5月31日(日)放送
シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第2回 “任那日本府”の謎

写真:発掘が進む韓国の前方後円墳

 

古代史における「任那日本府」の問題は、今なお日韓の間で議論を呼んでいる。『日本書紀』では、「任那」とは倭王権が朝鮮半島南部の国々を平定したあとに置いた天皇の直轄領・ミヤケの意味で使われ、「任那日本府」の記述が、6世紀代に現れる。さらに、19世紀末に中国東北部で「広開土王碑文」が発見され、「倭」の半島侵入の記述が見つかった。そこで、4世紀後半からおよそ200年の間、日本が朝鮮半島へ軍事的に進出し、大陸の先進文物を「任那日本府」から吸収したと、長らく考えられてきた。

しかし、1970年代以降、日韓の様々な研究や発掘調査によって、「任那日本府」の実態や 朝鮮半島南部と倭をめぐる関係性が見直されている。

4世紀後半を境に、日本の古墳の埋葬品の中から、朝鮮半島産の鉄製品や武具が出現する一方で、韓国南部の古墳から倭系の銅器が出土する。韓国南西部のヨンサンガン(栄山江)流域からは、日本特有の前方後円墳が次々と見つかる。いったい、これらはどんな関係を物語るのか。最新の発掘調査と研究成果をもとに、描かれ始めた古代の関係の真実に迫る。

Copyright (C) NHK(Japan Broadcasting Corporation) , ALL rights reserved. 無断転載・転用を禁じます。