[ライフ]ニュース
【次代への名言】シネマの天使編(26)
2011.3.18 03:03
■「僕のおやじや、おふくろや、弟や、親友が、うまれて、育ち、そして語り合い、生活している日本の国土を守るべく戦いの庭に出た」(池部良『オレとボク』)
《兵隊に採られたことを恨み、論理的ではないが戦争の批判など、入隊以来、しょっちゅう脳裡(のうり)をうろついてきたことが、どういう訳か、朝の露のように消え、責任ある将校への思いが、背骨に沿って、ずぶっと突き通ったのを感じた》
昭和18(1943)年11月、陸軍見習士官(曹長)に昇任したときの池部良さんの心境である。その頃、池部さんは「特別操縦見習士官」(のちの特攻隊)を募集していることを知る。
《飛行機を操縦して死んだ方が「かっこ」もいいし、潔いとも思ったから、即座に志願した》と『続続そよ風ときにはつむじ風』にあるが、これはわざと「多少、軽率」に記したようだ。『オレとボク』で、池部さんは《仮令(たとえ)、戦争も、兵隊も嫌いであるにせよ》としながらも、冒頭のように続け、以下の決断に至る。
《僕は兵としてここに戦う義務がある。こう思ったら、矢も楯(たて)もたまらなくなって、事務室に申込みに行った》
中国に駐屯中の池部さんたちは試験場の北京に赴いた。第一・二次試験に合格し、面接試験にのぞんだ池部さんだったが、伝えられたのは「不適格」だった。
「そうか、よろしい」。残念な結果を報告すると、上官はそう言って《小さな目に笑みを湛(たた)えた》。一方、父の鈞(ひとし)さんに顛末(てんまつ)を伝えると、こんな手紙が来た。
「バカヤロ、生きて帰ることを考えろ」(文化部編集委員 関厚夫)
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