新日本プロレス「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」優勝決定戦(7日、東京・国立代々木競技場第二体育館)で、KUSHIDA(32)がカイル・オライリー(28)を下し悲願の初優勝を飾った。東京スポーツ新聞社にアルバイトとして在籍したころから幾多の“修羅場”をくぐり、波瀾万丈のプロレス人生を送ってきたが、同大会6度目の挑戦でついにジュニアの頂点にたどり着いた。
KUSHIDAは米国・ROHの新星オライリーの多彩な関節技とスープレックスに大苦戦を強いられた。それでも欠場中の盟友アレックス・シェリーの得意技であるスライスブレッドで形勢を逆転すると、ミッドナイトエクスプレスを発射。最後はホバーボードロックでギブアップを奪って、ついに悲願のスーパージュニア制覇を成し遂げた。
決して平坦な道のりではなかった。2005年にメキシコでデビューを果たして以降、日本では所属団体を転々とした。ハッスルが崩壊した09年からは、単身で海外武者修行に。両親が別居した8歳の時から、女手一つで育ててくれた母・幸子さんに借りた10万円を握り締め海を渡ったものの、カナダでは試合も月に2~3試合しか組まれず「1か月1万円生活」を強いられたこともある。
だが、苦難や逆境にはプロレス入り前から“耐性”があった。大学時代の04年からアルバイトとして東京スポーツ新聞社に勤務。数々の試練を乗り越えてきたからだ。
「いきなり『男セン』の現場に駆り出されて、SMイメクラ取材の写真モデルも経験しましたし…」。何を隠そうKUSHIDAの“メディアデビュー”は、04年2月5日付の本紙男セン面。半裸の女性に縛られ顔面を蹴られている痴態写真が掲載され、紙面には「サク裂! 女王様キック」なる見出しが躍っていた。「人前に出ることの恥ずかしさというものは、あれでなくなりました。あの経験がプロレスに役立っている…かもしれないですね」と当時を振り返ったが…その言葉が本心であると信じたい。
もちろん目指すはさらなる高みだ。7月5日大阪城ホール大会ではスーパージュニア覇者としてIWGPジュニア王者のケニー・オメガ(31)への挑戦が決定。「僕はエリートじゃないし、たくさん挫折してきた。あとは上がるだけ。これから何をするのか、どこへ行くのかが大事でしょう」
リングの内外で豊富な人生経験を積んだ男が、新日ジュニアの新時代を担う。
【関連記事】