レストランのテーブルをはさんで、30代半ばの女と男が見つめ合う。
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ドラマの舞台となった街。冬日が傾き、坂道を歩く女性たちの影が長く伸びていた |
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ドラマに登場した喫茶店。長年のなじみ客が多い |
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「妻たち」がホームパーティーをしたような家が改装・再分譲されている=いずれも東京都町田市で |
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「ね、浮気したことある?」
「ないよ。おれはひょっとして、君と会うのを待ってたのかもしれない」
「うまいこと言って。あなたも中年男になったのね」
「一生のうちに好きになる女なんて、そうたくさんいるもんじゃないぜ」
「私も、もう一度、あなたに会うのを待ってたような気がする」
かつての恋人同士だが、やむなく別れ、十数年ぶりに再会。女は一度離婚し、男には妻子がいる。ふたりは思いを抑えることができない――。
1985年に放映されたドラマ「金曜日の妻たちへIII 恋におちて」。脚本の鎌田敏夫さん(70)は「切なさを描きたかった」と語る。
「道徳で断罪したら、浮気してるやつが悪いってことになっちゃうけれど。愛してしまう気持ちもわかる。家庭を守りたい気持ちもわかる。みんなわかると三すくみになる。切なくなる。人間ってなんであんなことしちゃうんだろう、どうして自分で自分が思うようにならないんだろう……と思うと、切ないよね」
83〜84年の前2作に比べ、より女性色を強めたこのパート3はとくに注目され、放送日の金曜夜10時以降は主婦が電話に出ないとまでいわれた。舞台になった東急田園都市線沿線の新興住宅街でのおしゃれな暮らしぶりも話題になり、直後のバブル景気とともに沿線の地価が急騰した。
窓際にたたずむ女。電話をじっと見つめる男。運転する女のほおに伝う涙……ため息が出そうなシーンに、甘く切ない歌声がかぶさっていく。
「Darling, I want you 逢(あ)いたくて ときめく恋に駆け出しそうなの 迷子のように立ちすくむ わたしをすぐに届けたくて……」
ドラマを彩ったこの曲が作られたのは放映より1年も前だった。当時音楽制作会社に勤務していた小林明子さんがある歌手のために作曲したが、その歌手が引退してしまい、しばらくして偶然にドラマ関係者の耳に入り、採用されたという。
湯川れい子さんが詞をつけ、歌手を誰にしようかと検討したところ、デモテープ用に歌った声がいい、と小林さん自身が歌うことに。26歳のデビュー曲がミリオンセラーになった。
「当時は正直、詞の意味がピンと来ない部分もありました。歌い続けてきて、今はとてもしっくりする。長年愛されているのはうれしいですね。不倫の悲しい歌だけれど、どこか明るさ、前向きさがあるせいでしょうか」
背伸びしてこのドラマを見ていた私はそのころ高校生。気がつけば、主人公たちと同じ年ごろの妻になった。今なら彼女たちの「切なさ」に近づくことができるだろうか。懐かしい「金妻」にもう一度、会いたい。
おうちに帰ろう、サヨナラ
桐子はかつての同棲(どうせい)相手だった秋山と逢瀬(おうせ)を重ねるうち、気づいてしまう。「あたしたちって、いつも昔の話してるのね。あたしは昔の女?」
この関係には将来がない。そう悟った桐子は終わりにしようと思う。だが秋山の妻で親友の彩子に知られてしまう。彩子は秋山に言い放つ。「桐子の身代わりはもうたくさん!」。彩子もまた、親友の元恋人と結婚したことにわだかまりが残っていた。
一人ひとりが丁寧に描かれ、それぞれの気持ちに引き込まれる。桐子のいしだあゆみさん(59)は振り返る。
「好きでしたね、桐子さん。強がっているけれど、本当は寂しくて。あのころのドラマは、何かをじっと待っていたりといった『間』が多かった。そういうシーンがとっても好きだったし、大事にしていたんです。だから寂しさや悲しみが伝わったのだと思う」
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「金妻」は主婦の不倫の代名詞になったが、桐子は独身で映画の字幕作成者。他の3人も彩子は家で表具の仕事を、由子はレストラン経営、法子もパート勤めをしていた。放映された85年は男女雇用機会均等法が成立し、女性の意識や生き方が注目されたころだ。
鎌田敏夫さんは言う。「女性が主体性を持つようになった。それで大変になったんです。主体性がなければ、他人を責めていればいい。不幸になったのはダンナが悪いのよって。でも、自分で選んだならそれはできない。自分が恋したんだから、相手を責められない。強くなったからこそ、切なくなったんだと思う」
最終回。女4人がホームパーティーを開く。「秋山を返す」という彩子に桐子は叫ぶ。「秋山さんがあたしにとってのスイートホームなら、あたしは遠慮なく、本気で取り返してるわよ! でもそうじゃなかったのよ、もうそうじゃないのよ。それが悔しかった。寂しかったし、つらかった……」
彩子は、桐子の言葉に秋山を許す決心をし、迎えに行く。とまどう秋山を抱きしめ、並んで家路につく。
いしださんは「桐子が『おうちに帰ろう』って秋山さんに促す。家庭がない桐子にとって、お別れの意味なんですよね。最初は子どものような言葉だな、と思ったけど、あとになって深いなあと思いましたね」と述懐する。
桐子が秋山を帰した「スイートホーム」を訪ねて、渋谷から東急田園都市線に乗った。多摩川を越え川崎、横浜を過ぎ町田市へ。沿線の風景を楽しみながら各駅停車に50分ほど揺られ、舞台となったつくし野駅に着いた。
なだらかな傾斜に沿って住宅が並ぶ。大型マンションやビルの建設が抑えられていて、空が広い。駅前も店は少なく、静かでベッドタウンという言葉がふさわしい街だ。ドラマよりもずいぶん落ち着いたたたずまいに見えるのは、歳月のせいだろうか。
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70年代から東京の若者を観察している「アクロス」の編集長、高野公三子(くみこ)さん(45)からこんな話を聞いた。
「東京の人口統計から推計すると、団塊世代は60年代に地方から若者として東京にやってきて、70年代はほとんどが23区に集中していた。80年代になり家庭を持つとともに、千葉や埼玉、神奈川と一気に郊外に広がった。共通して庭付き戸建て、ソファにベッドというアメリカ的な郊外生活へのあこがれを持っていたようです」
ドラマの主人公たちも団塊世代。当時は「ニューファミリー」などと呼ばれていた。仙台から出てきた桐子は20代のころ、神田川沿いの下落合のアパートで秋山と同棲。やがて秋山は、郊外の家へ。なるほど、この世代の典型的な動きをしている。
彼らが夢見て築いたベッドタウン。住人の高齢化とともに手放される家も出てきた。つくし野の街を開発した東急電鉄は町並みを保つため、家を買い取って改装し、再び分譲する事業を数年前に始めた。駅近くの物件をのぞいてみた。 土地243平方メートル、建物143平方メートルで約8000万円。広々とした室内に天然木がふんだんに使われ、キッチンスペースもゆったりしている。庭はウッドデッキが敷かれ、ドラマのようなホームパーティーもできそうだ。
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閑静な住宅街を歩きながら思った。この街に不倫は似合わない、と。それは幸せな家庭を壊すものだから。だから切なかったんだ。大人は恋なんかしちゃいけない……はずなのに。
桐子が言っていた。「人ってどうして恋なんてするのかしら。映画もほとんど男と女の話。出会って恋して、苦しんで別れて。何回そういうの見たかしらね。出会って恋して、苦しんで、別れて」
冬の夕暮れは早い。家々に明かりがともり始めた。スイートホーム――。