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真夏のデッドヒートを勝ち抜いて、チームを初優勝に導いた広島・古葉竹識監督。昭和50年代はリーグ優勝4回、うち日本一3回の広島黄金時代だった
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セ・リーグの勢力地図が確実に変わった年だった。巨人の3年目右腕・玉井信博投手の4安打完封で阪神を1−0で倒した長嶋ジャイアンツだが、29勝44敗4分の最下位。連覇を狙う中日が首位、0・5ゲーム差でヤクルトが追い、以下、1厘差で阪神、また1厘差で広島が続くという、ペナントレースは真夏のデッドヒートの様相を呈していた。
8月の時点で4チームが1ゲーム差以内にひしめく前代未聞の混戦をどこが抜け出すか。評論家の多くは前年巨人のV10を阻止した中日、吉田義男新監督になって開幕から走り続けた阪神が有利という予想が相次いだ。
まず、陥落したのがヤクルト。8月15日から阪神、大洋に5連敗して、以後4位に定着。高校野球期間中の“死のロード”を8勝4敗1分と好成績で乗り切った阪神だが、甲子園に凱旋した8月26日の大洋戦に10−13の乱打戦で敗れると、5位ホエールズにまさかの3連敗。その後6連勝で9月10日に7月30日以来の首位に返り咲いたが、残り20試合の踏ん張りどころで10勝10敗ともたついた。
最後まで熱い闘いを繰り広げたのが、中日と広島。9月10日、広島市民球場での25回戦は9回裏、1点を追う広島が山本浩二中堅手の中前打で二走・三村敏之遊撃手が本塁突入。中日・新宅洋志捕手が三村の顔面にタッチしアウト。5−4で中日が逃げ切った。しかし、このタッチをめぐって両軍が乱闘。首位を滑り落ちた広島はファンまで加わり、機動隊が出動するまでの騒ぎに。翌11日の試合は安全にゲームを開催することが困難との判断で中止となった。
しかし、広島はこの黒星以降13勝2敗2分という驚異的な成績で10月15日、後楽園での巨人26回戦を4−0で勝ち、球団創設26年目にして悲願の初優勝。その4日後、乱闘事件の影響で中止になった中日戦は皮肉にもカープの優勝凱旋試合となり試合も11−5で圧勝。乱闘がなく、予定通り試合が行われていたら、広島がその後優勝できたか、どうか。運命の乱闘事件だったかもしれない。
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