地下鉄サリン:事件から20年 教祖逮捕、緊迫の4時間

毎日新聞 2015年03月20日 07時10分(最終更新 03月20日 11時38分)

逮捕された後、第6サティアン内で捜査員に囲まれながら健康状態のチェックを受ける松本智津夫死刑囚(左)
逮捕された後、第6サティアン内で捜査員に囲まれながら健康状態のチェックを受ける松本智津夫死刑囚(左)

 1995年3月20日の地下鉄サリン事件から約2カ月後の5月16日、オウム真理教代表だった松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(60)は山梨県上九一色村(現富士河口湖町)の教団施設「第6サティアン」で発見され、殺人容疑などで逮捕された。「教祖逮捕」までの4時間を再現した。

 「明日の午前2時に来い」

 当時、警視庁本田(ほんでん)(現葛飾)署の巡査長だった牛島寛昭警部補(57)は事件発生直後から築地署の捜査本部に投入され、2日後から始まった教団施設の捜索などを担当していた。招集命令は久しぶりの休みだった5月15日夕。家族と自宅に戻った直後だった。理由は告げられず、機動隊が置かれた場所に来るよう命じられた。

 別の事件に関与したとして逮捕され、碑文谷(ひもんや)署(目黒区)に勾留されていた教団「厚生省」大臣、遠藤誠一死刑囚(54)が「捜査指揮官に会いたい」と言い出したのは数時間後の15日深夜のことだ。

 警視庁捜査1課ナンバー2の理事官として霞が関の本部庁舎に陣取っていた山田正治さん(74)が急行すると遠藤死刑囚はこう言った。「グル(尊師)は第6サティアンの1階と2階の間の部屋にいます。末期がんで死にそうなので、大事に扱ってください」

 16日午前5時半。第6サティアンの捜索は約350人態勢で始まった。遠藤死刑囚の「告白」もあり、1階と2階の間をくまなく捜したが松本死刑囚の姿はなかった。捜査員に疲れが見え始め、約3時間後、捜索は一時中断された。

 牛島警部補は休憩中、ゴールデンウイークのころに2階と3階の間の外壁に信者がカバーのようなものをつけていたのを思い出した。「隠れるなら空気穴が必要。カバーは穴を隠すためでは」。隠し部屋がありそうな場所の天井を壊すと壁のようなものが見えた。同僚が金づちで壊すと、うつぶせの松本死刑囚の頭が見えた。

 「麻原か」

 「はい。瞑想(めいそう)していました」

逮捕直後の松本智津夫死刑囚。電極付きのヘッドギアを着けていた
逮捕直後の松本智津夫死刑囚。電極付きのヘッドギアを着けていた

 隠し部屋は2階天井部分にあり、高さ約50センチ、幅103センチ、奥行き335センチ。逃走資金か箱に1万円札が九百数十枚入っていた。担ぎ出された松本死刑囚は足が震えていた。山田さんは牛島警部補を呼んだ。「お前が見つけたんだ。手錠をかけろ」。時計の針は午前9時45分を指していた。

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