私が担当させていただく予定の新しい夫婦別姓訴訟(岡山地裁,東京地裁)については,大きな反響をいただき驚くと同時に,この問題の根深さを痛感している日々を送っています。

 

 

 

その新しい夫婦別姓訴訟における原告側の主張については,多くのマスコミの方々が,「外国人と結婚した日本人は別姓か同姓かを自由に選ぶことができるのに,日本人同士の結婚の際には,同姓しか選べないことが憲法上許されない差別である,という主張を行う」と報じてくださっているのですが,実はこの報道内容は,正確に申すと2つの意味で少しニュアンスが違うのです。

 

 

 

1つ目の意味は,新しい夫婦別姓訴訟における主張では,単に日本人同士の夫婦と外国人と日本人との夫婦を比較する,ということではありません。比較の対象は,①日本人同士の離婚に際しては,旧姓に服すると同時に婚姻時の氏を戸籍法上用いることもできること,②外国人と結婚した日本人は,民法上別氏であると同時に,外国人と同じ氏を戸籍法上用いることもできること,③外国人と結婚した後氏を変えた後で離婚した方は,戸籍法上その氏をそのまま用いることもできると同時に,旧姓の氏に戻すこともできること,の3つになるのです(結婚と離婚については,日本人同士の結婚,日本人同士の離婚,日本人と外国人の結婚,日本人と外国人の離婚の4つが考えられるところ,日本国憲法が「結婚と離婚は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」としている趣旨が,この4つの場合に実現されているか,が問題となります。)。

 

 

 

いわば,例えて申すと次のようになります。4人の村で制定されている法律で,4人の内の3人(上の①②③)については戸籍法上氏を自由に選ぶことができるようにしているのに,4人の内の1人(日本人同士の結婚で氏を変えた方)についてのみ,旧姓を戸籍法上用いることを100%許しておらず,氏を変えることが一切許されない場合を念頭に置いていただきたいのです。4人の内の1人についてのみそのような区別を行うことについて,合理的な理由はないように思うのです(この①②③と日本人同士の婚姻の比較につきましては,ハフィントンポストの記事「サイボウズ社長が提訴へ。「夫婦別姓」は今度こそ実現する?。弁護士に聞いてみた。」がとてもよくまとめられていますので,ぜひご覧ください。)。

 

 

 

さらに2つ目の意味は,報道されている「外国人と日本人が結婚した場合は別姓か同姓かを自由に選ぶことができる」という点です。趣旨としてはその通りなのですが,正確に申すと,「外国人と日本人が別姓か同姓かを自由に選ぶことができる」という点ではなく,「その場合の日本人は,夫(もしくは妻)である外国人の同意なく,氏を自由に選ぶことができる」という点がポイントなのです。

 

 

 

上で述べた①②③の全ての場合において,1人の意思で,氏を戸籍法上自由に選ぶことができるのです。それはまさに,憲法が定める「個人の尊厳」の氏についての発現です。

 

 

 

それにも関わらず,日本人同士の婚姻で氏を変えた方だけ,旧姓を戸籍法上の氏として用いることを100%許していないことに,何等合理的な理由はないように思います。その場合も「個人の尊厳」の氏についての発現として,社会生活上等で必要な場合は,旧姓を戸籍法上の氏として用いることを許すべきことは,①②③の場合と比較して,当然のことのように思うからです。

 

 

 

しかも,ここで大切なポイントですが,実はその氏について規定した法律である戸籍法の6条は,夫婦の氏を同一にしなければならない,と命じていないのです(戸籍法6条は,日本人同士の婚姻で氏を変えた方が戸籍法上旧姓を用いることを許容している規定なのです。)。とすると,そのような意味においても,同条項の存在にもかかわらず日本人同士の婚姻の場合について,戸籍法上氏を自由に変更する(旧姓を戸籍法上の氏として用いる)ことを許していないことには,何等合理的な理由はないように思います。

 

 

 

4人の村のお話の例えは,この問題の思考を大変容易にするものだと思います。そして,新しい夫婦別姓訴訟で予定している私達の主張が認められた場合に,国会は戸籍法に1つだけ,この記事の最後に書きます条文のような内容を追加するだけで,夫婦別姓に関する問題が,全て終わりを告げることになります。必要なのは,たった1つの条文なのです。

 

 

 

私達が新しい夫婦別姓訴訟で実現しようとしているのは,そのような法改正なのです。それはまるで,魔法のような法改正だと,私は考えています。

 

 

 

「婚姻により氏を変えた者で婚姻の前に称していた氏を称しようとする者は,婚姻の年月日を届出に記載して,その旨を届け出なければならない。」