椎名林檎ちゃんが表紙に登場した雑誌「TIME」(日本版、2003年8月11日号)

 椎名林檎は、音楽界に彗(すい)星(せい)のごとく登場しました。1998年5月にシングル「幸福論」、9月「歌舞伎町の女王」、翌年にはアルバム「無罪モラトリアム」をリリースします。曲のタイトルをみても、一風変わっています。現代詩風でもあり、古風な文語調で表現する場合もあり、猥(わい)褻(せつ)、卑猥、不道徳イメージの「新宿系」を自称するなど、キャラクターを含めた独自の世界をつくりだします。

 私が、椎名裕美子さん(のちの林檎ちゃん)のことを最初に耳にしたのは、長崎放送が主催する長崎歌謡祭です。毎年、TBS系列の放送局が各県からアマチュア歌手を推薦しコンテストをしていました。95年大会のときです。RKB毎日放送はテレビ・ラジオを通じて募集しましたが、公募だけでは心もとないと、局の音楽委員会や系列のセレナ音楽出版の社員でも個人的に探すことになりました。

 家村裕之ディレクターが「ティーンズ・ミュージック・フェスティバル(TMF)の楽器店予選出場者にうまい中学生がいるので推薦したい」と言います。ピアノの弾き語りでフィーリングも良く、公募作品と比較しても群を抜いていました。

 早速、裕美子さんとお母さんに会って長崎歌謡祭のシステムを説明。学業や家庭に迷惑を掛けることはなく、会場のハウステンボスに遊びに行くような気持ちで応募をお願いしました。ハウステンボスでは全国からの30人近くで予選があり、10人が決勝に進みグランプリを競う仕組みです。審査員は作曲家の服部克久氏ほか数人で構成しています。しかし、裕美子さんは決勝に出られませんでした。

 審査員の評では目線に落ち着きがないということでしたが、私が会場でモニターテレビを見た限りでは、落ち着かないのはテレビカメラの動きの方でした。審査員は彼女を落としたものの気になったらしく、入賞発表後のエキシビションには選外なのに出演し好評を博します。

 彼女はこのころ既にレディースバンド「マーブルス マーブル」など幾多のグループをつくり活動中でした。95年のTMF全国大会では奨励賞を受賞。翌96年のミュージック・クエスト(同じくヤマハ音楽振興会主催)に椎名林檎として出場し、「ここでキスして。」で優秀賞を獲得。以来、同振興会九州支部の支援を受けながら腕を磨きます。

 (聞き手 川副修)

=2007/06/14付 西日本新聞朝刊=

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