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住吉大社の由緒・伝統について

住吉大社の由緒・伝統について

住吉大社は、いつ、だれが建てたのですか?
神功皇后ご自身が住吉大神をお祀りになり建てられました。
これは鎌倉時代に編纂されたという『帝王編年紀』によりますと、ご鎮座が神功皇后摂政11年、辛卯の年(西暦211年)とされています。やがて神功皇后ご自身も御祭神として祀られるようになりました。平成23年には御鎮座より1800年を迎えました。
住吉大社はなぜ大阪に建てられたのですか?
神功皇后が新羅を平定されたのちの帰り道、急に船が動かなくなるという変事がありました。神さまにお尋ねすると、住吉大神が大きな港があって玉のように美しく細く突き出た場所に鎮まりたいとお告げになられました。そこで住吉の地に祀られることになりました。

当時の住吉の地は、大阪湾が今よりも内陸に広がっており、そこに上町台地が南に突き出た場所でした。仁徳天皇の時代には住吉津がおかれ、のちには遣唐使などが出発したという良港であったということからも、住吉の地理は海上交通の要所であったともいえましょう。
住吉大神さまはどのような神さまですか?
住吉大神さまは底筒男命・中筒男命・表筒男命といわれる三柱の神さまの総称をいいます。この住吉大神さまは、お祓い・航海安全・和歌の道・産業育成などのご守護をされることで有名です。古くより多くの人々の崇敬を受けてきました。

『古事記』『日本書紀』など日本最古の伝説と歴史が書かれている書物によりますと、イザナギノミコトが亡き愛妻イザナミノミコトを追いかけて、ついに黄泉国(死者の国)にまで行かれました。しかし、妻を連れ戻すことは出来ず、地上へと帰ることになりました。地上に戻ったものの、その身には黄泉国のケガレを受けてしまったので、海に入って禊 (みそぎ) を行ないました。禊とは身体を清める行為で、これを行なった時に、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱、つまり住吉大神がお生まれになりました。よって「海の神」「おはらいの神」として特に崇敬されます。海は生命の源であり、禊や祓という行為も水でもって生命力を更新するものですから、住吉大神は「生命」そのものを守護育成される尊い神さまです。
神功皇后さまはどのような神さまですか?
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命で、第14代仲哀天皇の皇后です。皇后の父は、第9代開化天皇の曾孫で、母は朝鮮半島の新羅から帰化した天日槍 (あめのひぼこ) の子孫にあたります。

皇后は仲哀天皇と一緒に九州の熊襲征伐に向われ、途中で天皇が崩御せられた後も、女性の身で、しかも懐妊中であるにもかかわらずに、国内を平定しました。またさらに進んで朝鮮半島にまで進出し、ことごとく勝利を得られました。この後、凱旋してからお産まれになられたのが応神天皇です。皇后はご守護をいただいた住吉大神を祀られましたが、ご自身も住吉大神と一緒に住みたく思われましたので、この地に共にお祭りされることになりました。
国宝の住吉造にはどんな特徴がありますか?
本宮の建築様式は「住吉造」と呼ばれます。日本の古代建築をよく遺したものには伊勢神宮の「唯一神明造」、出雲大社の「大社造」がありますが、住吉造はそれらに次ぐ古風を伝えるものです。屋根はヒワダ葺き(ヒノキの皮を敷き詰めたもの)の切妻(屋根の端を切り揃えたもの)という形式です。室内は外陣と内陣の二間に分かれ、柱は丹塗り、壁は胡粉塗りという様式になっています。また住吉造の構造は、天皇陛下の大嘗祭で造営される「大嘗宮」という神殿と類似した平面構造をしていることも特徴として挙げられます。現在の四本宮は江戸時代の文化7年(1810)の造営で、国宝に指定されています。

このように古代の様式を連綿として伝えていくことは大変に重要なことです。昔の文明に想いを偲ばせるような古代の「遺跡」ではなく、現在に至るまで祭祀が途切れなく、また伝統をよく守り続けられてきた事実が意義深いものでしょう。
住吉大社は全国にある神社のなかでもどういう位置づけですか?
日本全国には八幡さま稲荷さまをはじめ数多くの神社がお祭りされています。その中でも住吉神社はおよそ2000社以上も祭られており、それら住吉神社の総本宮にあたるのが住吉大社です。現在は各神社が独立した宗教法人となっております。

歴史的にも古くから朝廷からのご崇敬をあつめ、神さまの位として最も高い「正一位」とされました。昔の国ごとにおかれた一宮でもあり、住吉大社は「摂津国の一宮」です。また後には国家より格別の扱いである神社の社格が「官幣大社」とされました。
住吉の地名には何か由来がありますか?
神功皇后が住吉大神をお祀りされる際、それに相応しい土地をあちこちと探しましたが、この地を見つけた時に、「真住吉」との託宣を得られました。よってこの地を住吉と名づけて鎮座しました。
この「住吉」は、スミヨシと読みますが、古くは「スミノエ」と読みます。スミノエの「エ」とは、今でも関西圏では、良い事を「ええ」(良い)というのと同じで、神さまが「住むのに良い」という意味です。神さまの御心にかなう土地ということで住吉といいます。

また、住吉大神は祓の神さまでもあり、昔の住吉の海岸は水が美しかったということもあり、まさに「澄み良し」という意味もあるのです。

全国には住吉神社が多く祭られており、この住吉の地名が全国の同じ神さまをお祭りする土地へ広まったため、そこの地名を住吉と名付けたことにより、現在でも全国に住吉という地名が多く存在しているのです。

大阪市には、住吉区・住之江区があり、また住吉区には墨江などの地名がありますが、もともとは住吉大社より起こった名称であります。
住吉大社の巫女さんは、なぜ頭に飾りがついているのですか?
まず、当社は巫女とは呼ばずに「神楽女」 (かぐらめ) と呼んでいます。住吉大社は伊勢の神宮や春日大社など古社とならび、伝統ある神楽を継承しており、その神楽舞に奉仕するのが神楽女です。神楽を舞うことで神霊を神楽女に御招きする意義がありますので、頭上には鏡を中心に、神木である「松」が掲げられ、神使の「白鷺」が飾りつけられています。
お神楽とはどういうものですか?
神楽とはカグラと読み、歌や舞をともなって、神さまに奉納して御心をなごませる神事芸能のことです。神霊が降臨して舞人自身が神さまの依代となるものでもあります。神話では日神の天照大神が岩戸隠れなさった時、アメノウヅメという神が舞を行ったことに起源を発するともいわれます。

住吉大社には古来より伝統ある神楽が伝承され、宮中御神楽と同様に、優美で典雅な古い手振りをのこす巫女神楽です。神楽歌には数多くのものがあり、神事や祭典で神饌を供える際、本殿の御扉の開閉時などで行われます。また神楽女が舞を行うものには、神降・倭舞4段・熊野舞4段・白拍子・田舞(八乙女舞)・初辰神楽などが伝承されています。
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