小林さんの居間に高見順の色紙が飾ってある。「葡萄(ぶどう)に種子があるように/私の胸に悲しみがある/青い葡萄が酒になるように/私の胸の悲しみよ/喜びになれ」。日本テレビのアナウンサー時代、取材に行った時に書いてもらったものだという。期せずして小林さんはいくどもその言葉を心に刻むこととなる。
今から20年ほど前、長男の真吾君が誕生した。14年ぶりに授かった2人目のお子さんだった。しかし、喜びはすぐに暗澹(あんたん)たる思いに変わった。真吾君はダウン症候群だったのだ。その事実に夫婦して涙したこともあった。本来ならば、はじけるような歓びで迎えてやるべきだった我が子を、涙で迎えてしまったのだ。自責の念は今も残る。長女の典子さんが「真吾、とてもかわいかったわ」と母親にそっと手紙を書いた。主治医の「どんな生命(いのち)も、生命は生命、みんな同じです」という言葉に、自分の中にある差別や偏見を気づかされた。105日間の短い命だった。しかし、純粋で無む垢くな魂に触れて、家族の心が開かれた。「まるで仏さまのようだった」と小林さんは思った。
寝たきりで老人症がでたこともあったお母さんの最後の四年半を、小林さんは家族で看取った。相手の身になって介護をするということがどんなに難しいことか、またいかに大事なことかを身をもって経験した。そうした経験を踏まえて、小林さんは脳死による臓器移植の問題や医療のあり方に疑念を抱く。
「脳死をもって人間の死とするということには、私は反対なんです。新鮮な心臓が必要だからといって、働いている心臓を止めるという不ふ遜そんな行為には賛成できません。脳死の問題は臓器移植と表裏をなすもので、あれは純粋な死の判定基準だとは思えないんです。新鮮な心臓を得るために、その判定は早ければ早いに越したことはないといわんばかりの、科学優先の発想にはどうしても抵抗があるのです。
もちろん、人間誰しも、どんなことをしてでも助かりたいと願うのはごく自然なことだと思います。しかし、他人の臓器に頼ってまで生きるということが、はたして本当に生きるということなのでしょうか。
生まれて死んでいくという生の本来的な意味は、生命には限りがあるということですね。だからこそ私たちは生に重みを、死に尊厳を感じるのではないでしょうか。
染色体検査ということも、今倫理上大きな問題となっています。受精卵に異常が生じていることが診断の結果わかった場合に、その段階で、障害に繋がる生命については消去することが許されるかどうか大きな議論になっています。障害を持った生命には生きる権利がないというのでしょうか。生命は授かったものなのです。そういう認識が根底にあれば、人間の傲慢(ごうまん)さへのブレーキになると思うのです。
日本人の生命観には宗教による裏付けがない。宗教者にもこのことを説く力がない。科学の介在ばかりが目立ちます。それが大きな問題ではないでしょうか」
こばやし かんご
◆フリーアナウンサー◆
1932 年、神奈川県鎌倉市生まれ。国学院大学文学部日本文学科卒業。60年、南日本放送に入社。63年、日本テレビに入社。一貫してニュース、報道のアナウンサーとして活躍。92年、定年退職。著書に、ダウン症候群の長男・真吾さんの105日の闘病を綴った『愛、見つけた』『愛、ふたたび』をはじめ、『優しさをありがとう』『いのち、生まれ・生き・老いて』等がある。