2004年3月15日(月) 東奥日報 特集

断面2004

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■ 女子マラソン高橋尚子が五輪落選/陸連「ごり押し」を回避

 アテネ五輪女子マラソンの代表から十五日、シドニー五輪女子金メダルの高橋尚子選手(スカイネットアジア航空)が外れた。抜群の実績と人気を誇る同選手は、日本陸連の「五輪に出したい選手」の筆頭だった。しかしこれまで何度も「ごり押し選考」を通した日本陸連も、選考会の成績が振るわなかった「Qちゃん」を今回は救えなかった。世間の批判を恐れ、選手を預かる現場の意向を尊重した。

 ▽苦渋の決断

 「おれだって選びたい。でもできないんだ」。五輪代表の原案を決める会議を前に、日本陸連の沢木啓祐強化委員長は悩んでいた。選考レースの大阪で優勝した坂本直子選手と、名古屋で逆転勝ちした土佐礼子選手を「落とす理由が説明できない」と言うのだ。

 日本陸連には、一九八八年ソウル五輪に瀬古利彦選手、九二年バルセロナ五輪に有森裕子選手と、選考レースの結果を疑問視されたスター選手をあえて選んだ前例がある。当時から幹部だった小掛照二副会長は、今回も高橋選手を強力に推した。だが同副会長は「理事会で賛同意見は出なかった」と肩を落とした。

 同じく陸連の実力者である帖佐寛章副会長も「高橋を五輪に出してやりたいと、幹部のみんなが思っていた。ただし、今回は陸連がちゃんと選考した」と、様変わりした理事会を振り返った。

 ▽崩れたシナリオ

 五輪連覇を最大の目標にしていた高橋陣営のシナリオは二度、崩れた。一度目は、平凡な記録に終わった昨年十一月の東京国際での後半の失速だ。これで五輪当確を得ることができなかったのが、最後まで響いた。

 それでも有力選手がそろった一月の大阪国際では、坂本選手以外に有力候補が出なかったために軌道を修正。最終選考会の名古屋を見送っても、実績を評価されて代表に選ばれると踏んだ。高橋選手を指導する小出義雄氏は大阪のレース後、坂本選手が所属する天満屋の武冨豊監督に「シドニー五輪に続いて、また一緒だな」と声を掛けたほどだ。

 記録が出にくいといわれる名古屋で、土佐選手が驚異的な追い上げを見せ、選考レース中、最高記録を出したのが第二の誤算だった。小出氏は十五日の会見で「記録順に選ぶんだったら、名古屋を走らせるんだった」と読み違いを悔やんだ。

 ▽組織防衛

 理事会の冒頭で、衆院議長でもある日本陸連の河野洋平会長は「誰もが納得できる結論を」と求めた。政治家らしい気配りを見せる会長を得て、日本陸連の体質も変わったといわれる。

 今回の「高橋外し」で主流派を占めた陸連幹部は、かつてのように高橋で「ごり押し」した場合の反発を最も恐れたという。「世間の批判に加え、有力選手を預かる各チームの指導者がだまっていないだろう」。日本の女子マラソンは世界一の層の厚さを誇るようになった。スター一人を優遇すれば全体にひずみが出る。土佐選手を指導する三井住友海上・鈴木秀夫監督の「これで選ばれなかったらやりきれない」との訴えも痛烈だった。

 一方で国民栄誉賞まで受賞した高橋選手を「批判の矢面に立たせたくない」との親心も働いたとされる。

 選考を終えた元五輪代表の増田明美理事は「高橋さんを外してももめるだろうが、高橋さんを選んだら、もっともめた」と総括した。金メダリストを選ばないことで、日本陸連は組織防衛も図った。



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