The Wayback Machine - https://web.archive.org/web/20071011024330/http://chotoku.cocolog-nifty.com:80/blog/

2007年10月11日 (木)

万年筆のインキきれ

木曜。
ハレ。
来週のちょうど今頃は、バスで名古屋に向かっている筈である。今回のプラハ行きは、セントレア往復なのだ。
以前にも、関空から欧州に行ったことは何度もある。この場合、関空と東京は飛行機であって、紀伊半島の上空で乱気流にやられて、日本って凄いところだなあ、と何度も感心した。新宮とか吉野熊野の上空から視た下界は、やはり極東のそのまた果ての神秘そのものだ。
そういうところから、集計用紙に延々と細かい字で文字をつづったり、これはもっと昔のことだけど、粘菌を森永キャラメルの大箱に入れて天皇に見せたりするような、人が輩出するわけだ。

関空よりもセントレアはかなり近いので、飛行機の便は東京まではない。
それで、行きは3500円のハイウエイバス。飛行機はAFのパリ経由、で、プラハ。
座席は3A。
実はこれにはトリックがあって、KLMのマイレージなのだけど、12万マイルの半額の6万マイルで乗れるというキャンペーンなのである。ただし、旅程変更は不可。

何時も、モレスキンのノートにラミーを2本もちあるいている。この前の家人のリサイタルの時には、控え室にてこれで原稿のプロットを書いた。
昨日は、今度出る、リコーの写真集(100人の人が参加)の必要なサインとかコメントを「肉筆」で書いた。これは本ではなく、一枚一枚の印刷物が箱に入ったものらしい。

一昨年、編集者のタカザワケンジさんがGRボックスを企画の時にそういう箱の本(ただし製本してない)を提案したが、見送りになった。
それが2年後に復活したわけだ。

その関係のことを、ラミーで書いていたら、2本のカートリッジが同時に空になっていた。
思えば、万年筆なあまり使わないので、インキ切れに気が付かなかったわけである。
家に戻って、カートリッジのスペアを探したが、そういうものは買い置きしてあっても、必要な時に出てきたためしがない。
R1141464
家人のリサイタルの時に、私の本にサインを求めてきた、佃3丁目の建築事務所の青年がプレゼントにくれたのが、フィシャースペースペンである。
当分の間はこれを使うことにする。(9:35)

| | コメント (0)

2007年10月10日 (水)

プラハ行き1週間前、さてカメラは?

天候回復。R1141420

午前9時には、ヒルズの49f。今日もワークスペース1を「占拠」。

これで夕刻まで仕事だが、集中しているとその7時間が3時間くらいの長さにしか感じられない。実は最近では、これをデルのノートで書いているのである。

時代が21世紀も10年目に近づいてくると、「窓屋」のノートを使わねばならないような「不幸」な事態になるわけである。というのも、パワーブックG3はさすがに遅いし、もう一台のもらいものの、G4の方は液晶ぶれて使うことができない。

だから、ヒルズに備え付けのPCを使っているわけである。これは不思議な感覚にて、いわゆる使い捨てカメラを使っている時と、似たような感じがある。

もともと、レンズ付きフィルムには、そのモノがほしくなるような、マシンへの「愛情」というのはばっさりと切り捨てられている。

貸出用のPCとか、ミュージアムの音声ガイダンスとか、飲み屋のトイレのスリッパというような物には、物欲を刺激する要素が皆無である。まったくの実用の範疇でその物が存在しているわけで、ある意味では「おとなの存在感」なのだが、一方で、モノへの礼讃とでもいえる欲望が欠如しているのが、まあ、面白くないわけだ。

そう思いつつ、デルのラチチュードD520というのを使っているのだけど、このマシンはほしくないねえ。

ロッカーからシュタイナーのM22を出してくる。

昨日は一日中、ゲラと格闘していたので、実に目が疲れた。近距離を見ているせいであるがそれから脱する意味で、遠方を見る為の双眼鏡である。

ここから見ると、銀座が見えて、その先はいきなり江戸川で、そのすぐ先に幕張メッセが見える。平面を斜めに観察しているので、その距離が圧縮して見えるわけだ。視程は15マイル程度であろう。晴れていると、よく見える成田への着発便は今朝は見えない。

来週からまたプラハである。その1週間前に持参するカメラを何にしようか、思案中。

1月にはプラウベル、8月にはパノラマカメラだった。10月にはライカという気分もあるが、この前の続きで、パノラマを持参したい気持ちもある。もっとも、持参するカメラの品定めはもっぱら、フィルムカメラの上に限られているようだ。

デジカメはそこらにあるのを、もって行けばよいのである。付け加えれば、これはモノクロフィルムを基本に考えているのだ。カラーはもっぱらデジカメまかせだ。

8月の撮影で、ドイツ製のローライフィルムをテストで数本持参した。ほかは、チエコのフォマパンであった。同一条件で現像したら、ローライフィルムは非常にベースの抜けがよかった。古典的なネガの状態の表現を使うと、「ネガシャン」という状態である。まだプリントはしていないが、期待は高まる。

これより仕事。(10:19)

原稿3本。雑用。雑事。

スケジュール管理などなど。あっと言う間に午前9時だったのがすでに午後3時半。

午後7時から、「チョートククラシックカメラ展」の展示物の搬出あり。

快晴の東京となる。(16:32)R1141459

| | コメント (0)

2007年10月 9日 (火)

雨の週明けの火曜日に

雨の週明けの火曜である。なにか月曜と思ったのは勘違いだ。

それにしてもこのところ、連休続きでいささか困っている。

自分のような自由業は休みはなしの、休日も営業中だ。

それはそれで仕方ないけど、おつきあいのある出版社は印刷所の「支配下」にある。

だから、連休とか年末年始などは、特別進行でスケジュールはかなり前倒しになる。

これも仕方ないことだ。

困るのは、今回、発見したことなのだけど、家人の例の帯状疱疹であって、その発症時が、折も悪く、連休の前日の夜なのである。

こうなると、健常者さんには楽しい連休であるが、病人家族は実に困った次第だ。

それで昨日の家人のリサイタル@津田ホールは、演奏中に卒倒するかと心配したが、非常に良い出来でまずは安心した。

これは火事場の馬鹿力というやつであろう。(下のムービーのリンクをクリック!)

お客さんも前世紀のベルクとかヴォルフという地味な曲目(我々には面白いのだけど)に割には大変な入りであった。もともと、今回はあまり宣伝はしなかったのだけど、実にありがたい。

なんでも家人が大学時代に歌を教えたという、女性(年代は結構いってるのは当然)のファンの方がいらして、その甥というカメラ人類さんもつれてきた。

このニコンF2に55ミリのf1、2を首からぶらさげたイケメンは、なんでも佃の建築事務所勤務という。

それで、今度、清澄の外人立ち飲み屋で飲もうということになった。

その40年前の教え子さんが持参したのが、40年前の家人が登場している「音楽の友」なのである。「リゴレット三人娘」というアイドル張りの見開きグラビアだ。

すごいねえ。

国会図書館にもないような雑誌を持参されたのでその古文書を複写させてもらった。

帰りはMKタクシーで戻る。

例によって、花屋さんが開けるような花の数である。これはご厚意で実にありがたいのだけど、もらう身になってみると、ちょっと困ったこともある。

狭い住居が花だらけ。花束とフラワーアレンジメントのバリケード。

佃カルチエラタン。

一夜明けて、ニュースでチエ・ゲバラが殺害されて、40年が経過したことを知った。

革命の戦士も最近では、ファッションなどの流行りものに利用されて気の毒である。、

それより気の毒なのは、生き残ったフィデロの方か?

10時前にはヒルズ。

今日はワークスペース1に入る。

眼前は曇り空の東京であるが、仕事をするには格好の天候である。

今日は雨ならデジカメの日だ。

あ、カメラはR7で、昨日発見したムービーモード。そうそうゲバラの時代にはまだ、こういうのはなかったな。

ニュースは全部、16ミリのアリとかエクレール、フィルモなどで撮影していた。

そう言えば、ゲバラは大のカメラ人類であった。マグナムのルネブリが撮影したカットに、ゲバラが、ニコンS2に50ミリのf1、1付きを構えている写真がある。

思えば、偽ライカ同盟は10年前の今ころに設立された。だから、ゲバラを偽ライカ同盟の名誉会員にしようと思う。

「今日から新段階がはじまった」

これはゲバラ日記の冒頭の部分だけど、それをよく、自分のエッセイで真似ているのだし、ゲバラのTシャツも若いころは着古したし、ゲバちゃんはニコンS2好きだし、偽ライカ同盟の構成員たる資格はある。

それと、ゲバラが身分を隠していた時、その娘さんが一目みて、その人物が父親であることを感知したそうだが、それはその男性(ゲバラ)が、赤ワインを水で割って飲んでいるのを見て、それと気がついたそうだ。

こういう人間の行動のパターンは認識可能だ。だから、プラハなどで赤ワインをソーダでなく、水で割ったりすると、自分も革命家になったような気分だ。革命の赤旗の赤ワイン。

ああ、それとイカスモンのブログによれば、10月7日はデブシロの日であると、なったようだし、ついでにデブシロには偽ライカ同盟の「名誉猫」になってもらおうと思う。これはデブジロ本猫にお伺いせねばならない。

偽ライカ同盟の旗は、下に掲載の「偽ライカ同盟入門」という本の表紙になっているように、シンボルはライカインコなのである。ここに、デブシロのマークが入ると、さらに革命的な旗になるであろう。

http://video.mixi.jp/view_video.pl?video_id=1585730&owner_id=3052677

「十月」は革命の月である。

中野の「十月書房」も閉店して、もう10年であろうか。

(10:19)

ずーーーーーーーーーーーっと、銘機礼3のゲラを見る。

午後4時前に、六本木ヒルズ郵便局から出版社に発送。これで「手を離れ」た。

あとは、見本の仕上がりを待つのみ。

11年ぶりの銘機礼讃シリーズだ。思えばその間にハードカバーの本を20冊以上は出している勘定になる。(15:50)

「R1141406.AVI」をダウンロード

偽ライカ同盟入門 Book 偽ライカ同盟入門

著者:田中 長徳
販売元:原書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1)

2007年10月 8日 (月)

本日は付け人業務

曇り。
連休の三日目。
かなり湿度があり、なにかまだ9月の感じがある。

今日の任務は重大だ。
家人のソプラノリサイタルがある。
家人は他でも歌っているけど、このほぼ2年に一度のリサイタルは、メーンテーマである。
これは1980年に日本にウイーンから戻ってきたとき、以来、継続しているのである。

継続は力なり。、、、であろうか、、、。
それで27年前から、この日は全面的に切符のもぎりやら(これはモノのたとえ)やら、会場の整理(これももののたとえ)やら来賓へのあいさつ(これは実際にやる)やら、頂き物の花やら、チョコレートの管理とか、帰りのタクシーの手配などをするのである。

ようするに、付け人ですね。
その為に昨日は休日出勤で、ヒルズに行って、一張羅のジャケットを持ってきた。このジャケットは、25年前にマンハッタンは、キャナルストリートののみの市で20ドルで買った。

以来、16年ほど前に知り合いの洋服屋さんに、裏を交換してもらった。その裏にブルックリンのいかしたラベルがついていたのを、洋服屋さんは捨ててしまったのだ。
おしいことをした。そのラベルが好きだったのである。

だから、今のジャケットはライカのエンブレムを削ったライカみたいだ。いや、実際にそういうライカ3cを持っていた。leicaの刻印だけを、ダイヤモンドカッターで削ってあるのだ。

その理由が分からない。どこかの機関でドイツの生産品は嫌いだけど、他に代替品がないから、とりあえず「無銘」にして使ったのであろうか。

あ、一張羅のジャケットと書くと、いかにもそれしか持っていないような、誤解を与えるけど、ウイーン時代には各種のワードローブを持っていた。それは今でも持っている。
自慢なのは、そのサイズが今でも着られることだ。(逆に言えば、その頃からメタボっていたということにもなる)
でも、創立以来5年目になる、六本木ヒルズクラブに行く時は、そのジャケットは何時も、49fの仕事場に置いてあって、エレベータで51fのクラブにゆく途中に箱の中で着るのである。

ヒルズクラブはドレスコードが厳重だけど、なんとかそれでお目こぼしで入場している。

さて、本日のリサイタル。午後2時から津田ホール。
付け人の業務のひとつに、撮影がある。大昔のことを思うと今昔の感にたえないのは、当時はライカM型がこういう時に使える唯一のカメラであった。

本番で音のでかいシャッター音のカメラは厳禁であるのは云うまでもない。
だから特別に音を低くした、ライカM3とM2を使っていた。

ザルツブルグの祝典歌劇場を取材したことがある。あそこの公式カメラは2台のライカM2が、サイドバイサイドに、プラットホームの上に乗っていて、(ちょと鉄っちゃんめいていたけど)レンズはエルマリートの90ミリ。つまり同時にカラーとモノクロを撮影するのである。

ステージ撮影が最近、楽になったのは、デジカメになってからである。
今日は付け人もやるので、カメラはポケットに入る小形のがいい。
それで、今日もリコーのR7(最近、おれ、こればっか)である。シャッター音をオフにしておけば、怖いものなし。
本格的なライブ撮影ではアメリカ製のでっかい音を消す箱(これをブリンプという)の中に一眼レフを入れて撮影するのだけど、そんな面倒なことはしたくない。

ところで、このR7であるが、ムービーのモードがないのが残念とこの前に、リコーの人に言ったら、どこそこのモードの中に入っています、とのことであった。
これが2週間前の金曜のことで、以来、R7のムービーモードを探して居るのだけど、未だに発見できない。

隠しコマンドがあるらしい。

これは説明書を読むべきなのだが、その説明書がどっかに行ってしまった。
もっとも、当方は最近ではとみに老人力がついているので、昨晩は冷蔵庫の中の玉子を探して、どうしても見えないので、家人に探してもらったら、何とそれは目の前にあった。
これは、いつも買うのがボール紙のパックなのに対して、最近買ったのがプラスチックのパックなので、それに原因があった。

視神経は無意識のうちに、ボール紙のパックを探しているのである。
この「視神経のフィルター」は、実は街歩きの時には大事な要素なのだけど、日常生活には問題ありだ。下の画像はそのような「視神経のフィルター」で「昔の幼児体験のタイル or 玩具屋さん」と入力した結果である。

そう入力すると、そういうモチーフが見えてくる。あ、カメラは「ムービーモードがついているらしい、キャプリオR7」である。サイズは大きいので撮影すると、リサイズが面倒なので、最近はもっぱら、N1280で撮影。これで十分だ。

何時の日にか、この画像で写真展をやったり、どっかの写真集企画に応募する予定など、最初からないから、ブログなら、これで十分であることが分かった。

今月の最初の頃の坂崎さんの画像、これは3Mもある。そんなに必要ないことは良く分かっているのであるが、ブログ初心者だからこういう間違いを起こす。これからは、一般メカライターさんの向こうを張って、「画像のダウンサイジング運動」でも展開しようか。

さて、これより付け人は出撃。(8:37)

追記。R7の説明書が発見できたので、ムービーの設定は分かった。しかしこれは操作しにくい。やはり隠しコマンドだな。

R1141323

| | コメント (1)

2007年10月 7日 (日)

梅森浩一さんに遭遇

午後2時すぎに、昨日撮影した(ライカM3+ビオゴン25ミリ)フィルムの現像のアップで、ヒルズの6fに降りた。

そこで梅森浩一さんに半年ぶりに遭遇したのである。
梅森さんはもと外資系の銀行の人事のトップであって、それからフリーとなって。「クビ論」などを書いてベストセラーになった人だ。
4年ほど、ヒルズのライブラリメンバーで一緒だった。
この春にそこを出られたので、どうしているかな、とこの数日来考えていたら、この遭遇である。
差し出された名刺にはREUTERS人事本部長とあった。すごい出世である。

知り合いにロイターの記者で、ビロード革命の時、大統領報道官になった男がいるが、これはチエコの話だ。
世の中はせまい。
昨日はデブしろさん、今日は梅森さん。
昨日は猫と、今日は人間との出会いについているなあ。

しかし、ゲラの方はなかなか進行しない。
これを校了しないと本にならないのだが。(14:27)


CDに焼かれたばかり(これを焼きたて画像というのであろうか)の中に、数ヶ月前に撮影して、忘れたままのショットあり。この銀塩の忘れれてしまったショットというのは、散文的でいい。

たしか、ギャラリーバウハウスに行った、この春のショットだ。

ライカM3にレンズは21ミリのスーパーアングロンのF4の方であった。やはり良い描写だ。(と、こういうブログ上で画質云々は、「ツアイスの光と陰」の皆さんと変わりないわけであるが、、、。(14:46)Fh000005

| | コメント (0)

SDメモリの置き忘れ

日曜出勤にて、ヒルズで仕事中。

例の銘機礼讃3のゲラと格闘。

ふと、空を見ると、秋の雲である。

それをデジカメ(R7)で撮影して、アップしようとしたら、SDメモリを佃に忘れた。

それならば、ロッカーに保管中のカメラ(これは先月まで、ヒルズの49fで展示していたのだが、「交通弱者」ゆえ、クルマの手配がつかず、あずかってもらっている)のデジカメの中にSDメモリがあるのを思い出した。

ところがそのカギは佃に保管してある。

レセプションに言って、マスターキーを借り出すほどのこともないので、そのままにした。

デジカメの本などを何冊か書いて、「緊急のSDメモリは財布に入れておくこと」などとえらそうなことを書いたが、それも実際にはなにかの拍子で、使用して元の場所にはいっていない。

世の中、なかなかうまくゆかないのは、SDメモリのこと、ひとつとってもその通りだ。

(13:16)

| | コメント (0)

デジカメ持ってデブシロに会いに

日曜日。
まずまずの天気。

昨日の行動。
http://blog.goo.ne.jp/tat39/で有名な、いかすもんが世の中に有名にした「有名猫」である、デブシロに会いに、東京の北辺に出かける。

デブシロは、その紹介者、いかすもんがGRDで撮影している、著名猫である。どのくらい有名かと云えば、目下、江戸東京博物館で、漱石展が開催されている。先日視てきたが、その資料に「我が輩」が出てくる。ショップでは我が輩のトートバッグも売っていた。その次ぎの次ぎくらいに有名な猫(白猫部門では第一位、当社調べ)である。

ただし、自分は、上のオンラインでそのお姿をしか視たことがない。
ただ、その場所はだいたい見当がついているので、googleで調査した。
mapで偵察衛星の画像をチエックして、出掛ける。まるでアフガンでオサマを捜索するアメリカ軍のようだが、こっちはデブシロを殺戮するのではなく、撮影して、相手の機嫌がよければ、ツーショットである。

有名人とか有名猫とのツーショットはかなり困難だ。
そのわずかに成功した例をあげると、日本のカップルがハリウッドで夜間に、ブラピと前の奥さんが歩行しているのを発見して、ツーショットに成功した例がある。
ブラピは松葉杖で実に調子悪そうだ。その不機嫌なブラピと前の奥さんの左右を囲んだ、にこにこ顔の日本人二人が幸せそうである。

ところで、その画像を撮影したのは誰か?
これが最大の謎だ。
なんと、ブラピのお母さんに頼んで撮ってもらったのである。
猫の手を借りるのではなく、ブラピの母の手を借りたのだ。
これは偉い。

それで、ブラピほどは有名ではないが、東京の北辺の猫、デブシロを捜索に出掛けた。
正式名称は「日本路地裏学会デブシロ調査団」、、、いかにも公式な感じがしますね。
ただし、桃木会長は忙しいので、自分一人の調査団である。

都電荒川線のある駅を降りて、衛星写真で知り得た情報をたよりに、その界隈を調査する。
最近の衛星写真はその精度が進化して、人間よりも上から見た場合「投射面積」が大で、しかも白いのだから識別は可能である。
googleでプラハのうちのアトリエは改装したばかりなので、その白い屋根が良く見える。
ハイテクおそるべし。

くだんの場所は、日本一長い商店街、ふれあい通りの沿線であって、「ナイル」という東京の北辺とは思えない洒落たカフェの近くだ。

ところが、そのポイントには白い肥った白猫ではなく、黒いやせ気味の黒犬がベッドにお昼寝している。
これは陽動sakusenであろう。
その近辺、実際にはその裏の通りを歩行したら、いかすもんがよくデブシロの撮影のバックに使っている、アンダルシアの民家めいた白壁があって、その前に有名猫は鎮座していた。

デブシロとは初対面なので、こっちはちょっと緊張したが、
うーん!??
という感じでデブシロポイントから出てきて、お友達になった。
それで、二匹で、今後のデジカメと銀塩カメラの将来についてはてまた、洋上の燃料補給とか猫のかんずめの好みなどについて、意見交換、会談したのが、この写真である。(取材団代表撮影)
(9:34)
R1141289R1141304

| | コメント (2)

2007年10月 6日 (土)

河岸と刀

魚河岸に行くようになったのは、この3月に「ぼうずこんにゃく」さんのお魚サイトで、河岸の見学会があったからだ。それまでは、河岸は素人は入れないところと、思っていた。
あ、上のタイトルは「菊と刀」の真似。

これはそれなりに経験があって、1970年の当時、東芝の広告の撮影かなにかで、早朝の魚河岸に行って、そのすごさに吃驚したのである。場内を埋めているおにいさんが全員、一心太助みたいな人であって、これは大変なところに来たと思った。
ようするに、プロの現場であるから、素人などはまったく立ち入れるスキもない。

その後、80年代には世界中の魚河岸(というか、ようするに、魚市場ですね)を取材で歩いたことがある。これも仲卸には個人は買いにくることなどは想像の他であった。
一方で、マドリッドとか巴里のマーケットの優雅さを知ったのもその当時のことだ。

魚河岸への興味はそのままになっていて「凍結」されていたのが、今年の春にその「ぼうずこんにゃく」さんのサイトでその面白さを知ったわけである。
それで、一番驚いたのは素人が場内に立ち入りが出来るということだった。
それから半年が経過して、今では「いっぱしの買い出し人」のつもりである。
どこに何が置いてあるのか、、それも分かるようになった。

最近では多忙でなかなか行けないけど、中古カメラ市がそうであった。どこそこの何段目のウインドウにどんなカメラがいくらで置かれているか、これは自分の長い経験で瞬時に憶えているのであるが、そこまでは無理としても、河岸に半年かよって、大体の場内の概略が分かった。

それで今朝も出掛けた。

河岸で思うのは、外国人の見物の人の多いこと。買い物の人間よりも多いくらいだ、それはあまり有り難くはないであろう。しかし世界の魚河岸の宣伝にはなる。
頭をひねるのは、若いカップルで、乳母車を押して、狭い場内にはいってくる連中である。場内な危険だし、狭いから、あれは良くないと思うのは、東洋人の自分の考えであって、欧州などでは電車でも市場でも、軽四輪なみのサイズの乳母車(それに買い物を満載している)は、どこでも通行自由である。
ようするに、生活習慣の違いですね。

河岸が安全でいいなあ、を感じるのは、場外の刃物屋さんである。立派に凶器になる刃渡りの凄いのが、ずらりと並んでいる。それで[us $ ok]などという、手描きのカードが貼ってある。
これが店舗にそのまま置かれていて、何の凶事も起きないのは、そこに河岸のルールがあるからであろう。
自分など、これを求めて、筑地署の前を通過して、職質にあったら即、身柄拘束である。
場内で、長さが日本刀めく包丁がまぐろの脇に置かれている。
それで、何事もない、そこがプロの仕事場であるのは良い感じだ。

ようするに、紅い羽根ですら、ピンから接着剤になってしまった現代で、伝統ち安全が確保されているのが河岸である。
買い物はまぐろのパックが2個。とりがい、ほたて。
これより、炊きたてのごはんでランチ。(11:36)R1141246
R1141245_3

| | コメント (0)

チョートクカメラコラム165回

★チョートクカメラコラム第165回

さて、カメラコラムのリニューアル。
上の番号はMJチョートクカメラコラムからの引き継ぎ。
銀塩クラシックカメラ編と、デジタルカメラ編で進行する。
いざいざ!

第165回 コンバーチブルホースマンで半世紀

これは駒村商会の歴史的なカメラだ。
駒村のカメラは各種愛用しているが、その中で一番愛着のあるのが、コンバーチブルホースマンである。
1960年代に登場した、これは中判のコンポーネントシステムのカメラだ、当時はまだ印刷技術が未熟であったから、カラー印刷は35ミリサイズではだめであって、最低は6x9サイズ、理想は4x5というニーズがあった。
これに答えて、登場したコンバーチブルホースマンは、62ミリの広角レンズを備え、薄い本体があり、交換式フィルムバックという構成だった。

当時、アメリカのグラフレックス社でもグラフレックスXLという同じ方式のカメラを生産していた。無論、ホースマンとグラフレックスではグラフレックスの方が、上位なのは云うまでもないど、当時の外貨管理の時代に、その国内価格を比較したら、グラフレックスの四分の一がホースマンの価格なのである。

それで性能はそれほど変わるわけではないから、愛用者が多かった。
距離計も、ファインダーも、無論、メーターなどついていないカメラであって、ファインダーは光学式ではなく、フレームファインダーが内蔵されていて、これを引っ張り出して使うのである。余計な機構がついていないから、故障する箇所なし。

登場から10年ほど経過した、1970年代半ばに買ったと記憶しているが、いまだに現役のカメラである。
他の中判カメラは6x7と6x9の切り替えができないのだが、コンバーチブルホースマンでは、バックで、6x9でも6x7でも使用できる。
そのフィルムバックはホースマンプレス(こちらには距離計と光学ファインダーがついている)と共用できる。右のレバーでシャッターをセットして、左のレバーでシャッターをきろ機構は、少年時代のフジペットみたいだ。これが良い。

登場から半世紀近くが経過しても、こういうシンプルなカメラは一向に古くならない。適当なフィルムバックの代わりに、デジタルバックを装着すれば、そのままメジャーなデジタルカメラになるであろう。
銀塩カメラはデジタルカメラの登場によって、その存在が上に押しあげられた感じがある。
デジカメより、銀塩カメラは趣味性が加わって、どうやらひとつ上のステージという存在になったようだ。


★デジタルカメラ

第165回 デジタルカメラの二大政党

周囲のデジカメ人類には、2つのパターンがある。
ひとつは、コンパクトデジカメで気楽に撮影をしている連中。我が、偽ライカ同盟の連中、それに日本路地裏学会のメンバーはだいたいがそうであって、坂崎さんも東儀さんもなぎらさんも、コンパクトカメラで気楽に自分の生活(この場合はツアーが多いが)とか、旅の風景などを愉しんで撮影している。日本路地裏学会の桃木会長は、先日、オレゴンに路地裏調査に行き、オレゴンには路地は存在しないことを確かめて、今度は上海と西安に行った。コンデジでないと路地裏調査はできない。
ようするに、「コンデジ民主党」とでも言える人々だ。

もうひとつのパーテイは、フルサイズのデジタル一眼レフでないと承知しない、猛者連中であって、周囲の写真家、ブロガー、それに広告関係の連中にこれが多い。こういう人たちはまずはフルサイズ信奉者であって、あの重い大きなデジタル一眼を世界の果てにまで運ぶことをなんら苦にしない皆さんである。

デジカメで撮影することを、楽しみよりも「修行である」と認識しているようなところがある。言わば「デジいち保守党」である。
そのデジ一保守党は、コンデジ民主党をして「彼らのカメラにはデジカメ政治のビジョンがない」とか「あんな、コンデジの画像はノイズが多くて使用するに堪えない」と批判するのである。

そして彼らのもっぱらの興味が、全部RAWモードで撮影した、画像がHDに入り切らなくなって、最近、1テラバイトのHDを導入した、というような話題である。

自分は一眼レフも使うけど、普段はデジカメはコンパクトを使っているから、まあ、政治信条としては、コンデジ自由党の党員ではないにせよ、その支持者という立場である、そのコンデジシンパから見ると、フルサイズのデジ一の好きなカメラ人類には、一種の完璧主義、潔癖主義とでも言える性質があるのではないか。

つまり、自分の撮影した画像が何時の日にかデビューすることを夢見て、その為に膨大な「決して使用することのない、画像の山」をHDに保管しているのだ。

これでは、HDメーカーのおもうつぼである。もっと気楽にデジカメを愉しもうと云いたい。
コンデジ民主党と、デジ一保守党の政策論争はこれからも注意して注視する必要がある。

| | コメント (0)

2007年10月 5日 (金)

コンタックスのフルサイズデジカメ?

本日は、ヒルズで終日仕事。

しかしあまりに歩行をしないのは体に悪いから、タワーの6fの55ステーションに、コンタックスで撮影した、コダックの400のカラーネガと、CDの依頼にゆく。

そのデータがこれ。

カメラ散歩のファーストショット。露光は無論、勘である。

Fh000002

昨日の撮影行動は、秋葉でカラーネガを10本(2600円、、、、写真家の買い物とじは思えない)それから、7fにて刀削面が700円。

京急にて羽田空港まで。別に羽田に用があったのではなく、となりに座っていた、わりと身なりの良い2人のビズネスマンが、これから札幌まで出張なので、その会話の内容をなんとなく聞いていたのである。

酒場とか、車内とか、欧州の空港のラウンジで外国人の会話をなんとなく聞くのが(ただし英独にかぎる)が趣味とも言えない趣味なのだけど、そのお二人の会話は「昨晩、なんとかさんに食事によばれたけど、食い物にうるさいなんとかさんは、その店が気に入らないので、はやく出ようというので、同行のわれわれに、早く食えを指令した。まったく、舌の肥えた人は迷惑、、、というような会話で実に面白かった。

ついでにビッグバードの内部を鑑賞する。

日本のJAL対ANAの対決というのは、源平盛衰記みたい、あるいはプロ野球のひいきみたいなもので、「外国人」の自分から見ると、実にへんてこに感じる。

その理由は羽田空港駅の下車時の案内からして変である。

つまり、出口が真っ二つであるから、そこから袂を分かつ感じがあって、対立意識が生じる。

エアフランスとKLMは外国同士なのに、共闘している。こういうのは日本ではなかなかない。

それで、昨日のネガがあがって(CDにアップされた)ので、それをご覧にいれる。カメラはコンタックス3aでカラースコパー21ミリである。

撮影はフィルムだけど、それをデジタル化してあるのだから、これはフルサイズのデジタル化されたコンタックスであるともいえる。

この銀塩、デジタルのハイブリッド機の良いところは「撮影をしすぎない」という点にある。これが普通のフルサイズのデジカメだと、「フィルム代がただ」というので、大量の撮影をして、しかもHDの容量が足りないというので、1テラバイトのHDを増設する。

それで安心して画像をためるだけで、再活用はできないものである。

昨日のラストショットは山谷の大林にゆく途中の南千住駅。Fh000021

この駅前は野外オペラができそうなうまい空間の構成になっているので、写真的だ。

(14:11)

| | コメント (1)

«デジカメを置き忘れ!