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【サザンオールスターズ40周年への轍】2000年 悲願の茅ヶ崎“凱旋”コンサート 最大のヒット曲『TSUNAMI』発売3カ月で250万枚を突破

★第22回

2000年は“世紀末”という言葉にふさわしく、さまざまな出来事が起きた。北海道・有珠山と伊豆・三宅島が相次いで火山噴火。政界では小渕恵三首相が急死し森喜朗首相で沖縄サミットが開催。シドニー五輪の女子マラソンで高橋尚子が日本人女子として初の金メダルに輝き、五輪ブームに湧いた-。

その“世紀末”にサザンオールスターズには最大のヒット曲が生まれた。「TSUNAMI」である。1月26日に発売した同曲は発売3カ月で250万枚を突破した。

♪見つめ合うと 素直におしゃべりできない

桑田佳祐の書き下ろした詞とメロディーが時代の流れにフィットした。

「サザンとしては通算44枚目のシングル。毎週2万~3万枚のペースで売れ続けたそうです。意外ですが、サザンのシングルで200万枚を突破したのは初めてでした」(音楽関係者)

これまでサザンのシングル売り上げは「エロティカ・セブン」(93年)の173万枚、「涙のキッス」(92年)の154万枚、「愛の言霊」(96年)の138万枚という順番だった。

異例のヒットとなった要因について大手レコード店の販売担当者は「購買層がメンバーと同じ世代の40代前半から中学生まで広がったこと。普段CDを買わない中年層が店に足を運んだ。親子の“共通言語”として大ヒットしたのです」。

最終的に同曲は294万枚売れ、歴代では「およげ!たいやきくん」(75年)、「女のみち」(72年)に次いで歴代3位となった。

この盛り上がりの中、8月19、20日には桑田の出身地、神奈川・茅ヶ崎公園にある市営野球場で凱旋野外コンサートが行われた。99年に「来年の夏、茅ヶ崎でコンサートをやりたい。夢だけど」と発言したのがキッカケとなった。

桑田の発言に市民グループが署名運動を繰り広げ、茅ヶ崎市長に5万人の署名簿とコンサート開催の要望書を提出し実現にこぎつけた。サザンの茅ヶ崎凱旋はデビュー3年目に市民会館で行って以来19年ぶりだった。

湘南海岸沿いにある市営野球場は2万2000人のファンで埋まった。会場に入れないファン1万人が付近の浜辺に押し寄せて、真夏の夜の大パニックに。「コンサートのために市は市営野球場の使用料を通常の10分の1に大幅減額する条例改正を行うほどの意気込みだった」(関係者)

「ただいま! みんな、ありがとうね。帰ってきちゃった。実現させてくれてありがとう。茅ヶ崎に生まれてよかったです」

桑田は悲願の凱旋コンサートの喜びを爆発させた。4時間で36曲。サザンの歌声は、茅ヶ崎の空に響き渡った。

そして11月22日には前2作がミリオンヒットとなったバラード・アルバムの第3弾「バラッド3~the album of LOVE~」を発売。これは87年以降の名曲を収録したもので「真夏の果実」から新曲「TSUNAMI」まで28曲が2枚組に収められた。「茅ヶ崎ライブの恩返しとしてファンからの要望が強かったシリーズを復活させた」(関係者)。

年末には恒例の“年越しライブ”「ゴン太くんのつどい」を横浜アリーナで開催。「第42回日本レコード大賞」では「TSUNAMI」が大賞を受賞し、メンバーは横浜アリーナから急遽、レコード大賞の受賞会場へ。

桑田は「ようやくひばりさん(美空ひばり)の背中が見えてきました!」とコメントを残して再びライブ会場に戻り、ファンとともに世紀越えのカウントダウン。20世紀最後の年を最高の形でしめくくった。(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

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