JリーグOBリレーコラム 「サッカーと私」 第15回 (2006年11月)
「OBリレーコラム」の15回目は、岡村宜城さんのご紹介で、現在、有限会社アスリートビズでサッカー指導をされている藤田聡さん(元・ガンバ大阪)です。岡村さんと藤田さんはガンバ大阪時代のチームメイトであり、なおかつ中学校時代からの知り合いとのことです。

<岡村宜城さんからのメッセージ>
聡へ、元気にしてますか?お互い指導者として今後もがんばっていきましょう。最近U-17の時のメンバーと会う機会がありました。また年末にでもみんなで集まろうとのことなのでそのときは宜しく!
藤田 聡

たった1年でもJリーガーであったことを誇りに思い、
選手のセカンドキャリアの場で力になるのが、
今の自分の使命

有限会社アスリートビズ

藤田 聡さん

ふじた・さとし
1976年、兵庫県生まれ。徳島市立高等学校から同志社大学へ。99年にガンバ大阪に加入。翌年引退となる。その後、サッカーを離れ一般企業に就職するも、再びサッカー界で働きたいと指導者の道へ。ヴィッセル神戸ジュニアユースコーチ、太成学院大学中学・高校の教師を経て、2006年より(有)アスリートビズに入社。太成学院大学高校サッカー部コーチ、アビスパ福岡・布部陽功選手主宰のNUNOサッカースクールのスクールマスターとなる。

 プロとして過ごした期間はたったの1年。プロサッカー選手だったなどとは恥ずかしくていえないような生活でした。そんな私でも元Jリーガーと名乗って、今光り輝こうとしています。

 友達と一緒に小学校からサッカーをはじめ、順調にレベルアップしていき、中学時にジュニアユース日本代表に選ばれました。その後、徳島市立高校に進学し、インターハイで優勝、U-17世界選手権に出場、その他数々の全国大会に出場するなど、輝かしい成績を残すことができました。親元を離れ単身で四国に渡り下宿生活を始めましたが、この徳島で過ごした3年間は私にとって本当に価値のあるものでした。サッカー観が変わり、考えるサッカーを植えつけられ、また礼儀や挨拶、グラウンド外での過ごし方などといったサッカー以外の面でも鍛えられました。非常に自由な校風で過ごしやすい学校でもあり、サッカー部ではいいチームメイトにも恵まれ、充実した高校生活を送ることができました。

 その後同志社大学に進学しましたが、ここではレギュラーを約束されるほど甘いレベルではありませんでした。また練習を選手主体で行う分、マンネリ化した1日のサイクルを過ごし、大学サッカーに魅力を感じることができなくなりました。しかも、当時、Jリーグというプロの世界が動き出したところで、自分と同年代の選手がテレビに映っているのを見ると、現状から抜け出して、プロの世界に飛び込んでみたいという思いにかられ、非常に悩み、焦りを感じました。しかしそれは、今、レギュラーを取れないことから逃げているだけではないのか、ここでレギュラーを取れないのに何がプロだと自問自答し、それから大学サッカーに打ち込み、ガンバ大阪へ加入の道が開けることになったのです。

 晴れてプロ選手となったものの、技術的にも精神的にも何もかも通用するものではありませんでした。もちろん、プロ選手としての心の準備も全然できていませんでした。そして次第にサッカーをするのが苦痛にもなってしまい、クラブから来年の契約はしないと言われたときには、状況から考えてやっぱりかと思いました。そこで、それまでにフツフツと考えていた「大学に復学して新しい道を目指す」ことを決心したのです。サッカー中心に生きてきた自分にサッカー以外のことで一体何ができるのか挑戦してみたい、そんな思いも強く持つようになっていました。

太成学院大学高校サッカー部

太成学院大学高校サッカー部の指導は、教員免許をとり中学の非常勤講師に赴任したと同時に始めた

大学に戻ってから卒業までは、アルバイトで地元の中学校のサッカー部のコーチをしました。このときは毎日が非常に楽しくやりがいもあり、指導の面白さみたいなところを感じることができましたが、将来指導者になりたいとまでは思いませんでした。やはりサッカー選手を引退したときに感じた、サッカー以外の道で自分に何ができるのかということを見極めたい気持ちのほうが大きかったのです。

 そして、大学卒業後、某機械メーカーに就職し、貿易事務や営業に従事しました。仕事は無難にこなしていたのですが、1年が経とうとしたころ、何かが違うと思うようになってきました。このまま機械を売っていく人生に対して強い思いを持つことができなくなり、この生活を一生過ごすことは考えられないと思い始めました。やりがいも面白さも刺激もなくなってきたのでした。人間関係についても、サッカーの世界とはまったく違った世界なのだなと、実際に足を踏み入れて本当に実感しました。急にサッカー界が懐かしくなり、思い出したのが、大学に戻ったときにアルバイトでコーチをしていたころの楽しさや面白さでした。そして、やはり自分はサッカーにかかわって生きていきたいのだという思いが日増しに強くなりました。そこでキャリアサポートセンター(CSC)に相談し、NPO法人伊丹アスリートクラブを紹介されました。元プロ選手や現役選手が所属し、スポーツによる地域振興をしていこうという同クラブの活動に参加することになり、もう一度将来を考え直すことができました。そして、やはりスポーツにサッカーにかかわれることがうれしい自分に気づきました。

 では、自分がサッカーの世界でできること、やりたいことは何だろうと考えたときに、改めて指導者という道が浮かんだのでした。これは大学に戻ったときにアルバイトでコーチをしていたころの楽しかった思い出や、やりがいが体にしみついていたのだと思います。そこでコーチの勉強をしっかりしていこうとライセンスを取得することにしました。そして、サッカーの技術だけを教えるのではなく、子供たちともっと深く付き合って、礼儀や精神面まで含めて指導できる立場につきたい。その答えが、教師になってサッカー部を指導するということでした。コーチとして生きていく、教師として生きていく、この二つを天秤にかけながら、サラリーマン生活に2年で終止符を打ち、教師として指導者を目指すことにしたのでした。

 教師として指導者を目指すといってもそんなに簡単ではありませんでした。すでに家族がいましたし、金銭的にもそんなに余裕があるわけでもない。そこで選んだのが、1年でしかもできるだけお金をかけずに教員免許を取得することができる通信教育という方法でした。これは、大学に通う必要がなくアルバイトをしながら勉強できますので、少しでも収入を得ながら勉強できたことは大きかったです。この間に指導者ライセンスも取得することができ、伊丹アスリートクラブの紹介でヴィッセル神戸のジュニアユースにコーチとしてお世話になることができました。つまり、教職の勉強をしながらコーチをするという本当にありがたい月日を過ごすことになったのでした。自宅は京都ですので、神戸まで通うのはなかなか大変で、しかも通信教育の勉強も1年で免許取得となるとこちらのスケジュールもハードでした。しかしこの道を目指すことにしたときに、自分に負けては絶対に達成できないし、家族もいましたから、絶対に1年で教員免許を取ってやろうという思いがありました。そして当初の目標どおり1年で社会科の教員免許を取得し、2005年、縁あって大阪の太成学院大学中学・高校に中学の社会科教師に非常勤講師として赴任し、高校サッカー部のコーチを務めることになりました。このことは教育実習先の先生が話をつないでくださったのですが、改めて人脈って大事だと感じています。

現在指導している、NUNOサッカースクール

現在指導している、NUNOサッカースクール。(有)アスリートビズは、Jリーグ選手のセカンドキャリア創出の場として設立された

現在は、サラリーマン時代から所属しているNPO法人伊丹アスリートクラブからスピンオフして設立された会社、有限会社アスリートビズに所属しています。目標であったコーチか教師かという選択肢を持って進んできた先に教師という道が開けました。そして、念願の職に就けた矢先に新しい会社設立の話が舞い込んできて、本当に悩みました。しかし、多くの方からお誘いいただき、また、Jリーグ選手のセカンドキャリア支援という大きな趣旨のもと、現場の指導者としてはもちろんですが、多くの選手が現役から引退したあともサッカーにかかわり活躍できる場を作りあげていくという業務にやりがいというか使命を感じ、転職の決意をしました。私自らが手本となり、自分がサッカーを通じて経験したことを伝えていきたい、現役選手のためにセカンドキャリアの場で何らかの力になることができればと考えています。たった1年でもJリーガーを経験したということに誇りを持っていいのだ、特別な体験をして特別な経験値を持っている、と言ってくれる人の言葉を胸にしまい、自らもそう思えることができるように前に進んでいこうと思います。サッカー中心に生きてきた自分が、サッカーで培った力を生かして、堂々と自信を持ってサッカーにかかわるセカンドキャリアを生きていけるように......。

 実際の業務としては、アビスパ福岡・布部陽功選手主宰のNUNOサッカースクールのコーチ、太成学院大学高校サッカー部のコーチとして、指導を続けています。まだまだ指導者としては未熟で勉強の毎日です。サッカーはいろいろな力をつけることができる本当にいいスポーツ。今の自分があるのはサッカーをしていたからこそだといえます。自分がこれまでサッカーを通じて得ることができたものを少しでも多く選手に伝え、サッカーを通じて人間的に大きく成長し、on the pitchでもoff the pitchでも素晴らしい人間になり、さらにサッカーを生涯愛してもらえるようにと願いながら、日々、現場に立っています。

 最後になりましたが、ここまでサッカーに携わっていられるのは、ここでは書ききることができないほどお世話になった多くの方々や支えてくれた家族がいてくれたからこそ。心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。
◎「次回は、金 晃正さんにお願いします。」