今週のインタビュー Part1
086
批評家

東 浩紀
さん

Hiroki Azuma

味気ないが満足はできる社会?
―データベース型世界の到来


アニメやゲームのオタク系文化は国境を越え、
アジア、ヨーロッパにも波及している。
これほどの影響力を行使しながらも、
日本社会との関係で真正面から
検討されたことはあまりないようだ。
オタク系文化からかいま見える日本とは何か。
そして、「いま・ここ」の日本の姿は
どういったものなのか。
批評家、東浩紀さんに聞いた。

      東 浩紀 さん
       
あずま ひろき

批評家。1971年東京都生まれ。東大大学院総合文化研究科博士課程修了(哲学・表象文化論)。93年に批評家デビュー。96年の「エヴァンゲリオン」論でサブカル周辺でも注目を集める。フランスの思想家デリダを論じた著書『存在論的、郵便的』(新潮社)で99年サントリー学芸賞受賞。近著に『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)。

 

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――東さんはこれまで、フランス現代思想からオタク系文化と、様々な分野について批評されて来られましたが、そもそも「世界」について考えることを仕事にしようとされたのは、どういった経緯からなのですか。

清水 ミチコ さん  そもそもぼくは子どものころは、新聞記者になろうと思っていたんです。次がSF作家かな。そういう意味ではずっと「人間」や「世界」に関心があったので、大学時代に専門で現代思想をやっていたからといって、抽象的な思弁だけが好きなわけではない。もともと雑学系なのです。

――そこで、オタクは日本を象徴すると指摘されていますが、オタクに着目されるようになった理由は何なのでしょう。

 さまざまな理由があります。そのひとつは、戦後日本におけるナショナル・アイデンティティを、一種歪んだかたちであれ、継続的に描いてきたのがオタク系サブカルチャーだったからです。そこで、オタク系文化の歴史を日本社会の問題と照らし合わせて論じてみようと思った。

――オタクとナショナル・アイデンティティ…。結びつきが一見ないように思えるのですが。

 そうですか? 80年代以降のオタク系文化については、むしろ日本の伝統芸能との連続性を強調する見方が一般的です(注1)。そういう点で、オタク論はよくナショナルな話と結びつけられていますよ。ただ僕の見方では、アニメに始まり、オタク系文化はアメリカからの輸入物の上でできあがっている。そこの捻れが重要です。そのため、オタク系文化に頻出する日本のイメージは、戦前までの伝統とは切断されたいわば「疑似的」な日本になっている。ここが面白い。 東 浩紀 さん

――オタク的なサブカルチャーが日本的なものを描けば描くほど、失われた伝統、アイデンティティという傷が浮かび上がるというわけですか。

 そうとも言えますね。戦後日本は失われたナショナル・アイデンティティをどのように作り上げるかで試行錯誤してきた。1980年代の好況期には「消費社会と戯れることが日本のアイデンティティなのだ」という奇抜な考え、いわゆる「ポストモダニズム」が台頭したこともある。しかしこれはバブル経済の終わりとともに破綻した。小林よしのりのようなキッチュな右翼の登場はその反動ですね。
 しかしキッチュなナショナリズムは実は、オタク系文化により1970年代に準備されていたとも言える。「宇宙戦艦ヤマト」が典型的だし、押井守(注2)の映画にも微妙にそういうところがある。日本とは何か、日本人とは何か、という問いが、いろいろねじれたかたちで表現されているのです。

――オタク系サブカルチャーがナショナル・アイデンティティと消費社会の成熟に深くかかわっているとして、何が問題なのでしょうか。

 消費社会化が行くところまで行った今日、日本人が「日本的である」と思う風景は、もはやフジヤマやゲイシャではないでしょう。荒れ果てた郊外のラブホテル、コンビニ、コンピュータゲームの空き箱やゴミが散らかっている線路脇。そんな光景が現在の日本だと思いますね。しかもそこで転がっているのは、エロゲーのパッケージ。そういう光景とどう付き合うのか。だってそれが僕たちの日常なのだから。

――同じ光景を見ていても、景気のいいころは、散らばったそれらも、これがまさに日本の風景だと自負心を持てたかもしれません。

東 浩紀 さん  ポストモダニストたちの廃墟論ですね。でもそれは虚構だった。1990年代の長い不況のなかで、残ったのはコンビニとケータイぐらい。『アキラ』のような格好いいサイバーシティはやってこなかった。そういう絶望と正面から付き合ってきたのが、オタクたちだったわけです。ニセモノとサブカルチャーしかない世界でどのように誇りをもって生きていけばいいのか。オタクたちはそんな物語ばかり紡いでいる。そしてそれはいまでは日本全体の問題でもある。

――メンタリティが貧しくなったとも言えませんか。

 オタクだから貧しいんですか? それを言うなら、戦後の日本は一貫して貧しい。都築響一(注3)が秘宝館やラブホテルを撮影して作品にしていますね。あれが私たちの姿ですよ。伝統的な価値観からすれば、貧しくダメな文化しかもたない国ということになるのでしょうが。でも、そんなことを批判している場合じゃないんじゃないかな。

――ところで「データベース型世界」という考えを打ち出されていますが、その視点からはいまのダメな状況の日本の現状はどう見えるのでしょうか。

 それはむしろ日本の話とは関係ありません。僕はその言葉を、情報技術の急速な進展が社会構造や権力構造に与える変化を広く捉えるために使っています。近代国家はイデオロギーによって大量の人間をまとめるシステムを作ってきた。専門用語で言えば、象徴的機能によって国をまとめてきた。しかし冷戦終了後のポストモダン国家においては、国をひとつにまとめあげる象徴(シンボル)はかつてのようにうまく機能しなくなる。言い換えれば、大きな物語が機能しなくなる。
 ではそこで、林立する「小さな物語」が共存できるための枠組みは何かと考えると、そこに実は情報技術の発達が関係するのですね。いろんなタイプの人間集団を、差異を保ったまま共存させるのは、要はセキュリティをしっかり固め、トラブルが少ない国家を作っていくほかなくなる。発達した情報技術が国をまとめ、そのうえに、多様な価値観をもった共同体がバラバラに林立する。これが現在の先進諸国が向かっている方向だと言えると思います。これを警察国家化と考えるひともいる。

――警察国家と聞くと国民の自由が脅かされる印象があります。

東 浩紀 さん  そこは難しい。単純に市民の抑圧と考えることはできない。近年の少年犯罪の凶悪化や触法精神障害者(注4)の問題、それに昨年のテロの関係もあって、いま日本ではセキュリティの意識が急速に高まっている。これは当たり前で、社会がポストモダン化して、いろんな考えのひとが好き勝手に生きる世界になったら、危機管理がとても重要になるわけです。そしてそこに情報技術が結びついてくる。たとえば、精神障害者に強制的にPHSをもたせてですよ、学校や公園に近づいたら自動的に所轄署の連絡が行く、なんてシステムは簡単に作れるはずです。実際にそういうプランが動いているかどうか知りませんが、私たちの社会はどうもそういう方向に向かっています。そういう社会は、確かにセキュリティはしっかりしている。 (次ページへつづく)


注1)80年代以降のオタク系文化
 例えば高橋留美子原作の『うる星やつら』は学園を舞台にしたSFファンタジーであるが、鬼や雪女といった民俗的なキャラクターが登場する。 ↑戻る

注2)押井守
 映画監督。『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』(84)、『機動警察パトレイバー』シリーズなどのヒット作を手がける。95年に公開された『GHOST IN THE SHELL/甲殻機動隊』は日本、アメリカ、イギリスで公開され、アメリカではビルボード誌のビデオ売上チャートの1位になり、ジャパニメーションの旗手として脚光を浴びた。  ↑戻る

注3)都築響一
 編集者。76年から86年まで「ポパイ」、「ブルータス」誌で現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事を担当。93年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』を刊行「SPA!」誌上で5年間にわたって連載された、日本各地の奇妙な新興名所を訪ね歩く『珍日本紀行』の総集編『ROADSIDE JAPAN』が、96年冬に発売。  ↑戻る

注4)触法精神障害者
 殺人行為を行ったが精神障害が原因であるため、裁判で責任能力なしと判断された者。  ↑戻る



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