテーバイ市でも交通の要衝の一つに位置している為か、まだ発掘されておらず地中に埋まったままなのだった。

私が今回最も見たかった場所

私が最も来たかった場所

ピンダロス通り(右側)とエテオクレス通り

ピンダロス通(左)りとエテオクレス通り

(前方)の交差点北東角

(右)の交差点北東角

   
エパメイノンダス将軍

レウクトラの戦いの英雄
エパメイノンダスの像

 私は暫くのあいだ、立ち去りがたい思いがして、その交差点内を歩き回った。付近を観察して見ると、同じ交差点の中央にブロンズのギリシャ戦士像が立っていた。
 正面に回ってみると台座に「エパメイノンダス」と書かれている。
 日本に帰ってから調べてみると、ペロポネソス戦争当時、周辺のポリスに支配権を拡張しつつあったテーバイに対して、それまでギリシャの覇権を握っていたスパルタ軍が、クレオムブロトスに率られて牽制に来た。エパメイノンダスはテーバイ軍を率いて、この二倍近いスパルタの軍勢に対抗し、これをテーバイ近郊のレウクトラで破った(B.C.371年:レウクトラの戦)。この戦いの勝利以降の10年間は、古代ギリシャでテーバイが最も輝いた時期を迎えたという。
 現在のテーバイ市のメインストリートに、彼の名前が付いているのも頷けた。

 
テーバイとモーツアルト  

  1.プロイティダイ門の所でも書いたが、今回の旅行に自作のCDを持って行った。自作といっても自分の好きな音楽を集めたCDを作り、それを聞きながらテーバイの街を歩き回った。曲はグレン・グールドが弾くモーツアルトのピアノ・ソナタの緩徐楽章。主に第二楽章ばかりを集めたもの。モーツアルトは長調の曲は緩徐楽章の方が良いと思う。更に言えば、モーツアルトの作品は長調の曲よりも短調の曲の方が素晴らしい。ピアノ・ソナタの緩徐楽章ばかりを集めたこのCDは、私のお気に入りの一つである。これをヘッド・ホンで聞きながら、晩夏のギリシャ晴れの空の下を歩き回った。既にやっている方も多いと思いますが、お好きな音楽で旅行先を歩き回る、これはお薦めです。
 テーバイにこのCDは合っていて、聴いていてすこぶる気持ちが良かった。モーツアルトがギリシャに来た事がなかったのは、本当に残念な事だった。モーツアルトの音楽はどれも、洗練されていながら少し木々の匂いがする、ギリシャに合わない訳はない。
 なんたってアマデウス(「ゼウスから生まれた者」だったっけ?)って位ですから。
 
お後が宜しいようで・・・