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印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月28日更新

伝王仁墓

伝王仁墓 「漢字」が生んだ日韓歴史交流の拠点

4世紀末に朝鮮半島から日本に漢字と儒教を伝えたという王仁(わに)の墓とされています。禁野村和田寺の僧・道俊が『王仁墳廟来朝記』の中で、藤坂村の鬼墓は王仁墓のなまったものと主張し、京都の儒者・並河誠所がこの書物をもとに王仁博士の墓として崇拝するよう地元の領主に進言し、享保16(1731)年に「博士王仁之墓」と刻んだ墓石を建てたことが始まりで、昭和13年に大阪府の史跡に指定されました。
市は、王仁博士の生誕地とされる韓国霊岩郡と20年以上にわたって市民レベルで交流。地元の市民グループが中心となって王仁塚周辺の清掃やお祭りの開催、交流に力を入れてきたほか、地元の菅原東小学校では霊岩郡の初等学校と壁新聞の交換を行ってきました。こうした取り組みが実を結び、平成20年には市と霊岩郡との友好都市提携が実現。歴史文化を中心に交流を深めています。現在、韓国からは修学旅行生が訪れるなど、伝王仁墓は日韓交流の拠点の一つとして位置付けられています。

所在地藤阪東町2
アクセスJR片町(学研都市)線「長尾駅」より南東へ約600メートル
備考「むくげ祭り」は毎年8月下旬に、「博士王仁まつり」は毎年11月3日に開催

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