海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり

(44)「朝鮮人強制連行」一体誰が…日本たたきのツールにされた言葉

 「朝鮮人強制連行」という言葉が戦前・戦中はもちろん、戦後しばらくも存在しなかったことは以前、書いた(連載42)。虚偽にもかかわらず、日本の悪行のシンボルのごとく使われるようになってしまった言葉は、いったい誰が言い始めたのだろうか。

 特定するのは難しいが、評論家・詩人の藤島宇内(うだい)(1924~97年)が岩波書店発行の雑誌『世界』昭和35(1960)年9月号に書いた論文の中で使用されたのが最初ではないか、という見方が多い。

 首都大学東京名誉教授の鄭大均(てい・たいきん)(70)は、著書『在日・強制連行の神話』で、1960年代以前にこの言葉がほとんど使われた例がないことを指摘した上で、「おそらくは(先行して1950年代半ばから使用されていた)『中国人強制連行』から得た発想なのだろう」と言う。

 この藤島の『世界』論文は「朝鮮人と日本人-極東の緊張と日・米帝国主義」のタイトルがつけられている。文字通り、内容は親北朝鮮、親中国のスタンスに立ち、対峙(たいじ)する日米を、「帝国主義」、韓国を「強圧的な悪政」と指弾したいのが趣旨であろう。

 その中で藤島は、4カ月前の『世界』昭和35年5月号に掲載された「戦時下における中国人強制連行の記録」に触発されたとし、《…「強制連行」は中国人に対してだけ行なったのではなく、朝鮮人に対してもより大規模に長期にわたって行われた犯罪である…しかもこれに対しては一かけらの反省もあらわれない》と日本の姿勢を痛罵する。

 そして、「朝鮮人強制連行の記録」とした第2章で、《一九三九年からは朝鮮人に対して強制的な「労務供出」政策が実施された(略)一九四〇年代の五年間に強制連行されてきた朝鮮人は一〇〇万人ちかいといわれ…》と主張。朝鮮人男性の寝込みを襲い、トラックに乗せて炭鉱に送り込んだ、とか街を歩いていた青年が突然、警官に捕まり、炭鉱へ送り込まれた-という信じがたいエピソードを挟み込んでいる。

 ただ、論文の趣旨からすれば、朝鮮人強制連行のくだりは、「現在」を語るのに「過去」の事例を持ち出し、無理にねじ込んだ感じが否めない。

 「寝込みを襲い…トラックに乗せて」のエピソードについても、原文にある、やったのは「朝鮮の官吏」という部分が削除されたことが分かっている。つまり、朝鮮人強制連行を善玉(北朝鮮・中国)を際立たせ、日本を糾弾する「印象操作のツール」として使ったのではないか。

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