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昔の新聞点検隊

笑えないエープリルフール

加勢 健一

1955〈昭和30〉年4月1日付 朝日新聞東京本社版夕刊3面拡大1955〈昭和30〉年4月1日付 朝日新聞東京本社版夕刊3面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています

【当時の記事】

行き過ぎた?「四月馬鹿」
“ソ連爆撃機、羽田へ”
日本タイムズ報道 内外読者を驚かす

「ソ連爆撃機羽田空港に着陸」――こんな見出しの記事が四月バカの一日朝、ニッポン・タイムズ(英字新聞)の一面に他の政治記事などといっしょに掲載され読者を驚かせた。警視庁や外国通信社などはこの記事を“見た”瞬間、ギョッとし、本社へ電話で問合わせてきたところもあった。記事は二段の見出し、約九十行のかなり長いものだが、ずっと読んで行くと最後の方に「ツルゲノフ4型の同機はエイプリル・フールのきょう午後二時出発、帰国する予定」というところがあり、「シガツ・ウマシカ」という“筆者”の署名もあるので「なぁーんだ。冗談か」とやっと気がつく程度。

警視庁の係官などは「イタズラにもほどがある」とフンガイしており、英字新聞とはいえ、外人だけでなく、日本人読者の間にもかなり批判の声が出ている。記事の大要は「昨夜、八発のソ連爆撃機が羽田空港に着陸して係官を驚かせた。同機は燃料不足のため着陸したもので、機長イリエフ大佐は“帰り途の飛行に要する燃料に誤算をしていた”と語り、アムール河近くのソ連空軍基地から太平洋横断の試験飛行を行ったことを認めた。同機には二人の婦人飛行士も乗っており、空港で同機が修理を受けている間、都内のホテルで一晩過ごした」というものである。(中略)

ニッポン・タイムズ編集局次長の話 アメリカの地方新聞などはエイプリル・フールにでたらめな記事を出すことがある。うちの記事も軽いユーモアの意味で出したまでだ。

(1955〈昭和30〉年4月1日付 朝日新聞東京本社版夕刊3面)


【解説】

 「うそつきは泥棒の始まり」と言うように、うそはいけないものだと子どもの頃に教えられました。しかし年に一度だけ、大手を振ってうそをついていい(?)日がある。それがエープリルフールです。

 今回ご紹介するのは、1955年の英字新聞に載ったエープリルフール向けの記事と、その反響を記した紙面です。まずは校閲記者の視点で点検してみましょう。

 まず「四月バカの一日朝」とありますが、これは現代の記事では「エープリルフールの1日朝」としておいたほうが、目にも耳にもしっくり来るでしょう。直訳の「四月馬鹿」は俳句の世界では季語として使われることが多く、健在です。ちなみに「万愚節」という異称もあるそうで、こちらは大げさで滑稽な響きさえします。

 続くくだりには「日本人読者の間にもかなり批判の声が出ている」とあります。「批判の声」は具体的にどんな批判が何件出ているか紹介されておらず、ぜひ知りたいところ。「不謹慎だ」あるいは「もっと分かりやすいうそにしろ」といった批判でしょうか。加筆を依頼しましょう。

 また、最後の段落に「ニッポン・タイムズ編集局次長の話」とありますが、このゴシック体(太字)の見出しは2行にわたって組まれており、若干読みづらい感じがします。現代の紙面では、まずこういう組み方はしません。2行にわたる見出しをやめるようアピールします。

 さて、時は1955(昭和30)年。終戦から10年、朝鮮戦争をへて、米国とソ連のいわゆる「冷戦」が激化する情勢にあって、西側諸国の一員とされた日本の空港に、あろうことかソ連の爆撃機が着陸する、という何とも物騒な「お話」です。

 ニッポン・タイムズの記事には「エイプリル・フール」という言葉をわざと置き、よく見ると署名も「シガツ・ウマシカ」とおちゃらけていて、これがエープリルフール向けのジョーク記事だとわかる仕掛けが、ちゃんとしてあります。しかし、それにもかかわらずかなりの「批判の声」が寄せられました。それは内容的に「笑えない」からなのでした。

1976年9月7日付東京本社版朝刊1面拡大ソ連軍戦闘機が函館空港に強行着陸した=1976年9月7日付東京本社版朝刊1面
 この記事について、ニューヨーク・タイムズの東京支局長は「欧米の新聞でもエイプリル・フールの日に架空な記事を出すことはある。しかしそれもまれで、内容はちょっとした落ちのある明るいもので、一見して冗談だとわかるようなものだ。これは内容が余りにまじめ過ぎて、悪い影響を与えやしないか。新聞として少し行過ぎのようだ」と評しています。

 「うそから出たまこと」と言うべきか、それから21年後の1976(昭和51)年、ソ連戦闘機のミグ25が函館空港に強行着陸するという事件が、実際に起こっています(9月7日付東京本社版朝刊1面)。これはミグ25に乗っていた空軍中尉が米国への亡命を希望しての出来事でしたが、自衛隊は一時「臨戦態勢」を構えるなど、緊張が走りました。

 現代の世界情勢に当てはめるなら、クリミア半島を併合したロシアとウクライナを引き合いに出してエープリルフールの冗談を作ったとしても笑えない、というのと同様の構図ではないでしょうか。

1980年4月7日付東京本社版夕刊2面拡大英BBCのエープリルフールのニュースを真に受けた日本人が多かった=1980年4月7日付東京本社版夕刊2面
 新聞にはエープリルフールの記事がたびたび掲載されてきましたが、なかでも有名なものに、1980(昭和55)年の「英議事堂の時計 デジタルになる」という記事がありました(4月7日付東京本社版夕刊)。これは「英国国会議事堂の大時計ビッグベンがデジタル時計になります。つきましては不要になったビッグベンの針を差し上げます」という内容で、もとは英BBCが海外向けに放送したものです。

 「ちょっとした落ちのある明るいもの」と言うにふさわしいネタですが、それでも真に受けて信じてしまった日本人は多かったようです。「世界で最も有名な時計をいじるなんて」と批判や抗議が殺到したほか、真面目に「針をくれ」と電報を打ってきた人もいたとか。記事の見出しに「日本人 マジメデスネ!!」とあるように、西洋起源のエープリルフールという風習を、我がものとして消化しきっていない日本人の姿が垣間見えるようです。冗談や軽口に対する、欧米人と日本人の受け止め方の違いも関係しているかもしれません。

 1955年の「ソ連爆撃機、羽田へ」の記事に戻ると、その年は「四月バカブーム」ということで、警視庁には「出勤途中の警察幹部の車が衝突し、幹部が即死した」とか「鳩山(一郎)首相が卒倒して再起不能になった」とかという110番へのいたずら電話が相次いだ、と紹介されています。ウイットもユーモアも感じられず、やはり笑えませんが、この風潮について当時の警視庁幹部は「社会に気分的な余裕が出てきた結果でしょう」とコメントしています。

 それから60年近くがたちますが、現代の我々もまた、良い意味での「気分的な余裕」は持てているでしょうか。「うそ」をつく側もつかれる側も、この日ばかりはのほほんと、そしてニヤリと、笑って済ませたいですね。


【現代風の記事にすると…】

行き過ぎた?エープリルフール
“ソ連爆撃機、羽田へ”
ニッポン・タイムズが掲載 読者びっくり

 「ソ連爆撃機羽田空港に着陸」――こんな見出しの記事がエープリルフールの1日、英字新聞のニッポン・タイムズに掲載された。記事はもちろん冗談で、同紙は「軽いユーモアの意味だった」とするが、読者からは批判が続出。警視庁関係者も「いたずらにもほどがある」とカンカンだ。

 記事によると、「昨夜、ソ連爆撃機が羽田空港に着陸して関係者を驚かせた。同機はアムール川近くのソ連空軍基地から太平洋横断の試験飛行に出発したが、燃料不足のため羽田空港に着陸。機長のイリエフ大佐は『帰り道に必要な燃料の計算を間違えた』と話した。2人の女性飛行士も乗っており、空港で機体が修理を受けている間、都内のホテルで一晩過ごした」などとしている。

 記事を後段まで読み進めると「ツルゲノフ4型の同機はエープリルフールのきょう午後2時出発、帰国する予定」とあり、「シガツ・ウマシカ」と「筆者」の署名もあることから、エープリルフール向けのジョーク記事だと気付く仕掛けになっている。

 ニッポン・タイムズの編集局次長は「アメリカの地方紙などはエープリルフールにでたらめな記事を出すことがある。うちの記事も軽いユーモアの意味で出したまでだ」と釈明する。

(加勢健一)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください