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言うまでも無い事かも知れませんが、亀和田武氏はワイドショーの司会をはじめ、TVタレント、文化人としての執筆活動などで世に知られる人です。また小松杏里氏は「月光舎」高取英氏は「月蝕歌劇団」主宰者として、演出家、劇作家として演劇の世界で著名な存在です。
川本耕次氏の手がけた「少女アリス」は自販機本であることから、入手の難しい面もあり当時の“アジマニア”達に町中を疾走させたという逸話が残っています。ヌードグラビアは全て成人女性によるものでしたが、写真家・望月博明氏の作品集「幻視写真館・少女たち」や高取英氏の「少女エッセイ」、中島史雄氏の叙情イラストなどの連載陣は当時のファンにとっては思い入れの深いものがあるそうです。川本氏の仕事はこれに留まらず、名作の誉れ高い美少女写真集「街には女の子たちがいっぱい」やロリータ官能小説も数多く執筆。また山添みづきを世に出したのも川本氏だそうです。正にブームの陰にはこの人ありといった存在です。一方でアンティーク少女・少年写真のコレクターでもあるらしくポストカードコレクション写真集の監修も手掛け、そこでは叙情的な美意識も垣間見ることができます。
三流劇画ブームについて

■三流劇画全共闘■
70年代末期「三流劇画全共闘」と呼ばれる一大ムーブメントが起りました。それは日本のマンガ文化における一つの大きな転換期とも言える重要な事件であり、多くの才能ある作家達が新しい表現方法を模索、確立していく上で無くてはならない実験の場でもありました。ここに於いて「エロならば何でも良い」の不文律の元、作家達は自由な創作活動を繰り広げ、後に“ニューウェーブ”と呼ばれたシーンに欠かすことの出来ない存在を多数輩出してゆきます。

■三流劇画御三家■
そのブームの中心となったのが「漫画大快楽」(檸檬社)「漫画エロジェニカ」(海潮社)「劇画アリス」(アリス出版)の三誌です。「大快楽」の檸檬社を退社した後アリス出版を設立した亀和田武氏は「劇画アリス」の編集長をする傍ら、雑誌やテレビ番組に頻繁に登場し、安保闘争時のアジ演説さながらの強烈なコメントによって各メディアに話題を提供し、ブームの仕掛人として奔走していったのは当時としては有名な話です。そんな中、当時多忙を極めた亀和田氏に変わってアリス出版の編集業務を一手に引き受けたのが川本耕次氏でした。川本氏は自販機ルートによる、写真・文芸を中心とした雑誌「少女アリス」で吾妻ひでお氏を起用。所謂“純文学シリーズ”と呼ばれる名作群を描かせた、後のロリコンブーム最大の仕掛人とも言える存在です。他にこのシーンの仕掛人としては、けいせいコミックス編集担当だった小松杏里氏や美少女路線で名高い「漫画エロジェニカ」編集長を務めた高取英氏がいます。その「エロジェニカ」は警視庁防犯部より摘発、廃刊を余儀なくされるという事件が起きます。これが痛手となって未曾有のエロ劇画ブームも終りを告げる事になります。

■ロリコン劇画の時代■
“御三家”の時代、エロ劇画の世界に於いて美少女もの或いは“ロリコンもの”を描いた作家達が頭角を現し始めました。ダーティー松本、村祖俊一、中島史雄、内山亜紀(野口正之)、谷口敬(野島みちのり)と言った諸氏がそうです。それぞれに独特の世界観を持った作品を次々に発表し注目を集めました。特に内山亜紀氏の活躍は多方面に渡り、遂には少年チャンピオン誌上に「あんどろトリオ」(82年)を連載。この時代を象徴する作家と言えると思います。“御三家”を渡り歩いた作家である谷口敬氏は「弥撤子に」(80年)が衝撃と共に受け入れられ、この作品は「漫画エロジェニカ」人気投票で一位に輝きます。谷口氏は他の作家達とは一線を画した、最も注目に値する存在であると思われます。


※参考文献
「ふゅーじょん ぷろだくと1981年10月号」
美少女まんが館・劇画
ロリコン座談会

「漫画ブリッコ1983年7月号」
特集谷口敬の世界

「アリスクラブ1997年1月号」
発掘少女写真VOL.28少女アリスの巻