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世界の道は早稲田に通ず 大隈重信の民間外交 2015年度秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ──」より

2015年10月1日から11月8日まで、大隈記念タワーにて開催されている2015年度秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ──」より、展示の一部をご紹介します。

早稲田の大隈重信邸──私設外務省、私設国際倶楽部──

大隈重信が早稲田に居を構えたのは1884(明治17)年3月で、1922(大正11)年1月10日に死去するまでの約40年間、ここで日々を過ごしている。

大隈邸には、毎日多くの人びとが訪れた。例えば、1912(大正元)年の1年間で、約2万3千人も訪れたという記録が残っている。大隈は午前9時から午後3時まで訪問客に面会し、時には一緒に昼食も取った。一見大変なように見えるが、「客は甚だ好きである」と語っているように、大隈は大歓迎であった。むしろ雨が降って来客が少ないと、とても残念がったと伝えられている。

大隈邸への訪問客の中には、外国からの要人の姿がしばしば見られた。日露戦争時にイギリスで外債募集に尽力した高橋是清は、「侯が外国の賓客に尽された事も一通りや二通りではない、だから外客で侯に招かれないとか、其庭園を見ないとか言ふことは恥と思つてゐた。之がどの位外人に誇りを与へ又好意となつたか知れない。従つて日本の為めに非常に利益となつてゐる」と語っている。

また、徳富蘇峰は、雑誌『大観』大隈侯哀悼号に掲載した文章で、次のように述べている。

彼の早稲田邸は宛然たる私設外務省、私設国際倶楽部であつた。世界の旅客は、日光を見ずとも、箱根には遊ばずとも先づ早稲田の老人にだけは面会せずには帰らなかった。この意味に於て彼は正しく国民的代表者であつた。(中略)我が大日本帝国は此の偉人を失つて俄に淋しくなつた。

歴史の表舞台にはなかなか現れないが、大隈の外国人との交際は、日本の対外関係に大きな影響を及ぼしたのである。

2-1_2大隈邸を訪れた著名な外国人

アルベール=カーンの来日 1908年(明治41)年12月

アルベール=カーン(Albert Kahn、1860-1940)は、フランス生まれのユダヤ人。鉱山への投機で成功し莫大な財産を築き、自ら銀行を設立した。彼は世界平和の実現に人生と財産を捧げようと考え、いくつかの事業を起こした。その一つが「世界周遊奨学金制度」で、世界の青年たちに世界各地を旅して見聞を広める機会を与えた。日本からも、姉崎正治ら18名がこの恩恵にあずかっている。もう一つが「地球映像資料館」で、世界60ヵ国にカメラマンを派遣し、現地の日常生活や風俗、建物、自然などを写真や映像に収めた。近年、これらの映像の一部が放送され、大きな反響を呼んだ。知識と教育、そして相互理解こそが、世界平和と寛容の精神をもたらすと考えたのである。

アルベール=カーンと日本・早稲田大学

実業家で、またフランスの自宅に日本庭園を造るほどの大の親日家でもあったカーンは、渋沢栄一や益田孝、大倉喜八郎ら日本財界の有力者ともきわめて親しく交わり、公私にわたって三度来日した。そのたびに大隈とは面会していたらしい。

5アルベール=カーンと日本・早稲田大学

外国賓客を歓迎する大隈家 1908年(明治41)12月28日

1908(明治41)年から約1年をかけた世界一周旅行が、三度目の日本訪問であった。この時も、カーンは早稲田の大隈邸を訪ね対談した。この日、大隈は、フランス大使ジェラールをはじめ、高橋是清や大倉喜八郎ら財界の有力者、早稲田大学幹部らも招いて午餐会を催した。食事後は、カーンが日本の遊戯を見たいと希望したため、少女たちを集めて百人一首や鬼ごっこなどを見せたという。この日の映像が、様子を映した映像や写真が、アルベール・カーン博物館に残っている。そこには、大隈の歩く姿も映っている。

早稲田大学編輯部編纂『早稲田大学創業録:三十年紀念』(早稲田大学出版部、1913)

早稲田大学では、理工科・医科の新設を含めた学科の整備と拡充を盛り込んだ「第二期計画」の大綱が決まり、基金募集が始まっていた。カーンはその趣旨に賛同し2,000円を寄付した。「第二期計画基金寄附芳名録」に、彼の名前が記されている(中段、左から2人目)。
11『早稲田大学創業録:三十年紀念』

「大隈伯爵家家温室内の食卓」

村井弦斎『増補註釈 食道楽』冬の巻(報知社出版部、1904)に掲載された口絵。このように、大隈は海外からの賓客と温室内で会食することがよくあった。
19-1「大隈伯爵家家温室内の食卓」

大隈家使用の銀食器

伊藤博文から寄贈されたもの。贈られた時期や経緯は不明。しかし二人の密接な交流を象徴するものである。
19-3大隈家使用の銀食器

東アジアの要人との交流

大隈邸には、欧米諸国からだけでなく、アジア諸国からの要人も多数訪れている。清国の康有為や中華民国の孫文、朝鮮の金玉均、ベトナムのファン=ボイ=チャウ、インドのタゴールなど、その名前を記せば枚挙に暇がない。また早稲田大学は、早い時期からアジアの学生を受け入れていた。1884(明治17)年には朝鮮人留学生2名が入学し、1905(明治38)年創設した清国留学生部には、約5年間で2,000名余の学生が在籍している。このように、大隈と早稲田大学のアジアとの関わりは深く、政治や教育など各種の分野において、多大なる影響を及ぼしていたのである。

ここでは、近代中国の巨頭である康有為と孫文との交流の一端を紹介する。

早稲田大学中国留学生卒業記念 1907(明治40)年

早稲田大学中国留学生卒業記念 1907(明治40)年

大隈重信と康有為

康有為(1858年-1927年)は清国末期・中華民国初頭の思想家、政治家。

日清戦争の敗北に強い危機感を募らせて抜本的な政治改革を提唱した。1898(明治31)年、ついに光緒帝らを動かし変法自強運動に取り組んだが、西太后のクーデターによって失敗に終わった(戊戌の政変)。その後、宮崎滔天らの手引きによって日本に亡命し、大隈の庇護を受けている。大隈は自宅近くに住居を準備し、食費などの金銭的な援助だけではなく、観菊会に招くなど、物心両面にわたって、異郷の地で失意に沈む康を慰めた。翌年3月には、清国政府から日本政府への強い抗議により、康は日本を離れざるを得なくなったが、その後も大隈は支援を続けたようで、英国滞在中の康に資金を送付している。

1911(明治44)年辛亥革命が起こると、康は帰国を決意する。途中日本へ立ち寄ることとし、6 月13日神戸に到着。そして9 月13日、東京で大隈と13年ぶりに再会を果たし、今後の世界情勢について熱く語り合っている。9 月19日には、早稲田大学で講演も行なった。こうして帰国した康は、立憲君主制樹立を追求し清帝復辟を図ったが、革命後の中国でそれを実現することが難しく、晩年は不遇の日々を送った。

康有為

24-1康有為
1917(大正6)年11月写真脇の「贈大隈侯爵如常相見。康有為六十像敬呈印」は自筆。この年の7 月、北京入りした張勲が清朝復活を宣言したが、わずか15日間で失敗に終わる。いわゆる復辟事件である。康もこの運動に参加していたため、この頃、安徽派の段祺瑞に追われる身となっていた。これ以降、康は完全に政治の表舞台から姿を消すことになる。

大隈重信と孫文

孫文(1866年-1925年)は、中国の革命運動家、初代中華民国臨時大総統、中国国民党総理。

1913(大正2)年、孫文は中華民国の全国鉄道建設計画総裁として来日し、全国各地で熱烈な歓迎を受けた。2月25日には大隈邸に招かれ、大隈をはじめ早稲田大学関係者や同仁会会員らによる歓迎会が催されている。大隈は会食冒頭の挨拶で、「我輩は孫君とは已に二十年来の旧友である」と語っている。

孫文が1897(明治30)年に宮崎滔天と平山周の手引きで日本へ亡命した際、大隈もこの件に関与していた。平山らは孫文の東京滞在の許可を得るため外務次官の小村寿太郎に相談したが、日清関係の悪化を危惧して断られている。そこで犬養毅を通じて、当時外務大臣であった大隈に相談したところ、大隈は平山の雇人という名目にすればよかろうと提案した。平山らはこの方針で許可申請を行ない、孫文の東京滞在が認められたのであった。孫文はしばらく大隈邸近くの早稲田鶴巻町の借家で過ごしており、大隈と面会することもあったのであろう。

大隈は、孫文の来日を東洋の平和、世界の将来への貢献から歓迎すると、挨拶を結んだ。これに対して孫は、多くの清国留学生が早稲田大学で学び、日本で得た知識と国民的自覚が今回の革命成功をもたらし、今後の国家建設に寄与するであろうと、大隈をはじめ大学関係者に感謝の意を表した。

歓迎会は終始和やかな雰囲気の中で行なわれ、午後5時頃に散会した。

大隈邸の孫文歓迎会

 

27-2『歴史写真』第4月号
温室から大書院に設けられた宴席に移動。会食の冒頭、大隈が立って挨拶している様子を撮影したもの。孫文は大隈の左に座っている。

 

 

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