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いろはを作ってきた人々


 「イロハニズム」で連載している「いろはみち」第8・9回「いろはを作ってきた人々」のリライトです。全仮名使用文(以後は『いろは文』あるいは『いろは』と表記します)の歴史です。



 いろは文…すなわち「仮名のすべて(ンは不使用の場合もあり)を重複なく用いる文」として現存する中で最も古いものは、平安初期の「天地の歌」とされている。

天 地 星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末 硫黄 猿 生ふせよ 榎の枝を馴れ居て
(あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえをなれゐて)

 当時の発音上か、エが一音多い名詞列挙型の作品である。終盤の一節で名詞列挙が崩れているのだが、ここの解釈は諸説多い。上に挙げたのは典型的な解釈なのだが、別の字を当てたり、また強引に名詞に分解する解釈や、ここの一節には作者の暗号が秘められているなどの説まである。もっとも、実作者としての当方の説は、単に「処理に困った結果」こうなった、というものであるが。確かにまだ名詞は作れる(フナとかナエとか)けど、それをすると全体の構成が崩れる(さらに意味不明になる)ので、余った仮名は仕方なく文章にして完成させたという説である。これ、意外と当を得ているのではないかと思う。
 さて、天地の歌より少し後の時代には、「たゐに」という作品がある。

田居に出で 菜摘む我をぞ 君召すと あさり追ひ往く 山城の 打ち酔へる児ら 藻葉干せよ 得船繋けぬ
(たゐにいて なつむわれをぞ きみめすと あさりおひゆく やましろの うちゑへるこら もはほせよ えふねかけぬ)

 なんとなく万葉集的な牧歌的な風景が浮かぶ作品だ。そしてこれより少し後の時代に作られたのが、「いろは歌」。テーマ性、完成度ともに、一つの頂点を極めた作品である。

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
(いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす)

 これら古典三作は作者不祥。「いろは歌」は空海作とも言われているが、学問的には「空海の時代には仮名の全文字数は48文字でありいろは歌に使われている47文字ではなかった」「七五調四句の形式(今様)の成立は空海没後200年以上経った平安時代中期である」などの理由によって否定されている。
 さて同様に作者不祥の古伝として、「日文の歌」「天地の歌(上のとは違う)」がある。「日文の歌」は意味不明の呪文に近いが、新「天地の歌」はきちんと意味が通じる文である。

天地開け 神生り坐して 常世安く 尊き得る御物 我食む経ぬ營 夷狄うせ亡ぶ 豊榮治稲
(あめつちひらけ かみなりまして とこよやすく たきえるおもの われはむへぬゐ ゑぞうせほろぶ ゆさをいね)

 「ゑぞうせほろぶ」なんて一節を読むと坂上田村麻呂だのなんだのの時代のような気もするのだけれど。



 時代は下り、近世に入っても新作「いろは文」に挑戦する人はいた。まずは細井廣澤による「君臣歌」。

君臣 親子夫婦に兄弟群れぬ 井鑿り田植えて末繁る 天地栄え世を侘びそ 舟の櫓縄
(きみまくら おやこいもせにえとむれぬ ゐほりたうえてすゑしげる あめつちさかえよをわびそ ふねのろなは)

 「いろは歌」の仏教思想に対抗し、神道儒教思想を盛り込もうとした作品である。最初の一節(きみまくら~むれぬ)は夢の神託で得たそうで、確かにこの一節は印象深いが、しかし最後の「ふねのろなは」に至り尻すぼみである。苦しい処理だというのが見て取れるだけに残念。結局新「いろは歌」の地位は勝ち取れなかった。
 そして18世紀末。一人の奇才が誕生する。その名を未足齋六林子。この人は仮名47文字に「ん」「京(京はいろは歌留多の48文字目)」、それに畳字用の白札(要は〃)を加えた計50枚の字牌を常に携え、即興でいろは文を作り上げて興行するのを得意とした。同時代の俳人横井也有や太田蜀山人に高く評価されたそうだ。その作品集として、詩3、歌14、文章2、琴歌13、弦歌1、小謡1から為る「つの文字」がある(『つの文字』とは仮名『い』の事。牛の角に似ることからそう呼ばれる)。その中から二作。

「藤尾勾當への琴歌」
春頃植えし相生の 根松行くゑ匂ふなり 齢を末や重ねらむ 君も千歳ぞめでたけれ
(はるごろうえしあいおゐの ねまつゆくすゑにほふなり よわひをすへやかさねらむ きみもちとせぞめでたけれ)

「五言律詩体 寒梅」
えならぬ香り閨訪れ 池は鴛鴦 庭の梅 色添ふ朝 粉雪散る宵 まだ鶯 見えもせで
(えならぬかほりねやおとづれ ゐけはおし にわのむめ いろそふあさ こゆきちるよべ まだうぐひす みえもせで)

 江戸期国文学の大家、本居宣長も「田植歌」といういろは文を作っている。

雨降れば堰ぜきを越ゆる水分けて 諸人康く下り立ち 植ゑしその群苗 稲よ真穂に栄えぬ
(あめふればゐぜきをこゆるみづわけて もろひとやすくおりたち うゑしそのむらなへ いなよまほにさかえぬ)

 いい出来であると思う。塚本邦雄先生には「詩性は缺如してゐる」などと酷評されているが。まあ確かに多少理屈っぽい感はあるが、そんなに言ったら本居宣長が可哀想である。



 明治時代。いろは文の歴史を語る際に必ず取り上げられる一つのイベントが行なわれた。明治36年、萬朝報で行なわれたコンテスト、「國音の歌」である。48音一回使用というスタイルの作品が四ヵ月にわたり募集され、応募は一万を越えたとか。その優賞作品、埼玉・坂本百治郎氏の作。

鳥啼く声す夢覚ませ 見よ明け渡る東を 空色映えて沖つ邊に 帆舟群れゐぬ靄の中
(とりなくこゑすゆめさませ みよあけわたるひんがしを そらいろはえておきつべに ほぶねむれゐぬもやのうち)

 この作品は非常に優れた出来であり、これ以後萬朝報ではイロハ順ではなくトリナ順を用いていたという。これ以下の作品も素晴らしいのであるが、塚本邦雄氏ご推薦の18位の作品(東京・萬年昭明)を紹介しよう。なんと明治時代、既に名詞列挙型のいろは文が出現していたのである。

八十氏増して大江・布留・櫻井・權田・長谷・楡木・餌守・犬飼・根津・夢野・小室・和気など算み能へず
(やそうじましておほえ ふる さくらい ごんだ はせ にれぎ ゑもり いぬかひ ねづ ゆめの をむろ わけなどよみあへず)

 昭和27年には週刊朝日が「新いろは歌」を募集した。

「ああ広島」(宮城・中川弘)
あはれわが夜毎夢見る 失せ亡ぶ邑の衢や 末思ひ冱えゐて寝ぬに な作りそ原子兵器を
(あはれわがよごとゆめみる うせほろぶむらのちまたや すゑおもひさえゐていぬに なつくりそげんしへいきを)

 この作品などは終戦7年後という時代背景を反映している。次の2作品も平和への喜びや当時の風俗が感じられる。

「名画礼賛」(東京・島しげる)
セザンヌ ゴオグ モネエ マチス ユトリロ ピカソ ターナの景色に余は惚れて 平和生む絵をみつめゐる
(せざんぬ ごおぐ もねえ まちす ゆとりろ ぴかそ たあなのけしきによはほれて へいわうむゑをみつめゐる)

「花売娘」(徳島・宇山千代枝)
ネオン揺れる頃笑って 今日街にゐた花売娘 青い瞳燃えやさしの靨へ風そよぎぬ
(ねおんゆれるころわらって けふまちにゐたはなうりむすめ あをいひとみもえやさしのゑくぼへかぜそよぎぬ)

一方でまた次の作品などは軽妙酒脱な雰囲気が秀逸だ。

「新『濡燕』」(茨城・西浦紫峰)
お江戸街唄風そよろ 青柳けぶりほんに澄む 三味の音締へつばくらも 恋ゆゑ濡れてゐるわいな
(おえどまちうたかぜそよろ あをやぎけぶりほんにすむ さみのねじめへつばくらも こひゆゑぬれてゐるわいな)

また次作品「勧進帳」(滋賀・石川芳雄)のようなテーマ物も作られている。

源九郎義経ぞ 早めて参る安宅関 弁慶ほろり声を呑む 落ち得ぬわれに夕陽さす
(みなもとくらうよしつねぞ はやめてまゐるあたかせき べんけいほろりこゑをのむ おちえぬわれにゆふひさす)

 昭和41年には週刊読売が新「いろは歌」を募集した。入選作の幾つかを紹介する。いずれも素晴らしい出来だ。

「水無月」(東京・西紋士郎)
去年植ゑし花紫陽花よ 梅雨やまず縁の傍に 今日開き濡れて色めく 面輪折り見せねと賞むる
(こぞうゑしはなあぢさゐよ つゆやまずえんのかたへに けふひらきぬれていろめく おもわをりみせねとほむる)

「雪の花嫁」(奈良・久保道夫)
雪のふるさとお嫁入り 田舎畦道馬連れて 藁屋根を抜け田圃越え 葉末に白く陽も添へむ
(ゆきのふるさとおよめいり ゐなかあぜみちうまつれて わらやねをぬけたんぼこえ はずゑにしろくひもそへむ)

「芭蕉」(東京・塚本春雄)
名も不易奥の細道 馬と絵師座寄せ和す囲炉裏 旅に病んで眠らぬを あはれ何処へ夢駈ける
(なもふえきおくのほそみち うまとゑしざよせわすゐろり たびにやんでねむらぬを あはれいづこへゆめかける)

 これ以降に雑誌等で行なわれたいろは文公募は「パズル通信ニコリ」で1995~1997年にかけて行なわれたもの以外寡聞にして知らないが、もしあればお教え願いたい。



 筆者が記憶する限りで、ここ十数年に散見されたいろは文を紹介しよう。
 1980年第26回江戸川乱歩賞を授賞したミステリー「猿丸幻視行」(井沢元彦)は、いろはうた柿本人麻呂作者説を主題にしているだけあり、作中にはいろは歌をアナグラムした暗号(これも当然いろは文になる)が出現する。
 1990年頃、NHKの「おかあさんといっしょ」で放送された「はるなつあきふゆあいうえお」(作詞作曲・小椋佳)は、濁音・促音・拗音を用いない現代仮名いろは文で、しかも2番まである作品であった。その後、やはりNHKの「ことばてれび」の初期テーマソング(作詞・NHKアナウンス部、作曲・小椋佳、1995年頃)の歌詞がいろはであった。
 最近では「新いろは歌一人百首」「新いろは歌一人百首II」(中村菜花群・新風舎)という本も出版された。これは一冊につき百作(二冊だから全部で二百作だ)のいろはを集めた作品集である。
 また、日本棋院棋士六段に中山典之という方がおられるのだが、この中山六段、なんと囲碁をテーマとしたいろは文を作るのが趣味なのである。これまでに作り上げたいろは文は千を越えるそうだ。その著書「シチョウの世界」(日本棋院)中にも自作のいろは文が掲載されている。
 ネット上にもいろは関連のページが存在する。その中で創作いろはのページを紹介しよう。

 この他にもいろは文に関するページがあればお教えいただきたい。

 「現代史」に当たる部分については、今後新情報が得られれば随時追加修正していく予定である。



参考資料
塚本邦雄「新装版ことば遊び悦覧記」(河出書房)
小松英雄「いろはうた」(中公新書)

いろは文などの引用に際し、著作権には極力気を使ったつもりなのですが、もし不備不都合等ありましたら、ぜひご連絡下さいませ。対処いたします。その他各種情報もおよせ下さい。

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