函谷鉾の稚児人形の嘉多丸君(2016年7月、京都市下京区・函谷鉾町会所)

函谷鉾の稚児人形の嘉多丸君(2016年7月、京都市下京区・函谷鉾町会所)

今年で復興から180年を迎える函谷鉾(2018年7月17日、京都市下京区)

今年で復興から180年を迎える函谷鉾(2018年7月17日、京都市下京区)

 祇園祭の稚児人形の先駆け函谷(かんこ)鉾(京都市下京区四条通烏丸西入ル)の「嘉多丸君(かたまるぎみ)」のモデルとなった一条実良(さねよし)(1835~68年)の子孫が来月の前祭(さきまつり)で嘉多丸君と対面し、巡行に初めて参加する。今年は同鉾の復興と嘉多丸君誕生から180年の節目。函谷鉾保存会と子孫は新たな縁を喜んでいる。

 かつて山鉾には生稚児(いきちご)が乗っていた。函谷鉾が1788年の天明の大火で部材の大半を焼失し、1839年に再建した際、生稚児を準備することができなかった。最も格式の高い公家「五摂家」の一条家の当主だった忠香(ただか)の長男で当時は子どもだった実良をモデルに、仏師・七条左京が山鉾町で初めて稚児人形を制作し忠香が命名した。

 明治維新後、一条家は明治天皇とともに京都から東京に移った。23代目の実良の子孫が存命だと知った保存会の岡本正理事長(53)ら役員が4月、28代当主で弁護士の實昭さんと東京で面会。嘉多丸君誕生の経緯を伝えたところ、實昭さんは「親から聞いたことがなかった。祇園祭をしっかりと見たことがない」と話し、宵山期間に嘉多丸君との対面が決まった。17日の山鉾巡行にも一部参加し都大路を進む計画だ。

 保存会によると、實昭さんは「京都とまたご縁ができてよかった」と語ったという。岡本理事長は「先人たちの先見の明を改めて感じる。一条家のご配慮に感謝し、ご恩を未来に受け継いでいきたい」と話す。