青い目の人形
 1927年、アメリカの子どもたちから日本の子どもたちへ友情の親善使節として、12739体の「青い目の人形」が贈られました。また、その返礼として、日本からも58体の「答礼人形」が海を渡りました。
 現在、日本には、「青い目の人形」は216体が健在であると確認されています。そして、そのうちの1体が本校にのこるアウエー(通称アン)ちゃんです。
 アウエーちゃんは、毎年ひな祭りの日に、崇仁校のおひな様たちと一緒にひな壇を飾ってきました。
 しかし、やがて「青い目の人形」たちにとっても不幸な時期を迎えることになりました。日本とアメリカとの戦争です。多くの「青い目の人形」が、敵国の人形だということで壊されていきました。そんな中、「小さな人形に罪はない」と考えてのことか、本校のアウエーちゃんは、一人の女性教師の下で保護されていたということです。
 戦争が終わり、アウエーちゃんが再びひな壇に戻ってこられる日が来ました。
 1975年には、修復のためにボストンから里帰りした「答礼人形」のミス京都府を迎えて、京都市役所で対面式をしています。アウエーちゃん自身も交流展などで各地を巡り、アメリカに里帰りもしています。
 今年もまた、アウエーちゃんは、ひな祭りの日に、崇仁校の子どもたちに多くのことを語ってくれることでしょう。

 <参考文献>
    「青い目の人形」山口書店
    「青い目の人形交流展」(社)国際文化協会、朝日新聞社、(財)そごう美術館
    「読売京都ライフ2月号」読売新聞大阪本社販売局


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