★椎名林檎「ここでキスして。」(1999年)
石嶺聡子の「花」のヒットで勢いをつけ、次のアーティストの準備にとりかかろうとした時期、九州エリアの宣伝マンから、椎名林檎の存在を知らされた。
熱心な宣伝マンの彼が椎名をぜひ担当したいという。すでに本人にアプローチをかけて、良い感触を得ているというのだ。僕は音も聞いていなかったが、即座に獲得を指示した。昨今、情熱をもって行動する若い社員が珍しくなっていたから、彼の意気にかけた。
椎名は高校1年でホリプロタレントスカウトキャラバンに出場。さまざまな音楽コンテストで上位に賞を獲得し、いくつかのレコード会社から声がかかる逸材だった。
彼女の楽曲で最初に驚いたのは曲のタイトル。「幸福論」「歌舞伎町の女王」といった奇抜さ。メロディーもオリジナリティーに富んでいた。
レコード会社内でマネジメントをしていることが、大きな決め手となり、契約が決まった。
楽曲制作の準備に入ったが、その頃から現場の仕事を減らし、プロデューサー的な立場に移行していたので、実績のある外部ディレクターに現場を任せることにした。
ディレクターの意見は作品はかなりの手直しが必要とのこと。しかし、本人が「どうしても納得できない」と強烈に拒否したため、断念するしかなかった。
正直言って、僕もディレクターと同意見だったが、これほどの違和感を抱かせる作品に出会った経験がなかったので、ひょっとしたら、この違和感は大化けの予兆かもしれないとも思った。