- 出演者
- 千原せいじ 千原ジュニア 須賀健太 高橋みなみ 木村多江 藤吉久美子 岸本加世子 堀田茜
北京首都国際空港から、岸本加世子が中国の極寒の町に住む日本人を探す。中国では、冬は寒い地域の暖房供給で石炭を燃やすため、PM2.5による汚染がひどくなる。タクシーで北京の中心部まで移動し、日本人の住む林口という場所について聞き込みをした。林口は北京から約1300km離れた場所。まずはハルビンまで空路で移動した。
藤吉久美子が、オーストラリアの田舎町に住む戦争に翻弄された90歳の日本人女性を探す。
藤吉久美子が、オーストラリアの田舎町に住む戦争に翻弄された90歳の日本人女性を探す。シドニーまで移動し、日本人女性が住むビーンリーという町について聞き込みをした。ビーンリーはブリスベン近郊の町で、シドニーから北に約710kmの場所にある。まずは空路でブリスベンまで移動した。
中国の極寒の町に住む日本人を探す岸本加世子。ハルビンに到着した。ハルビンは満州事変を発端に、関東軍が東北地方を占領して作られた。ハルビンで日本人探し2日目を迎え、岸本加世子は林口まで列車で移動した。
藤吉久美子が、オーストラリアの田舎町に住む戦争に翻弄された90歳の日本人女性を探す。夕食に、60日間熟成させた骨付きリブステーキを味わった。ブリスベンから列車で日本人女性が住むビーンリーへ移動した。
中国の極寒の町に住む日本人を探す岸本加世子。林口に向け、8時間の列車移動中だった。日本出発から33時間半、林口に到着した。
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- 林口(中国)
中国とオーストラリアのVTRについて、木村多江は「大先輩方が天国と地獄を味わっていらっしゃるので、面白いなと思いながら見ていた」などと話した。岸本加世子は「藤吉さんのVTRを見て心の底から旅の格差にショックを受けた」とコメント。
藤吉久美子が、オーストラリアの田舎町に住む戦争に翻弄された90歳の日本人女性を探す。日本人女性が住むビーンリーは、1860年代にサトウキビのプランテーションでイギリス人によって開拓された。中心街で、日本人女性について聞き込みを開始。名前はアキコで、年齢は92歳だという。日本出発から36時間、ビーンリーに住むアキコ・バックハウスさんを発見した。
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- ビーンリー(オーストラリア)
オーストラリア・ビーンリーで暮らす日本人女性のアキコ・バックハウスさん。アキコさんは進駐軍の兵士と結婚し、ビーンリーにやって来たウォーブライドだった。
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- ビーンリー(オーストラリア)太平洋戦争
オーストラリア・ビーンリーで暮らす日本人女性のアキコ・バックハウスさん。1924年、広島県の江田島に生まれた。1941年、太平洋戦争が始まろうとしていた時、アキコさんは神戸で日本人男性のタケオさんと結婚。子どもができたが、戦争で十分に栄養を与えることができず娘をわずか1年で亡くした。翌年、18歳で長男を出産したが、その2ヶ月後にタケオさんは徴兵されビルマへ出征。タケオさんは戦死し、アキコさんは生活費を稼ぐために江田島に建設中だった日本軍の飛行場で働き出した。
アキコさん21歳のとき、広島市に原子爆弾が投下された。広島市から20km離れた江田島にいたアキコさんだったが、被曝し視力低下や造血機能障害などを患った。原爆投下からしばらくが経ち、母一人子一人で終戦を迎えた。
終戦後まもなく、アキコさんはオーストラリア軍将校宅で家政婦の職に就き、夫となるビクターさんと出会った。その後2人は離れ離れになったが、ビクターさんと一緒に働いていた日本人が正月のパーティーに2人を招待し再会。再会をきっかけに交際を始めたが、進駐軍と交際を始めたアキコさんは「国賊」などと罵られたという。1956年、2人は結婚した。戦後の日本、母子二人で生きるのは至難の業。アキコさんは「生きるために結婚した」と話した。結婚する際、ビクターさんに軍人を辞めるよう条件を出したという。
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- 呉市(広島)
ビクターさんと結婚し、ビーンリーで生活を始めたアキコさん。日本人花嫁を連れての帰国は珍しく、地元新聞にも記事が載った。しかし「敵国人と結婚した」と、ビクターさんは嫌がらせを受けることもあったという。ビクターさんは結婚後、賃金の安い道路工事の作業員となった。アキコさんもイチゴの生産や洋裁工場などで働いた。38歳のときには長女のアニータさんが誕生。生活費を切り詰めてお金を貯め、43歳で現在の家を建てた。ビクターさんは4年前に92歳で他界した。
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- ビーンリー(オーストラリア)
アキコさんの自宅から車を走らせること30分、ゴールドコーストの海に到着した。オーストラリアに嫁いで初めて連れてこられた場所だという。この海を見て、アキコさんは「オーストラリアで生きていく」という決意した。
オーストラリアのVTRについてスタジオトーク。木村多江は「海を悲しい気持ちで見て今は幸せな気持ちで見られてるっていうのは、藤吉さんが会いに行って本当に良かったと思う」などと話した。
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- オーストラリア
中国の極寒の町に住む日本人を探す岸本加世子。日本人が住む林口に到着した。日本人について聞き込みを開始。日本人だがシーさんという名前だと分かった。地図を描いてもらい、日本人が住む家まで移動。日本出発から52時間、日本人の席静波さんを発見した。
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- 林口(中国)
中国・林口に暮らす日本人の席静波さん。第二次世界大戦中、日本の傀儡国家だった満州国には、約27万の日本人が暮らしていた。しかし日本の敗戦が濃厚になると、ソ連軍が満州国に侵攻。ソ連軍は民間人にも略奪や殺戮を繰り返し、逃げ切れなかった日本人は自ら毒を飲み命をたった。席さんは、3歳のころに中国の軍人に助けられた中国残留孤児だった。発見された時は日本語を喋っていたが、物心がつく頃には自分は中国人だと思っていたという。
18歳のころ、席さんは自分が日本人だと知った。しかしその事実を隠して生きてきたという。
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- 林口(中国)
中国・林口に暮らす日本人の席静波さん。18歳のころ、席さんは自分が日本人だと知ったが、その事実を隠して生きてきたという。席さんは、「日本を恨んだ事がある」などと話した。軍人に助けられた後、席さんは張さん夫婦に引き取られ、席さん夫婦の養子になった。優しい養父母の元、席さんは大切に育てられた。席さんは19歳で数学の先生になり、37歳で校長先生となり45歳で教育委員会の書記に就いた。養父母は8年前に亡くなった。
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- 林口(中国)