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【大阪の20世紀】(14)御堂筋 偉大な“大阪の父”市長・関一、“未来都市”へ大改造
■産経新聞アーカイブ(1999年01月17日 大阪府下版に掲載)
夜行列車で
午後十時十分に大阪駅を出た列車は、翌日の午前十一時に東京駅に着く。大きなトランクから洋書と辞書、ポケットウイスキーを取り出した男はひざを組んで座り、車内の揺れも気にせずに活字を追った。煙草をくゆらせ、時折、強いアルコールで喉をしめらせながら…。
一九二八年(昭和三年)八月から東京-大阪間を走った国鉄の急行第十八列車。乗り合わせた人の多くは、この男を大都市・大阪の市長とは思わなかっただろう。丸い眼鏡と洒落た背広姿の関は、中央官庁へ陳情へ向かう半日がかりの列車の旅を好んだという。
東京での関一(せき・はじめ)は東京駅前のホテルを常宿とした。中央の官僚の自宅まで出かけて頭を下げ、再び洋書とウイスキーを友に、大阪へ戻るのだった。
《上京のことで想い出すのは、関夫人のことである。関さんのトランクには必ずポケットウイスキーと平常愛用する「敷島」が何箇かはいっていた。関さんの愛好されるものは瞬時にも切らすまいという奥さんの深い思いやりには、当時若かったカバン持ちの私はすっかり羨ましかったものである》
第二次大阪都市計画事業などを担当し関に随行することの多かった伊東俊雄は、『関市長小伝-銅像建立記念』のなかでこう回想している。多忙を極めた関にとって、妻の心づかいを感じながら陳情へ向かう車内は、至福のときを過ごす場だったのかもしれない。
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