■「百合族という言葉を作ったのは僕」
――『薔薇族』というネーミングはどこからきたのですか?
本当は『薔薇』としたかった。ところがその名前ですでに登録している人がいた。園芸雑誌か何かじゃないかな。ギリシャ神話か何かで「薔薇の下で男同士が契りを結ぶ」というのがあるらしい。レズビアンの人たちのことを「百合族」というのは、僕が考えました。百合はほら、ナルシシズムの象徴だから。
――創刊当初の売れ行きはどうでしたか。
取次(書籍の卸問屋)に持っていったら「こんなもの誰が買うんだ」と言わたけれど、そこを交渉して扱ってもらえるようにしたのが僕の功績といえば功績かも知れない。そのおかげで全国の書店に『薔薇族』が並んで、皆さんに買ってもらえましたね。
でも当時、読者が『薔薇族』を買うのにどれだけ苦労したか。自分の暮らす街では買いにくい。だから皆、他の街に行って買う。新幹線に乗って、東京まで買いに来た人もいるしね。こちらでも定価を500円とか1000円にして、買う人がお釣りをもらう時間を省略できるよう工夫していました。
■「本音で交際したい」人気を博した文通欄
「友達を見つけられない」と悩む同性愛者のために作られた『薔薇族』の文通欄「薔薇通信」は人気コーナーとなった。ここには次のような読者から読者への呼びかけが掲載されている。
「仕事に燃えている俺。真っ黒に日焼けしている俺。胸毛のある俺。やさしさと外見では絶対君をガッカリさせない自信あり。思いきってアタックしてくれ。返事確実」(1985年8月号)
「気楽に呼び合い、無理せず本音で交際したい。寂しいとき甘えたいときは俺の腕枕で眠れよ。俺が辛いとき、君の優しさ下さい。どんなときでもお互い力になりあえる仲、作り上げよう」(1988年11月号)
――「薔薇通信」には読者からの呼びかけがたくさん並んでいますね。
多いときは1号に1000人分くらい載せていましたね。郵便局の人が毎日、大きな袋でずっしりと手紙を持ってきて。この欄は限られたスペースのなかで自分をよく見せるために読者は工夫するわけですから、ある有名な作家は「薔薇通信を読むのが一番面白い」と言ってくれました。海外からの投稿もあったしね。
――『薔薇族』が最盛期を迎えたのはいつ頃ですか?
日本テレビで『同窓会』という(同性愛をあつかった)ドラマがあった。ちょうどその頃(1993年ごろ)だと思う。『薔薇族』が100号を迎えたときには、雑誌『週刊文春』が取りあげてくれました。ところがだんだんインターネットなんかに押されていって、印刷屋さんから「今月号を出したら(未払い金が)なおも増えるから、終わりにしてくれ」と引導を渡されてしまった。だから雑誌で「やめます」ということを言わずにやめてしまったんです。一時期は数万部売れていたけど、その頃は3000部くらいまで落ちていたかな。
■「少年愛の人たちは自分から声をあげられない」
――伊藤さんは、いまの社会をどのように見ていますか?
いま一番気にかかっているのは少年愛の人たちの苦しみです。同性愛者のなかでも、少年愛の人たちは自分から声をあげられず、ひっそりと暮らしていると思う。大多数の人は(その感情を)理性で抑えているけれども、それができないで犯罪を起こしてしまう人もいる。
――同性愛者は仲間を見つけやすくなりましたが、少年愛の人は実際に行動することができない難しさがあるということですね。
いま厚生労働大臣になった小宮山(洋子)さんが副大臣だった頃、あるシンポジウムにいらっしゃったので、児童ポルノ規制に関する質問をしたんです。すると「ネットに子供の写真が載ると二度と消せないから、人権問題になる」と返ってきた。
でも、こういうことを言うと怒られるかも知れないけれど、そうした写真を「見たい」と思う人たちのことを考えていない。少年愛の人たちは何も好き好んでなったわけではなく、持って生まれたものだから。
それにやっぱり見るものがないと。昔、ある地方で塾を経営している方で、少年の写真を綺麗に撮る人がいた。その写真がポルノショップで大量に売られていた時代があるんだけど、少年愛の人たちのなかには、その写真に慰められた人も多いんじゃないかな。小宮山さんにはぜひ、(少年愛を描いた)映画『ベニスに死す』を観てもらいたいものです。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送] 『薔薇族』伊藤文学氏を追ったドキュメントから視聴 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv67963126?po=news&ref=news#41:05
(土井大輔)