イメージ 1

 一坂氏の説が否定されたという記事を、23日に載せました。すると、その日の山口新聞の朝刊に「維新140年 長州を支えた勤王芸者」というシリーズが始まりました。山口新聞大阪支社の土屋裕樹記者の署名入り連載です。「長州男児を支えた4人の女性たちの素顔をたどる」として始まっています。1と2は中西君尾でした。そして3に二人目として幾松が登場しています。興味深く読み進めていくと、まさに私が6月議会で取り上げ、この23日にブログの記事にしたことが、生咲さんの話として出ています。明らかに、一坂氏の書いた「萩ものがたり・写真集桂小五郎」を意識したものです。

 桂小五郎=木戸孝允の妻・松子=幾松のことです。松子の実家が木崎家=生咲家です。その子孫が生咲幸矢さんです。
 以下に山口新聞12月25日付けの記事の一部を引用します。

========================
 さらに、幸矢さんによると、幾松(松子)に関する史料はほとんどなく、俗説が独り歩きしている点が多いという。
 たとえば、松子と木戸で育てた忠太郎の出自のこと。二人に子はなく、忠太郎を養子にするが、通説では木戸が出石に身を隠した際、脱出を手伝った広戸甚助の妹との間にもうけた子とされる。幸矢さんは「松子の妹、信(ノブ)の子に間違いない」と強調する。
 忠太郎と親交があった祖父栄太郎さんから「信の子」と伝え聞いたことや、忠太郎は明治4年生まれだが、桂の出石潜伏はその六年ほど前で、出生年齢が合わないという。忠太郎からの手紙も生咲家に七十通以上残り、「忠太郎は生咲家を『本家』と呼んでいた」と幸矢さん。ほかにも、生咲家自体が途絶えたとの誤解などがあるという。
 幾松の真実を伝えようと、幸矢さんら一族は今年に入り萩市の木戸生家訪問や、郷土史家との意見交換を活発化させている。妹和子さん(64)は「松子は孝允さんに生咲家の面倒をみてほしいと頼んでいる。身内がずっと気にかかっていたようです」と自身のルーツに思いをめぐらせている。
========================

 生咲家の人が、萩に来て木戸孝允宅を訪問したり、郷土史家との意見交換をしたということは、相当「俗説」の独り歩きが気になっておられるようです。
 この新聞でもミネとの子ということを「通説」と書いています。国語大辞典によると通説とは「真理に到達した造詣の深い説」としています。山口新聞の記者さんが「通説」と言う言葉を使うのはなぜという疑問も湧いてきます。それは、一坂氏を意識しているからだと感じます。4の高杉晋作関連で「小三」が登場し一坂氏の話が出ているからです。
 生咲さんの話は、明らかに一坂説を否定しています。松子の家族である生咲さんしか知らない史料を持っているのだと思います。その生咲さんの話として、一坂説を否定し、信の子と紹介しなければならないのは、山口新聞が矢面に立たないための手法と見ました。

 萩に来られたのは、野村市長からの要請があったということをnakaさんが、前の記事にコメントしてくれています。nakaさんは、川崎泰市さんと生咲さんが野村市長に会って生咲家に伝わる史料をもとに説明したこと。同じく萩博物館の館長や副館長、学芸員と話をしたことを書いていますので、一坂氏にもこのことが伝わったのは間違いありません。

 いよいよもって、一坂氏もそのかたを担ぐ野村市長も追い詰められています。一坂氏は自らを「学者」と自負していますから、真理に迫る学者らしい潔い態度で対応してほしいところです。野村市長は、一坂説が有力だとおもうが、新しい史料が出れば対応するといっています。どんな対応をされるのでしょうか。

 この件で、あらためて今年の6月定例議会の議事録を読み返してみました。私の認識が、まだ甘いということもわかりました。「実子説」対「養子説」としたところです。今回の川崎さんや生咲さんの話では、一坂説の忠太郎は「ミネと孝允の子」というのを、「ミネの子ではない。松子の妹 信の子」というものです。「養子」というのは誰もが認めています。実子かどうかは定かで無いが、ミネの子ではないということです。実子という可能性も高いと考えておられるようですが、断定するだけの史料は未だないというところだと思います。だから、私が「実子」か「養子」かと対立させて論を立てたのは、まだまだ甘かったということです。実子の可能性もあります。本来なら「ほんとうにミネの子」なのかどうかと質すべきでした。これは反省。

 しかし、野村市長の答弁を聞いていると、何度も腹が立ちますね。一坂説が有力だといっていますが、何を根拠にそういわれるのかわかりません。霊山歴史館の情報をもとにそういわれているようでした。しかし、それとて1級の史料とはいえません。一坂氏が3つの書籍を根拠にしたといったことについて、私が「歴史の史料にはならない」といいましたが、それに対する回答はありません。木戸孝允文書を挙げて、反論を試みていますが、これで「ミネの子」とすることはまったくできません。なぜ萩ものがたりで確定していないことを「断定してかくのか」と聞いた事に対する回答は避けています。そして、最悪なのは、それぞれの主張の根拠よりも、肩書きや職席で判断していることです。一坂氏がどんな根拠をもとに主張しているのか、オリオンさんが何を示して主張しているのかではなく、一坂氏は萩博物館の特別学芸委員、オリオンさんは「幽霊」だから、一坂説が有力としています。恥ずかしい話です。

 今回の川崎さん、生咲さんの野村市長との面談や萩博物館での話で、一坂説が誤りということがはっきりしたと思います。山口新聞も県内全てにその話を伝えました。もっとはっきり「萩ものがたり」のことを書いてくれると問題が明確になるのにという思いはありましたが…。後は一坂氏や野村市長がどんな対応をするのか注目したいと思います。