渡瀬恒彦さんが死去、所属事務所発表「最期まで幸せな俳優人生全うに感謝」

2017年3月16日8時23分  スポーツ報知
  • 亡くなった渡瀬恒彦さん(右)左は兄の渡哲也

 映画「仁義なき戦い」シリーズやテレビドラマ「十津川警部」、「おみやさん」などで知られる俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全により14日午後11時18分に都内の病院で死去した。72歳だった。16日、所属事務所がFAXで報告した。島根県出身。葬儀・告別式は近親者のみで営む予定で、妻・い保(いほ)さんが喪主を務める。兄は俳優の渡哲也(75)。

 渡瀬さんは15年6月にドラマ撮影中に肺炎のため1日だけ緊急入院。同年秋にも体調不良を訴え、かかりつけの総合病院で健康診断を受けた際、胆のうに腫瘍がみつかった。しかし、同年12月にテレビ朝日系「おみやさんスペシャル」(06年2月放送)の撮影で仕事を再開。仕事を続けながら、短い入院や通院をして、投薬で進行を遅らせる治療を続けていた。

 昨年のテレビ朝日系ドラマ「警視庁捜査一課9係」に出演中にがんが見つかったが、病気については「―9係」の共演者にも一切伝えずに、ごく限られたスタッフのみが知っていたという。また、もとは酒豪だが、がん発見以来、禁酒していたという。

 今月放送予定のテレビ朝日系の2夜連続特別ドラマ「そして誰もいなくなった」(25、26日・後9時)にも出演。今月2日に行われた同番組の完成披露会見は「スケジュールの都合」を理由に欠席していた。今年1月21日に俳優の松方弘樹さんが死去した際には文書で「年齢も近く、東映の撮影所でともに育ってきました。今は言葉が出ません」とコメントしていた。

 渡瀬さんは早大法学部を除籍になった後、電通PRセンターに勤務。兄の渡が日活の青春スターとして地位を確立していた一方で、芸能界に興味はなかったが、東映の岡田茂社長(当時)に口説き落とされ69年に東映と契約した。

 70年に映画「殺し屋人別帳」でデビュー。「仁義なき戦い」などアクション映画やヤクザ映画の出演を経て、78年に「赤穂城断絶」、「事件」で、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、キネマ旬報等助演男優賞を受賞。以後、「震える舌」、「神様のくれた赤ん坊」、「南極物語」などで話題を呼んだ。

 近年はテレビを中心に活躍。TBS系「十津川警部」、テレビ朝日系「おみやさん」など主に刑事物で味のある演技を見せていた。

 私生活では73年に女優の故・大原麗子さん結婚したが78年に離婚。翌79年にOLだったい保さんと再婚し、息子と娘に恵まれた。

 大原さんとは04年の「十津川警部シリーズ 東北新幹線『はやて』殺人事件」で26年ぶりに共演。また、兄の渡とも11年のTBS系年末特別ドラマ「帰郷」で約40年ぶりに共演し話題を呼んだ。

 所属事務所は「最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントした。

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